訃報
長期の癌との闘病の後マリア・マグダレーナ松本裕子様(松本一宏神父のご母堂)は、聖霊降臨の祝日後の翌日5月24日午前6時 家族が見守る中永遠のふるさと天国へ旅立たれました。長い間 皆様のお祈りの支え、ありがとうございました。
通夜 5月26日(水) 午後6時より
葬儀 5月27日(木) 午前11時~12時
場所 カトリック浦和教会
喪主 松本 善一
池田・日生中央両教会の評議会議長とデニス神父・畠神父は葬儀に出席する予定です。
通夜 5月26日(水) 午後6時より
葬儀 5月27日(木) 午前11時~12時
場所 カトリック浦和教会
喪主 松本 善一
池田・日生中央両教会の評議会議長とデニス神父・畠神父は葬儀に出席する予定です。
司祭・助祭 叙階式 (レデンプトール会 ) 吹田教会
4月29日、フランシスコ・ザビエル萩原義幸神父誕生及び野田助祭誕生
叙階記念カード
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15章5節)
大型連休初日の4月29日、快晴ですがすがしい一日がはじまりました。
吹田教会が叙階式の会場となり、レデンプトール会の鹿児島管区と東京管区の関係者や信徒、京都北部の教会や地元北摂八教会の信徒など、入りきれない人で埋まり、松浦司教の司式のもとに50名近い司祭団とともに助祭叙階式と司祭叙階式が同時に執り行われました。ほぼ2時間、その後写真撮影などでパーティがはじまったのは2時近くでした。ほぼ4時ごろまで私は会場にいました。これで今日も北海道での講話の準備がまたできなかったけれども、鹿児島のレデンプトール会の管区長は、このような叙階式の機会ごとに司祭は、反省することがたびたびで若い新司祭にはこのような反省することがないようにお願いしたいと話しておられたのが、わたしには恵みになりました。
確かに、司祭叙階式には、参列すると司祭の叙階の秘跡を更新する効果があり、式の間には、初心に戻り司祭職の召命を生きる決意をする時間が何度も訪れます。わたし自身、司祭として十分に尽くせず、キリストの愛にもとることもあったことなどが反省され、主に赦しを願いつつ、新司祭には聖霊の喜びが日々与えられ先輩の過ちを繰り返さないように聖母の保護を祈ったからです。
パーティの終わりには、新司祭の家族の家族の紹介があり、年老いた御両親、そしてそのご両親から4人の娘のうち、新司祭のお姉さん3名は修道女で、親族にもコンベンツアールの萩原神父さんやシスターなど多数おられ、カトリック家族に与えられる祝福の豊かさが手に取るように分かり、新司祭はこの祈りの保護のもとに成長したことが分かりました。
叙階式には、60代前後、懐かしい同時代の司祭たちとも顔を合わせたら、顔が変わってわからなかったとか言われ、運動不足と寝不足で老けたからと答えると、60代になって司祭はようやく一人前、これからですよとカルメル会の中川神父が励ましの声をかけたので、体力がなくなる時期に、仕事が増えるのでつらいですねと私が答えると、確かに以前ほどは勉強も運動もできないですと中川神父。皆同じ、同感ですよとはもう一人の福島神父が助け船だして、会話を変えてくれた。こんな会話をしていたら、もう普通のおじさんなのだから・・・
明日は被昇天修道院の創立記念日のミサ、そのためにも今日は心の清めと叙階の恵みを新たにする大切な日だった恵みの時間だったのだと思いました。明日もミサの説教と聖霊セミナーの7週目の講話があり、すでに11時、これから説教の準備です。まだ眠ることができません。神に感謝!
叙階記念カード
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15章5節)
大型連休初日の4月29日、快晴ですがすがしい一日がはじまりました。
吹田教会が叙階式の会場となり、レデンプトール会の鹿児島管区と東京管区の関係者や信徒、京都北部の教会や地元北摂八教会の信徒など、入りきれない人で埋まり、松浦司教の司式のもとに50名近い司祭団とともに助祭叙階式と司祭叙階式が同時に執り行われました。ほぼ2時間、その後写真撮影などでパーティがはじまったのは2時近くでした。ほぼ4時ごろまで私は会場にいました。これで今日も北海道での講話の準備がまたできなかったけれども、鹿児島のレデンプトール会の管区長は、このような叙階式の機会ごとに司祭は、反省することがたびたびで若い新司祭にはこのような反省することがないようにお願いしたいと話しておられたのが、わたしには恵みになりました。
確かに、司祭叙階式には、参列すると司祭の叙階の秘跡を更新する効果があり、式の間には、初心に戻り司祭職の召命を生きる決意をする時間が何度も訪れます。わたし自身、司祭として十分に尽くせず、キリストの愛にもとることもあったことなどが反省され、主に赦しを願いつつ、新司祭には聖霊の喜びが日々与えられ先輩の過ちを繰り返さないように聖母の保護を祈ったからです。
パーティの終わりには、新司祭の家族の家族の紹介があり、年老いた御両親、そしてそのご両親から4人の娘のうち、新司祭のお姉さん3名は修道女で、親族にもコンベンツアールの萩原神父さんやシスターなど多数おられ、カトリック家族に与えられる祝福の豊かさが手に取るように分かり、新司祭はこの祈りの保護のもとに成長したことが分かりました。
叙階式には、60代前後、懐かしい同時代の司祭たちとも顔を合わせたら、顔が変わってわからなかったとか言われ、運動不足と寝不足で老けたからと答えると、60代になって司祭はようやく一人前、これからですよとカルメル会の中川神父が励ましの声をかけたので、体力がなくなる時期に、仕事が増えるのでつらいですねと私が答えると、確かに以前ほどは勉強も運動もできないですと中川神父。皆同じ、同感ですよとはもう一人の福島神父が助け船だして、会話を変えてくれた。こんな会話をしていたら、もう普通のおじさんなのだから・・・
明日は被昇天修道院の創立記念日のミサ、そのためにも今日は心の清めと叙階の恵みを新たにする大切な日だった恵みの時間だったのだと思いました。明日もミサの説教と聖霊セミナーの7週目の講話があり、すでに11時、これから説教の準備です。まだ眠ることができません。神に感謝!
主イエス・キリストの栄光の御傷 (御受難会固有)
復活節の第二週、金曜日は、御受難会では「主イエズス・キリストの光栄ある五つの御傷 (祝日)」を祝います。小教区で、時間的に余裕がなかったので、前日まで覚えていたのに当日になると通常の典礼を行ってしまい、気がついたときはすでに時遅しでした。だんだん物忘れや間違いが増えています。主のために働く日々を楽しく懐かしく思える日が忍び寄っているのですね! ところでぶどうの花は、5つの緑の花びらと聞きました。伝統的には五つの傷はバラの色で表わしているようです。
読書
賛歌
槍よ、おまえをどのように褒めようか。
おまえがキリストの脇腹を開き、
教会は生まれたのだから。
キリストの体が眠っている間に
その脇腹から現れた新しいエバよ。
新しいアダムは自らの心臓から流れ出る
血と水の中でエバを生んだ。
釘よ、おまえをどのように褒めようか。
キリストの聖なる手足に打ち込まれたのだから。
おまえが十字架に打ち込まれ、
キリストの御血によって、
私たちの死刑の判決は廃止された。
イエズスよ、聖なる人々と天使たちは
あなたを称える。
天の国においても
あなたの手足には釘の跡が残り、
あなたの脇腹には槍の傷跡がある。
そしてあなたは父と聖霊とともに
すべてを治めておられる。
読書
賛歌
槍よ、おまえをどのように褒めようか。
おまえがキリストの脇腹を開き、
教会は生まれたのだから。
キリストの体が眠っている間に
その脇腹から現れた新しいエバよ。
新しいアダムは自らの心臓から流れ出る
血と水の中でエバを生んだ。
釘よ、おまえをどのように褒めようか。
キリストの聖なる手足に打ち込まれたのだから。
おまえが十字架に打ち込まれ、
キリストの御血によって、
私たちの死刑の判決は廃止された。
イエズスよ、聖なる人々と天使たちは
あなたを称える。
天の国においても
あなたの手足には釘の跡が残り、
あなたの脇腹には槍の傷跡がある。
そしてあなたは父と聖霊とともに
すべてを治めておられる。
灰の水曜日前の火曜日(ゲッセマネの園)
灰の水曜日前日の火曜日
ゲッセマニで祈られるイエズス・キリスト(記念)
読書
賛歌
見よ、天の父のみことばは、高き天の住まいから、
アダムの罪によってみじめになった人々を癒すため、
燃える愛と共に来られる。
堕落した世界を憐れみながら、
崩壊した私たちの国を建て直そうと
主は頭を垂れてひざまずき、赦しを願い祈られる。
主は身震いして苦しまれ、不安を感じて叫ばれる。
「父よ、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが
行われますように。」
大きな恐れが主の心を襲う。
主は弱々しく倒れ、血の汗が体から滴り、
地を濡らす。
しかし、天から天使が現れ、疲れたイエスを力づける。
イエスは体に新しい力を感じ、力を取り戻して立ち上がる。
父と子と聖霊に賛美。世々限りなく。アーメン。
朝の祈り
賛歌
遠い昔 預言者たちによって約束された私たちの仲介者は、
天の高みから来られた。
シオンの娘よ、これ以上悲しんで泣くことはない。
今、あなたの嘆きは終わる。
一つの園がまず死をもたらした。
イエズスが夜祈られた一つの園が、今 命をもたらす。
キリストは、父の正しい裁きをなだめる。
父は右の手の強さを抑えられる。
キリストは私たちのために進んで償いを行う。
そして、キリストは私たちを縛っていた鎖を粉々に砕き、
長い間、人間に閉ざされていた 天の門を開かれた。
永遠の喜びで祝された神の国へと
私たちを招きながら。アーメン。
ゲッセマニで祈られるイエズス・キリスト(記念)
読書
賛歌
見よ、天の父のみことばは、高き天の住まいから、
アダムの罪によってみじめになった人々を癒すため、
燃える愛と共に来られる。
堕落した世界を憐れみながら、
崩壊した私たちの国を建て直そうと
主は頭を垂れてひざまずき、赦しを願い祈られる。
主は身震いして苦しまれ、不安を感じて叫ばれる。
「父よ、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが
行われますように。」
大きな恐れが主の心を襲う。
主は弱々しく倒れ、血の汗が体から滴り、
地を濡らす。
しかし、天から天使が現れ、疲れたイエスを力づける。
イエスは体に新しい力を感じ、力を取り戻して立ち上がる。
父と子と聖霊に賛美。世々限りなく。アーメン。
朝の祈り
賛歌
遠い昔 預言者たちによって約束された私たちの仲介者は、
天の高みから来られた。
シオンの娘よ、これ以上悲しんで泣くことはない。
今、あなたの嘆きは終わる。
一つの園がまず死をもたらした。
イエズスが夜祈られた一つの園が、今 命をもたらす。
キリストは、父の正しい裁きをなだめる。
父は右の手の強さを抑えられる。
キリストは私たちのために進んで償いを行う。
そして、キリストは私たちを縛っていた鎖を粉々に砕き、
長い間、人間に閉ざされていた 天の門を開かれた。
永遠の喜びで祝された神の国へと
私たちを招きながら。アーメン。
御受難荘厳記念日 (祭日)
小教区にいると御受難会の暦を忘れてしまいます。日本のカレンダーで典礼を準備してミサをするからで、今日はすっかり忘れてしまいました。思い出したのは終わってからでしたので 後の祭りです。
罪深い私を 主よ 憐れんでください。
灰の水曜日の前の金曜日
われらの主イエズス・キリストの御受難の荘厳記念
賛歌
四方八方で王の旗が翻り、
今、十字架の神秘が輝く。
十字架の上で命は死を耐え忍び、
死によって命がもたらされた。
恐ろしい槍で傷つけられた主は、
私たちを罪の汚れを洗い清めるためにあえて
血の混じった尊い水の流れを注ぎ出された。
王の威厳で飾られた、
なんとすばらしく、光り輝く木よ。
それは清められた手を支えるためにえり分けられた。
祝福された木よ、幸いな枝は豊かな実をつけ、
世界を取り戻した。
その体がかかった横木は、
地獄が望む獲物を持ち上げた。
尊い希望の十字架よ。最も崇高なものよ。
今、この悲しみに沈んだ受難の時、
恵みは増し与えられ、
罪人のあらゆる罪は消される。
聖三位に賛美。救いの泉よ、
すべての魂はあなたに賛美を歌う。
罪深い私を 主よ 憐れんでください。
灰の水曜日の前の金曜日
われらの主イエズス・キリストの御受難の荘厳記念
賛歌
四方八方で王の旗が翻り、
今、十字架の神秘が輝く。
十字架の上で命は死を耐え忍び、
死によって命がもたらされた。
恐ろしい槍で傷つけられた主は、
私たちを罪の汚れを洗い清めるためにあえて
血の混じった尊い水の流れを注ぎ出された。
王の威厳で飾られた、
なんとすばらしく、光り輝く木よ。
それは清められた手を支えるためにえり分けられた。
祝福された木よ、幸いな枝は豊かな実をつけ、
世界を取り戻した。
その体がかかった横木は、
地獄が望む獲物を持ち上げた。
尊い希望の十字架よ。最も崇高なものよ。
今、この悲しみに沈んだ受難の時、
恵みは増し与えられ、
罪人のあらゆる罪は消される。
聖三位に賛美。救いの泉よ、
すべての魂はあなたに賛美を歌う。
十字架の聖パウロのことば
「完全に神に憩い、あなたの無にととどまりなさい。無限の唯一の神にこの無を投げ込みなさい。無限の愛の海の中にあなた自身を消滅させなさい。」
…Take your repose completely in God… remain in your nothingness, cast this nothingness into the Infinite All that is God, and let yourself be lost in that infinite sea of love…"
(原文イタリア語の英語訳)
シスターマリアへの手紙~Paul of the Cross' letter to Sister Maria Cherubina Bresciani 11th letter on November 20, 1737 Volume 1 - Paul's Letter #166
悲しみの聖母のガブリエルの記念日が近づいています。2月27日(土)
…Take your repose completely in God… remain in your nothingness, cast this nothingness into the Infinite All that is God, and let yourself be lost in that infinite sea of love…"
(原文イタリア語の英語訳)
シスターマリアへの手紙~Paul of the Cross' letter to Sister Maria Cherubina Bresciani 11th letter on November 20, 1737 Volume 1 - Paul's Letter #166
悲しみの聖母のガブリエルの記念日が近づいています。2月27日(土)
誤動作 Paulhata " LinkedIn"
わたしの修道名は paulhata で1977年から使っていますが、世界にはたった一つしかない名前と思ってネットのメールにはこの名をよく使っています。ところが、世界には同性同名のpaulhataがおられたのですね。この名前を商標に使って2005年頃からオーストラリアかマレーシアにいて巨大なネットワークを発展させているのです。拡大中です。もはや"paulhata" では、私にたどり着くことはできなくなりました。そのネットでていたマレーシア人の paulhata に興味を持ったので、ネット上に " LinkedIn" の入口があってこの人とつながるのかと思ってメールを登録したのですが、いつのまにか迷路に入ってしまい途中で終了させたため、わたしのメールアドレスブックの記載されている接続相手にまで勧誘メールが広がってしまいました。これも一種の迷惑メールとなりますので、ご迷惑なメールが飛んできたらただちに削除して返事しないようにお願いします。日本でいえばMIXやFACEBOOKのような形のブログでした。お詫びいたします。
御受難会の司祭 ハイチで医療救援活動
リック神父は、米国東管区(ニューヨーク本部)所属で医者として長年ハイチでミッションに従事してこられ、地震のときは、母親の病気の見舞いとハリウッドの医療福祉事業の献身に対する功労賞を受賞するために米国にいたため、災害に合わずに済んだのは摂理的で、地震直後にハイチに戻った神父は、医者として、司祭として多くの被災者の治療と世話でフルタイムで働いています。
そのニュースは、以下の御受難会東管区のアドレスで見ることもできますし、一般のホームページからでもアクセスできます。http://thepassionists.org/東管区のホームページの左下に News about Fr. Rick Frechette in Haiti とあるところをクリックするとニュースが出てきます。現場の様子が逐次分かります。
悲惨な地震の被災者への医療スタッフの一人としてお母さんの死に目に会えないと考えていたのに、多くの人の好意で自宅に戻り、臨終に間に合い、お父さんと兄弟たちとともにお母さんのためにミサをささげることができたとに皆さまの祈りに感謝とありました。
そのニュースは、以下の御受難会東管区のアドレスで見ることもできますし、一般のホームページからでもアクセスできます。http://thepassionists.org/東管区のホームページの左下に News about Fr. Rick Frechette in Haiti とあるところをクリックするとニュースが出てきます。現場の様子が逐次分かります。
悲惨な地震の被災者への医療スタッフの一人としてお母さんの死に目に会えないと考えていたのに、多くの人の好意で自宅に戻り、臨終に間に合い、お父さんと兄弟たちとともにお母さんのためにミサをささげることができたとに皆さまの祈りに感謝とありました。
宣教地司祭育成の日(12月6日)
...Ah! when shall we imitate perfectly our Savior, who emptied himself?... Ah! when, when? Out of charity pray that the Lord will give us the grace..."十字架の聖パウロの手紙から
写真は大宰府12月2日撮影
デニス神父とウォード神父は1957年に日本に宣教師として派遣されてから倦むことなく熱烈にイエスを宣べ伝えてきました。まさに宣教師の召命、宣教師の使命を半世紀にわたって生き続けてこられたのです。お二人は、86歳、82歳、今も現役で活躍中。十字架の聖パウロの生きた肖像のようにキリストの似姿に近づく毎日です。
ウォード神父は現在売布に在住、黙想指導、霊的指導
デニス神父は、聖マリア幼稚園園長、池田教会協力司祭
ウォード神父のジャパンジョッテングが今年も発行されました。ウォード神父さんは御受難会の宣教師として派遣され日本での生活の喜びや悲しみを報告してこられましたが、今回は総括編のように淡々と日本宣教50年を振り返りながら数は少なくても信仰熱心な信徒との出会いや触れ合いなど感謝の心で現在の心境を述べられています。
PDFファイル1.5Mg.
写真は大宰府12月2日撮影
デニス神父とウォード神父は1957年に日本に宣教師として派遣されてから倦むことなく熱烈にイエスを宣べ伝えてきました。まさに宣教師の召命、宣教師の使命を半世紀にわたって生き続けてこられたのです。お二人は、86歳、82歳、今も現役で活躍中。十字架の聖パウロの生きた肖像のようにキリストの似姿に近づく毎日です。
ウォード神父は現在売布に在住、黙想指導、霊的指導
デニス神父は、聖マリア幼稚園園長、池田教会協力司祭
ウォード神父のジャパンジョッテングが今年も発行されました。ウォード神父さんは御受難会の宣教師として派遣され日本での生活の喜びや悲しみを報告してこられましたが、今回は総括編のように淡々と日本宣教50年を振り返りながら数は少なくても信仰熱心な信徒との出会いや触れ合いなど感謝の心で現在の心境を述べられています。
PDFファイル1.5Mg.