1月2日 聖バジリオ 聖グレゴリオ司教教会博士
神のことばがいつもその心にあるように・・・(詩篇37・31)
全能の神よ あなたは聖バジリオとグレゴリオの模範と教えによって、教会に光を与えてくださいました。 聖人を記念するわたしたちが、謙虚に永遠の真理を学び、信仰と愛をもって、日々その光のうちに歩むことができますように。聖霊の交わりの中で・・・
第一朗読 使徒ヨハネの手紙 (1ヨハネ2・22~28)
答 唱 詩篇98
アレルヤ この終わりの時にはご自分の子を通して語られた・・・
福音 ヨハネの福音 1章19~28節
「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。
『主の道をまっすぐにせよ』と。」(イザヤ)
黙想のポイント:
「救いの神秘を祝うわたしたちに信仰の光を豊かに注いでください」これは奉納祈願のことばだが、神の母を祝った年の初めの翌日には、聖バジリオと聖グレゴリオを典礼で祝うのは、まさに救いの神秘を聖霊の光のもとにあかしした二人の聖人を記念するためです。二人は同じ年330年に生まれる。この二人は、アレイオス派の異端と戦ったことで知られる。アレキサンドリアの司祭アレイオスは、神のロゴスであるキリストは私たち人間よりも優れた方であるが、神の被造物にすぎず、永遠の方ではないという説を唱えた。論争は大規模なもので、各地の司教を巻き込んだ。コンスタンチヌスは、325年ニケア公会議を招集し、ニケア信条と呼ばれる信仰宣言を定めた。「父から生まれたひとり子、父の本質からのものであり、神からの神、光からの光、まことの神からのまことの神である。造られずして生まれ、父と同一本質のものである」この信条で、キリストは、父なる神と変わらない神と同じ本質を持ち、受肉された神の現れそのものであると宣言したのです。キリストが神からの方でなければ、キリストの救いも本当に神からの救いではなくなる・・・この教義には、キリスト教の信ぴょう性、 真正性がかかっていたのです。
福音は、洗礼者ヨハネのあかしです。昨年「神のことば」をテーマに第12回世界代表司教会議(シノドス)の最終メッセージが10月24日に発表されています。その中で、神の声ー啓示というタイトルが第一段落に出ています。これを中央協議会の訳で掲載しましょう。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/synodus/synodus12th/message.htm
このメッセージは、(1)神の声:啓示、(2)み言葉のみ顔:イエス・キリスト、(3) 神のみ言葉の家:教会、(4) み言葉への道:宣教 (5) 結び、から成ります。この中で、ご公現の祝日にふさわしいのは
(2)のみことばのみ顔です。・・・
みことばが肉となる・・・これがキリスト教の本質で、これは「いつくしみの生活が、神のことばの生きた読書となるのです(viva lectio, vita bonorum)。聖ヨハネ・クリソストモはすでにこう述べています。使徒たちはガリラヤの山から下り、そこで、モーセのように文字の書かれた石の板をもたずに、復活したかたと出会いました。そのときから、彼らの生活が生きた福音となったからです。」
わたしたちの日々の生活が生きた福音となる それは高い理想ですが、
目指すべき道しるべです。アーメン
全能の神よ あなたは聖バジリオとグレゴリオの模範と教えによって、教会に光を与えてくださいました。 聖人を記念するわたしたちが、謙虚に永遠の真理を学び、信仰と愛をもって、日々その光のうちに歩むことができますように。聖霊の交わりの中で・・・
第一朗読 使徒ヨハネの手紙 (1ヨハネ2・22~28)
答 唱 詩篇98
アレルヤ この終わりの時にはご自分の子を通して語られた・・・
福音 ヨハネの福音 1章19~28節
「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。
『主の道をまっすぐにせよ』と。」(イザヤ)
黙想のポイント:
「救いの神秘を祝うわたしたちに信仰の光を豊かに注いでください」これは奉納祈願のことばだが、神の母を祝った年の初めの翌日には、聖バジリオと聖グレゴリオを典礼で祝うのは、まさに救いの神秘を聖霊の光のもとにあかしした二人の聖人を記念するためです。二人は同じ年330年に生まれる。この二人は、アレイオス派の異端と戦ったことで知られる。アレキサンドリアの司祭アレイオスは、神のロゴスであるキリストは私たち人間よりも優れた方であるが、神の被造物にすぎず、永遠の方ではないという説を唱えた。論争は大規模なもので、各地の司教を巻き込んだ。コンスタンチヌスは、325年ニケア公会議を招集し、ニケア信条と呼ばれる信仰宣言を定めた。「父から生まれたひとり子、父の本質からのものであり、神からの神、光からの光、まことの神からのまことの神である。造られずして生まれ、父と同一本質のものである」この信条で、キリストは、父なる神と変わらない神と同じ本質を持ち、受肉された神の現れそのものであると宣言したのです。キリストが神からの方でなければ、キリストの救いも本当に神からの救いではなくなる・・・この教義には、キリスト教の信ぴょう性、 真正性がかかっていたのです。
福音は、洗礼者ヨハネのあかしです。昨年「神のことば」をテーマに第12回世界代表司教会議(シノドス)の最終メッセージが10月24日に発表されています。その中で、神の声ー啓示というタイトルが第一段落に出ています。これを中央協議会の訳で掲載しましょう。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/synodus/synodus12th/message.htm
このメッセージは、(1)神の声:啓示、(2)み言葉のみ顔:イエス・キリスト、(3) 神のみ言葉の家:教会、(4) み言葉への道:宣教 (5) 結び、から成ります。この中で、ご公現の祝日にふさわしいのは
(2)のみことばのみ顔です。・・・
みことばが肉となる・・・これがキリスト教の本質で、これは「いつくしみの生活が、神のことばの生きた読書となるのです(viva lectio, vita bonorum)。聖ヨハネ・クリソストモはすでにこう述べています。使徒たちはガリラヤの山から下り、そこで、モーセのように文字の書かれた石の板をもたずに、復活したかたと出会いました。そのときから、彼らの生活が生きた福音となったからです。」
わたしたちの日々の生活が生きた福音となる それは高い理想ですが、
目指すべき道しるべです。アーメン
一 神の声――啓示
1 「主は火の中からあなたたちに語りかけられた。あなたたちは語りかけられる声を聞いたが、声のほかには何の形も見なかった」(申命記4・12)。モーセはこう語って、シナイの荒れ野の人里離れたところでイスラエルの民が経験したことを思い起こさせます。主は、像、肖像、あるいは金の牛のような立像としてではなく、「声」としてご自身を示しました。創造の初めに現れたのも声でした。声は無の沈黙を破りました。「初めに・・・・神はいわれた。『光あれ』。こうして、光があった。・・・・初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。・・・・万物はことばによって成った。成ったもので、ことばによらずに成ったものは何一つなかった」(創世記1・1、3、ヨハネ1・1、3)。
創造は、古代メソポタミアの神話が語るように、神々の戦いから生じたのではありません。創造はことばによって生じました。ことばは無を打ち破り、存在を造り出したからです。詩編作者はいいます。「みことばによって天は造られ、主の口の息吹によって天の万象は造られた。・・・・主がおおせになると、そのように成り、主が命じられると、そのように立つ」(詩編33・6、9)。聖パウロも繰り返していいます。神は「死者にいのちを与え、存在していないものを呼び出して存在させる」(ローマ4・17)。このようにして、最初の「宇宙的な」啓示が示されます。この啓示は、全人類の前に開かれた大きな書物のように被造物を造ります。わたしたちはこの書物の中に造り主のメッセージを読み取ることができます。「天は神の栄光を語り、大空はみ手のわざを示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても、その響きは全地に、そのことばは世界の果てに向かう」(詩編19・2-5)。
1 「主は火の中からあなたたちに語りかけられた。あなたたちは語りかけられる声を聞いたが、声のほかには何の形も見なかった」(申命記4・12)。モーセはこう語って、シナイの荒れ野の人里離れたところでイスラエルの民が経験したことを思い起こさせます。主は、像、肖像、あるいは金の牛のような立像としてではなく、「声」としてご自身を示しました。創造の初めに現れたのも声でした。声は無の沈黙を破りました。「初めに・・・・神はいわれた。『光あれ』。こうして、光があった。・・・・初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。・・・・万物はことばによって成った。成ったもので、ことばによらずに成ったものは何一つなかった」(創世記1・1、3、ヨハネ1・1、3)。
創造は、古代メソポタミアの神話が語るように、神々の戦いから生じたのではありません。創造はことばによって生じました。ことばは無を打ち破り、存在を造り出したからです。詩編作者はいいます。「みことばによって天は造られ、主の口の息吹によって天の万象は造られた。・・・・主がおおせになると、そのように成り、主が命じられると、そのように立つ」(詩編33・6、9)。聖パウロも繰り返していいます。神は「死者にいのちを与え、存在していないものを呼び出して存在させる」(ローマ4・17)。このようにして、最初の「宇宙的な」啓示が示されます。この啓示は、全人類の前に開かれた大きな書物のように被造物を造ります。わたしたちはこの書物の中に造り主のメッセージを読み取ることができます。「天は神の栄光を語り、大空はみ手のわざを示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても、その響きは全地に、そのことばは世界の果てに向かう」(詩編19・2-5)。