マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 レクチオ ディヴィナ(聖なる読書)

Lectio Divina (聖なる読書)
(1)レクチオ (lectio) = 読む
(2)メディタチオ(Meditatio) = 口ずさむ⇒思い巡らす
(3)オラチオ (oratio) = 神に語りかける
(4)コンテンプラチオ(contemplatio) = 神の前にとどまる
(以上の説明は、来住神父の入門書、目からうろこシリーズ「聖書の読み方 レクチオ・ディヴィナ入門」を参照のこと。)

 祈りの仕方の手ほどき (シルヴァノ・ファウスティ「思い起し、物語れ」p11-13参照 続きに収録)
 神学ダイジェストにカルロ・M・マルティーニ、(枢機卿で2002年ミラノ大司教引退後、現在エルサレム在住、聖書研究に従事、イエズス会)「聖書による祈りーLectio Divina の伝統的方法」East Asian Pastoral Review 28 (1991) 67-75p 香田潤志全訳)が掲載されています。これはたいへん理論的な説明で、イグナチオの霊操の第2週の祈りの方法、「福音の観想」で結実したLectio Divina を説明したものです。キリスト教の祈りの特徴は、キリストに中心を置き、方法は、イエス・キリストの出来事に向けられる。キリスト教の祈りは、内的平和を得ることにのみ目的としているのではなく、キリストともに自己を与える行動にまで結びつかなければならない。神のことばは福音的行動へとつながる。祈りと行動は一つになり、別々のことではない。ここに使徒的修道会の祈りの法則が生まれた。

  
 
方法:
 1 祈りに入る  -ここではいろいろな作法があります。
   ーこころを落ち着ける
   *沈黙の時間をつくる
   *ゆっくり呼吸する
   *わたしは主と出会うのだ、ということを意識する。
   *主にそむいたことのゆるしを願い、人々から受けた悪をゆるす。
   -神の前に身を置く
   *十字架のしるしをする
   *「主の祈り」を唱えるぐらいの時間、
     ー神がどのようにわたしを見つめておられるかを見る。
   *尊敬を表す動作をする
   *祈りをはじめる。ひざまずくか祈りやすい姿勢をとる。 
     御父に、御子の名によって、聖霊を願う。
    わたしの望みと意志、わたしの知性、わたしの記憶が、
    御父を賛美し、仕えるものとなるためである。
 2 集中する
   *思いめぐらす場面が展開する場所を想像する。
 3 望むものを主に願う
   *福音書のこの章句がわたしにもたらそうとしている恵み、
   物語の中でイエスがおこない話すことに応える恵みである。
 4 場面を黙想 あるいは観想する
   =本文を、一つの言葉からつぎの言葉へと、ゆっくり読む
   =一つひとつの言葉の背景に、わたしに語りかけておられる主がおられることを意識する。
   =そのとき
   *思い起こすために記憶を用いる
   *理解しわたしの生活に生かすために知性を用いる
   *望み、願い、感謝し、愛し、賛美するために、意志を用いる。
   腹の底から感じ味わう。インスピレーションのあったところで心のやすらぎ、慰めがあったと思うところでやめる。考えることをやめて、主と話し始める。このとき主をもっとも尊敬することになる。
 5 結び
   黙想したことを友と話すように主と対話する
   終わりに 「主の祈り」を唱える
   ゆったりと祈りから出る
注意
 祈りの後でどのように祈りがすすんだかしばらく反省する。
 *方法を守ったか?
 *うまくいかなかった場合、なぜそうなったか反省する。
 *どのような実りや霊的刺激を受けたかを反省する。

 
       

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