マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 聖体の祝日

キリストの聖体の主日

 第一朗読 出エジプト 24章 3-8節
 第二朗読 ヘブライ  9章 11ー15節
 福  音 マルコ   14章 12-16・22-26節

 第一朗読は契約を、第二朗読はいけにえを、そして福音は、過越の食事のなかでイエスご自身が罪のゆるしのための新しい契約のいけにえとなるパンとぶどう酒の聖体制定のことばを残されたことが記念されているのです。
 
説教ノート:

 福音書の箇所は、除酵祭(種なしパン)の記述から始まるのは、最後の晩餐が過越の食事だったという共観福音書の枠組みです。最近出版された國井神父の「ミサを祝う」では、最後の晩餐は歴史的事実なのかとか過越の食事だったのか基本を揺るがす興味ある話題を詳しく説明しておられます。(はじめにと第一章 起源 )

 ヨハネの福音書では、過越の食事ではなく、その前晩に祝われており、過越の食事の子羊を屠る金曜日の午後三時にイエスは神のまことのいけにえの子羊として十字架のいけにえになったと伝える。これにより古の過越の記念を行う中でイエスは新しい過越を完成させたと教会は理解するようになった。

 事実はどうだったのか、それはどちらかが誤りであるともいえないとのことです。ヨハネの福音書は、聖体制定の話のかわりに13章から17章の最後の晩餐の席上で弟子たちに遺言のように御自分の心を表現しました。そこには記憶のなかで、イエスのことばが追想されており、イエスの生涯のことばと行いが、繰り返し思い出され、意味を明らかにしながら、イエスの十字架の死と復活の体験を描いている。紀元100年ごろの教会共同体の聖体のカテケーシスだと國井神父は推定しています。

 ヨハネ福音書の著者は誰であるのか、これはヨハネ問題と言われる聖書学の難問ですが、最近読んだ「ナザレのイエス」(教皇ベネディクト16世)によれば、ヨハネの手紙ではヨハネ学派の長老ヨハネであるに対して、やはり基になる体験はゼベダイの子のヨハネ、愛された弟子、使徒ヨハネであろうと述べておられるのです。父親のゼベダイは漁師というのが通説ですが、最近の研究では、祭司貴族に属していただろうと推定されています。つまり、当時の祭司は、年に2回のエルサレムでの祭司の任務を除いては出身地方に在住し、生計を立てていたことが当時の社会学的な研究から判明しました。ゼベダイは、祭司貴族の出身で息子二人をイエスの弟子にしても困らない裕福な父親であったろうと推定されるのです。その背景を理解すると、ヨハネの福音は、かなりユダヤ教に精通した人物によって書かれている理由も理解でき、ペトロをあの祭司長の家に案内したヨハネは、祭司貴族の仲間の息子だったことで、祭司の家にペトロを案内しても不審に思われなかったこともうなずける。(ヨハネ18章15-16節)ヨハネは漁師なのにこんな学者ですら難解な福音書が書けるのかといった昔からの疑問も解消するというわけです。

 ヨハネの福音書は、象徴言語で表現されるイエスの神秘が特徴的ですが、聖体については、天からのパンとか命のパンとか象徴的な言葉で言い表されて、わたしたちの体を養うパンと神の命に養われるイエスの体との類比が語られます。秘跡の理解で、その後の西方教会の考え方は、形相と質量というような言い方でイエスのパンとぶどう酒におけるイエスの現存を分析的に説明していました。形相、つまりことばによってパンがキリストの体になるという説明、これは現代人には、それは却って理解不能になる不信仰がはびこる原因です。現代人がたいへん物質的な思考形態でしるしによる象徴的な実在を理解しないからです。秘跡なのだから信じなければならないと一般に信徒は思考停止状態になる。聖体の拝領に、復活のイエスの体としての信仰がうすらいでいることは否めません。中世では、このような聖体に対する不信仰が起こるたびに、不思議な出来事が起こっています。たとえば、ミサをささげていた司祭が本当にイエスの体だろうかと疑ったところ、聖体から血が滴り落ちたとか肉片になったとかのエクセントリックな出来事が起こったことが記録されています。ヨハネの福音書のような象徴的な表現は、東方の伝統では、聖霊論的な理解をとおして保たれました。復活されたイエスのからだが聖体(エウカリスチア)なのです。

 ある教会の信者さんの5歳の息子さんが脳炎にかかり、死ぬのではないかとの予想で、家族や親族との面会が始まる中で、その教会の神父さんが子供に初聖体を授けたところ、翌日イエス様が起きなさいと言ったからと起き上がり、そのまま脳炎が治りました。お母さんは、死から救っていただいたことに感謝するがまだ感謝できない部分があると、つまり脳炎で難聴になり、聞こえないことが感謝できませんが「このことを何とか受け入れられるように」とわたしが呼びかけている百日の共同祈願にはがきで申し込まれました。4月と5月にMEのカップルのミサ依頼で2回この子の回復とお母さんの心のいやしの祈りをしましたところ、5歳の子供は幼稚園のマリア祭りにいけなかったかわりに、マリア様が現れ聞こえるようにしますと告げたという。そして、本当に子どもは聞こえるようになったとお母さんは証言されているのですがお医者さんは脳炎で難聴になった耳が聞こえるわけがないと信じてもらえず、再度検査することになったとのこと。まだ完全にいやされるまで神への信頼と感謝ささげて祈る必要があるでしょう。この現象をなんと考えるでしょうか? 福音のイエスの姿が子どもには聖霊の働きによりはっきりと見える形、聞こえる声として伝えられたのです。実際それはしるしにおいて現存されるイエスが子どもに触れたのです。これが新しい秘跡論の理解です。

 先週わたしは韓国のコトオネ(花村)に行ってきました。貧しいおじいさんが始めた貧しい人が貧しい人を助ける物乞いの生活が、巨大な福祉センターにかわり、ホームレスや知的障害者、身体障害者をうけいれながらカリスマ刷新の共同体が生まれていました。最も小さなものを受け入れるなら永遠に祝福しようというイエスの言葉を聞いた王神父は、互いに分かち合うときに祝福があると断言しています。これは、またこのようにもいえるでしょう。パンの増加の奇跡です。それは分かち合いの奇跡だったからです。

 病気がいやされたりするのは、いのちのパンの分かち合いがあり、それは、自分の持っているものも(能力・財産・時間)を奉げていくことを意味するからでしょう。わたしたちの時代は不信仰の時代でほとんど聖体は食するもので礼拝するものではないとして礼拝しなくなりましたが、今年は司祭の年、聖体と結ばれた使命です。聖体礼拝をしましょうとの聖職者省の呼びかけです。もっともっと聖体におけるペルソナとの交わりを深めましょう。

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