イエスの御血 (御受難会固有)
7月1日 主イエス・キリストの尊い御血
日本の教会の典礼では、福者ペトロ岐部と187殉教者の記念日になっていますが、この日、世界中の御受難会では、主イエスの御血を祝います。
祈願
おんひとり子の尊いおん血をもってすべての人をあがなわれた神よ、わたしたちに、いつもおんあわれみをお示し下さい。わたしたちがたえず救いの神秘を思い出して、その実を豊かに味わうことができますように。私たちの主イエズス・キリストによって、アーメン。
読書
賛歌
主の裁きによって洪水が起こり、
罪深いこの地は、水に沈められた。
ノアは箱船に入り救われた。
今、驚くべき愛の力がこの世に及び、
血によって、この世は洗われる。
恵みの雨で満たされ、
幸いな大地は今、
イバラしか生えなかったところに、
花を咲かせる。
ニガヨモギでさえ、
甘い蜜に変えられた。
ヘビは力を失い、
獰猛な野獣はおとなしくなった。
殺された柔和な小羊が、勝利を収めた。
ああ、天の知恵。
ああ、慈しみに満ちた心。
家来が死刑を言い渡され、
王が自らその罰を負った。
判決を下す裁判官を前にして、
わたしたちの罪はとがめられる。
その時、彼の血が私たちを守り、
罪は赦される。
世があがなわれ、
私たちの救いの導き手であり、創始者、
父と聖霊と共に、
天の国を治めておられるあなたを
賛美しますように。アーメン。
日本の教会の典礼では、福者ペトロ岐部と187殉教者の記念日になっていますが、この日、世界中の御受難会では、主イエスの御血を祝います。
祈願
おんひとり子の尊いおん血をもってすべての人をあがなわれた神よ、わたしたちに、いつもおんあわれみをお示し下さい。わたしたちがたえず救いの神秘を思い出して、その実を豊かに味わうことができますように。私たちの主イエズス・キリストによって、アーメン。
読書
賛歌
主の裁きによって洪水が起こり、
罪深いこの地は、水に沈められた。
ノアは箱船に入り救われた。
今、驚くべき愛の力がこの世に及び、
血によって、この世は洗われる。
恵みの雨で満たされ、
幸いな大地は今、
イバラしか生えなかったところに、
花を咲かせる。
ニガヨモギでさえ、
甘い蜜に変えられた。
ヘビは力を失い、
獰猛な野獣はおとなしくなった。
殺された柔和な小羊が、勝利を収めた。
ああ、天の知恵。
ああ、慈しみに満ちた心。
家来が死刑を言い渡され、
王が自らその罰を負った。
判決を下す裁判官を前にして、
わたしたちの罪はとがめられる。
その時、彼の血が私たちを守り、
罪は赦される。
世があがなわれ、
私たちの救いの導き手であり、創始者、
父と聖霊と共に、
天の国を治めておられるあなたを
賛美しますように。アーメン。
第二朗読 ①
聖ヴィンセント・マリア・ストランビ司教の文書より
キリストの尊い御血への信心のすばらしさ
義においてもその限りのない慈しみを示される私たちの愛する父は現代において、御ひとり子の尊い御血に対する心と愛のこもった信心を、信者の心によみがえらせてくださいました。それは、御血を受けた霊魂たちがいきいきとした信仰と燃える愛を持ってその血を神に捧げることによって、恵みと憐れみを受けるためです。
この信心の価値とすばらしい点は、預言者の言葉や、この素晴らしい御血が流されることを前もって示した儀式によってのみ明らかにされるものではありません。キリスト者の心を奮い立たせる愛、また、そこから得られる様々な恩恵によって、私たちのあがないと復活がどれほど価値のあるものかということからも考えることができます。
預言者イザヤは、傷つき、血まみれのイエスの姿について述べています。〝私たちの背きによって彼は突き刺され、私たちの罪のためにつぶされた〟と。また、キリストの尽きることのない泉、最も神聖な傷から流れ出るいつくしみと恵みの水を飲むようにと招いています。〝あなたは喜びながら、救いの泉から水をくむ。〟
もし汚れのない小羊の血が、時が満ち、全世界の罪をあがなうことがなかったら、旧約のいけにえの血は一体なんだったのでしょう。そのために、十二支族の祖たち、預言者、すべての聖なる人々が霊においてすでに黙想したとおり、信じて救われる者たちの信仰によって、いけにえの血は常に神の玉座にささげられてきたのです。それゆえ、この信心は教会が続く限り共に続くと確かに言うことができるのです。そして私たちを失望させることもないでしょう。というのは、キリストご自身の言葉、〃これは、わたしの血の杯。新しい永遠の契約である。〟によれば、この血は新しい永遠の契約の尊いしるしなのです。この御血が捧げられることが止むことはなく、魂を清め、罪を赦すことが止むこともありません。この世の終わりにイエスが来られる時まで、憐れみを請うことを止めることはありません。裁きの時、イエスは御血の恩恵を受けた人々に報いを与えられ、自らの救いのために御血を用いなかった人々を罰せられるでしょう。
一体だれがこの宝物に値を付け、その価値を言葉に言い表すことができるでしょうか。それは人間化された神のことばの血である、と言えば十分でしょう。それは、天使的神学博士聖トマスが言ったように「天の宝への鍵」なのです。聖マリア・マグダレナは「心を引きつける素晴らしい磁石」と呼びました。御血は私たちのあがないのために支払われた代価であり、永遠のいのちの約束です。
それでは、御血への信心が私たちにとってどれほど有益なのでしょう。確かに、私たちのためにイエスは血を流されたので、誰でもこの御血から恩恵を受けることができます。それは限りのない不滅の恩恵です。この聖なる御血が源となり、罪の赦し、誘惑への勝利、地獄に打ち勝つ力、死ぬまで神を愛する恵みが与えられます。御血において、罪びとは回心への意思を見つけ、その気持ちを持ち続ける強さを見出します。
御血は、使徒たちに熱意を注ぎ、殉教者たちに勇気を与え続けました。また、告解者の悔い改めを導き、純潔を守ります。事実、霊魂を祝福するすべての善いものは、この尊い御血から流れてくるのです。
答唱
先 神は、イエス・キリストによってわたしたちを神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになった。
(エフェゾ 一・五)
答 わたしたちは御子において、その血によって贖われた。 (エフェゾ 一・七)
先 神の豊かな恵みによってわたしたちの罪はゆるされた。
(エフェゾ 一・八)
答 わたしたちは御子において、その血によって贖われた。
第二朗読 ②
ヨハネニ三世使徒書簡 インデ ア プロミス
キリストの御血の価は無限であり、
その愛も無限である
神人イエズス・キリストの御血の価は無限であり、又、御血を流すよう彼を促したその愛にも限りがありません。それ故、そのいのちを与える奔流の中で、新たに生まれた全ての人が、御血に対して、礼拝と感謝にみちた愛の崇敬を捧げることは、適当であるばかりでなく、非常にふさわしく、正しいことです。キリストが、最初に御血を流されたのは、御降誕の後、八日目に割礼を受けられた時でした。ゲッセマニの園で苦悶のうちに、ますます熱烈に祈られた時、主はより一層、多くの御血を流されました。鞭打たれ、茨の冠をかぶせられた時、そして、カルワリオの丘に上り、十字架に釘付けられた時、キリストはまた更に、御血をお流しになったのです。最後にキリストは、その傷付けられた御脇から御血を流されました。このことは、教会の全ての秘跡を通して、今も流れているあの神的御血の象徴です。
新しい永遠の契約の血は、ミサのいけにえの間に奉挙される時、特に、敬いに満ちた礼拝にふさわしいのです。このような礼拝は、聖体拝領において全きものとなります。何故なら、聖体の秘跡のうらに、御体と分離し得ない仕方で、一致しているキリストの御血が拝領されるからです。その時、信者は、司式司祭と霊において親しく一致し、司式者の心情を真に自分のものとすることができます。
「私は救いの杯を取り、主のみ名を呼び求めます…キリストの血が、永遠のいのちの糧になりますように。アーメン。」それ故、信者はこの聖なる食卓にふさわしく近づくたびに、永遠の聖霊によって捧げられるキリストの御血により、全人類家族のためにかち得られた贖いと復活、永遠の生命の実を、一層豊かに受けることができるのです。
キリストの御体と御血に養われ、無数の殉教者たちを支えてきた神的力に与かることによって、彼らは一層たやすく、日々の労苦や困難を耐え忍ぶことができるでしょう。もし、必要ならば、彼らは、キリスト教的徳と神の国のために、殉教さえも受け入れることができるでしょう。何故なら彼らは、聖クリゾストムをして、次のように叫ばせたあの同じ燃える愛を体験するであろうからです。それ故、悪魔にとっては恐ろしい火を吐き出すライオンのように、聖なる食卓から戻りましょう。私たちの頭でいらっしゃるお方を、そしてそのお方が、私たちに示してくださった愛をいつも覚えていましょう。ふさわしく拝領したこの御血は、悪霊を追い払い、天使たちを、更に、天使たちの主であられるお方さえも私たちのもとに引き寄せるのです。
答唱
先 まことにあなたたちは高値で買われたもの。
(一コリント 六・二〇)
答 ゆえに体をもって神に栄光を帰しなさい。
先 あなたたちは高値で買われた。
人の奴隷になってはいけない。(一コリント 七・二三)
答 ゆえに体をもって神に栄光を帰しなさい。
聖ヴィンセント・マリア・ストランビ司教の文書より
キリストの尊い御血への信心のすばらしさ
義においてもその限りのない慈しみを示される私たちの愛する父は現代において、御ひとり子の尊い御血に対する心と愛のこもった信心を、信者の心によみがえらせてくださいました。それは、御血を受けた霊魂たちがいきいきとした信仰と燃える愛を持ってその血を神に捧げることによって、恵みと憐れみを受けるためです。
この信心の価値とすばらしい点は、預言者の言葉や、この素晴らしい御血が流されることを前もって示した儀式によってのみ明らかにされるものではありません。キリスト者の心を奮い立たせる愛、また、そこから得られる様々な恩恵によって、私たちのあがないと復活がどれほど価値のあるものかということからも考えることができます。
預言者イザヤは、傷つき、血まみれのイエスの姿について述べています。〝私たちの背きによって彼は突き刺され、私たちの罪のためにつぶされた〟と。また、キリストの尽きることのない泉、最も神聖な傷から流れ出るいつくしみと恵みの水を飲むようにと招いています。〝あなたは喜びながら、救いの泉から水をくむ。〟
もし汚れのない小羊の血が、時が満ち、全世界の罪をあがなうことがなかったら、旧約のいけにえの血は一体なんだったのでしょう。そのために、十二支族の祖たち、預言者、すべての聖なる人々が霊においてすでに黙想したとおり、信じて救われる者たちの信仰によって、いけにえの血は常に神の玉座にささげられてきたのです。それゆえ、この信心は教会が続く限り共に続くと確かに言うことができるのです。そして私たちを失望させることもないでしょう。というのは、キリストご自身の言葉、〃これは、わたしの血の杯。新しい永遠の契約である。〟によれば、この血は新しい永遠の契約の尊いしるしなのです。この御血が捧げられることが止むことはなく、魂を清め、罪を赦すことが止むこともありません。この世の終わりにイエスが来られる時まで、憐れみを請うことを止めることはありません。裁きの時、イエスは御血の恩恵を受けた人々に報いを与えられ、自らの救いのために御血を用いなかった人々を罰せられるでしょう。
一体だれがこの宝物に値を付け、その価値を言葉に言い表すことができるでしょうか。それは人間化された神のことばの血である、と言えば十分でしょう。それは、天使的神学博士聖トマスが言ったように「天の宝への鍵」なのです。聖マリア・マグダレナは「心を引きつける素晴らしい磁石」と呼びました。御血は私たちのあがないのために支払われた代価であり、永遠のいのちの約束です。
それでは、御血への信心が私たちにとってどれほど有益なのでしょう。確かに、私たちのためにイエスは血を流されたので、誰でもこの御血から恩恵を受けることができます。それは限りのない不滅の恩恵です。この聖なる御血が源となり、罪の赦し、誘惑への勝利、地獄に打ち勝つ力、死ぬまで神を愛する恵みが与えられます。御血において、罪びとは回心への意思を見つけ、その気持ちを持ち続ける強さを見出します。
御血は、使徒たちに熱意を注ぎ、殉教者たちに勇気を与え続けました。また、告解者の悔い改めを導き、純潔を守ります。事実、霊魂を祝福するすべての善いものは、この尊い御血から流れてくるのです。
答唱
先 神は、イエス・キリストによってわたしたちを神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになった。
(エフェゾ 一・五)
答 わたしたちは御子において、その血によって贖われた。 (エフェゾ 一・七)
先 神の豊かな恵みによってわたしたちの罪はゆるされた。
(エフェゾ 一・八)
答 わたしたちは御子において、その血によって贖われた。
第二朗読 ②
ヨハネニ三世使徒書簡 インデ ア プロミス
キリストの御血の価は無限であり、
その愛も無限である
神人イエズス・キリストの御血の価は無限であり、又、御血を流すよう彼を促したその愛にも限りがありません。それ故、そのいのちを与える奔流の中で、新たに生まれた全ての人が、御血に対して、礼拝と感謝にみちた愛の崇敬を捧げることは、適当であるばかりでなく、非常にふさわしく、正しいことです。キリストが、最初に御血を流されたのは、御降誕の後、八日目に割礼を受けられた時でした。ゲッセマニの園で苦悶のうちに、ますます熱烈に祈られた時、主はより一層、多くの御血を流されました。鞭打たれ、茨の冠をかぶせられた時、そして、カルワリオの丘に上り、十字架に釘付けられた時、キリストはまた更に、御血をお流しになったのです。最後にキリストは、その傷付けられた御脇から御血を流されました。このことは、教会の全ての秘跡を通して、今も流れているあの神的御血の象徴です。
新しい永遠の契約の血は、ミサのいけにえの間に奉挙される時、特に、敬いに満ちた礼拝にふさわしいのです。このような礼拝は、聖体拝領において全きものとなります。何故なら、聖体の秘跡のうらに、御体と分離し得ない仕方で、一致しているキリストの御血が拝領されるからです。その時、信者は、司式司祭と霊において親しく一致し、司式者の心情を真に自分のものとすることができます。
「私は救いの杯を取り、主のみ名を呼び求めます…キリストの血が、永遠のいのちの糧になりますように。アーメン。」それ故、信者はこの聖なる食卓にふさわしく近づくたびに、永遠の聖霊によって捧げられるキリストの御血により、全人類家族のためにかち得られた贖いと復活、永遠の生命の実を、一層豊かに受けることができるのです。
キリストの御体と御血に養われ、無数の殉教者たちを支えてきた神的力に与かることによって、彼らは一層たやすく、日々の労苦や困難を耐え忍ぶことができるでしょう。もし、必要ならば、彼らは、キリスト教的徳と神の国のために、殉教さえも受け入れることができるでしょう。何故なら彼らは、聖クリゾストムをして、次のように叫ばせたあの同じ燃える愛を体験するであろうからです。それ故、悪魔にとっては恐ろしい火を吐き出すライオンのように、聖なる食卓から戻りましょう。私たちの頭でいらっしゃるお方を、そしてそのお方が、私たちに示してくださった愛をいつも覚えていましょう。ふさわしく拝領したこの御血は、悪霊を追い払い、天使たちを、更に、天使たちの主であられるお方さえも私たちのもとに引き寄せるのです。
答唱
先 まことにあなたたちは高値で買われたもの。
(一コリント 六・二〇)
答 ゆえに体をもって神に栄光を帰しなさい。
先 あなたたちは高値で買われた。
人の奴隷になってはいけない。(一コリント 七・二三)
答 ゆえに体をもって神に栄光を帰しなさい。