待降節準備黙想会 11月15日
11月15日 年間33主日の日曜日、池田教会では恒例の黙想会が行われた。
指導司祭には、和田神父(箕面教会主任)を招き、専門の聖書学の立場から「詩篇の祈り」を黙想し味わう信仰者のなすべき霊性の道を教えていただいた。
ミサと講話 9:00 ~ 10:30
第二 講話 10:40 ~ 11:30
ゆるしの秘跡 11:30 ~ 12:30 (聖体賛美式を伴う)
和田幹男神父
説教では、信者のなすべき道が「祈り」にあるということを強調され、信仰は、飛び跳ねることであり、一つの高みから私たちの世界を見る視点というものの確立が大切ではないかと私たちに呼びかけ、特に、専門分野でも詩篇の研究が1980年代から長足の進歩があり、以前の文学類型に終わっていた詩篇理解も、つまり詩篇はいろいろな文学の寄せ集めではないかという表面的な理解から、詩篇150篇の並びの連続性の中に信仰者の神への歩みの道が見えてくるような理解へと進んでいることを踏まえて、再び学び始められた動機を語り、ご自身の祈りの生活に大きな力と喜びを感じる毎日を紹介された。特に「教会の祈り」を小教区に就任して以来毎日のミサの前に共同体で唱えることを欠かさず行ってきたことを披露された。
黙想会のテーマとして、「聖書の詩篇で祈る」実際の例として、よく親しまれている 詩篇23を解説してくださった。前半は砂漠、それも出エジプトの体験を踏まえている。後半は、祝宴だが、復活したイエスの宴に与り、ご聖体の深い意味が含蓄的にある。このように解釈できるのは、イスラエルの詩篇を祈るカギが「イエス・キリスト」で、この視点によってすべての旧約の意味が明らかになる。
指導司祭には、和田神父(箕面教会主任)を招き、専門の聖書学の立場から「詩篇の祈り」を黙想し味わう信仰者のなすべき霊性の道を教えていただいた。
ミサと講話 9:00 ~ 10:30
第二 講話 10:40 ~ 11:30
ゆるしの秘跡 11:30 ~ 12:30 (聖体賛美式を伴う)
和田幹男神父
説教では、信者のなすべき道が「祈り」にあるということを強調され、信仰は、飛び跳ねることであり、一つの高みから私たちの世界を見る視点というものの確立が大切ではないかと私たちに呼びかけ、特に、専門分野でも詩篇の研究が1980年代から長足の進歩があり、以前の文学類型に終わっていた詩篇理解も、つまり詩篇はいろいろな文学の寄せ集めではないかという表面的な理解から、詩篇150篇の並びの連続性の中に信仰者の神への歩みの道が見えてくるような理解へと進んでいることを踏まえて、再び学び始められた動機を語り、ご自身の祈りの生活に大きな力と喜びを感じる毎日を紹介された。特に「教会の祈り」を小教区に就任して以来毎日のミサの前に共同体で唱えることを欠かさず行ってきたことを披露された。
黙想会のテーマとして、「聖書の詩篇で祈る」実際の例として、よく親しまれている 詩篇23を解説してくださった。前半は砂漠、それも出エジプトの体験を踏まえている。後半は、祝宴だが、復活したイエスの宴に与り、ご聖体の深い意味が含蓄的にある。このように解釈できるのは、イスラエルの詩篇を祈るカギが「イエス・キリスト」で、この視点によってすべての旧約の意味が明らかになる。
黙想 (用意された4ページの詩篇の和田訳は分量が多く、この短い時間では紹介しきれないということで割愛された部分が多い。またの機会を待つしかない。)断片的に覚えていることを書き連ねる。
準備された詩篇:
詩篇 23 (説教の中で解説)
詩篇 46(割愛)
詩篇 8
詩篇 150
詩篇 15
詩篇 19
詩篇 51
カトリック教会の伝統は、詩篇150編を唱える。
研究方法 詩篇はつながりの中で読まなければならない。
詩篇98 前後の要約
*教会の祈り - 前後、理解して読む
最後の詩篇 150 ハレルヤで始まり、ハレルヤで終わる
神への賛美で終わる。 息あるものは賛美せよ
わたしは人生も神を賛美する人生として終わりたい。レクエム社にご絵の裏にする文言は、「息あるものは賛美せよ」とお願いしている。死後も、諸聖人と共に賛美の祈りをささげる境涯でありたい。
詩篇 8、 最初と最後 リフレインになっている。
プリント3ページ
詩篇15と19 有名な詩篇
「アドナイ 主よ」 二人称 単数 神との対話の関係にはいる。
誰が 天幕(荒れ野 天幕 契約の櫃 神の民における現存のしるし)
寄留 イスラエル以外の人
あなたの聖なる山
この神殿に預かる人の条件=言い表される
倫理的な完成 非の打ちどころの無い
正義を行う (経済的格差) うそを言わない。 抽象する
隣人に恥辱を負わせる。 主の目に嫌われることをさげすみ、
貧しい人から利息をとる 賄賂をとる。
潔白な人 これらのことを行う人
倫理性 他の宗教と違う点
ご利益宗教 西宮―えびす 商売繁盛
自分の願いをかなえてくれる神(他宗教)
キリスト教 -神のみ旨にそって生きる。
洗礼は、より高い神の要求にこたえる。
洗礼後も誘惑は起こる(もっと起こる可能性)。原罪の傷がある。
原罪の傷跡との戦い トレント公会議の教えの要約)
弱さ - 罪びとであっても 救われる
プロテスタントとの違いはこの点で大きい。どちらがいいか?
神社(お宮でも手を洗う)心のきよめも意味している。
モスク 清め
中世の修道院でh「噴水」があった。
(畑の労働から帰ってきて手を洗い、それから聖堂へ入る)
▲神のみ旨を生きるように
詩篇19
前半 自然界をたたえる歌
後半 律法をたたえる歌
前半と後半は、つながっている。<規則正しい秩序> 自然界と法秩序 太陽は法秩序のシンボル。律法の光をうけて神のみ旨がよくわかる。 神のおられるところ一人よがりになってはいけない。
神のみ旨に従ってこうどうを律する。(13節)
▲隠れた罪からどうかわたしを清めてください。
自分の良心に従って生き、思いそむきの罪から解放されるように。
太陽ー安定している。規則正しい。役に立つ。
自然界と法秩序 一つの必然性と考えている。
ミシュパ セデク バランスを維持している神の法則
(10節 後代の書き加えー文脈から離れている)
あなたの僕 - 知らずに犯した過ち、隠れた罪から どうかわたしを清めてください。自分の罪、心の闇 神があって初めて見せていただく。 恵みー太陽の光をみて、初めて罪が露わになり、悟らせていただき、そうして、ゆるしをいただく。
北海道のトラピスト修道院へ黙想に行くと、あそこには、光がある。罪を見させていただける。そのために罪の告白が可能となり、神と交わりを深めることができる。
詩篇51
1行~2行 解説
ダビド王 ウリア将軍の妻 ベト シェバ
ウリア 戦場の一番激しいところへ追いやる。ダビド=姦通と殺人の罪を犯した。 アンマン 西へ ネボヤマ イスラエルの山々が見える エルサレムの金のドーム
神様は(申命記43章)ヨルダン川 モーセ死ぬ モーセの悲しみ
アンマン ダビド時代のお城 (城壁のあと 散歩する)
死海のほとり ヨルダン川沿い
ゆるしていただく 根拠は無い ただ 神のいつくしみ 情けに(ヘセド)神のいつもかわらぬなさけ ラハミム女性の胎の「孕む」の語源= 親のなさけ
▲罪は取り消されないものだが、
悲しいことがある わたしの悪行 穢れ 洗い 清めてください。
清められないものを清めてください。 まことに (なぜなら)わたしの犯罪、わたしは認め、わたしはその罪を目の前にしている。その意識がなくならない。
人間関係 神との関係は一つで去る あなたのことばによって・・・ 鮮明になる。
新しい創造 罪人をあたらしくする・・・
ここにダイナミズムがある。あがないは新しい創造である。
準備された詩篇:
詩篇 23 (説教の中で解説)
詩篇 46(割愛)
詩篇 8
詩篇 150
詩篇 15
詩篇 19
詩篇 51
カトリック教会の伝統は、詩篇150編を唱える。
研究方法 詩篇はつながりの中で読まなければならない。
詩篇98 前後の要約
*教会の祈り - 前後、理解して読む
最後の詩篇 150 ハレルヤで始まり、ハレルヤで終わる
神への賛美で終わる。 息あるものは賛美せよ
わたしは人生も神を賛美する人生として終わりたい。レクエム社にご絵の裏にする文言は、「息あるものは賛美せよ」とお願いしている。死後も、諸聖人と共に賛美の祈りをささげる境涯でありたい。
詩篇 8、 最初と最後 リフレインになっている。
プリント3ページ
詩篇15と19 有名な詩篇
「アドナイ 主よ」 二人称 単数 神との対話の関係にはいる。
誰が 天幕(荒れ野 天幕 契約の櫃 神の民における現存のしるし)
寄留 イスラエル以外の人
あなたの聖なる山
この神殿に預かる人の条件=言い表される
倫理的な完成 非の打ちどころの無い
正義を行う (経済的格差) うそを言わない。 抽象する
隣人に恥辱を負わせる。 主の目に嫌われることをさげすみ、
貧しい人から利息をとる 賄賂をとる。
潔白な人 これらのことを行う人
倫理性 他の宗教と違う点
ご利益宗教 西宮―えびす 商売繁盛
自分の願いをかなえてくれる神(他宗教)
キリスト教 -神のみ旨にそって生きる。
洗礼は、より高い神の要求にこたえる。
洗礼後も誘惑は起こる(もっと起こる可能性)。原罪の傷がある。
原罪の傷跡との戦い トレント公会議の教えの要約)
弱さ - 罪びとであっても 救われる
プロテスタントとの違いはこの点で大きい。どちらがいいか?
神社(お宮でも手を洗う)心のきよめも意味している。
モスク 清め
中世の修道院でh「噴水」があった。
(畑の労働から帰ってきて手を洗い、それから聖堂へ入る)
▲神のみ旨を生きるように
詩篇19
前半 自然界をたたえる歌
後半 律法をたたえる歌
前半と後半は、つながっている。<規則正しい秩序> 自然界と法秩序 太陽は法秩序のシンボル。律法の光をうけて神のみ旨がよくわかる。 神のおられるところ一人よがりになってはいけない。
神のみ旨に従ってこうどうを律する。(13節)
▲隠れた罪からどうかわたしを清めてください。
自分の良心に従って生き、思いそむきの罪から解放されるように。
太陽ー安定している。規則正しい。役に立つ。
自然界と法秩序 一つの必然性と考えている。
ミシュパ セデク バランスを維持している神の法則
(10節 後代の書き加えー文脈から離れている)
あなたの僕 - 知らずに犯した過ち、隠れた罪から どうかわたしを清めてください。自分の罪、心の闇 神があって初めて見せていただく。 恵みー太陽の光をみて、初めて罪が露わになり、悟らせていただき、そうして、ゆるしをいただく。
北海道のトラピスト修道院へ黙想に行くと、あそこには、光がある。罪を見させていただける。そのために罪の告白が可能となり、神と交わりを深めることができる。
詩篇51
1行~2行 解説
ダビド王 ウリア将軍の妻 ベト シェバ
ウリア 戦場の一番激しいところへ追いやる。ダビド=姦通と殺人の罪を犯した。 アンマン 西へ ネボヤマ イスラエルの山々が見える エルサレムの金のドーム
神様は(申命記43章)ヨルダン川 モーセ死ぬ モーセの悲しみ
アンマン ダビド時代のお城 (城壁のあと 散歩する)
死海のほとり ヨルダン川沿い
ゆるしていただく 根拠は無い ただ 神のいつくしみ 情けに(ヘセド)神のいつもかわらぬなさけ ラハミム女性の胎の「孕む」の語源= 親のなさけ
▲罪は取り消されないものだが、
悲しいことがある わたしの悪行 穢れ 洗い 清めてください。
清められないものを清めてください。 まことに (なぜなら)わたしの犯罪、わたしは認め、わたしはその罪を目の前にしている。その意識がなくならない。
人間関係 神との関係は一つで去る あなたのことばによって・・・ 鮮明になる。
新しい創造 罪人をあたらしくする・・・
ここにダイナミズムがある。あがないは新しい創造である。