マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 第11回 百日共同祈願への招き

 原稿が出来上がりましたので 早速 このページに掲載します。

 PDFファイルにしました。

 2010百日9月

 ハガキ祈願文
 
 
 はがき9月

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第11回 100日連続共同祈願への招き
「涙と共に種まく人は 喜びの歌と共に刈りいれる」(詩篇126・5節)

 猛暑の今年の夏、9月になってもまだまだ記録的な暑さが続く毎日です。
皆さまには、日々の祈りの中にも、聖霊のさわやかな憩い、苦しむ時の励まし、暑さのやすらい、愁いの時の慰め、恵みあふれる光に満たされますようにご挨拶申し上げます。

皆さまと共にささげてまいりました100日間共同祈願ミサは、8月23日(月)に無事満願の日を迎えました。この日のミサは、1000日目にもあたり、祈願成就の喜びのうちに水がキリストの香りを放つ葡萄酒となるように天の元后聖マリア様(8月22日祝日)のとりなしを願いながら、籠の中にある個人の祈願カード765通と会場での参加者約300人が共に祈りをささげることになりました。主の栄光は、十字架上でわたしたちの苦しみにあずかることによって成就されたように、この十回目の百日間、わたしたちも、友のため、家族のため、知人のため、世にある目に見える兄弟たちのために、その苦しみに与かることによって、同じ主が同伴してくださるように祈り続けてきました。

振り返れば、足掛け4年、1000日間を通して、祈りの輪は広がると同時に「信仰の絆」が深まりました。その信仰の絆は、父と子と聖霊の相互の愛に結ばれた教会の絆となり、十字架の主の苦しみに与かる信仰の力、愛による救いの力となりました。回を重ねるたびに、聖霊は、「イエスの時」から力を汲むように教えてくださり、イエスの霊に満ちた救いの力としるしが2000年の歴史を超えて、今苦しむ人に注がれ、もう一人のキリスト、教会の過越を生きるものとされます。こうして苦しむ人に同伴するキリストは世にあって苦難と病苦と貧苦を担い救いの力と和解のイニシアチブを担ってくださるのです。
多くの方々から喜びと感謝の便りをいただきました。何もしないときよりも、多くの実りが報告されています。カトリック新聞にも記事が掲載されました。記事を見て参加された方があり、小さな小教区や修道院の参加もあり、キリスト者以外の人たちも参加されました。末期がんや手術の成功を願う切羽詰まった祈願も多く含まれていました。

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油注がれたからである。主がわたしを使わされたのは、捕われている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」(ルカ4章18~19節)

 8月21日から23日、第18回聖霊による刷新全国大会を開催し、韓国から招いたコトンネの共同体の皆さんに力強いメッセージとあかしをいただきました。ブラザー・シンとコトンネの韓国の兄弟姉妹たち8名は、苦しみが目に見えない絆として人生を暗くするとき、犠牲と祈りのうちに救いの力へと変えられる十字架の神秘があることを、この三日間に教えていただきました。賛美の祈りのうちに、ブラザー・シンは、生命の木には、苦しみの実と喜びの実がなり、同じ一つの木から二つの実を受け取らなければならないと語り、祈りと犠牲の大切さを、わたしたち日本の教会のために分かち合ってくださいました。8名の一人兄弟ヨハネ・シンさんは、世間的には芸術家として成功し、若くして有名芸術大学の教授となりました。たまたま大学の同僚たちとコットネを見学する機会に恵まれて、コトンネ共同体の福祉施設を訪問した時に、否定的な見解、貧し人たちへの過剰な世話は彼らを甘やかすだけだという偏見で怒りの心に満ちていた彼が、共に与かったミサの中で、障害者の一人のお爺さんのやさしい目と触れあったときに、突然に目から涙があふれ出て、涙が止まらなくなったのでした。それから彼は、自分自身とも、家族とも、そして神とも和解の恵みを受けるようになって、自分中心の生活から抜け出ることができました。赦しは、神の最大の愛であり、忍耐です。神が共に働かなければ、こんなことはあり得ないと考えるまでに彼は変えられました。

三日間は、要約すれば「行動する愛の霊性」、「受難の霊性」、「貧しさの霊性」とブラザー・シンのメッセージは力強く、私は、自分の生ぬるさを恥じました。私たちは忘れていたのかもしれません。この耳で聞き、この目で見るまでは、私たちは信じていなかったのかも知れません。犠牲の力を・・・、そして赦しの力を。信仰を目に見える人生の生き方にしなければなりません。

再び、1000日間を目指さして、第11回百日間共同祈願ミサにお招きします。多くの赦しのために、多くの回心のために犠牲をささげましょう。劇的な回心は数少ないかもしれませんが、生ぬるい私たちの信仰が清められて、洗礼の恵みを生活の中で熱心に生きる信仰者が増し加えられますように願いましょう。それは聖霊の満たしを願い、日々の愛の実践を行う回心の恵みです。この度は、9月15日(悲しみの聖母)から12月23日の百日間です。日々回心の恵みを願い、主の降誕を準備しましょう。わたしたちの現在あるのは、誰かの祈りのおかげであり、私たちが祈るのは、自分のためよりも、私たちが関わる人のためです。日本では、祈っていただいたという人は少ないことでしょう。直接的な経験はあまりないかもしれません。

 たとえば、この度、9月19日に、教皇ベネディクト16世から列福の栄誉をうけることになった英国のヘンリー・ニューマン枢機卿(1801年~1890年)です。この英国国教会の偉大な神学者をカトリック教会に受け入れたのは、イタリア人の御受難会士神の母ドミニック・バルバリです。御受難会の創立者十字架の聖パウロは召命の恵みを受けた初期から、英国の回心のために祈るように促されて、祈り続けていました。その百年後に、ドミニック・バルバリが修錬に入りました。すぐに十字架の聖パウロと同じ祭壇の前で同じビジョンを見ました。ドミニックはイタリアの農村の貧しい農民の子供でしたが、8歳まで熱心なお母さんの信仰を学び、熱心にロザリオの祈りを毎日唱えました。青年時代、啓蒙主義的な時代に、彼も仲間たちと同様ほとんど信仰を捨てましたが、彼はロザリオの祈りだけは忘れずにしていました。ところが、婚約して、結婚式が近づくにつれて、彼は重病になり、医者に見放され死を待つようになり、ある日彼は夢を見ました。彼のベッドの周りに悪霊たちが取り囲み、彼の死を今か今かと待ち遠しくしている所に、突然、光輝く神の母マリアが現れ、彼は地獄に行くにふさわしいが、ロザリオの祈りをしていたので、わたしは彼を地獄に行かせるわけにはいかない、私が彼の代わりに地獄に行きましょうという声を聞きました。翌日、彼は熱から解放され病気は癒されました。その時から召命への道を熱心に歩み始めたのです。彼は正式な学校教育を受けていませんでしたが、知的能力を見出され、司祭となり、27年後に英国へ派遣されました。それは27年前の修練者であったときのビジョン、英国国教会のある巨人をカトリック教会へ改宗させるという約束が実現する時でした。ヘンリー・ニューマンは、当時すでに著名な神学者で、オックスフォード大学の教授で牧師でした。教父たちの研究をしているとき、ある点で彼の教会は4世紀の異端と同じ神学的な立場にあるのではとの疑問が浮かんで、彼を悩ましていました。カトリック教会への回帰を望んでいてもそのチャンスは巡ってきませんでした。ヘンリー・ニューマンは英国に到着した神の母ドミニック・バルバリの裸足の修道服姿に出会います。修道者の祈りと犠牲の姿に、カトリック教会の本当の祈りの生活を見たのでした。こうして、ヘンリー・ニューマンは、1845年、素朴な修道僧の前に額ずき、ゆるしの秘跡を受け、カトリック教会への改宗を願ったのでした。その後、ヘンリー・ニューマンは、ローマで司祭となり、オラトリオ会に入会し、英国バーミンガムで活躍しました。レオ13世は司祭ニューマンを、枢機卿に選出したのです。ニューマンは、聖書と教父の伝統に忠実であると同時に、ひとりひとりの中に内在する聖霊、良心を尊重し、聖職者中心の教会制度と戦いました。聖霊内在論、良心の倫理、信徒の神学など第二バチカン公会議以前の教会に多くの影響を与えました。また福者神の母ドミニック・バルバリは教会一致運動の保護聖人としてパウロ6世から列福されました。
 このような二人の出会いの背景に、百年以上御受難会の中に受け継がれた聖人の祈りが目に見える形で日の目を見たことを知ることは、聖霊は私たちを孤児にはせず、むしろわたしたちの心と体を神の子の命に与らせ神の計画に参与させてくださるのです。
聖霊の働かれる、土の器として 
9月15日から12月23日までご一緒に百日間
キリストの祭壇に共同祈願をおささげいたしましょう。

2010年9月15日 悲しみの聖母の祝日に
聖霊による刷新関西委員会
委員長    畠 基幸
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宛先:〒563-0041
   池田市満壽美町 9-26 カトリック池田教会
   畠 基幸 神父 行き

ハガキ裏面:

第11回百日連続共同祈願
(9月15日~12月23日)

✙ 聖霊、来てください!
聖なる父よ、聖母マリアは十字架のもとに立ち、御子イエスと苦しみをともにしました。教会が、聖母とともに御子の苦しみに結ばれて、その復活にもあずかることができますように。

皆様の意向:(ご自身のことばで祈りと願いの意向をご自由にお書きください。)









聖なる父よ、御子イエスは、十字架の上で世界の罪を担ってくださいました。御子と共に苦しむ聖母にならい、キリストの苦しみの欠けたところを、そのからだであるわたしたちが進んで満たすことができますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
氏名(霊名も)             

http://www.hatashinpu.com/  アーメン。

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