マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 新しい記憶

昨年の聖霊セミナー資料集

<Youtubuで動画をアップロードする練習をしています。煩わせてごめんなさい。あれこれできていたのにできなくなったりして不安ですね。>

 第16回聖霊による刷新関西大会(尼崎)

8月18日~20日まで第16回聖霊による刷新関西大会が開かれました。
大会の講師としてイギリスからホワイトヘッドご夫妻チャールズとスーさんをお招きしました。元ICCRS会長で教皇ヨハネ・パウロ二世から聖グレゴリー騎士の名誉称号を聖霊による刷新運動をカトリック教会の中に健全に発展させた功績で受けられました。教皇様との個人的なかかわりも話の中で披瀝され、教皇様に按手して祈ったことがあったことも、その深いかかわりの中での一端を紹介され、カトリック・カリスマ刷新がどれほど深く教会の新しい動きの中で期待されているかを解き明かしてくださいました。

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 教皇パウロ6世からの依頼でこの運動を最初に調査したスーネンス枢機卿は、神学の専門家として当時新進気鋭のラッチンガー教授とイブ・コンガール教授の助けを受けて報告書としてマリーン文書を作成しました。現教皇の教義学の観点とイブ・コンガールの教会論と歴史の観点からの聖霊による刷新の評価です。イブ・コンガールの評価は日本語でサンパウロから出版されている「聖霊」の第二巻に書かれています。優れた神学の専門家たちは、カトリック教義に反するものは何もないことを証言しました。この報告は日本でも神学ダイジェストに掲載されていました。報告書の序文はラッチンガー教授によるものです。学生の頃読んだ覚えがありますが、賛成している文章なのか反対なのかよく分かりませんでした。公式文書とはそのようなものなのでしょう。過越秘義との関連をどう位置づけるのかは、今後の課題であったように思いました。再度読んで見たいですね。

 聖霊降臨

聖 霊 降 臨 1. 初めの讃歌 聖霊の続唱 (典礼聖歌 352)

2.導入 「神は愛です」(Iヨハネ4:8,16)。そして愛は最初の賜物であり、他のすべての賜物を含みます。「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心にそそがれているからです」(ローマ5:5)。ところが私たちは自分の生き方の内に愛が欠けていることを自覚します。私たちは自らをキリスト者、キリストに従う者と呼びます。しかし私たちの生活はしばしばその唱えることと相反しています。同じヨハネの手紙の中で聖ヨハネは言っています。「神は愛です」、また「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません」(Iヨハネ4:20)。ですから私たちは、私たちの生活に愛が欠けていることを、主に赦しを求めることから始めましょう。

3.悔い改め(第一日と同じ)
4.謙遜の祈り(第一日と同じ)
5.聖霊に対する祈り(第一日と同じ)

6.ことばの祭儀
  聖書箇所 使徒2:1~4、33~36〈朗読〉
  賛歌   キリストにはかえられません(「主に賛美」p139)
  福音   マタイ16:24~27(朗読)

7.説話のポイント
  -「私のために命を捨てる者は誰でもそれを見出す」。十字架上でイエスは、この言葉の意味を教えられました。「キリストは自分を無にして、それも十字架の死に至るまで、従順でした。」 これは、私たちに対するイエスのチャレンジです。
  -「このため神はキリストを高く上げられた」。イエスの御父への全き従順は、その人間性に聖霊の「全き賜物を受けさせることになりました。この「高く上げ」というのは復活です。もしイエスに従うなら、私たちもその栄光に与かると信じています。
  
  -私たちはすでに、洗礼によってイエスの神の愛の全き賜物に与かっています。神の愛の賜物の最初の効果は、私たちの罪の赦しです。聖霊の賜物は、洗礼を受けた者たちに、罪によって失われた神の命を回復させます。

  -この聖霊の力によって、神の子たちは、多くの実「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」を結ぶことが出来ます(ガラテヤ5:22~23)。

  -聖霊の賜物を確保するために、イエスが私たちに取り上げるように求められる十字架は、何も特別なものではありません。それは神への愛、私たちの家族、隣人、友人に対するまことのキリスト者として生きる上での日々の困難、ときどき私たちを怒らせ、落ち込ませる同じ困難からなります。それは簡単、ごく普通のことですが、仕えられるためではなく、仕えるために来られたイエスが辿られた道です。私たちはイエスのことばを信じ、イエスが私たちに勧める命の価値を信じなければなりません。それは聖霊の力による私たちの復活への道です。

8.賛歌  主の前にひざまずき(「主に賛美」p164)
9.祈りましょう(第一日と同じ)
10.終わりの賛歌 ハレルヤ 私はクリスチャン(「主に賛美」p22)
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 第八日 聖霊と教会

第八日 聖霊と教会

1. 初めの賛歌 主に賛美(「主に賛美」p30)

2.導入 ノベナの間、私たちはイエスと聖霊の共同の使命について思い起こして来ました。教会に聖霊を送るとの約束をイエスがどのように果たされたかを見ました。教会の一員として私たちは洗礼によって赦され、復活の主の新しい命に与からせていただきました。ですから今日、私たちにご自身と聖霊を与えてくださったことを深く意識しながら、私たちは謙遜に感謝の心で主を賛美するために集います。

3.悔い改め(第一日と同じ)
4.謙遜の祈り(第一日と同じ)
5.聖霊への祈り(第一日と同じ)
6.ことばの祭儀 

  聖書箇所 ローマ8:12~16
  賛歌 めでたしマリア(「主に賛美」p38)
  福音 ヨハネ15:8~16(朗読)

7.説話のポイント
-キリストの使命は、キリストの体、聖霊の神殿である教会の中にあって完成されます。
-この共同の使命は、これからは、キリストを信じる者を、聖霊の内に御父との一致に与からせます。
-聖霊は、キリストに引き寄せるために、人々を整え、恵みをもって人々に臨まれます。聖霊は、復活の主を人々に示し、主のことばを思い起こさせ、死と復活の意味に心を開かせ、とくに聖体の内なるキリストの神秘(隠れた現実)を、彼らに現実のものとし、神と一致させ、多くの実を結ぶようにさせます。
-こうして教会の使命はキリストの使命に付け足されたものでなく、その秘跡(そのしるし、道具)です。
-教会は、その全体において、そのすべてのメンバーにおいて、聖三位一体の一致の神秘を告げ、証しをし、現実のものとし、広めるために遣わされます。
-私たちの使命を果たすためには、プライベートな、個々人のキリスト者としての生活を目指すだけでは十分とは言えません。私たちと他の人々との一致の関係は私たちの使命の核心です。キリスト者であることは他の人びとに手を差し伸べることです。私たちは共同体の中で、共同体を通して救われるのです。

8.賛歌 父よ、父よ(「主に賛美」p45)
9.祈りましょう(第一日と同じ)
10.終わりの賛歌 わたしたちはみ国の世継ぎ(「主に賛美」p12)

 第七日 イエス・キリスト

第七日 イエス・キリスト

1. 初めの賛歌 主イエスの十字架の血で(「主に賛美」p120)

2.導入 キリストは聖霊によって油注がれた者です。イエスは「私の食べ物は父のみ心を行うことである」と言われました。それは油注がれた者、メシヤのしるしです。それはイエスの生涯の働きでした。それを、「私の霊を御父のみ手に委ねます」と言われて、十字架の上で完成されました。
 洗礼のとき、私たちは同じ聖霊の油注ぎを受けました。それなのに私たちはどれほどしばしば神のみ旨を行うのに失敗したことでしょう! 犯した罪によって、私たちは与えられた聖霊の油注ぎに逆らうのです。ですから今日、従順、神からの愛、隣人からの愛において失敗した赦しを願い求めることから始めましょう。

3.悔い改め(第一日と同じ)
4.謙遜の祈り(第一日と同じ)
5.聖霊への祈り(第一日と同じ)

6.ことばの祭儀 
  聖書箇所 フィリピ2:5~11
  賛歌   聖い御霊よ (「主に賛美」グリーン本 p39)
  福音   ヨハネ20:19~23(朗読)

7.説話のポイント
 -キリストのすべての働きは、聖霊と共同での使命です。
 -イエスは、その死と復活を通してご自身が栄光をお受けになって、初めて聖霊を完全に示されました。
 -イエスはしばしば聖霊のことを口にしておられます。私の肉は世を生かすための食べ物である(ヨハネ3:5~8)と言われたとき、またニコデモに語られたとき(ヨハネ3:5~8)
 -祈りについて語られたとき、弟子たちに聖霊のことを、また弟子たちが担わねばならない証しについて語られたとき(マタイ10:19~20)
 -栄光に上げられる時が来たとき初めてイエスは聖霊が来られることを約束されました。
 -死と復活が御父になされた約束を果たされます(ヨハネ14:16~17)
 -聖霊は永遠に私たちと共にいてくださいます。私たちにすべてを教え、キリストが語られたことをすべて思い出させてくださいます。
 -死者の中から復活されたキリストは、弟子たちに息を吹きかけて、聖霊をお与えになります。
 -このときからキリストと聖霊の使命は、教会の使命となります。私たちもこの使命に与かるのです。私たちの使命は、イエスが生きたように、神のことばに対する愛に満ちた従順な生活によって、聖霊を世に示すことです。私たちはこれを家庭の中で、友人間で、愛と奉仕の模範によってすることが出来ます。神のみ心に従うことが人生の完成への確かな道であると信じて。
 -私たちの救いのために、主がご自身と聖霊の賜物をお与えくださったことに対して主を賛美しましょう。

8.賛歌  御手の中で(「主に賛美」p129)
9.祈りましょう(第一日と同じ)
10.終わりの賛歌 感謝す 主の愛を(「主に賛美」p58)

 第六日 メシアとその霊の期待

第六日  メシヤとその霊の期待

1.初めの賛歌 スピリットソング(「主に賛美」p99)

2.導入 旧約において、人々は約束されたメシヤを期待して待っていましたが、神の言葉を無視していました。これは人びとを挫折、失望、捕囚へと導きました。シメオンやアンナのようなわずかの人びとだけが、イスラエルの慰め(ルカ2:25)、エルサレムの救い(ルカ2:38)を待ち望んでいました。イエスの公生活の間、弟子たちでさえ、自分たちの望みを実現し、自由をもたらしてくれる政治的指導者を待ち望んでいました。    

 このテクノロジーと物質的進歩の時代に、私たちは何を待望しているでしょうか。何に私たちは希望をおいているでしょうか。私たちの経験によれば、暴力と不正は依然として盛んです。これらの問題を除くために、私たちは誰に信頼すればよいのでしょうか。彼らはその実現に導いてくれません。私たちと信じない人々の間にどんな違いがあるというのか、問うて見なくてよいでしょうか。私たちは神と御言葉に対する信仰と信頼の欠如に対して、今日、赦しを願うことから始めましょう。

3.悔い改め (第一日と同じ)
4.謙遜の祈り(第一日と同じ)
5.聖霊への祈り(第一日と同じ)

6.ことばの祭儀 
  聖書箇所 イザヤ11:1~2(朗読)

7.説話のポイント
-これらの預言の言葉や他の預言によって、神は約束の言葉によって人びとの心に語りかけられました。聖ペトロは五旬祭の日の朝、その成就を宣言しました。(使徒2:17~21)

 -これらの約束は何を意味するのでしょうか。それは世の終わりに、主の霊が民の心に新しい掟を書き記して、民の心を新たにすると宣言することです。神は散り散りに分裂していた人びとを集め、和解させられます。神は最初の創造を変えて、平安の内に御自分の民とそこに住まわれます。

 -二種の人びとがイエスのことばを聞きに来ました。富と権力があり、影響ある地位にあって安泰な人々は、イエスのことばを聞いてもほとんど期待もせず、みことばを受け入れもしない人々です。貧しく、学問もなく、権力もなく、不安定な人々は大勢来てイエスのことばを聞き、信じました。弟子たちは後者に属していました。  

 -私たちはどちらのグループに属するでしょうか。私たちは今の地位に満足し、救い主を必要とすることが分からないほど社会的地位と教育に守られて、満足しているのでしょうか。それとも自分個人の問題を解決することも出来ないことを自覚し、周りの社会の不正に心を痛め、イエスのもとに行き、その助けを求める必要を分かっているでしょうか。私たちの祈りの生活がこれを示します。
 -私たちは、聖霊を私たちの上に、周りの世界の上に送ってくださるように、救い主に祈っているでしょうか。それともずい分と祈りを怠っているでしょうか。
 イエスは貧しい人々、苦しむ人々、無力な人々に対する心遣いから、ご自分の上に来られた聖霊の効果をお示しになりました。その同じ聖霊が洗礼の時に私たちにも臨んでくださったのです。私たちはイエスと同じように聖霊に導いていただいていますか。今日の世の中で、不正に苦しんでいる大勢の人々のことを、心にかけているでしょうか。それに対して私たちは何をしているでしょうか。家族の中に私たちの助けを必要とする人がいますか。その人々を助けるために、イエスのように、私たちも聖霊の促しに従い、助けの手を差し伸べるでしょうか。

 これが私たちの使命です。私たちに対する神の愛に与かりながら、他の人々と愛と思いやりを分かち合うことによって、この証人となるよう、呼ばれているのです。

8.賛歌 告げよ 地の果てまで(「主に賛美」p29)
9.祈りましょう(第一日と同じ)
10.終わりの賛歌 子羊イエスよ (「主に賛美」p162)

 第五日 聖霊の臨在

第五日  聖霊の臨在

1.初めの賛歌 主イエスを喜ぶことは(「主に賛美」p123)

2.導入 私たちは旧約聖書の内に、神からの救い主の約束は、預言者によって繰り返されましたが、民は繰り返し堕落しつづけました。民の指導者たちは、神によって与えられた掟を拠りどころとせずに、外国の勢力と同盟を結び、民は偽りの神々を拝むことによって、周辺の異教の民の慣習に倣いました。神はご自分の名によって語る預言者たちを送られました。神がこれらの預言者たちにしばしば現れられたのは,ご自分の現存を、民に対する愛を、思い起こさせるためでした。モーセは申命記7:7~8においてこのことを民に思い起こさせ続けています。今日、私たちは信仰によって、神がすでに、約束された救い主を遣わされたことを知っています。しかし私たちは相変わらず同じように誘惑を受けています。私たちはややもすると、現代社会の物質主義と個人主義を追い求め、富、放縦、権力欲に希望を置いています。利己主義は家庭に、隣人との間に、絶えず緊張の原因となり、国々、共同体間の流血の原因となっています。救済策は神に立ち返ることです。私たちは信仰の欠如の赦しを願い求め、今こそ立ち返りましょう。

3.悔い改め(第一日に同じ)
4.謙遜の祈り(第一日に同じ)
5.聖霊への祈り(第一日に同じ)
6.ことばの祭儀 
  聖書箇所 ガラテヤ3:24~28(朗読)
  賛歌   われらは一つ(「主に賛美」p10)
  福音   マタイ17:1~9(朗読)

7.説話のポイント
 -聖霊の現存はその臨在に示されます。
 -出エジプト13~21 雲の柱と火の柱
 -同じ聖霊はキリストの生涯の内に働いておられます。聖霊がマリアに臨み、その上に力が臨みます。
 -山上の主の変容で、聖霊が、雲の中から降りて来て、イエス、モーセ、エリア、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを包み、主の昇天の日に雲がイエスを取られて弟子たちの目から見えなくし、再臨の日に神の子としてのイエスを現されます。
 -第一朗読で聖パウロは、信じて洗礼を受ける者の上に、これらすべてのことの結果を告げています。彼らは神の子とされ、私たちはキリストにあって一つです。
 -私たちの使命は、私たちの模範の光によって、私たちの人生の内におられる聖霊の現存を表すことです。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。

8.賛歌 威光、尊厳、栄誉(「主に賛美」p169
9.祈りましょう(第一日と同じ)
10.終わりの賛歌 Walk in the Light(「主に賛美」p103)

 第四日 神の救いの計画における聖霊の役割

第四日  神の救いの計画における聖霊の役割

1.初めの賛歌 威光、尊厳、栄誉(「主に賛美」p169)

2.導入 人類の物語は神の憐れみと愛の物語です。人類が恵みを拒絶した後、救い主が来られて新しい命の約束がありました。神は恵みを与え、私たちがそれを拒むというのが、今日でも繰り返されています。神の愛は永遠です。もし私たちが心の奥深くの望みを実現したいなら、神の愛に心を開くことから始めなければなりません。そのためには、自分の過ちを認め、失敗の赦しを願わなければなりません。

3.悔い改め(第一日と同じ)
4.謙遜の祈り(第一日と同じ)
5.聖霊に対する祈り(第一日と同じ)
6.ことばの祭儀 
  
  聖書箇所 創世記1:26~27、2:7 (朗読)

7.説話のポイント
 -イエスは良い知らせ、新しいアダムです。
 -お告げは世界の救いの神のご計画を示します。
 -聖霊がマリアに降り、力が包む、は比喩的に理解しなければなりません。
 -それは神の神秘的な介入、約束の実現、イエスがメシヤ、神の御独り子であることを意味します。信仰をもって、私たちは完全な人であり、真の神であるイエスを信じなければなりません。
 -イエスは神の独り子、まことに歴史における神の現存です。
 -イエスの弟子である私たちは、神の意志であり、遂行であるみことばを心から聴くことが求められます。
 -私たちの使命は、イエスのように私たちも献身、奉仕、愛に生きることによって、神の愛を知らしめることです。

8.賛歌 驚くばかりの(「主に賛美」p18)
9.祈りましょう(第一日と同じ)
10.終わりの賛歌 栄光イエスにあれ(「主に賛美」p117)

 第三日 聖霊のみ名、称号、シンボル

第三日目  聖霊の御名、称号、シンボル  

1.初めの賛歌 今、聖い御霊よ(「主に賛美グリーン本」p39)

2.導入 教会は聖霊の御名を「ルア」(神の息)から受け、洗礼において「父と子と聖霊の御名によって彼らを洗う」と宣言します。聖霊という名は息、空気、風を意味します。これが、イエスがニコデモに語られたときのイメージです。「はっきり言っておく。人は、水と霊によって生まれなければ、神の国を見ることはできない。」私たちは皆洗礼を受け、「神の本性にあずからせていただきました」(IIペトロ1:4)。それでも私たちは、この神の本性を私たちの内に成長させていただくのに失敗します。聖パウロのガラテヤ5:19~21(読むこと)に書かれている肉の業にしばしば負けるのです。「神の息吹」聖霊に逆らう私たちを自覚して、赦しを願いましょう。

3.悔い改め(第一日と同じ)
4.謙遜を求める祈り(第一日と同じ) 
5.聖霊に対する祈り(第一日と同じ)

6.ことばの祭儀 

  聖書箇所 ローマ8:6~11(朗読)
  賛歌   暗闇に光(「主に賛美」p63)
  福音   ヨハネ14:16~17、26~27(朗読)

7.説話のポイント
 -イエスを信じる者として私たちは悪に直面して無力感、落胆に導かれてはなりません。
 -私たちは戦いの中にあって一人ではありません。「私は御父に祈ります。御父はもう一人の弁護者を遣わし、その方はあなたと共に永遠におられます・・・」
 -イエスが第一の弁護者です。私たちのイエスの言葉に対する信仰と信頼は、深く絶対のものでなければなりません。
 -イエスはまた聖霊を真理の霊と呼ばれます。聖霊は私たちに真理を教え、真理に生きるのを助けてくださいます。
 -水は、洗礼において私たちの内に働かれる聖霊のしるしであり、その中で聖霊は「湧き上がる永遠に生ける水」(ヨハネ4:10~14)を与えられます。
 -塗油:キリストは「油注がれた者」、「メシヤ」、聖霊に満たされた者です。この聖霊の満たしを私たちは堅信の秘跡を通して受け、キリストの塗油に与かるのです。

8.賛歌 聖なる地(「主に賛美」p152)
9.祈りましょう(第一日と同じ)
10.終わりの賛歌 愛するわが主(「主に賛美」p153)

 第二日

第二日  御子と聖霊の共同の使命
1. 初めの賛歌 聖霊来てください(福者ヨハネ・パウロ二世の詞、蓮沼裕子作曲)

2. 導入 「神は,その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)私たちはこの御言葉をよく知っています。御子と共に、神は聖霊をもお遣わしになりました。聖霊は愛の霊だからです。御父と御子と御一体である聖霊は、お二方から決してお離れになることがありません。御子と聖霊はそれぞれ異なる位格でありながら、決してお離れになりません。聖霊を忘れることは、私たちの側の多くの過ちの元です。「神は愛です」(Iヨハネ4:16)と知る私たちはどれほど幸せでしょう。その一方で、私たちキリスト者は、どれほどこの愛の心に欠けていることでしょう! 私たちの愛の足りなさのゆえに、私たちの家族はしばしば不幸であり、私たちの生きる世界は不正と暴力の場となっています。聖霊への祈りを始めるに当たり、私たちは愛なる聖霊を欠いていることを自覚し、その赦しを願います。

3. 悔い改めの行為(第一日と同じ)
4. 謙遜を求める祈り(第一日と同じ)
5. 聖霊への祈り(第一日と同じ)
6. ことばの祭儀 

聖書箇所 ガラテヤ(4:4~9)(朗読)

説話のポイント
 -神の子イエスは、私たちの世界-分裂した世界
 -あらゆる種類の緊張の下にある世界に来られました。
 -あまりにも多くの人びとが、助けの希望もなく暴力を恐れて生きています。
 -イエスさえも、周りの人びとと同じように、反対、排斥、暴力を体験されました。
 -ただ一つイエスの生涯で違っていたことは、それを変える力を持ってこの世に来られたことです。
 -その力というのは、御子と共に御父から遣わされた聖霊でした。
 -イエスによって約束された聖霊は教会に遣わされ、信徒たちを愛で満たし、証人としてこの世に遣わされました。
 -イエスが聖霊によって油を注がれたように、信じる者たちも油を注がれます。
 -信じる者たちは聖霊の力により、洗礼を通して一つの民とされます。
 -私たちの、神の民としての一致は、私たちだけの特権ではなく、分かち合われるべきものです。
 -神の一致は、私たちが神の愛に心を開くなら、私の一致の源、泉です。
 -このために私たちは家庭で、国で、世界で、働かねばなりません。

8.賛歌 わたしが神と知れ(「主に賛美」p79)
9.祈りましょう (第一日と同じ)
10.終わりの賛歌 われらは一つ(「主に賛美」p10)
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