第14回百日連続ミサ共同祈願への招き
第14回百日連続ミサ共同祈願への招き
兄弟姉妹の皆さまへ
✞主の平和
聖霊による刷新関西委員会
委員長 畠 基幸 神父
大型の台風12号が日本列島を直撃し、記録的な大雨で紀伊半島に大きな災害の傷跡を残し、多くの犠牲者を出しました。いまだ東日本大震災の傷が癒えぬままに、日本列島は新たな災害に見舞われました。今、この<時>のしるしに応え、私たちは、さらに心を合わせて共同祈願への取り組みを続けます。
先ず、報告ですが、前回、東日本大震災の被災者のための意向で、百日間、十字架の道行とミサで毎日皆さまの意向を祈り続けた第13回百日連続ミサ共同祈願には、725名の参加者がありました。参加者の人数は減少しましたが、十字架の道行を同伴して下さった方々に感謝を申し上げます。十字架の道行は、時間のかかる祈りです。でも、苦しむ人を面前に思い起こしながら、祈るとき、苦しみに同伴されるイエスの力と命がその人々の苦しみに現存され、励ましておられることを感じます。皆さまも、同じように感じておられるのではないでしょうか?私は、この被災者のための十字架の道行の祈りをこれからも継続して祈り続けていく決意です。
最終日となった8月28日は、聖霊による刷新関西大会の二日目にあたり、大会に参加した350名と共に感謝のミサを捧げ、皆さまからの100日祈願の意向を奉納しました。
この日の主日のミサの朗読箇所(マタイ16章21節~27節)は、十字架の道行を毎日捧げてきた私たちにとって預言的な励ましとなりました。
もう一度、その箇所を見てみましょう。すなわち、この箇所の直前では、ペトロは天の父から照らされて「あなたはメシア、生ける神の子」と告白し祝福されましたが、その直後、イエスがエルサレムで多くの苦しみを受け殺され三日目に復活すると弟子に打ち明けられると、ペトロは、「そんなことはあってはならない」といさめ始めたので、イエスから「サタン、引き下がれ」と叱責されます。「あなたはわたしの邪魔をする者、神のことを思わず、人間のことを思っている」とイエスは、ペトロが神の計画を知らず人間的なメシア像に陥っていることを指摘されました。そして、弟子たちに「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタイ16章24節)と告げ、弟子の本来の姿を、この簡潔な言葉で示されました。私なりに咀嚼すれば、自分にとらわれず自分を目的としないで、自分の十字架を口実にして自分に限界を設けてしまわないで、第一にイエスに従う。イエスが十字架の受難と死を受けることを覚悟してエルサレムへ赴かれたように、わたしたちもまた、他者の命のために主イエスに自らを委ね、主と一つになって現在の目の前にある他者の十字架に同伴することではないかと・・・。
この「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」との言葉は、わたしたちが、本来の弟子の姿、キリスト者の本来の生き様に立ち返るように呼びかけています。そして、それは預言的な呼びかけ、つまり神からの呼びかけとして受けとめていかなければならないと思います。それは、わたしたちが一つの群れとしてキリストに結ばれ、全キリストとして執り成しの祈りをする預言的促しの呼びかけであると確信しました。
(続く)
第14回百日連続ミサ共同祈願PDF版
奉納用はがきPDF版
兄弟姉妹の皆さまへ
✞主の平和
聖霊による刷新関西委員会
委員長 畠 基幸 神父
大型の台風12号が日本列島を直撃し、記録的な大雨で紀伊半島に大きな災害の傷跡を残し、多くの犠牲者を出しました。いまだ東日本大震災の傷が癒えぬままに、日本列島は新たな災害に見舞われました。今、この<時>のしるしに応え、私たちは、さらに心を合わせて共同祈願への取り組みを続けます。
先ず、報告ですが、前回、東日本大震災の被災者のための意向で、百日間、十字架の道行とミサで毎日皆さまの意向を祈り続けた第13回百日連続ミサ共同祈願には、725名の参加者がありました。参加者の人数は減少しましたが、十字架の道行を同伴して下さった方々に感謝を申し上げます。十字架の道行は、時間のかかる祈りです。でも、苦しむ人を面前に思い起こしながら、祈るとき、苦しみに同伴されるイエスの力と命がその人々の苦しみに現存され、励ましておられることを感じます。皆さまも、同じように感じておられるのではないでしょうか?私は、この被災者のための十字架の道行の祈りをこれからも継続して祈り続けていく決意です。
最終日となった8月28日は、聖霊による刷新関西大会の二日目にあたり、大会に参加した350名と共に感謝のミサを捧げ、皆さまからの100日祈願の意向を奉納しました。
この日の主日のミサの朗読箇所(マタイ16章21節~27節)は、十字架の道行を毎日捧げてきた私たちにとって預言的な励ましとなりました。
もう一度、その箇所を見てみましょう。すなわち、この箇所の直前では、ペトロは天の父から照らされて「あなたはメシア、生ける神の子」と告白し祝福されましたが、その直後、イエスがエルサレムで多くの苦しみを受け殺され三日目に復活すると弟子に打ち明けられると、ペトロは、「そんなことはあってはならない」といさめ始めたので、イエスから「サタン、引き下がれ」と叱責されます。「あなたはわたしの邪魔をする者、神のことを思わず、人間のことを思っている」とイエスは、ペトロが神の計画を知らず人間的なメシア像に陥っていることを指摘されました。そして、弟子たちに「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタイ16章24節)と告げ、弟子の本来の姿を、この簡潔な言葉で示されました。私なりに咀嚼すれば、自分にとらわれず自分を目的としないで、自分の十字架を口実にして自分に限界を設けてしまわないで、第一にイエスに従う。イエスが十字架の受難と死を受けることを覚悟してエルサレムへ赴かれたように、わたしたちもまた、他者の命のために主イエスに自らを委ね、主と一つになって現在の目の前にある他者の十字架に同伴することではないかと・・・。
この「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」との言葉は、わたしたちが、本来の弟子の姿、キリスト者の本来の生き様に立ち返るように呼びかけています。そして、それは預言的な呼びかけ、つまり神からの呼びかけとして受けとめていかなければならないと思います。それは、わたしたちが一つの群れとしてキリストに結ばれ、全キリストとして執り成しの祈りをする預言的促しの呼びかけであると確信しました。
(続く)
第14回百日連続ミサ共同祈願PDF版
奉納用はがきPDF版
さて、「執り成しの祈り」については、第15回聖霊による刷新関西大会にインドからシリル・ジョン氏を講師として迎え、インドでの執り成しの祈りの実績をもとに、その祈りの力強い奉仕の役割を解き明かしていただきました。熱心に、しつように友のためにパンを求めたたとえ話のように、自分のためでなく、必要な賜物に事欠く友のために祈り続ける代願者となることを解き明かされました。そして、ご自身の最もつらい体験を分かち合ってくださいました。それは愛する妻が肺がんで亡くなるという体験です。あらゆる祈りや治療にも関わらず幼い子供たちを残して亡くなるその事実を受け入れられなかったのですが、妻は死を受け入れシリルさんの腕の中で安らかに亡くなりした。不思議なことに、妻が亡くなったあと、その悲しみが取り去られたのです。「あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録に、それが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。(詩篇56・9)」シリルさんは、妻の死を神にゆだね、神に文句を言わずに受け入れたその時から神の祝福に恵まれたのです。信仰の危機は恵みの泉となりました。シリルさんは、インドの教会全体に執り成しの祈りの運動を展開し、聖霊による刷新の発展に大きな貢献をしました。その背後に、自分の命をかけてシリルさんのために執り成した奥さんの執り成しの祈りがありました。
全国委員会と全国奉仕者の合同会議では、わたしたちが見過ごしてきた執り成しの祈りの大切さを認識して、この執り成しの祈りを推進することを申し合わせました。シリルさんの執り成しの記事の翻訳と講話のテープ起こしとそして執り成しの養成プログラムを立ち上げることを具体化することになりました。これは、まさに大会のテーマ、「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。(ルカ5・5)」に相応しい形で、私たちは網を再び降ろすことになりました。
わたし自身は、大会の直前に、聖霊の促しを感じて、日本中の祈り会に連絡を取り、祈りのネットワーク、祈りの輪の連帯を呼びかけました。ファックスのアンケートに56箇所の祈り会が応えてくれました。 二人、三人のグループから数十名のグループまで全国に広がっています。四国各県や福島・群馬・栃木など祈りのグループがない県もあります。また、13回の百日共同祈願を行って、これまでに一度でも参加されたハガキの登録住所は1040名になりました。住所を把握していない人も含めれば、総数は1200名を超えています。その中で、一人か誰も共同祈願に参加していない県や地域があることも分かりました。アンケートの返事は、貴重な宝物で、これからの活動に大きな助けとなるように思います。アンケートに答えてくださった代表者の皆さまありがとうございました。
ところで、百日共同祈願は、まさに執り成しの祈りです。ミサの中で、日本語で「共同祈願」という箇所は、英語で ” Intercessions” と書きます。これは嘆願あるいは執り成し(代願)の意味です。日本語の「共同祈願」では、この「執り成し」の意味のニュアンスをくみ取りにくいかもしれません。ミサ全体において、大祭司キリストの執り成し(代願)の祈りに私たちが与っているので、百日共同祈願を始めた時、百日連続ミサ共同祈願と書いて、皆さまに呼びかけました。皆さまから委託されたすべての願いは、イエス・キリストの手を通して奉げるいけにえとなるように祈ります。
「ミサでは、パンとぶどう酒の供え物を準備する時、自分自身を準備し、父なる神に願います。供え物を準備するとは、供え物である自分自身と祭壇(キリストの体)という「献げ物のシンボル」を同一化することです。これは、私たちの存在を、父なる神へ、主イエスキリストを通して、イエス・キリストとともに、イエスキリストのうちに献げ物として「上げる」プロセスです。(〔聖餐と愛餐〕ロバート・フェイビング著石井朝子訳 p76~78引用と参照箇所)」
引用した部分は分かりにくいかもしれませんが、具体的には、司祭が、「皆さん、このささげものを、全能の神である父が受け入れてくださるように祈りましょう。」と会衆に呼びかけるのは、その供え物に注意を向けて、神の前に差し出そうとするわたしたちの要求に心をあわせるためです。そして、会衆は、奉納祈願が唱えられる前に、呼びかけに応えて、「神の栄光と賛美のため、また全教会と私たち自身のために、司祭の手を通しておささげするいけにえをお受けください。」と祈ります。日本の教会では沈黙で唱えるように勧めてきたので、いつのまにかこの応答を忘れてしまったかもしれません。しかし、これは執り成しの祈りの点から言えば重要なポイントです。
献げ物と私たちを同一化するプロセスの中で、わたしたちはキリストの祈りに結ばれます。典礼は、全キリスト(Totus Christus )の行為です。唯一の祭司キリスト、頭であるキリストに結ばれて一つの体となった全共同体が行うものです。8月28日のミサの時、この全キリスト(Totus Christus ) の言葉が何度もわたしの脳裏に浮かびました。この言葉は、聖アウグスティヌスの教会論のなかで使われるキーとなる概念です。そして、福者ヨハネ・パウロ二世は、ご自身の教皇職のモットーとして、Totus Tuus (すべてをあなたに) という言葉で、わたしのすべてをあなたにという奉献の意味を与えました。ご自分の生涯をキリストに、教会に、そして出会う人々に与えることを誓われたのでした。
それでは、わたしたちもまた心を合わせて一人のキリスト、全キリストとして執り成しの祈りをささげましょう。
第14回目の百日共同祈願は、9月15日(木)悲しみの聖母の祝日から12月23日の100日間をささげることにします。祈りの形式はどのようなものでも結構です。
第14回百日連続ミサ共同祈願の奉献
~ Totus Christus, Totus Tuus ~
✙聖霊、来てください。信じる者の心を愛の火で燃え立たせてください。
(十字架の道行の祈り あるいはロザリオの祈りをささげる。)
聖母よ、十字架につけられた御子の苦しみを私の心に刻んでください。
共同の意向:
(1)聖霊の豊かな注ぎにより、共同祈願の参加者の上に毎日が聖霊降臨の恵み、新しい霊の命に満たされますように。
(2)執り成しの祈りの連帯の輪が生まれ、現代の神への渇きを祈りで支えることができるように 一人ひとりに聖霊の賜物をお与えください。
(3)目に見えない放射能汚染の脅威が一日も早く収束し、将来に対する希望を持つことができるように、主イエスの霊、聖霊よ、あなたの助けをお願います。
(4)首相および政府関係者、また教会の指導者など責任のある立場の人が東日本大地震の被災者のために誠実にその任務と指導力を果たすことができますように。
(5)ご自分の執り成しの意向をささげてください。
結び: 神の栄光と賛美のため、また全教会と私たち自身のために、司祭の手をとおし
ておささげするいけにえをお受け下さい。
キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに、
聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに
すべての誉れと栄光は 世々に至るまで。 アーメン。
奉納者 (霊名:氏名)______________________
全国委員会と全国奉仕者の合同会議では、わたしたちが見過ごしてきた執り成しの祈りの大切さを認識して、この執り成しの祈りを推進することを申し合わせました。シリルさんの執り成しの記事の翻訳と講話のテープ起こしとそして執り成しの養成プログラムを立ち上げることを具体化することになりました。これは、まさに大会のテーマ、「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。(ルカ5・5)」に相応しい形で、私たちは網を再び降ろすことになりました。
わたし自身は、大会の直前に、聖霊の促しを感じて、日本中の祈り会に連絡を取り、祈りのネットワーク、祈りの輪の連帯を呼びかけました。ファックスのアンケートに56箇所の祈り会が応えてくれました。 二人、三人のグループから数十名のグループまで全国に広がっています。四国各県や福島・群馬・栃木など祈りのグループがない県もあります。また、13回の百日共同祈願を行って、これまでに一度でも参加されたハガキの登録住所は1040名になりました。住所を把握していない人も含めれば、総数は1200名を超えています。その中で、一人か誰も共同祈願に参加していない県や地域があることも分かりました。アンケートの返事は、貴重な宝物で、これからの活動に大きな助けとなるように思います。アンケートに答えてくださった代表者の皆さまありがとうございました。
ところで、百日共同祈願は、まさに執り成しの祈りです。ミサの中で、日本語で「共同祈願」という箇所は、英語で ” Intercessions” と書きます。これは嘆願あるいは執り成し(代願)の意味です。日本語の「共同祈願」では、この「執り成し」の意味のニュアンスをくみ取りにくいかもしれません。ミサ全体において、大祭司キリストの執り成し(代願)の祈りに私たちが与っているので、百日共同祈願を始めた時、百日連続ミサ共同祈願と書いて、皆さまに呼びかけました。皆さまから委託されたすべての願いは、イエス・キリストの手を通して奉げるいけにえとなるように祈ります。
「ミサでは、パンとぶどう酒の供え物を準備する時、自分自身を準備し、父なる神に願います。供え物を準備するとは、供え物である自分自身と祭壇(キリストの体)という「献げ物のシンボル」を同一化することです。これは、私たちの存在を、父なる神へ、主イエスキリストを通して、イエス・キリストとともに、イエスキリストのうちに献げ物として「上げる」プロセスです。(〔聖餐と愛餐〕ロバート・フェイビング著石井朝子訳 p76~78引用と参照箇所)」
引用した部分は分かりにくいかもしれませんが、具体的には、司祭が、「皆さん、このささげものを、全能の神である父が受け入れてくださるように祈りましょう。」と会衆に呼びかけるのは、その供え物に注意を向けて、神の前に差し出そうとするわたしたちの要求に心をあわせるためです。そして、会衆は、奉納祈願が唱えられる前に、呼びかけに応えて、「神の栄光と賛美のため、また全教会と私たち自身のために、司祭の手を通しておささげするいけにえをお受けください。」と祈ります。日本の教会では沈黙で唱えるように勧めてきたので、いつのまにかこの応答を忘れてしまったかもしれません。しかし、これは執り成しの祈りの点から言えば重要なポイントです。
献げ物と私たちを同一化するプロセスの中で、わたしたちはキリストの祈りに結ばれます。典礼は、全キリスト(Totus Christus )の行為です。唯一の祭司キリスト、頭であるキリストに結ばれて一つの体となった全共同体が行うものです。8月28日のミサの時、この全キリスト(Totus Christus ) の言葉が何度もわたしの脳裏に浮かびました。この言葉は、聖アウグスティヌスの教会論のなかで使われるキーとなる概念です。そして、福者ヨハネ・パウロ二世は、ご自身の教皇職のモットーとして、Totus Tuus (すべてをあなたに) という言葉で、わたしのすべてをあなたにという奉献の意味を与えました。ご自分の生涯をキリストに、教会に、そして出会う人々に与えることを誓われたのでした。
それでは、わたしたちもまた心を合わせて一人のキリスト、全キリストとして執り成しの祈りをささげましょう。
第14回目の百日共同祈願は、9月15日(木)悲しみの聖母の祝日から12月23日の100日間をささげることにします。祈りの形式はどのようなものでも結構です。
第14回百日連続ミサ共同祈願の奉献
~ Totus Christus, Totus Tuus ~
✙聖霊、来てください。信じる者の心を愛の火で燃え立たせてください。
(十字架の道行の祈り あるいはロザリオの祈りをささげる。)
聖母よ、十字架につけられた御子の苦しみを私の心に刻んでください。
共同の意向:
(1)聖霊の豊かな注ぎにより、共同祈願の参加者の上に毎日が聖霊降臨の恵み、新しい霊の命に満たされますように。
(2)執り成しの祈りの連帯の輪が生まれ、現代の神への渇きを祈りで支えることができるように 一人ひとりに聖霊の賜物をお与えください。
(3)目に見えない放射能汚染の脅威が一日も早く収束し、将来に対する希望を持つことができるように、主イエスの霊、聖霊よ、あなたの助けをお願います。
(4)首相および政府関係者、また教会の指導者など責任のある立場の人が東日本大地震の被災者のために誠実にその任務と指導力を果たすことができますように。
(5)ご自分の執り成しの意向をささげてください。
結び: 神の栄光と賛美のため、また全教会と私たち自身のために、司祭の手をとおし
ておささげするいけにえをお受け下さい。
キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに、
聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに
すべての誉れと栄光は 世々に至るまで。 アーメン。
奉納者 (霊名:氏名)______________________