第13回100日連続ミサ 共同祈願
✙主の平和が皆さまと共にありますように!
3月11日に発生した東日本の大地震、大津波、放射能汚染事故は、被災地に甚大な被害と爪痕を残しました。このような災害を目の当たりにして、皆さまには、何かに駆り立てられるように被災者の方々のために犠牲と祈りをささげておられることと存じます。
わたしも、あの日、3月11日は四旬節の第一金曜日にあたり、その日から始めた十字架の道行は、毎日終わることなく続けております。福岡の西新教会では毎夕聖体の前で1時間祈る聖時間が主任司祭により始められ、祈りの会のメンバーは熱心に参加しているとのことです。また、「聖霊による刷新全国委員会」と「聖霊による刷新関西委員会」は、合同で震災の翌週、緊急共同祈願をハガキで「キリストのうちにひとつになろう」と呼びかけました。こうして全国で一つになり、困難な状況に直面している人々に寄り添い、祈りと愛を持って、執り成しの祈りをささげました。聖母と共に、ゲッセマネの園から主の十字架の道をたどり、カルワリオの丘まで、悲嘆と苦難の軛を担う「十字架の道行」に同伴するように祈りをささげました。
早速、被災した方々からお手紙をいただきました。
①「お見舞いありがとございます。お陰様で、わたし自身は古いアパートの破損による修理の心配くらいの被害でしたが、浜に住んでいる親戚方に家が洗われたり流されたり未だに行方がわからない姪夫妻のことが心配で頭いっぱいです。主に委ねるしかない事も分かっていますが、緊急共同祈願の意向の祈りの文面で救われた気がします。ありがとうございます。早速お祈りしましたが、お陰様で心が落ち着き平安を得ました。お祈りして参ります。姪夫妻だけでなく、行方不明の人々が大勢です。必死に探している様子が人づてに耳に入ってきます。テレビでも報じている映像に重なりつらいです。でも主のみ旨にお委ねします。全てを善になさる方ですから。ありがとうございました。」
②「先日は、早々と励ましのおはがきをいただきまして、とても励みになりました。わたしのところでは、お陰様で津波による被害はなかったのですが、電気、ガス、水道と長らく使えなかったので、とまどい、何と言っても余震の恐ろしさにふるえる毎日でした。このごろはやっと自分を取り戻し、元気も出てきました。主人の実家は南三陸町ですので、妹は亡くなり、親類の方々も震災にあわれています。皆さま方と共に、早く立ち上がることができますように 祈っていただきたいです。」
「キリストのうちに一つになろう」という言葉に励まされたという手紙もありました。被災地からのこのような手紙で私たちは勇気づけられます。わたしたちの祈りを必要としている人がいる。わたしたちの祈りはキリストの奉献の祈りに結ばれて被災地の皆さまに届きます。「緊急共同祈願」のハガキは999枚印刷し、これまで共同祈願に参加した方々や全国大会に参加した方々にお送りしました。北海道から沖縄まで、「聖霊に満たされて、キリストのうちにあって一つのからだ、一つの心」となってわたしたちは祈りました。
また、1月1日から始めた第12回百日共同祈願には、930名の参加者がありました。特に大震災以降、祈りの必要性を感じた人々から百日を経過した4月10日以降も共同祈願の祈りに加えてくださいと何通も届いています。執り成しの祈りに信頼して共同祈願をささげる人がさらに増えるのではないかと感じております。
今こそ、わたしたちは祈り続けなればならないと信じます。祈りを最も必要とする時だからです。ご一緒にキリストの祈りに結ばれて祈り続けましょう。
(PDFファイル 2個添付しています。)
第13回百日共同祈願への招き
第13回共同祈願 共同奉献のハガキ
<共同祈願への招き> 下の続きをクリックする
3月11日に発生した東日本の大地震、大津波、放射能汚染事故は、被災地に甚大な被害と爪痕を残しました。このような災害を目の当たりにして、皆さまには、何かに駆り立てられるように被災者の方々のために犠牲と祈りをささげておられることと存じます。
わたしも、あの日、3月11日は四旬節の第一金曜日にあたり、その日から始めた十字架の道行は、毎日終わることなく続けております。福岡の西新教会では毎夕聖体の前で1時間祈る聖時間が主任司祭により始められ、祈りの会のメンバーは熱心に参加しているとのことです。また、「聖霊による刷新全国委員会」と「聖霊による刷新関西委員会」は、合同で震災の翌週、緊急共同祈願をハガキで「キリストのうちにひとつになろう」と呼びかけました。こうして全国で一つになり、困難な状況に直面している人々に寄り添い、祈りと愛を持って、執り成しの祈りをささげました。聖母と共に、ゲッセマネの園から主の十字架の道をたどり、カルワリオの丘まで、悲嘆と苦難の軛を担う「十字架の道行」に同伴するように祈りをささげました。
早速、被災した方々からお手紙をいただきました。
①「お見舞いありがとございます。お陰様で、わたし自身は古いアパートの破損による修理の心配くらいの被害でしたが、浜に住んでいる親戚方に家が洗われたり流されたり未だに行方がわからない姪夫妻のことが心配で頭いっぱいです。主に委ねるしかない事も分かっていますが、緊急共同祈願の意向の祈りの文面で救われた気がします。ありがとうございます。早速お祈りしましたが、お陰様で心が落ち着き平安を得ました。お祈りして参ります。姪夫妻だけでなく、行方不明の人々が大勢です。必死に探している様子が人づてに耳に入ってきます。テレビでも報じている映像に重なりつらいです。でも主のみ旨にお委ねします。全てを善になさる方ですから。ありがとうございました。」
②「先日は、早々と励ましのおはがきをいただきまして、とても励みになりました。わたしのところでは、お陰様で津波による被害はなかったのですが、電気、ガス、水道と長らく使えなかったので、とまどい、何と言っても余震の恐ろしさにふるえる毎日でした。このごろはやっと自分を取り戻し、元気も出てきました。主人の実家は南三陸町ですので、妹は亡くなり、親類の方々も震災にあわれています。皆さま方と共に、早く立ち上がることができますように 祈っていただきたいです。」
「キリストのうちに一つになろう」という言葉に励まされたという手紙もありました。被災地からのこのような手紙で私たちは勇気づけられます。わたしたちの祈りを必要としている人がいる。わたしたちの祈りはキリストの奉献の祈りに結ばれて被災地の皆さまに届きます。「緊急共同祈願」のハガキは999枚印刷し、これまで共同祈願に参加した方々や全国大会に参加した方々にお送りしました。北海道から沖縄まで、「聖霊に満たされて、キリストのうちにあって一つのからだ、一つの心」となってわたしたちは祈りました。
また、1月1日から始めた第12回百日共同祈願には、930名の参加者がありました。特に大震災以降、祈りの必要性を感じた人々から百日を経過した4月10日以降も共同祈願の祈りに加えてくださいと何通も届いています。執り成しの祈りに信頼して共同祈願をささげる人がさらに増えるのではないかと感じております。
今こそ、わたしたちは祈り続けなればならないと信じます。祈りを最も必要とする時だからです。ご一緒にキリストの祈りに結ばれて祈り続けましょう。
(PDFファイル 2個添付しています。)
第13回百日共同祈願への招き
第13回共同祈願 共同奉献のハガキ
<共同祈願への招き> 下の続きをクリックする
百日共同祈願への招き
第13回百日共同祈願は、5月22日から8月28日までの百日間を祈ります。大切な執り成しの祈りの時です。「キリストのうちに一つになろう」という思いを共有し、一つの心で祈り続けたいと思います。ゲッセマネの園からカルワリオの丘までの「十字架の道行」です。「十字架の道行」は、わたしたちの救いのためにいけにえとなられたイエスの心に結ばれる最も効果的な祈りです。わたしの小さな体験ですが、こんな記事をあるニュースレターに書きました。
「あの日、3月11日は、灰の水曜日から始まる四旬節の最初の金曜日でした。夕方のテレビのニュースを見るまでは、東北に地震が起こったと聞いていただけで、何事もなく普段通りの生活のリズムでした。しかし、目に飛び込んできたのは、町の家々をなぎ倒す大津波の恐ろしい生の映像でした。しばし映像を食い入るように見ていました。7時半、テレビのスイッチを切って十字架の道行のために聖堂に行くと、誰も来ていません。一人で十字架の道行を始めました。
この夜、十字架の道行は、司祭のわたしのなすべきことを教えてくれたのでした。わたしは、苦しみの意味を教える神学書を読みふけっても、四旬節以外には、実際十字架の道行をほとんどしなかったことを告白しなければなりません。先輩神父が十字架の祈りを信心として毎日していても、あまり意味を感じなかったのです。ところが、あの悲惨な災害の場面を唖然として傍観していたわたしを救ってくれたのは、たまたま四旬節の義務で、十字架の道行に赴くことができたからでした。あの晩、直接に苦しみ叫ぶ人々の姿を目にし、その人たちのためにイエスによりすがるように祈りました。一留ごとに、生の現実の恐ろしい現場が目に浮かびます。一瞬のうちに命を、家族を、財産を、隣人を、村を、根こそぎに剥ぎ取られた人々の無念を想い、残された家族の嘆きと喪失に同伴しました。十字架の道行は、その日から信心ではなく、リアリティのある苦しみの連帯となりました。あの日から、わたしの毎日の祈りとなりました。」
「十字架の道行」は、地上で過ごされたイエスのご生涯の最後の様子を思い起こし、救いの業を成し遂げられるまでの道のりに同伴する祈りです。「神はその独り子を与えるほど世を愛された(ヨハネ3・16a)」御父のみ旨に従い、ご自身を死に渡された御子イエスの強い意思をあらわす道のりです。「御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(ヨハネ3・16b)」との約束を成就するために赴かれた主の受難と死を思い起こす祈りです。ミサの奉献文の中では、「主イエスの死と復活の記念を行い」(第二奉献文)と簡潔に言及されるにすぎませんが、ミサの本質的な部分は、その直後に続くイエスの汚れないいけにえ、つまり十字架の犠牲であり、そのいけにえにあわせてささげる教会のいけにえ(祈りと犠牲)です。そのいけにえの姿はありありと「十字架の道行」の中に記念されているのです。
伝統的に十字架の道行の祈りは主イエスとの深い祈りに導かれます。
教皇儀典室からの文章を引用すると
「イエスのご生涯は聖霊によって導かれた歩みです。・・・イエスの一歩一歩は、救いのご計画の完全な実現に近づく一瞬一瞬なのです。つまり、普遍的なゆるしの時(ルカ23・34)、枯れることのない恵みの泉である心臓の開かれた時(ヨハネ19・34)、真の過越の子羊が一本の骨も折られずに屠られた時(ヨハネ19・36)、み母をたまわった時(ヨハネ19・26、27)、そして聖霊の時(マタイ27・50)です。イエスの苦しみの一つ一つは、人類にとって将来の喜びの種であり、また、辱めの一つ一つは、栄光への序曲です。苦しみの道行の途上におけるイエスの、友との出会い、敵との出会い、無関心な者との出会いの一つ一つは、最後の教訓のチャンス、最後のまなざしの機会、和解と平和のための極みないささげものの最後の機会です。」(「十字架の道行の成り立ちについて」教皇儀典室、p3~4 引用参照 「ベネディクト16世 黙想と祈りによる十字架の道行」貝原敬子訳 女子パウロ会 所収 )
イエスの苦しみのみ姿は、わたしたちの救いのためにご自分の愛を現わし、御父の愛をあかしするためにいけにえとなられた姿です。その苦しみ、「メモリア・パシオニス (主のご受難の記憶)」を心に刻むことは、主観的、心理的なものではなく、ミサの奉献(イエスのいけにえ)と同じように、主の受難と死を思い起こすことによって、救いの出来事が現在化され、聖霊の恵みが溢れ出るのです。こうして、苦しむ人たちに同伴し共感する中で主イエスとの出会いがあります。「わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。(マタイ25章26節)」主イエスの受難の再現、現代の十字架の道行が今日も繰り返されていると言えるのではないでしょうか。したがって、百日共同祈願連続ミサのためにわたしは皆さまも十字架の道行をされることを勧めます。
主イエスの愛と恵みの内に
聖霊による刷新関西委員会 委員長 畠 基幸神父
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<百日連続ミサ 共同祈願の意向> (ハガキ 文面)
✙聖霊に満たされて、キリストのからだ、キリストの心となりますように!
先:主イエス・キリスト あなたを礼拝し、賛美します。
▼:あなたは、尊い十字架によって世をあがなってくださいました。
(各留1~14、毎日一つの留を取り上げて祈る)
意向:(各自の意向も加えてください)
(1)大地震と大津波による甚大な被害にあった人々のために
(2)放射能の汚染による被害にあった人々のために
(3)危険な場所で、救命、救援、支援するひとびとのために
(4)教会が救いの共同体としての使命を果たすことができますように
祈り:「主イエスよ、あなたは十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によってわたしたちはいやされました。」(Ⅰペトロ2・24 参照)聖霊の交わりの中で、あなたは父と共に支配しておられます。世々に至るまで。アーメン
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この百日の期間、聖霊による刷新司祭黙想会(5月29日~6月4日、宗像 福岡黙想の家)、短期合宿聖霊セミナー(6月13日~15日、売布 宝塚黙想の家)、第15回聖霊による刷新関西大会(8月27日~29日、尼崎 ニューアルカイックホテル)が予定されています。どうかこの意向のためにもお祈りください。
第13回百日共同祈願は、5月22日から8月28日までの百日間を祈ります。大切な執り成しの祈りの時です。「キリストのうちに一つになろう」という思いを共有し、一つの心で祈り続けたいと思います。ゲッセマネの園からカルワリオの丘までの「十字架の道行」です。「十字架の道行」は、わたしたちの救いのためにいけにえとなられたイエスの心に結ばれる最も効果的な祈りです。わたしの小さな体験ですが、こんな記事をあるニュースレターに書きました。
「あの日、3月11日は、灰の水曜日から始まる四旬節の最初の金曜日でした。夕方のテレビのニュースを見るまでは、東北に地震が起こったと聞いていただけで、何事もなく普段通りの生活のリズムでした。しかし、目に飛び込んできたのは、町の家々をなぎ倒す大津波の恐ろしい生の映像でした。しばし映像を食い入るように見ていました。7時半、テレビのスイッチを切って十字架の道行のために聖堂に行くと、誰も来ていません。一人で十字架の道行を始めました。
この夜、十字架の道行は、司祭のわたしのなすべきことを教えてくれたのでした。わたしは、苦しみの意味を教える神学書を読みふけっても、四旬節以外には、実際十字架の道行をほとんどしなかったことを告白しなければなりません。先輩神父が十字架の祈りを信心として毎日していても、あまり意味を感じなかったのです。ところが、あの悲惨な災害の場面を唖然として傍観していたわたしを救ってくれたのは、たまたま四旬節の義務で、十字架の道行に赴くことができたからでした。あの晩、直接に苦しみ叫ぶ人々の姿を目にし、その人たちのためにイエスによりすがるように祈りました。一留ごとに、生の現実の恐ろしい現場が目に浮かびます。一瞬のうちに命を、家族を、財産を、隣人を、村を、根こそぎに剥ぎ取られた人々の無念を想い、残された家族の嘆きと喪失に同伴しました。十字架の道行は、その日から信心ではなく、リアリティのある苦しみの連帯となりました。あの日から、わたしの毎日の祈りとなりました。」
「十字架の道行」は、地上で過ごされたイエスのご生涯の最後の様子を思い起こし、救いの業を成し遂げられるまでの道のりに同伴する祈りです。「神はその独り子を与えるほど世を愛された(ヨハネ3・16a)」御父のみ旨に従い、ご自身を死に渡された御子イエスの強い意思をあらわす道のりです。「御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(ヨハネ3・16b)」との約束を成就するために赴かれた主の受難と死を思い起こす祈りです。ミサの奉献文の中では、「主イエスの死と復活の記念を行い」(第二奉献文)と簡潔に言及されるにすぎませんが、ミサの本質的な部分は、その直後に続くイエスの汚れないいけにえ、つまり十字架の犠牲であり、そのいけにえにあわせてささげる教会のいけにえ(祈りと犠牲)です。そのいけにえの姿はありありと「十字架の道行」の中に記念されているのです。
伝統的に十字架の道行の祈りは主イエスとの深い祈りに導かれます。
教皇儀典室からの文章を引用すると
「イエスのご生涯は聖霊によって導かれた歩みです。・・・イエスの一歩一歩は、救いのご計画の完全な実現に近づく一瞬一瞬なのです。つまり、普遍的なゆるしの時(ルカ23・34)、枯れることのない恵みの泉である心臓の開かれた時(ヨハネ19・34)、真の過越の子羊が一本の骨も折られずに屠られた時(ヨハネ19・36)、み母をたまわった時(ヨハネ19・26、27)、そして聖霊の時(マタイ27・50)です。イエスの苦しみの一つ一つは、人類にとって将来の喜びの種であり、また、辱めの一つ一つは、栄光への序曲です。苦しみの道行の途上におけるイエスの、友との出会い、敵との出会い、無関心な者との出会いの一つ一つは、最後の教訓のチャンス、最後のまなざしの機会、和解と平和のための極みないささげものの最後の機会です。」(「十字架の道行の成り立ちについて」教皇儀典室、p3~4 引用参照 「ベネディクト16世 黙想と祈りによる十字架の道行」貝原敬子訳 女子パウロ会 所収 )
イエスの苦しみのみ姿は、わたしたちの救いのためにご自分の愛を現わし、御父の愛をあかしするためにいけにえとなられた姿です。その苦しみ、「メモリア・パシオニス (主のご受難の記憶)」を心に刻むことは、主観的、心理的なものではなく、ミサの奉献(イエスのいけにえ)と同じように、主の受難と死を思い起こすことによって、救いの出来事が現在化され、聖霊の恵みが溢れ出るのです。こうして、苦しむ人たちに同伴し共感する中で主イエスとの出会いがあります。「わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。(マタイ25章26節)」主イエスの受難の再現、現代の十字架の道行が今日も繰り返されていると言えるのではないでしょうか。したがって、百日共同祈願連続ミサのためにわたしは皆さまも十字架の道行をされることを勧めます。
主イエスの愛と恵みの内に
聖霊による刷新関西委員会 委員長 畠 基幸神父
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<百日連続ミサ 共同祈願の意向> (ハガキ 文面)
✙聖霊に満たされて、キリストのからだ、キリストの心となりますように!
先:主イエス・キリスト あなたを礼拝し、賛美します。
▼:あなたは、尊い十字架によって世をあがなってくださいました。
(各留1~14、毎日一つの留を取り上げて祈る)
意向:(各自の意向も加えてください)
(1)大地震と大津波による甚大な被害にあった人々のために
(2)放射能の汚染による被害にあった人々のために
(3)危険な場所で、救命、救援、支援するひとびとのために
(4)教会が救いの共同体としての使命を果たすことができますように
祈り:「主イエスよ、あなたは十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によってわたしたちはいやされました。」(Ⅰペトロ2・24 参照)聖霊の交わりの中で、あなたは父と共に支配しておられます。世々に至るまで。アーメン
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この百日の期間、聖霊による刷新司祭黙想会(5月29日~6月4日、宗像 福岡黙想の家)、短期合宿聖霊セミナー(6月13日~15日、売布 宝塚黙想の家)、第15回聖霊による刷新関西大会(8月27日~29日、尼崎 ニューアルカイックホテル)が予定されています。どうかこの意向のためにもお祈りください。