京のキリシタン殉教地 巡礼
5日(火)、社会活動委員会の発案で、日ごろ活動で顔を合わせるでけでゆっくり話すこともない多忙な委員会たちに正月の遠足に京都の巡礼地を訪問することになりました。参加者は子供2名を含めて19名、
阪急梅田(9時集合) ~ 四条大宮駅(フランシスコの家見学)ーフランシスコの家では、京都の町屋をそのまま修道院と聖堂に改築したもので、そこにキリシタンの遺物が数多く陳列してありました。DVDでキリシタン殉教の歴史的な証言などを嶋崎賢児氏の解説と案内を受けました。なかでも「魔境」は大変印象深いものがありました。茶室でキリストの十字架が日の光で浮かび上がる往時の様子を偲びました。その後、三条河原町までバスで移動し、京都河原町教会の地下聖堂「都の聖母を見学しました。ちょうど京都教区司祭新年の集いでミサを終えたパウロ大塚司教様に出会い、司教様の案内で聖堂へ、以前の告解場は、素晴らしい殉教記念の部屋に改装されていました。大塚司教様を囲んで記念撮影。その後、昼食をガンコに入って、しばらく正月の味わいのある昼食弁当を食べる。
その後、六条河原沿いにある殉教記念碑を訪れる。京阪電車七条駅に降りて北へ景色を楽しみなが北へ移動。都鳥(ゆりかもめ)が静かに川面に遊び寒い河原に日が差しこむ。記念碑の背景に寒空の冬の一場面が映える。一同、記念碑の下の河原に降りてロザリオ一連を唱えました。ここで52人が十字架につけられ火あぶりの刑を受ける。身重のテクラ橋本の子供たちの面影を心に留めた。京都市の条例で公道で宗教行事はしてはならないとのことでした。そのあとタクシーで、大徳寺へ。 ここでは細川ガラシアの墓や大友宗麟の菩提寺の十字架の庭など、キリシタンの香が京都の寺院の奥深くにまで潜み佇んでいる。
茶室も暗い狭い中に 往時の茶道の精神が漂う。
「京のキリシタン史跡を巡る」(杉野栄著 三学出版)の82ページ、キリスト教とお茶の項目では、こんな表現があった。「利休の茶道は、この人たち(織田有楽斎、黒田如水、古田織部)によって、引き継がれていくのですが、高山右近の茶道の心得は、利休を驚かせるほどだったと言われています。やがて利休が日本の茶道を完成し、濃い茶の席を形作っていくのですが、あの濃い茶の席に込められた深い認識には、聖書の教えるところから取られたであろうと考えられるものがあります。贅を尽くすのではなく、床に備えられた一輪の花のいのちの前に、一人の人間として向き合う。そこから、茶道が始まったと言えないでしょうか。これは、キリスト教の宣教の中心理解でもあります。大いなる神の前に、豊かなものも貧しいものも平等であることを、利休は茶道の中に取り入れたのではないでしょうか。」・・・
いつも献金や募金活動の前線で活躍しておられる委員の皆さん、初めての企画で、一緒に日帰りの心休まるひと時でした。ありがとございました。
聖フランシスコの家 (魔境を見せていただく)
河原町教会 都の聖母
六条河原 (殉教碑)
大徳寺 細川ガラシャ墓地 茶室
茶室に入る戸口(躙り口、潜り戸)は狭く、「狭き門より入れ」の聖句を思い出す。そこにはいると主人とさしで互いに顔と顔合わせて向き合い交わる永遠の至福の時が訪れる。
嶋崎賢児氏(写真家、出津出身)の説明に聞きいる参加者
阪急梅田(9時集合) ~ 四条大宮駅(フランシスコの家見学)ーフランシスコの家では、京都の町屋をそのまま修道院と聖堂に改築したもので、そこにキリシタンの遺物が数多く陳列してありました。DVDでキリシタン殉教の歴史的な証言などを嶋崎賢児氏の解説と案内を受けました。なかでも「魔境」は大変印象深いものがありました。茶室でキリストの十字架が日の光で浮かび上がる往時の様子を偲びました。その後、三条河原町までバスで移動し、京都河原町教会の地下聖堂「都の聖母を見学しました。ちょうど京都教区司祭新年の集いでミサを終えたパウロ大塚司教様に出会い、司教様の案内で聖堂へ、以前の告解場は、素晴らしい殉教記念の部屋に改装されていました。大塚司教様を囲んで記念撮影。その後、昼食をガンコに入って、しばらく正月の味わいのある昼食弁当を食べる。
その後、六条河原沿いにある殉教記念碑を訪れる。京阪電車七条駅に降りて北へ景色を楽しみなが北へ移動。都鳥(ゆりかもめ)が静かに川面に遊び寒い河原に日が差しこむ。記念碑の背景に寒空の冬の一場面が映える。一同、記念碑の下の河原に降りてロザリオ一連を唱えました。ここで52人が十字架につけられ火あぶりの刑を受ける。身重のテクラ橋本の子供たちの面影を心に留めた。京都市の条例で公道で宗教行事はしてはならないとのことでした。そのあとタクシーで、大徳寺へ。 ここでは細川ガラシアの墓や大友宗麟の菩提寺の十字架の庭など、キリシタンの香が京都の寺院の奥深くにまで潜み佇んでいる。
茶室も暗い狭い中に 往時の茶道の精神が漂う。
「京のキリシタン史跡を巡る」(杉野栄著 三学出版)の82ページ、キリスト教とお茶の項目では、こんな表現があった。「利休の茶道は、この人たち(織田有楽斎、黒田如水、古田織部)によって、引き継がれていくのですが、高山右近の茶道の心得は、利休を驚かせるほどだったと言われています。やがて利休が日本の茶道を完成し、濃い茶の席を形作っていくのですが、あの濃い茶の席に込められた深い認識には、聖書の教えるところから取られたであろうと考えられるものがあります。贅を尽くすのではなく、床に備えられた一輪の花のいのちの前に、一人の人間として向き合う。そこから、茶道が始まったと言えないでしょうか。これは、キリスト教の宣教の中心理解でもあります。大いなる神の前に、豊かなものも貧しいものも平等であることを、利休は茶道の中に取り入れたのではないでしょうか。」・・・
いつも献金や募金活動の前線で活躍しておられる委員の皆さん、初めての企画で、一緒に日帰りの心休まるひと時でした。ありがとございました。
聖フランシスコの家 (魔境を見せていただく)
河原町教会 都の聖母
六条河原 (殉教碑)
大徳寺 細川ガラシャ墓地 茶室
茶室に入る戸口(躙り口、潜り戸)は狭く、「狭き門より入れ」の聖句を思い出す。そこにはいると主人とさしで互いに顔と顔合わせて向き合い交わる永遠の至福の時が訪れる。
嶋崎賢児氏(写真家、出津出身)の説明に聞きいる参加者