マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 新年 明けましておめでとうございます。

神の母 聖マリア (主の降誕八日目)
元旦

第一 朗読  民数記 6章 22節~27節
 主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
 主がみ顔を向けてあなたを照らし あなたに恵みを与えられるように
 主がみ顔を向けてあなたに平安を賜るように。
 彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。

第二 朗読  使徒パウロのガラテヤの教会への手紙
       (ガラテヤ4章4節~7節)
 「あなたがたが子であることは、神が、『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。6節)」

福 音    ルカによる福音 ルカ2章16節~21節

 「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。(21節)」
日本中が初詣の今日、参拝者は神社仏閣に訪問して礼拝します。カトリック教会は、年明けに、神の母の祭日を祝い、「世界平和記念の日」を設けて、教皇のメッセージを世界に向けて発信する。毎年このメッセージ聴くことで一年は始まります。ミサの中の朗読箇所では、民数記の祝福が選ばれる。家族全体が集合してミサに与る家庭も多く見られました。これは大変微笑ましく、ミサ後、個別に一年の祝福を願う家庭もありました。ミサ自体が祝福の派遣でおわりますから毎日曜日が祝福なのですが、元旦のミサは特別ですね。受ける側に今年の希望や願いがあるので、お恵みが豊かに注がれます。

 今年のテーマは「平和を築くことを望むならば、被造物を守りなさい」が選ばれ、メッセージが説教壇から述べられました。 全体は、かなり長いので、全文を紹介することはできません。テキスト自体は、中央協議会のホームページからダウンロードすることによって得られます。

説教では、教皇のメッセージをたくさん引用したので、大変わかりにくいものになったとかなり反省しています。お詫び申し上げます。新年の喜びの時に、固い話で退屈させてしまったこと、申し訳ありません。しかし、他に何も頭から出てこなかったので、今年もこんな神父にお付き合い、お勘弁ご容赦をということを信者の皆様に間接に述べたのです。きつい顔でわたしをにらんでおられた方もおられたので特に新年の喜びを壊したことを心からお詫び申し上げます。

 さて、教皇様のお話も堅いものですが、内容は豊かで、キリスト教の本質的なあり方から現在の危機についての根本的な考え方と信者に対して新しい価値に基づく道徳として新しい生活様式へと転換することを提案されました。

 キリスト教の本質的なあり方とは、2項に回勅「真理に根ざした愛」からのポイントをまとめて列挙してあります。3項は、前任者たち、教皇ヨハネ・パウロⅡ、「創造主である神と共に生きる平和、創造されたすべてのものと共に生きる平和」とパウロ6世の自然の無分別な利用についての被害についての警鐘と教会教導職の一貫した態度表明が述べられています。
A)
(1)完全な人間的発展が、人間の自然環境との関係から生じる義務と密接に関連していること
   5項、 9項
(2)環境は神がすべての民に与えた賜物だと考えなければならない。 6項、 10項
(3)環境の使用は、全人類、特に貧しい人と将来の世代と責任を分かち合うことを必要とします。
   7項、8項、
(4)自然、とくに人間を単なる偶然の産物ないし進化が定めたものと考えるなら、わたしたちの責任感全体が弱まります。他方で、被造物を神が人類に与えた賜物と考えることによって、わたしは自らの召命と人類としての尊厳を理解できるようになります。
   4項 - 「人類の専門家」
     新たな道徳的連帯が緊急に必要とされていること

B)新しい発展モデルの指針  
  9項 被造物と完全な人間的発展を尊重したグローバルな発展モデルをめざす共通の活動計画を開発するための歴史的好機。
  10項。11項、12項 発展モデルについての道徳的基盤
  13項 キリスト教的人格の概念の貢献
  14項 結論

 この(4)の後半は、キリスト教的な考え方ですね。この考え方を基本にして、教皇は考えを掘り下げていきますが、前半の部分は、日本人の考え方と異なります。この点を少し説教では語りました。
 
*日本人は、自然を偶然と必然の組み合わせの出来事と考え、進化論は自然選択説とすべて偶然によるという説(分子進化の中立説ー残るかどうかは偶然)の組み合わせを考える。(朝日新聞の社説 2009年11月24日号)米国が進化論に対する反発が教育の現場で強いので、科学復権の政策を掲げたオバマ政権の登場で進化論が受け入れられるようになって欲しいという論説がありました。聖書では、考え方としてそのような進化論が語られているのではなく、神の愛の計画が語られているのです。科学と神の愛の計画が矛盾することはありません。もちろん、信仰者は、宇宙の起源として神御自身を考えるのであって偶然の結果として存在したとは考えられないのです。バチカンも「単なる仮説以上」(1996年)として進化論を容認しています。

*人間を偶然の産物と考える延長線上に、現在の環境の危機があると教皇が見るからです。「環境の危機は、発展の概念そのものと、人間とその隣人や被造物との関係に関する理解と密接につながっているからです。(5項)」つまり、発展のモデルが、人間が神を演じるようになったのだと・・・ そのために、教皇は、「発展のモデルは、経済の機能不全と乱用の是正を視野に入れながら、経済の意味と目的を考慮しなければなりません。」と語り、同時に、「地球の生態系の状態もこうした考察」が必要だと警告し、「人類は、徹底的な文化の刷新を必要としている」と考え方、生き方の転換を促す新しい価値体系を必要としていることを訴えました。「現在のさまざまな危機は、究極的に道徳の危機でもある」と・・・。 道徳と聞くと、現代人はああまた説教かと聞きもしないのですが、教皇は、「新たな生活様式は、節制と連帯を特徴とし、新たな取組みの規則と形式を備えます」と実際に機能する戦略の根底に、「愛と真理に基づく計画」をもつ神への立ち返りを求めているのです。

 6項は、そのキリスト教の本質的な考え方を説明しています。「世界は、何かの必然、盲目的運命・・・によって現われたのではありません。世界は、ご自分の存在、英知、善に被造物をあずからせることを望まれた神の自由な意志から生じたことを私たちは信じます。」
「聖書の啓示は、自然が造り主の与えた賜物であることを理解させてくれます。」「存在するあらゆるものは神に属します。神はこれを人間にゆだねました。ただし、それは、被造物を勝手に用いさせるためではありませんでした。」
 教皇はここから、道徳的な原則を掲げて論じていきます。
 
 7項では、人類の過失ともいうべきものを列挙して分析しています。「環境を責任をもって管理する務めをないがしろにしたり、拒否したりした」ために多くの人が困難な生活を強いられている。世界の最貧地区の人々と将来の世代と連帯しなければならない。
 8項では、世代間の連帯の急務、将来の世代のための責任、世代内の新たな連帯意識など、天然資源使用に対する原則条件。発展途上国もその責任から逃れなれない。国際社会と先進国の責任
 9項 エネルギー問題 発展モデルに対する真理に根ざした愛に固有の価値 
  人間の人格、共通善の推進と共有、責任、生活様式の転換の実現、そして賢明を基盤とした開発モデルの採用
 「賢明こそは、明日起こることを考えながら、今日なすべきことを私たちに教えてくれる」
 10項 持続可能かつ包括的管理とは
 「人知を科学技術の研究と実践的適用に用いなければならない。」
 「技術は決して単なる技術にとどまってはなりません。技術は人間とその発展への望みを示します。それは、人間が少しずつ物理的制約を乗り越えるよう駆り立てる、内的緊張を表します。このような意味での技術は、神が人類にゆだねた地を耕し、守るようにという神の命令への答えです(創世記2:15)。技術はまた、人間と環境の間に結ばれた契約を強めるために役立ちます。この契約は、万物を創造する神の愛を映し出さなければなりません」(真理に根ざした愛)

 11項 私たちの生活様式と支配的な消費・生産モデルの見直しについて

 12項 教会の被造物に対する責任
 自然という書物は唯一で不可分です。自然という書物には、環境倫理だけでなく、個人倫理、家庭倫理、社会倫理も含まれています。
私たちの環境に対する責務は、人格に対する責務に由来します。
この環境に対する責任意識が、真の「人間のための環境保護」を守り、そこからあらゆる段階と状態における人間のいのちの不可侵と、人格の尊厳と、家庭の独自の使命を強く再確認します。人は家庭の中で、隣人を愛し、自然を尊重することを学ぶからです。・・・道徳的自然法は人間の人格と被造物への尊重の基盤です。

 13項 自然を大事にすることの 乱用も・・・
 人間と環境の関係を正しく理解しても、自然を絶対化したり、自然は人間の人格よりも重要だと考えることにはなりません。教会教導職が、生態系中心主義や生命中心主義の影響を受けた環境概念について深い懸念を示すのは、このような概念が人間の人格と他の生命との間の本性と価値の違いを排除するためです。

 ここでは、新しい異教主義(ネオペイガニズム)に言及。
 
 あらゆる生物の「尊厳」の平等観のもとに、こうした概念は人間の際立った特徴と優れた役割を廃棄します。それはネオペイガニズムの色合いを帯びた新たな汎神論へと道を開きます。この思想は、人間の救いの起源は、純粋に自然主義的な意味での自然本性だけだと考えるのです。

 教会はバランスのとれたしかたで問題を考えようとします。そのために、造り主がその手のわざのうちに刻んだ「文法」を尊重します。


 14項 ここから 教皇は テーマの要約を行います。
平和を築くことを望むなら、被造物を守りなさい。すべての人が神と人間と全被造物との分かち難い関係を認めるなら、善意の人がもっと平和を追求しやすくなることは間違いありません。
 キリスト者は啓示の光のもとに、教会の聖伝に忠実に従いながら、独自の貢献を行います。

 祈り:キリストはその死と復活によって「地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物を」神と和解させられました。(コロサイ1章20節)
 
 気がついてみれば、結構な量で、これ 原稿なしで、もっと話していたからやっぱり、いやな顔をされたのはあたりまえですね。いけませんね・・・ これからもう少し原稿を書いてから話します。原稿を書くと話が硬くなるので 砕こうとしてこうなるのです。 今年の目標です。

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