ヘンリー・ニューマンの列福(9月19日)にちなんで(You-Tube配信)
英国の宗教番組のWebサイト(YouTube配信)からニューマン枢機卿(John Henry Newman )についての番組を掲載しました。1845年にカトリックに回心したニューマンは、英国教会で、すでに有名な神学者であり、教会の牧師を務め説教家であり、オックスフォード大学の教授でした。カトリック教会に改宗し、ローマで司祭となりフィリポネリが創立したオラトリオ会入って、英国でバーミンガムで最初のオラトリオ会を設立しました。アイルランドの教会からの要請でダブリンに大学を創立したこともあり、英国の教会に大きな霊的影響を与えたことなど、その傑出した信仰からレオ13世教皇により司祭ニューマンが枢機卿に選ばれたのです。大学は、「科学の中の科学 -哲学」を教えるべきだという古典的な教養課程の基本を教えました。その業績は、インターネット上でも簡単に知ることができます。
今年の秋(9月19日予定)教皇ベネディクト16世が英国に訪問して福者に列福される運びとなりました。番組では、ニューマン枢機卿を英国聖公会からカトリック教会への転向を受け入れた福者ドミニック・ベルバリをインタービューする形式で、その時の時代背景、ドミニックの召命と神の摂理てきな導き、ご受難会の創立者十字架の聖パウロの英国の回心のビジョンとその使命、祈りの生活の恵み、そしてヘンリー・ニューマンとの出会いと回心への道などを福者ドミニック役のケビン・オブライエンの言葉を通して語らせています。大変わかりやすく聞きやすい英語と内容なので、ぜひご覧ください。そのほかにもヘンリーニューマンの物語や修道会関連のインタビューも数多くあり、さすが英国のご受難会の活動の一端がうかがえます。ヘンリー・ニューマンのオックスホード運動とカトリック教会への回心は、多くの知識人・大学人をカトリック教会へ導き、そしてダイアナ妃の大伯父さんにあたる有名なイグナチオ・スペンサー神父もニューマンの親しい友人で「英国の回心のための祈りの十字軍」を指導していました。
ニューマンは、当時4世紀の教会の教父たちの思想と霊性を研究していて、自分が属する教会が4世紀の異端の教えに近いことに動揺していたこととイタリアに友人と旅行した際に、病気で苦しんでいたときに英国の回心を神が望んでいることを深く感じ、英国に帰国してすぐにオックスフォード運動を始めたのでした。そのため、十字架の聖パウロがどうして英国の回心を祈ったのか、またドミニックがどうして英国の回心のためにビジョンを見たのか、それらの摂理的な神の導きとともに御受難会の素朴な司祭の姿に見て、ついにカトリックへと回心することになりました。
この番組の中の福者の証言では、神の摂理であり、同じ祭壇の場所でドミニックも、そうとは知らずにそのビジョンを見たとのことです。当時の英国のことを考えると、大英帝国の時代で、帝国の中心を回心させることにより世界全体を変えることができるようなことでしょうか?福者ドミニックには特定の名前は教えられなかったが、確かに教会全体に影響を与える人物を回心させることが、そのビジョンの中に含まれていたのでしたが、そのビジョンから実際に現実となるのは、27年後で、しかもそのビジョンを見たときは、8人兄弟で、3歳のときに父が死に、8歳のときに母が亡くなり、叔父に育てられた無学な農民の子供で、学校には一度も通ったことがなかったためブラザー候補として修練院に受け入れられたばかりのときでした。ブラザー候補として入った者は、決して司祭候補の修道者として誓願をうけることができなかった時代、そのようなことを望むことすら家に送り帰らせられたあ時代、ドミニックは司祭として英国で改宗者を受け入れるビジョンを見たのでした。彼は一度聞いたラテン語の聖句を一度で覚え、簡単にイタリア語に直すことができたため、長上からそのすぐれた記憶力と知的能力を見出され、総会を開いてブラザー志願から司祭志願へと変更することに、彼の望みではなく会の望みとして変更されたのでした。もっとも無学な者が、知恵あるものの知恵をむなしくするという神の言葉がここでも生きているような気がします。