祈りの作業場 第二集会
「あなたが御父を知っていたならば」
今日のことば:ルカ 15章1節~24節
録音テープ メッセージ要約
第一部
(a)イエスはわたしたちに御父の愛について語られます。
(b)さまざまなたとえと比喩で語られます。
(c)イエスは御父の愛の最高のことばです。
第二部
(a)イエス・キリストはそのようにお話になりました。
(b)御父へのあこがれ
(c)結局、すべては「愛」となります。
録音テープ: 印象に残った所を書き写す。
愛されるまま 愛されることを知る・・・この論理はイエスさまにあります。「父が私を愛しておられるのと同じように私はあなたがたを愛した。あなたがたも互いに愛し合いなさい」と。
「これらの言葉はイエスの神秘を表しています。イエスは父の無限の優しさを感じ、そこから生まれてきたのが、あのイエスの自由であり、またしあわせでした。イエスは、人にとってしあわせとは何か、自由であるとは何かが分かりました。そこでイエスはもうナザレにいることができなくなり、御父の永遠、無償の愛の福音をのべ伝え始められました。」
第二集会の祈りの様式について
祈りの様式: 書く祈り・・・
みことばを読んで、御父に向って手紙を書く。(作業)
わたしの場合:
主よ、わたしたちの父よ、どうかわたしの心を導いてください。私はあなたのものです。あなたなしには無にすぎません。主よ どうか来てわたしの手をとってください。あなたはわたしをご覧になります。わたしはあなたの前でどまどい恥じらいます。主よ、わたしは何もない。無にすぎません。何もわたしには語ること、話せること、さしあげるもの、誇れるものはありません。どうかあなたの愛でわたしを満たしてください。
これまでも、あなたはすべての善いものを備えてくださいました。何も心配することがないようにわたしを整えてくださいました。ありがとうございます。これしか言葉がありませんが、まことにあなたのすべての恵みにに感謝します。何もできない何ものでもないわたしをあなたはあわれみ、慈しんでくださいました。どうか、あなたのみ心のままにわたしをお使いください。しもべは喜びます。
「この集会を終えるに当たり、二つの結論がある。
第一は、愛するために熱中せよ。
第二は、愛によって愛に応えよ。
なぜならば、聖性とは愛の告知に対し、愛で応えることにほかならないからである。」
今日のことば:ルカ 15章1節~24節
録音テープ メッセージ要約
第一部
(a)イエスはわたしたちに御父の愛について語られます。
(b)さまざまなたとえと比喩で語られます。
(c)イエスは御父の愛の最高のことばです。
第二部
(a)イエス・キリストはそのようにお話になりました。
(b)御父へのあこがれ
(c)結局、すべては「愛」となります。
録音テープ: 印象に残った所を書き写す。
愛されるまま 愛されることを知る・・・この論理はイエスさまにあります。「父が私を愛しておられるのと同じように私はあなたがたを愛した。あなたがたも互いに愛し合いなさい」と。
「これらの言葉はイエスの神秘を表しています。イエスは父の無限の優しさを感じ、そこから生まれてきたのが、あのイエスの自由であり、またしあわせでした。イエスは、人にとってしあわせとは何か、自由であるとは何かが分かりました。そこでイエスはもうナザレにいることができなくなり、御父の永遠、無償の愛の福音をのべ伝え始められました。」
第二集会の祈りの様式について
祈りの様式: 書く祈り・・・
みことばを読んで、御父に向って手紙を書く。(作業)
わたしの場合:
主よ、わたしたちの父よ、どうかわたしの心を導いてください。私はあなたのものです。あなたなしには無にすぎません。主よ どうか来てわたしの手をとってください。あなたはわたしをご覧になります。わたしはあなたの前でどまどい恥じらいます。主よ、わたしは何もない。無にすぎません。何もわたしには語ること、話せること、さしあげるもの、誇れるものはありません。どうかあなたの愛でわたしを満たしてください。
これまでも、あなたはすべての善いものを備えてくださいました。何も心配することがないようにわたしを整えてくださいました。ありがとうございます。これしか言葉がありませんが、まことにあなたのすべての恵みにに感謝します。何もできない何ものでもないわたしをあなたはあわれみ、慈しんでくださいました。どうか、あなたのみ心のままにわたしをお使いください。しもべは喜びます。
「この集会を終えるに当たり、二つの結論がある。
第一は、愛するために熱中せよ。
第二は、愛によって愛に応えよ。
なぜならば、聖性とは愛の告知に対し、愛で応えることにほかならないからである。」
メッセージの印象的な箇所:
永遠の命とは、父を知り、所有していることなのです。救われるか、否かは父の在、不在にかかわる問題です。
「死ぬとは、人が父の喜びに入ることなのです。イエス・キリストとは一体誰なのか。イエス・キリストとは父の輝かしいみ顔を私たちに顕わすためにこの世に遣わされた子であり、永遠に覆われているはずであった私たちの心に郷愁のつきせぬ宝庫の扉を開けるために遣わされたのです。永遠とは、終わることのない愛とともに、すべてを所有することに他なりません。」
永遠の命とは、父を知り、所有していることなのです。救われるか、否かは父の在、不在にかかわる問題です。
「死ぬとは、人が父の喜びに入ることなのです。イエス・キリストとは一体誰なのか。イエス・キリストとは父の輝かしいみ顔を私たちに顕わすためにこの世に遣わされた子であり、永遠に覆われているはずであった私たちの心に郷愁のつきせぬ宝庫の扉を開けるために遣わされたのです。永遠とは、終わることのない愛とともに、すべてを所有することに他なりません。」