みことばの七つのイメージ
A みことばの七つのイメージ
B みことばの七つの効果
C みことばの七つの色と効果
聖アンドレ福音宣教学校の中で学んだ聖書のイメージ
1 灯火 詩篇119・105、エレミヤ 20章
(効果は、創造的 創世記1章1-3節、コロ3章16節)
2 剣 エフェソ6章17b、ヘブライ 4章12節
(効果は、分ける、切り離す)
3 金槌 エレミヤ23章29節 ルカ18章31-43節
(効果は、救いといやし)
4 水・雨 イザヤ55章10~11節 ヨハネ7章37~39節
(効果は、回心と信仰)
5 蜜 詩篇119:103、 申命記10:12-13
(効果は、聖霊降臨)
6 種 ルカ8章11節 マルコ4章26節~27節
(効果は、共同体をつくる)
7 食物 マタイ4章4節
(効果は、永遠の生命)
シスターマルガリタの著書「イエスは今日も生きておられる」(第二章みことば)には、「祈りはみことばという支えがなければならない p75」と断言しておられますが、この章全体は、この聖書のイメージに重なるイメージを使っておられますので興味深いです。
確かに、みことばに対する信仰、これがカトリックの信徒には弱いのです。司祭である私にとっても勉強しても勉強しても何かまだつかめていないというのは本当ですね・・・特に祈りのことばにまで深めることは理想であり目標なのです。みことばは天からの生きたパン、みことばが人となられた方の肉を食べるのですから・・・ふさわしい実りが期待できるのです。このイメージとしては、米国の御受難会の黙想の家の聖堂でみことばの祭壇を主の食卓の祭壇に並行して置かれた聖堂を見たことがあります。主日にささげられる「感謝の祭儀は、神のことばの食卓とキリストの体の食卓」とからなる一つの食卓とみなされるべきです。祭壇が一つだけだとそのことが忘れられるからでしょう。プラド・フロレス師もこのことを指摘されていました。公会議後のみことばに重点を置くことはますます信仰生活に影響を与えることになると思います。特に秘跡とみことばは切り離せないからです。
昨年のシノドスでは、教皇様自身が、歴史研究と神学的研究のバランスを実験的例示するために「ナザレとのイエス」を著わしたことを報告しておられます。啓示憲章12項を基本に聖書解釈の二つのレベルの方法論について言及されているのですが、聖書学際的研究する必要性、ーつまり歴史的批判的研究、同時に信仰の書として神学的な意味を読む方法には、聖書全体の内容の統一性、教会全体の生きた伝統、信仰の類比に注意することの三点が指摘されていました。教皇様はこれらを踏まえて初めて神学的釈義ができるが、これが聖書解釈にふさわしいといわれました。
「信仰の類比」ということばで何を意味されているのか、わかりにくいですが、寓意や予型論的解釈、神秘神学、象徴神学、秘跡神学に関連があるのかなとわたしは漠然と連想するのですが、これは一体何かを何れいつかすこし勉強してから皆様にお伝えできればいいのですが・・・ シノドス文書に書かれていると期待していますが、今言えることは、聖アンドレ福音聖書学校では、上記の七つのイメージから類推して、この「信仰の類比」の聖書的理解を重視しているのではないかとわたしは講座を受けてみて感じました。
B みことばの七つの効果
C みことばの七つの色と効果
聖アンドレ福音宣教学校の中で学んだ聖書のイメージ
1 灯火 詩篇119・105、エレミヤ 20章
(効果は、創造的 創世記1章1-3節、コロ3章16節)
2 剣 エフェソ6章17b、ヘブライ 4章12節
(効果は、分ける、切り離す)
3 金槌 エレミヤ23章29節 ルカ18章31-43節
(効果は、救いといやし)
4 水・雨 イザヤ55章10~11節 ヨハネ7章37~39節
(効果は、回心と信仰)
5 蜜 詩篇119:103、 申命記10:12-13
(効果は、聖霊降臨)
6 種 ルカ8章11節 マルコ4章26節~27節
(効果は、共同体をつくる)
7 食物 マタイ4章4節
(効果は、永遠の生命)
シスターマルガリタの著書「イエスは今日も生きておられる」(第二章みことば)には、「祈りはみことばという支えがなければならない p75」と断言しておられますが、この章全体は、この聖書のイメージに重なるイメージを使っておられますので興味深いです。
確かに、みことばに対する信仰、これがカトリックの信徒には弱いのです。司祭である私にとっても勉強しても勉強しても何かまだつかめていないというのは本当ですね・・・特に祈りのことばにまで深めることは理想であり目標なのです。みことばは天からの生きたパン、みことばが人となられた方の肉を食べるのですから・・・ふさわしい実りが期待できるのです。このイメージとしては、米国の御受難会の黙想の家の聖堂でみことばの祭壇を主の食卓の祭壇に並行して置かれた聖堂を見たことがあります。主日にささげられる「感謝の祭儀は、神のことばの食卓とキリストの体の食卓」とからなる一つの食卓とみなされるべきです。祭壇が一つだけだとそのことが忘れられるからでしょう。プラド・フロレス師もこのことを指摘されていました。公会議後のみことばに重点を置くことはますます信仰生活に影響を与えることになると思います。特に秘跡とみことばは切り離せないからです。
昨年のシノドスでは、教皇様自身が、歴史研究と神学的研究のバランスを実験的例示するために「ナザレとのイエス」を著わしたことを報告しておられます。啓示憲章12項を基本に聖書解釈の二つのレベルの方法論について言及されているのですが、聖書学際的研究する必要性、ーつまり歴史的批判的研究、同時に信仰の書として神学的な意味を読む方法には、聖書全体の内容の統一性、教会全体の生きた伝統、信仰の類比に注意することの三点が指摘されていました。教皇様はこれらを踏まえて初めて神学的釈義ができるが、これが聖書解釈にふさわしいといわれました。
「信仰の類比」ということばで何を意味されているのか、わかりにくいですが、寓意や予型論的解釈、神秘神学、象徴神学、秘跡神学に関連があるのかなとわたしは漠然と連想するのですが、これは一体何かを何れいつかすこし勉強してから皆様にお伝えできればいいのですが・・・ シノドス文書に書かれていると期待していますが、今言えることは、聖アンドレ福音聖書学校では、上記の七つのイメージから類推して、この「信仰の類比」の聖書的理解を重視しているのではないかとわたしは講座を受けてみて感じました。
聖書が「蜜」であることについて こんなユダヤ人の習慣があることを日生中央のアメリカ人の信者さんから聞きました。英語の翻訳は小熊さんのブログにあります。(http://stjohn0105.exblog.jp/11249030/)
Here is something in English about God's Word and honey for you to read!
A six-year-old Jewish boy would go to a local synagogue school called Bet Sefer. . It means house of the book. A child usually attended Bet Sefer from age 6 to age 10.
And he would attend this school five days a week - from Monday - Friday. There would be a local synagogue Torah teacher who would begin teaching you the Torah. The Torah was the first five books of the Hebrew Scriptures - Genesis, Exodus, Leviticus, Numbers and Deuteronomy.
On the first day of class the rabbi would take honey and would cover the boys slate, which was a kind of personal chalk board, where he would write. There was nothing finer, nothing sweeter, nothing more full of pleasure than honey. And he would rub honey all over the boy's slate. And then he would say, “Now class, lick the honey off the slate and off your fingers.” And so now you also can lick the honey off your fingers. And as he did this the rabbi would say, “May the words of God be sweet to your taste, sweeter than honey to your mouth” (Psalm 119:103).
May the words of God be the most pleasurable, the most enjoyable thing you could even comprehend.
Here is something in English about God's Word and honey for you to read!
A six-year-old Jewish boy would go to a local synagogue school called Bet Sefer. . It means house of the book. A child usually attended Bet Sefer from age 6 to age 10.
And he would attend this school five days a week - from Monday - Friday. There would be a local synagogue Torah teacher who would begin teaching you the Torah. The Torah was the first five books of the Hebrew Scriptures - Genesis, Exodus, Leviticus, Numbers and Deuteronomy.
On the first day of class the rabbi would take honey and would cover the boys slate, which was a kind of personal chalk board, where he would write. There was nothing finer, nothing sweeter, nothing more full of pleasure than honey. And he would rub honey all over the boy's slate. And then he would say, “Now class, lick the honey off the slate and off your fingers.” And so now you also can lick the honey off your fingers. And as he did this the rabbi would say, “May the words of God be sweet to your taste, sweeter than honey to your mouth” (Psalm 119:103).
May the words of God be the most pleasurable, the most enjoyable thing you could even comprehend.