マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 聖家族の主日

わたしはこの目であなたの救いを見た (ルカ 2章30節)

 集会祈願
 恵み豊かな父よ、あなたは、聖家族を模範として与えてくださいました。わたしたちが聖家族にならい、愛のきずなに結ばれて、あなたの家の永遠の喜びにあずかることができますように。
 聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン

 ことばの典礼
第一朗読 創世記 15章1-6節、21章1-3節
    あなたから生まれる者が跡を継ぐ・・・(約束の子イサク)

答 唱  詩篇 106編
 
第二朗読 ヘブライ 11章8節、11-12節、17-19節

福 音  ルカ 2章22節~40節、
     幼子は育ち、知恵に満ちていた・・・

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説教のポイント:
 どうして今日の朗読箇所と聖家族の主日が関係があるのか? この福音は、主の奉献の祝日(2月2日)にも朗読される。

 クリスマスの余韻の中、毎年主の降誕の祝日を祝ったあとの最初の主日は聖家族の主日と決まっています。御子の神秘を祝った私たちは、家族の生活の祝福を主に願うように招かれます。そして、旧約聖書のアブラハムの約束された子、イサクの誕生の物語と第二朗読のヘブライ書ではその約束の子イサクをささげたアブラハムの信仰についてのポイントが語られます。

 今日の聖書箇所と福音箇所に登場する人物に共通する人物像は、信仰の人の姿が描かれます――「義人」、「正しい人」という呼び方です。アブラハムの信仰、サラの信仰、シメオンの信仰、女預言者アンナの信仰、そしてマリアとヨセフの信仰です。この人たちは、旧約から新約へと開く信仰の創始者になる役目を担っています。新約のヨセフはアブラハム、ノア、モーセ、エリヤ、ダビデに匹敵する信仰の人です。「夫ヨセフは正しい人であった」(マタイ1章19節)彼は神の心にかなう真のしもべでした。
 
 ヨセフは信仰の人で、神の求めには何事にも従順で、天使が夢の中でヨセフに現れ、マリアの宿した子についての真実を語った時、ヨセフは、尋ねもせず、噂も恐れず、マリアを自分の妻に迎えました。占星術の学者が帰ったあと、再び天使が夢にあらわれて、ヘロデが幼子を殺そうとしていると聞くと、ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃げました。自分の財産、家族、友人、仕事を捨てて見知らぬ国へと逃げました。今でいえば、政治的亡命であり、難民となったのです。イスラエルの民の原点、わたしの先祖は一アラム人でした。

 ヨセフは大工でしたが、現代でいう日雇い労働者で、本田神父さんの解説によれば、石大工だったとのことです。不安定な貧しい労働者だったことは、イエスの割礼とマリアの清めのために神殿に行ったときに、子羊をささげることのできない貧し人に許される「山鳩一つがいか家鳩の雛二羽をいけにえにしてささげる」ためにヨセフは出かけたと書かれていることから推測されます。家族を養うためにどれほど自分をぎせいにしたことでしょう。信仰とは何かを養父ヨセフは、その生き方を通して教えてくれるのです。

 ヨセフには、神秘に出会って、幸せな時がありました。最初に幼子をイエスと名づけ、インマヌエル(神はわたしたちと共に)と呼んだ人で、神の平和(シャローム)を目で見て手で触る恵みを受けました。彼のこころには母と子を養い見守る父親としての喜びがどんなに生涯を貫いていたことでしょうか。イエスは、このヨセフから人としての話し方、祈り方、働き方、男性としてのふるまいを学んだのです。イエスもユダヤ人の子供として2000年前のイスラエルの社会文化の中で成長しました。ヨセフは、その言葉と行いで「イエスの父」であることのユニークな役割を担いました。鳥には、生まれて最初に見た鳥を自分の親と認める習性があるそうですが、人間の場合、生物学的な父である以上に、父が父としての役割を果たすのは、子供の霊的倫理的な人間性の成長に力を注ぎ、子供が神からの預かりものとして親のコピーではなく独自の人格をあらわすように育てることが最も父親らしい義務を果たすことになるのではないでしょうか?神からのものは神に!少なくともヨセフは、もっとも素晴らし父親の模範となりました。

 聖家族、世にもまれな神秘の光がそこから輝いている。神の栄光は私たちのうちにとどまる・・・人とはいったい何者でしょう?あなたがみ心に留め、顧みられるとは・・・

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