マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 合同黙想会 10月31日

池田・日生中央教会

 テーマ:『社会と福音 - 釜ヶ崎でのキリストどの出会い』

 講師  釜ヶ崎のシスターマリア

 場所  宝塚黙想の家
 
 日時  10月31日(金) 10時から16時

 ミサ 及び ゆるしの秘跡
  畠 神父 山内神父  ウォード神父

黙想会風景:
photo02シスターマリアを囲んでphoto03
講話(要旨)
 紹介
 シスターマリアは来日49年目、聖母被昇天修道会に入会のきっかけはイエズス会総長のアルペ神父が日本での被爆体験の話をスペインの故郷の母校被昇天学園で聞いた時から日本への宣教を志の熱意に満たされたときから・・・日本語の勉強を終えた後5年間くらい学校で教えた後、さまざまな社会活動に専念しました。西成には、修道院があり、被昇天会の修道院 6名いて学校で働くシスターもいます。私ひとりがかかわっているのではなく、修道会としてそこにかかわっています。
シスターの話
もうそろそろ10数年、暁光会にかかわっています。日本に来たのは49年前、母校は聖母被昇天の学校、日本にきたきっかけは、イエス会のアルペ神父さんが広島の被爆体験の話をしたので、子供のころかキリストを知ることができた幸せ、信仰を伝えたいという願いがあり、つたない日本語で子どもたちに信仰を伝えたいと考えた。

 日本に来てから、福音宣教とは何か キリストとは何か? 釜ヶ崎の体験でずいぶんと考えが変わりました。

 一つのきっかけ
 20年前 一人の日雇いの人との出会いです。その方は、家族持ちの日雇いで、わたしに「マリア新聞を読んだか? 工事現場で二人の外国人が生き埋めになった。現場で働く人たちが事故で亡くなった。それで、作業服を着ているのでそのまま仕事現場を見たのだが、それが事故がないようにしていなかった。工事のミスでなくなったことがわかった。・・・ もう一遍みてみる。市の仕事で下請け会社でしている。 市も業者もお互いに責任をとらないで・・・ 話しに行く(交渉にいった)」その結果、二人のための保証金が出たが、その話で、彼自身自分も日雇いで、交渉のため、その日の仕事の賃金が入らない。その数日のため、何人かで行く。彼らは亡くなった家族のことを思って一生懸命なのに、そのことを見てもわたしは動かなかった。わたしはキリストのこと、福音宣教のこと、善きサマリア人の話をしていたが 彼らは自分の生活費を削って、その人のためにはたらく。 誰も何もしてくれないから彼らが代わりにしていた。わたしにとって彼らは、キリストの生き方をしている。実行している。

聖書の言っていることが何なのか? 

ルカのたとえ話、善きサマリア人の話が当てはまる。(ルカ10章25節~37節)本田哲郎神父の翻訳聖書を使う。

永遠の命をいただけるのか? わなをかける、試そうとして 永遠の命がは自分と同じように人を愛する。それを実行するなら生きることになる。
隣人とは誰ですか?

エルサレムの神殿は、神が大切にされている民、サマリア人の神殿とちがう。しかしサマリア人は、はらわた動かされて 自分を省みないで 助けにいった。あなたもいって同じようにしなさい。 行って同じ事をしなさい。そして永遠の命を得るでしょう。・・・ 

わたしは、なんども祈った。 だれも手を出さない人、助けをしない人、生き方を教えてくれたのは あのサマリア人だった。

幼稚園のお母さんたちに教えていた。
 自分が当たり前のこととして話をしていた。自分のことを伝える、知識を知るとは何か? 神のことを知ろうとしたら、唯一の学び方はキリストが教えて下さる。「全能の神」私たちは、神の名を自分のイメージに作る。重ねる。福音のイエススをみて、これは神なのだ。イエスがヨハネの福音書で、いまだかつて神を見たものはいない。神を明らかに示したのである。わたしを見たものは父をみたのである。キリストは神が何を望んでいるのかの目に見える姿。神を知るにはキリストを知るしかない。キリストの中心は何であったのか? どんな思いでなさったのか?
  
ルカ福音 故郷ナザレトでの宣教のはじめに、4章 イザや書を朗読された。 
らい病 病気がうつるだけでなく神の祝福がないしるしだった。当時それは、穢れだった。しかしイエスは、その人のところへ近づき手当てをした。キリストのはらわたが動かされて、ほとんどイエスがなさったこと・・・病気 健康 神の祝福
 そうでない場合は、罪があったからと考えても、聖書には一つもsのような言質はない。人間からも神からも見捨てられていた人たちに神ははらわたが動かされる。病人の人たちが受け入れられる。

当時は、お金がない人、法律が守れない人は、神殿から除外阻害される。ユダヤ人は、神に教えていた。 祭司は、神の愛されることになると・・・キリストはユダヤ人として生きた。しかし、掟に対するキリストの態度は、掟にしばられる生き方ではない。掟の重点はそれではない。 安息日(土曜日)に手をだして病気を治した。「律法は何と書いているか?」「善、生きること」の法だ!

 イエスが噛み砕いて教えて下さったことは、なによりも人、除外されている人、生きるように、豊かにあたえられるように。たとえ最終的に殺されることになったのは、社会が成り立っていた秩序をひっくり返したので 除外されたためで、みなのために良いこととをしたために命を狙われたのです。。。」

 イエスは、主の祈りを教えて下さるように・・・ 「み国が来ますように」 神の名は、その人の本質、お父さん あなたの名、父(アッバ) お父さんの恵み 神の国 王様 権力 神の国 天国
父の計画が実現しますように・・・ 幸せに生きますように ・・・ 
 キリストのすべての人が苦しみは、人のエゴイズムから来る苦しみが多い。神が人が苦しむことを望んでいない、考えていない。苦しんでいるときは、ともに苦しんで下さる。苦しみを甘んじて受けるだけ ???  キリストは苦しみを取り除くために働く。そのことが、福音宣教の中心ではないか?
 幸せ、すべての人がしあわせに生きられるように実行することは神のみ旨ではないか?
 日雇い労働者、神の国を実現することはキリスト者だけでない。人間らしい社会になっていくことに働くことは、すべての人の義務。

 釜ヶ崎での最近の裁判闘争にかかわるようになりました。: 
 2006年 大阪城公園で7~8人のテント生活者が追い出された。彼らは好き勝手にいるのではなく、そこで、その場で生活している。  行政が用意する自立センターは、自分から就職活動して就職すると 出なければ成らない・・ 20人部屋、二段ベッドでプライバシーがない。 行政の代執行。(追い出す)裁判所の手続き

 追い出された人が裁判を行った。1100人  10人を追い出す・・・ いくところがない。50~60にの支援者、 持っていたものをごみにして 職員・・・ 恥ずかしい 市民からの苦情、犬を散歩させている。「怖い」 市民からの苦情は人権のことを考えていない。
 職員は、「ただ 野宿者です そこにいる人は」上から命令で排除した。
 
 次の裁判 若いときで 社会がよくできないので ベンチ  ベニアイタ8枚 何ヶ月働いて こつこつ働いていた 作り上げた 情けない。 こういう人たちの 一般の人たちの態度 弁護士 応援してきている 若者の一人 勝手じゃないから 生きるのは当然なのだ。 
 裁判に与りながら、キリスト神の国と関係がある。キリストは、神の国が神の思いをお祈りなさる。
 毎日の朝晩の祈り、詩篇での神の祈り。その祈りは、神は正義のみ業をおこない 虐げる人を神が守られる。修道院で習慣的に唱えていること ・・・それが裁判で一つになる。

 弁護士 神のもう一つの裁判 
 川崎 抗議行動  騒動? 発端になった理由は、6月業者捕まったので 取調べのとき暴行をされた。 警察が謝るところが 意思表現を聞いてくれない。 虐待されたことを警察には6人の弁護士、2人の弁護士  訴えたこと 命の引き換えで亡くなった 6年生で働き、刑務所に行ったことがある。同じ刑務所にいた人が警察に殴られたというとき、笑っていた。そんなことは信じられなかったから。 しかし自分が体験したのでわかった。釜ヶ崎の人に繰り返されるのならば、悪が広かがる。権力者が自分の都合で人に暴力をふるう。キリストが命がけで権力と渡り合った。あのように言わなかったら殺されなかった。弱弱しい労働者がどこから力を受けるのか?
 お祈りのときに、イエスと会話して 祈りと生活はわかれない、離れない。 釜が崎にいって 神の思いは何かを見せていただきました

 自分にとって イエスは誰か?
 あなたたちにとって キリストは誰なのか? いま 毎日の生活の中で、キリスト者であることはどんな意味をもっているのか?
 こんなことをしてはいけない・・・ 自分の生活に神と関係ないことは何もない。神はこうしたから・・・ キリストが一緒にそこで苦しんで下さる・・・社会になる。神のみ国は人が生きる豊かに生きること。
 キリスト者であることは自分の生活でどう生きているのか?どう生きたらキリストを生きられるのか?

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