信仰の年
今年は、第二バチカン公会議開催から数えて50周年を迎えます。(1962年~2012年)教皇様は、「信仰の年」を宣言されました。今年の新年、神の母聖マリアの祭日のメッセージ「平和の日」は、若者たちへの平和と正義の教育に心を尽くすことを訴えておられました。中でも、教育につていの箇所や相対主義に対する警戒は一読に値する内容だと思います。この二つのメッセージや最近の教皇の言動を振り返ると、激動する現代世界に、信者も大いに影響を受けて信仰生活や家庭生活の危機に直面しており、教会の土台である信仰そのものを堅固にする必要性と、さらには基本的な人権すら侵されている現代社会の在り方そのものに対して教会は発言しなければならないという強い決意がみられます。そのためには、キリスト信者一人ひとりが信仰の恵みを確認し、どうしても信仰を無にする生き方や考え方の根強い力(古代の悪霊や悪に象徴されるような)暗闇の勢力をはっきりと拒絶してその毒を飲まないように、かえって解毒剤のようにみことばに聞き従い神の民としてあかしする生き方ができるように、つまり悪霊を追い出し、病人をいやして神の国の家族、愛の文明を築くことになるというストーリーをはっきりと思い描いて信仰の旅を続ける必要があるということなのです。神の国(天国)は、死者の国ではなく、生きている者の国なのです。主イエス(神)は生きておられるからです。
そのために、わたしたちの小教区の個々の計画も進めていくようにしたいと思います。
今年の目標は、神の国のあかしとは何か?を問い続けましょう。
あなた自身 人生物語 (わたしとわたしの家族)
a)誕生と成長
b)出会い(洗礼+職業+結婚+家庭+教会)
c)困難 (病気、失業、誘惑、人生の危機)
d)終末 (別れ、離別、喪失 死、葬式)
日本の教会 共同体の物語(教会と仲間の信仰の旅)
a)キリシタンの殉教
b)近代日本と先人の聖なる歩み
c)戦後の発展と信仰の空洞化
d)日本の教会の自己認識(NICE)
e)さらなる自己探求の旅へ(震災後)
神の民 正典物語
a)イスラエルの歴史
b)イエスと十二使徒
c)初代教会の歴史
上記の人生物語、共同体の物語、正典物語は物語を通して現実を神の創造と救いの場として理解する枠組みです。高槻教会のアデリノ神父様の物語についての理解の枠組みから学びました。6月1日の合同黙想会でも取り上げられた話題ではないかと思います。私たちの置かれた歴史的な現状は、過去と切り離すことのできない一連の出来事からなっています。被爆と敗戦、二つの被曝経験と二つの震災経験、戦後日本の経済的復興と震災復興計画、経済大国とグローバル化、市場経済と市場社会の今、個人情報の法律ができてから、一層個人は社会に埋没し、「無縁社会」で象徴されるように個人が集団から浮遊して格差社会が現出し、「村や家」の意識が薄れ、隣近所との交流も希薄になって、犯罪被害や事故に遭遇する機会が増えています。個人が組織の恣意的な操作にさらされ人権が危うくなっている。日本の社会はこれからどうなるのか? -すべて金に依存するという意識の転落の歴史から救いの歴史への転換とは?このような問いは誰にに評論的な他人事になる危険がありますが、個人の人生物語を通して実存的なアプローチができ、しかも神学的な観点から現代の日本を考えることが教会にとっては重要なことと思えるのです。救いを求めている現実への洞察です。)
解説:
大阪教区の5つの教会像(ビジョン)も神の国のあかしをどう実現するかを言葉化したものです。神の国の実現という目的からすれば、手段であり、実現の場でもあります。
したがって、神の国のイエスのビジョンそのものを共有し、そこからそれぞれが担う責任のことも話し合うことになるでしょう。
「神の国のあかし」と言えば、教会の創立目的、キリストのわざの継続ー福音宣教ーを絶えず念頭に置きながら、方法、手段を考えなければならないと思います。また、方法・手段は、目的にふさわしいものを選ぶことが当事者には求められています。教会は、目的にふさわしい手段としてキリストによって制定されたものです。第二バチカン公会議の教会憲章では、ここのところを「救いの道具、秘跡」としてとらえています。目に見えるしるし(出来事、しるし、象徴)をとおして、三位一体の交わりである神の計画の実現(神の国)のために教会は立てられ、世にあって救いのわざ(神の国)を継続し宣べ言たえるのであると自己理解しています。神のご計画は、この世界、被造物、そしてわたしたち人類が永遠の神の命の交わりに入ることであります。この手段として、みことばと聖霊が神の手として派遣されているのです。神の国は、(アウトバジレア)イエスご自身をさすとと同時にイエスの共同体(12使徒)の継続としてのキリスト者の共同体の愛の交わりにおいて始まり、完成に至るというものです。それは新しい天と地の現れるときでしょう。しかし、終末的なしるしとして諸聖人や修道者の群れが預言者のように神の現存と神の愛の支配の始まりを告げています。
そのために、わたしたちの小教区の個々の計画も進めていくようにしたいと思います。
今年の目標は、神の国のあかしとは何か?を問い続けましょう。
あなた自身 人生物語 (わたしとわたしの家族)
a)誕生と成長
b)出会い(洗礼+職業+結婚+家庭+教会)
c)困難 (病気、失業、誘惑、人生の危機)
d)終末 (別れ、離別、喪失 死、葬式)
日本の教会 共同体の物語(教会と仲間の信仰の旅)
a)キリシタンの殉教
b)近代日本と先人の聖なる歩み
c)戦後の発展と信仰の空洞化
d)日本の教会の自己認識(NICE)
e)さらなる自己探求の旅へ(震災後)
神の民 正典物語
a)イスラエルの歴史
b)イエスと十二使徒
c)初代教会の歴史
上記の人生物語、共同体の物語、正典物語は物語を通して現実を神の創造と救いの場として理解する枠組みです。高槻教会のアデリノ神父様の物語についての理解の枠組みから学びました。6月1日の合同黙想会でも取り上げられた話題ではないかと思います。私たちの置かれた歴史的な現状は、過去と切り離すことのできない一連の出来事からなっています。被爆と敗戦、二つの被曝経験と二つの震災経験、戦後日本の経済的復興と震災復興計画、経済大国とグローバル化、市場経済と市場社会の今、個人情報の法律ができてから、一層個人は社会に埋没し、「無縁社会」で象徴されるように個人が集団から浮遊して格差社会が現出し、「村や家」の意識が薄れ、隣近所との交流も希薄になって、犯罪被害や事故に遭遇する機会が増えています。個人が組織の恣意的な操作にさらされ人権が危うくなっている。日本の社会はこれからどうなるのか? -すべて金に依存するという意識の転落の歴史から救いの歴史への転換とは?このような問いは誰にに評論的な他人事になる危険がありますが、個人の人生物語を通して実存的なアプローチができ、しかも神学的な観点から現代の日本を考えることが教会にとっては重要なことと思えるのです。救いを求めている現実への洞察です。)
解説:
大阪教区の5つの教会像(ビジョン)も神の国のあかしをどう実現するかを言葉化したものです。神の国の実現という目的からすれば、手段であり、実現の場でもあります。
したがって、神の国のイエスのビジョンそのものを共有し、そこからそれぞれが担う責任のことも話し合うことになるでしょう。
「神の国のあかし」と言えば、教会の創立目的、キリストのわざの継続ー福音宣教ーを絶えず念頭に置きながら、方法、手段を考えなければならないと思います。また、方法・手段は、目的にふさわしいものを選ぶことが当事者には求められています。教会は、目的にふさわしい手段としてキリストによって制定されたものです。第二バチカン公会議の教会憲章では、ここのところを「救いの道具、秘跡」としてとらえています。目に見えるしるし(出来事、しるし、象徴)をとおして、三位一体の交わりである神の計画の実現(神の国)のために教会は立てられ、世にあって救いのわざ(神の国)を継続し宣べ言たえるのであると自己理解しています。神のご計画は、この世界、被造物、そしてわたしたち人類が永遠の神の命の交わりに入ることであります。この手段として、みことばと聖霊が神の手として派遣されているのです。神の国は、(アウトバジレア)イエスご自身をさすとと同時にイエスの共同体(12使徒)の継続としてのキリスト者の共同体の愛の交わりにおいて始まり、完成に至るというものです。それは新しい天と地の現れるときでしょう。しかし、終末的なしるしとして諸聖人や修道者の群れが預言者のように神の現存と神の愛の支配の始まりを告げています。