マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 聖書百週間

カトリック新聞(2008年11月16日号)トップ面の記事では、聖書百週間について紹介があります。パリ外国宣教会のマルセル・ルドールズ神父(89才/在フランス)と援助修道会Sr永田柏(ミズエ)の二人が34前、1974年に始まったことを振り返って述懐しておられます。「ねらいとしては、洗礼後のアフターケアの必要性があったが、神父は教会刷新のために信徒教育が必要と考え、また中国で共産主義が入ってきた追われた体験から、信徒に伝えておかないと人々に伝わらない、またこれから司祭もいなくなるのでと日本の教会の将来を見据えて、特別な指導者なしで、信徒同士で聖書全体を百回かけて通読する方法を始めたのですと・・・方法は、前もって宿題として読む聖書箇所の主要点についてルドールズ神父が作った補助テキスト(旧約二冊と新約一冊)を用いて学びます」(同上記事抜粋)

池田教会でのクラス風景: 
 百日池田教会での聖書百週間、日生中央教会での聖書百週間は、主に大きな内山神父、デニス神父によって続けられてきました。現在はデニス神父の信仰入門講座がその聖書百週間の方法を続けています。今回12月から、また始まります。信者さんたちと共に聖書百週間をするなかで徐々に聖書の理解を深める方法です。聖書百週間は聖書通読ですが、課題の個所を読んでまとめてきて皆さんがお互いに皆の前で準備したものを読み分かち合います。そのとき、互いに意見や質問を浴びせず、最後に神父がポイントをまとめて、それぞれがみことばから得たインスピレーションで祈ります。
雑感:この補助テキストに関して思い出がありますね・・・70年代後半みことばの家で一緒に勉強した松浦信行神学生(現大阪教区司祭、神学院モデラトール)が毎週水曜日かな、上野教会に通ってルドールズ神父の解説のことばを口述筆記する役目を引き受けて手伝っていました。1995年震災を境にして御受難会から大阪教区へ移籍した松浦神父さんの働きは心やさしい性格と緻密で謙虚な人柄にあり、優れた才能を誇ることなくいつも弱者の味方でした。わたしの神学部の論文も彼が清書してくれて間に合って提出できました。修士論文のときは、ちょうど「みことばの家」に一年間研修で滞在していた小林聖心の先生故ガブリエル島上逸雄(池田教会所属、2001年8月3日帰天)さんは、わたしがあまりに一ヶ月ほどの短い時間で締め切りに間に合うように乱雑に書き上げたので何も言われませんでしたが、まだ未完成なのに提出するのかと驚いておられました。それも懐かしい神学生時代の一コマでした。学士論文のテーマは、モーセ五書と申命記伝承史にみられる「神の名(主)がおかれる場所」といったような内容だったと思います。修士論文も、構想は、母が癌の手術をした病院に寝泊まりして看病しながら考えて、その後アウトラインに合うような内容を書き足して、最後に一週間寝ないで書き上げたものですが、松浦神父がページ番号を打って製本してくれたので助かりました。ワープロがない時代だったので、すべて手書きでした。テーマは、公会議前後の「良心」の取り扱いについて研究テーマの変遷といった内容で、学士論文も修士論文もあまりに大雑把なものだったので最低の評価で学問的な素質に欠けるとみなされたようです。落第しなかったけれども、学士論文は評価なしで返還されました。修士論文も卒業するための単位獲得にだけ書いたので、後は一度も日の目をみることなく書庫に眠っています。司祭になるためといって、松浦神父もそうだったが、わたしも神学生・助祭時代、勉強よりも多くの時間をウォード神父、國井神父、森司教、故関戸神父、リーゼンフーバ神父、故フォーブス神父などの入門講座・勉強会・黙想会のヘルパーとして奉仕に力を注ぎ徒弟のように司牧の実践を学んだ時代でした。

 

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