マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 10月6日 福者イシドール・デ・ロール修道士 祝日 御受難会固有

10月6日 福者イシドール・デ・ロール修道士 (祝日)

御受難修道会では聖ヨゼフのイシドールとして知られるイシドール・デロールは、1881年4月13日、東フランドル地方のジェン・ガン教区のヴラセーヌという小さな町に生まれた。家は農家で、イシドールも野原や畑での仕事を愛しながら成長した。26才のとき修道生活への神のよびかけを感じ、助修士としてエルの御受難会修練院に入った。1908年9月13日、誓願をたて、その後は謙遜に共同体に仕えた。また共同体への奉仕にくわえて、会の精神を保ちつつ、特に深い祈りと償いの生活を送った。彼の右の目は腫ようにかかり、1911年に摘出しなければならなかった。修道者たち、助修士たちの中でイシドールは、愛徳と単純さ、仕事に対する誠実さと潜心の精神ゆえに尊敬されていた。数か月間、激しい痛みに苦しんだのち、1916年10月6日、ガンと肋膜炎で亡くなった。35歳の若さであり、修道生活はわずか9年間であった。 人々は彼のことを、〝気のよいブラザー〟、〝神のみ旨のブラザー〟と呼んでいた。1984年9月30日教皇ヨハネ・パウロ二世によって列福された。

神のことば フィリピ3章7~8a節
 わたしにとって益であったものを、キリストのゆえに わたしは今、損と思うようになった。そればかりか、わたしの主キリスト・イエズスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのものを損と思っている。

答唱
 先 深く味わって悟りを得よ。
 答 神をおそれる人には乏しいことがない アレルヤ。
 先 神を仰ぎ見る人の顔は輝き、
 答 神をおそれる人には乏しいことがない アレルヤ。
 先 栄光は父と子と聖霊に。
 答 深く味わって悟りを得よ。
神をおそれる人には乏しいことがない アレルヤ。

結びの祈願
主なる神よ、あなたは福者イシドール修道士の謙遜と労働の 精神のうちに、十字架の影に隠された生涯の模範を示してくださいました。私たちの日々の働きがあなたへの賛美となり、また兄弟姉妹たちへの愛の奉仕となりますように。
わたしたちの主イエズス・キリストによって、アーメン。
これは、誓願を立てて一年後に家族へ宛てた手紙
読書
福者イシドールの手紙より
〝人は祈り、働かねばなりません〟
私が誓願をたててから、早くももう一年になります。そして私は、修道院のこの静かな隠れた生活に、一瞬ごとにますます、自分の家のような安らぎを感じています。主がこのような生活に私を呼んでくださることによって私に与えてくださった宝を、言い尽くすことはとてもできません。ほんとうに、ここでは、多くの人々を不幸と破滅にひきずりおとしている荒れ狂った世界からは遠くはなれて生きています。ここでは、神が御摂理によって一日ずつ生活を計らってくださることを信じて、余計な思い煩いはせずに生きています。神のみまえに最も価値あることは、私の全き従順です。祈っていても仕事をしていても眠っていても、従順に対してささげつくしていることです。神は、神を充分に愛しつくしたいと望む、ご自分のものである人を決してお見捨てにはなりません。そのうえ私たち修道者は毎日、ご聖体拝領において、ご聖体拝領をとおして、イエズスと一致するという喜びを持つのです。ご聖体拝領は私達をつよめて日々の労苦をになわせ、また、神のみ旨によって起こるすべてのことに私達自身を従わせるようにしてくれるのです。これこそ世間においては見つけることのほとんどできない宝であり、世間はその宝を欲しいとさえ思っていません。世間が望んでいるのはただ快楽の喜びだけですが、それさえもめったに手にいれることができません。もし手に入れるなら、その喜びはあっというまに死に変わるのですが、だれもそれについて考えたことはありません。すべてのものは死によって終わりを告げます。けれど、私は、修道者ですから何も持っていませんし、何にも―両親にも家族にもこの世の気ばらしにも―執着してはなりません。私はいつでも永遠の世界にふみこむ準備があります。そして、神に従うためにすべてを捨てた者たちに約束された報いを受ける用意があります。
お父さん、お母さん、そして兄弟姉妹よ、あなたたちは私のような生活には呼ばれていませんが、それでも、主があなた方一人ひとりにお求めになることを完全に果たすことによって、自分自身を聖化し忠実に神に仕えることができます。この世のむなしいものに執着しないでください。すべてはすみやかにすぎ去ってゆくのですから。ご聖体をしばしば拝領することによって自分をつよめてください。イエズスのご受難に対して特別の信心を持ってください。日常の仕事を神にささげてください。そうすればあなたは、この世のことに執着している人々よりもずっと大きな喜びを、人生において見出すことができるでしょう。  
お父さん、お母さん、私にしてくださったすべてのことをあらためて今一度感謝せずにはおられません。特に私の悪い傾きをこらしめてくださったことに感謝しています。もし、放っておかれたなら、たぶん私の不幸の元となっていたことでしょう。
すべてのことを神のみ栄えのために行うことによって、私は、罪びとの改心のため、またわれらの主のご受難とマリアのおん悲しみ対する信心を広めるために協力していると思います。 神父さま方が説教に出掛けておられる間、私たちは共同体の維持と必要のために働き、かつ祈らなくてはならないからです。毎日イエズス、マリアのみ前で祈りのときに私を思い出してください。この生活を堅忍し善徳を実行し、一言でいえば、よい修道者となる恵みを与えていただけますように。あなた方を置いてて去るという犠牲を払ったのですから、私は今自分を完全に神に与えるのでなければなりません。毎日あなた方のために祈り、あらゆる善きものの与え主である方に、祝福を祈り続けています。

答唱
先 あなたは正しく歩む私を支えられた。
答 そして私を永遠にあなたのみもとにおかれた。
先 私は悪人のすまいにとどまるより、
神の家の戸口にたとう。
答 そして私を永遠にあなたのみもとにおかれた。

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