「心から主に語る」
夏休みは、毎年 何か宿題を承って、それをコツコツとやるようなライフ・スタイルです。3年前の夏は、ずいぶんとマカレア神父の聖体の前で祈る祈りの言葉に力をいれました。すでに山下さんが翻訳されていた原稿に手を入れはじめたのが、長い骨の折れる夏休みになったのです。2年前はルフス神父のイエスの本とミューレンの原稿を見直しました。昨年は、何をしたのか覚えていませんが・・・ずいぶん苦労していた思い出があります。だんだん記憶が薄くなるような気分です。どうなっていくのでしょう。
この本が日の目を見たのは、その後もう一度見直すような機会があって、これが最終的な本の形になりました。聖体におけるイエス様との出会いが深まるとよいと思います。あとがきを<続き>に入れました。興味があれば、読んでください。
この本は、第15回聖霊による刷新関西大会でお買い求めできます。
わたしの今年の夏休みは、クーラーを止めての節電の年ですから何もできないので、これまでの資料を整理しようと思います。教区・小教区関連の書類、修道会関連の書類、CCR関連の大会・セミナー関連の書類、そして自分の作成した書類などなど未整理の書類がたまっています。わたしの人生は、そんな未整理の書類の堆積に似ているように思います。
この本が日の目を見たのは、その後もう一度見直すような機会があって、これが最終的な本の形になりました。聖体におけるイエス様との出会いが深まるとよいと思います。あとがきを<続き>に入れました。興味があれば、読んでください。
この本は、第15回聖霊による刷新関西大会でお買い求めできます。
わたしの今年の夏休みは、クーラーを止めての節電の年ですから何もできないので、これまでの資料を整理しようと思います。教区・小教区関連の書類、修道会関連の書類、CCR関連の大会・セミナー関連の書類、そして自分の作成した書類などなど未整理の書類がたまっています。わたしの人生は、そんな未整理の書類の堆積に似ているように思います。
あとがき
著者のマカレア神父様には、2008年夏の聖霊による刷新関西大会で大会の講師として指導していただきました。もうすでに四年も経ちましたが、多くの参加者にとって、まだまだ記憶に新しく、もう一度来日して指導していただきたいという声もあります。マカレア神父様は背が高く体が大きいのですが、まったく威圧感がなく、おそばに近づくと、かえってやさしい眼差しに出会います。
この本は、神父様のその存在の深いところにあるイエスとの交わりの秘訣をご聖体とのかかわりにおいて、イエスとの<出会いと交わりに>に導く祈りを集めた小冊子です。その祈りの秘訣とは、「心から主に語る」というこのタイトルが、そのすべてを語っています。
ところで、聖体賛美式(聖体降福式=ベネディクション)は、聖体に現存される主イエスを礼拝し賛美する祈りです。今日、この素晴らしい聖体賛美式が行われなくなり、教会の典礼から失われているのは残念なことと思います。儀式書には、「ミサ後に聖体を保存するようになったのは、最後の糧としての聖体拝領のためで、二次的にミサ以外の聖体拝領と秘跡のうちに現存する主イエス・キリストに対する礼拝のためである。」と記され、また、「病人のために保存されたことから、聖堂に安置されている、天上の食物を礼拝するよい習慣が生まれた(儀式書「ミサ以外の聖体拝領と聖体拝領」N5・32ページ)と書かれています。同時に、「秘跡のなかに現存されるキリストを礼拝する時は、この現存がミサのいけにえに基づくものであり、秘跡的で同時に霊的交わり(聖体拝領)を目指していることを記憶すべきである」(同上、P88)と述べられています。
中世以降の聖体礼拝にミサとの関連が失われた聖体信心の過去の反省から、第二バチカン公会議後の典礼刷新では、上記のように聖体礼拝に対する歴史的な背景と神学的な位置づけが行われました。決して、聖体礼拝や聖体賛美式が否定されたわけではないのですが、現状は、主日のミサが中心になり、そして、ミサにあずかれない老人や病人のための聖体奉仕や司祭のいない共同体の集会祭儀による聖体拝領について力点が置かれるようになりました。反面、聖体礼拝や聖体賛美式に与ったことのない信者がいるということを見聞きしています。
わたしが小教区黙想会に招かれたときに、プログラムの中に「聖時間と聖体賛美式」をすると告げると、どんな年配の司祭が来るのかと思ったと教会役員が述懐されたこともあります。また、オステンソリウム(聖体顕示台)のない小教区も数多くありました。確かに、この現状に対して聖体礼拝や聖体賛美式の復興が望まれるところです。マカレア神父様の本は、聖体の前で祈る道しるべとなります。しかも、これは古くて新しいイエス中心の霊性の本です。
イエス中心の新しい秘跡の霊性の特徴は、「秘跡としてのイエス」に焦点が当てられています。それは、イエスの人性が神性の秘跡と見ることによって、より堅固に人性と神性は結びつけられ、イエスの人性においてまたそれを通して働く受肉した神に出会います。イエスは御子のペルソナにおいて二つの本性、人性と神性からなる受肉した神であり人であるという神秘は、御父と御子と聖霊との関係においても、わたしたちとの関係においても仲介者としての恵みをもたらす源泉秘跡と考えられます。こうして、すべての秘跡にはイエスとの人格的な出会いがあり、神の効果的な恵みをもたらすのです。そしてその中心に、秘跡中の秘跡である聖体において現存される復活された主イエスとの出会いがあります。
まさに、聖体におられるイエスに直接に語りかけることによって、イエスとの人格的な出会いと交わりに入ります。病気のいやしや罪のゆるし、慰めと力づけ、悪霊からの解放、あらゆる悪との戦いもイエスご自身に直接願うことほど大きな効果的恵みはありません。百の理論よりは、直接的な祈りの時間がもっとも必要なのです。マカレア神父の祈りを参考に、一日一時間、わたしたちの主イエス・キリストである彼との深いかかわりを温める時間を創ろうではありませんか。
2011年6月26日
キリストの聖体の祭日に
聖霊による刷新関西委員会委員長
畠 基幸 CP
著者のマカレア神父様には、2008年夏の聖霊による刷新関西大会で大会の講師として指導していただきました。もうすでに四年も経ちましたが、多くの参加者にとって、まだまだ記憶に新しく、もう一度来日して指導していただきたいという声もあります。マカレア神父様は背が高く体が大きいのですが、まったく威圧感がなく、おそばに近づくと、かえってやさしい眼差しに出会います。
この本は、神父様のその存在の深いところにあるイエスとの交わりの秘訣をご聖体とのかかわりにおいて、イエスとの<出会いと交わりに>に導く祈りを集めた小冊子です。その祈りの秘訣とは、「心から主に語る」というこのタイトルが、そのすべてを語っています。
ところで、聖体賛美式(聖体降福式=ベネディクション)は、聖体に現存される主イエスを礼拝し賛美する祈りです。今日、この素晴らしい聖体賛美式が行われなくなり、教会の典礼から失われているのは残念なことと思います。儀式書には、「ミサ後に聖体を保存するようになったのは、最後の糧としての聖体拝領のためで、二次的にミサ以外の聖体拝領と秘跡のうちに現存する主イエス・キリストに対する礼拝のためである。」と記され、また、「病人のために保存されたことから、聖堂に安置されている、天上の食物を礼拝するよい習慣が生まれた(儀式書「ミサ以外の聖体拝領と聖体拝領」N5・32ページ)と書かれています。同時に、「秘跡のなかに現存されるキリストを礼拝する時は、この現存がミサのいけにえに基づくものであり、秘跡的で同時に霊的交わり(聖体拝領)を目指していることを記憶すべきである」(同上、P88)と述べられています。
中世以降の聖体礼拝にミサとの関連が失われた聖体信心の過去の反省から、第二バチカン公会議後の典礼刷新では、上記のように聖体礼拝に対する歴史的な背景と神学的な位置づけが行われました。決して、聖体礼拝や聖体賛美式が否定されたわけではないのですが、現状は、主日のミサが中心になり、そして、ミサにあずかれない老人や病人のための聖体奉仕や司祭のいない共同体の集会祭儀による聖体拝領について力点が置かれるようになりました。反面、聖体礼拝や聖体賛美式に与ったことのない信者がいるということを見聞きしています。
わたしが小教区黙想会に招かれたときに、プログラムの中に「聖時間と聖体賛美式」をすると告げると、どんな年配の司祭が来るのかと思ったと教会役員が述懐されたこともあります。また、オステンソリウム(聖体顕示台)のない小教区も数多くありました。確かに、この現状に対して聖体礼拝や聖体賛美式の復興が望まれるところです。マカレア神父様の本は、聖体の前で祈る道しるべとなります。しかも、これは古くて新しいイエス中心の霊性の本です。
イエス中心の新しい秘跡の霊性の特徴は、「秘跡としてのイエス」に焦点が当てられています。それは、イエスの人性が神性の秘跡と見ることによって、より堅固に人性と神性は結びつけられ、イエスの人性においてまたそれを通して働く受肉した神に出会います。イエスは御子のペルソナにおいて二つの本性、人性と神性からなる受肉した神であり人であるという神秘は、御父と御子と聖霊との関係においても、わたしたちとの関係においても仲介者としての恵みをもたらす源泉秘跡と考えられます。こうして、すべての秘跡にはイエスとの人格的な出会いがあり、神の効果的な恵みをもたらすのです。そしてその中心に、秘跡中の秘跡である聖体において現存される復活された主イエスとの出会いがあります。
まさに、聖体におられるイエスに直接に語りかけることによって、イエスとの人格的な出会いと交わりに入ります。病気のいやしや罪のゆるし、慰めと力づけ、悪霊からの解放、あらゆる悪との戦いもイエスご自身に直接願うことほど大きな効果的恵みはありません。百の理論よりは、直接的な祈りの時間がもっとも必要なのです。マカレア神父の祈りを参考に、一日一時間、わたしたちの主イエス・キリストである彼との深いかかわりを温める時間を創ろうではありませんか。
2011年6月26日
キリストの聖体の祭日に
聖霊による刷新関西委員会委員長
畠 基幸 CP