復活祭に向けて -四旬節メッセージー
皆さま いかがお過ごしでしょうか?
今年もわたしたちキリスト者の最も大きな大切な祝い、イースタ(復活祭)が近づいてまいりました。 復活祭の前に、わたしたちは長い準備の期間を過ごします。わたしたちはこの期間を、四旬節とよび、今年は2月25日灰の水曜日から4月9日主の晩餐の夕べのミサの前まで続きます。この期間、教会は洗礼志願者と共に、すでに受けた洗礼の恵みを思い起こし、洗礼の記念と償いの業を通して過越の神秘(聖なる三日間の典礼)の祭儀に備えることになっています。
皆様と共にわたしたちが信頼する信仰内容は、苦しみには意味があり、必ずあがない主に出会い、復活の喜びを味わうことができるというメッセージが中心です。
教会は、今年ちょうど聖パウロ生誕二千年を祝い、パウロ年として過越祭を迎えます。聖パウロは、ローマ帝国内の繁栄に酔いしれる諸都市で信仰について語り続けました。それは繁栄のなかで同じように信仰者でありながら、信仰の道をはっきりと悟らず歩まなかったわたしたちに宛てて述べられているようにも感じます。「神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。」(新共同訳 ロマ1章20~21節) わたしたちは洗礼を受けたとき、何と喜びに満ちた気持ちを持ったことでしょう。あの気持ち、初心に戻り、信仰を得たころの愛にとどまりましょう。聖パウロは、わたしたちが救われるとしたら、「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ロマ3章23~24節)と述べます。それ故、聖パウロは、「誇る」とすれば、「私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものはけっしてあってはなりません。」(ガラ6章14節)と宣言しています。
四旬節には、信仰者は、まず聖金曜日の十字架の死に向かって歩みます。なぜなら、イエスの死がわたしたちに命をもたらしたからです。このことは大変わかりにくいことですが、世に対してイエスと同じ姿になることによって、わたしたちの償いの業と十字架の主との連帯が始まります。十字架に敵対するあらゆる偽りの繁栄を拒絶するとき、まことの命に至る道が開かれます。それは、苦しむ人々の傍らに共にいて、イエスと共にパンを分かち合うからです。 「この最もちいさい者の一人にしたことは、わたしにしてくれたことだ」(マタイ 25章)からです。
日本の教会では、四旬節に、カリタスジャパンの呼びかけに応えて分かち合いの愛の献金を集めています。池田教会の復活祭特別献金もこの意向のために集められます。あなたも、教会の聖週間の典礼に与り、この分かち合いに参加しませんか? よい復活祭を迎えられますよう あなた様とご家族の上に神の祝福を祈ります。
聖週間の典礼 スケジュール
受難の主日(枝の主日) 4月5 日 朝 9時
聖なる三日間の典礼
聖木曜日 4月9 日 夜 7時半
聖金曜日 4月10日
昼 3時 女子御受難会聖堂
夜 7時半 池田教会
復活徹夜祭 4月11 日 夜 7時半
復活祭 4月12 日 朝 9時
今年もわたしたちキリスト者の最も大きな大切な祝い、イースタ(復活祭)が近づいてまいりました。 復活祭の前に、わたしたちは長い準備の期間を過ごします。わたしたちはこの期間を、四旬節とよび、今年は2月25日灰の水曜日から4月9日主の晩餐の夕べのミサの前まで続きます。この期間、教会は洗礼志願者と共に、すでに受けた洗礼の恵みを思い起こし、洗礼の記念と償いの業を通して過越の神秘(聖なる三日間の典礼)の祭儀に備えることになっています。
皆様と共にわたしたちが信頼する信仰内容は、苦しみには意味があり、必ずあがない主に出会い、復活の喜びを味わうことができるというメッセージが中心です。
教会は、今年ちょうど聖パウロ生誕二千年を祝い、パウロ年として過越祭を迎えます。聖パウロは、ローマ帝国内の繁栄に酔いしれる諸都市で信仰について語り続けました。それは繁栄のなかで同じように信仰者でありながら、信仰の道をはっきりと悟らず歩まなかったわたしたちに宛てて述べられているようにも感じます。「神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。」(新共同訳 ロマ1章20~21節) わたしたちは洗礼を受けたとき、何と喜びに満ちた気持ちを持ったことでしょう。あの気持ち、初心に戻り、信仰を得たころの愛にとどまりましょう。聖パウロは、わたしたちが救われるとしたら、「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ロマ3章23~24節)と述べます。それ故、聖パウロは、「誇る」とすれば、「私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものはけっしてあってはなりません。」(ガラ6章14節)と宣言しています。
四旬節には、信仰者は、まず聖金曜日の十字架の死に向かって歩みます。なぜなら、イエスの死がわたしたちに命をもたらしたからです。このことは大変わかりにくいことですが、世に対してイエスと同じ姿になることによって、わたしたちの償いの業と十字架の主との連帯が始まります。十字架に敵対するあらゆる偽りの繁栄を拒絶するとき、まことの命に至る道が開かれます。それは、苦しむ人々の傍らに共にいて、イエスと共にパンを分かち合うからです。 「この最もちいさい者の一人にしたことは、わたしにしてくれたことだ」(マタイ 25章)からです。
日本の教会では、四旬節に、カリタスジャパンの呼びかけに応えて分かち合いの愛の献金を集めています。池田教会の復活祭特別献金もこの意向のために集められます。あなたも、教会の聖週間の典礼に与り、この分かち合いに参加しませんか? よい復活祭を迎えられますよう あなた様とご家族の上に神の祝福を祈ります。
聖週間の典礼 スケジュール
受難の主日(枝の主日) 4月5 日 朝 9時
聖なる三日間の典礼
聖木曜日 4月9 日 夜 7時半
聖金曜日 4月10日
昼 3時 女子御受難会聖堂
夜 7時半 池田教会
復活徹夜祭 4月11 日 夜 7時半
復活祭 4月12 日 朝 9時
四旬節 黙想会
2月22日 (日) 年間第7主日 B年
池田教会では、シスター高木慶子(よしこ)さんを迎えて四旬節の黙想会を行いました。
テーマ 和解・ゆるしあい
―自分と他者と神との和解ー
講 話 10:40 ~ 11:30
十字架の道行 11:30 ~ 12:00
ゆるしの秘跡 (3月29日に共同回心式があります。)
シスターを囲んで (カール記念館にて)
シスター高木は、朝日新聞その他の大新聞でもおなじみの顔です。明治の浦上四番崩れの殉教者の血筋で、母方、父方双方の家族に司祭、修道者が大勢いる生粋のカトリック家庭で育ったシスター高木は、それでも小学生のころ、カトリック故にいじめられた経験があり、その悔しさと、先生への反発から、誰からも、特に先生から指さされることのないように、常にトップを目指して生きてきたとのこと。その心の怒りの心情を吐露しながら、それを話の切り口にして、ゆるすことの難しさと大切さを自身の経験から面白おかしくお話ししてくださったので、ミサの聖体拝領後の短いお話と1時間10分のお話で信者の心をつかみ、午後12時からカール記念館でのシスターとの懇談会には大勢が詰めかけました。シスターは、1936年生まれ、72歳、聖トマス大学客員教授で、現在、愛する人の死に直面した人たちを支える「グリーフ(悲嘆)ケア」の第一人者です。阪神大震災やJR宝塚線脱線の遺族らに寄り添い、ホスピスや緩和ケアで、これまで109名をみとったとのことです。「聴く側に必要なのは、言葉でも行為でもない。時間と空間を共にすることです。」黙想会の後、シスターと共にガラシア病院のホスピス病棟を訪問してシスターの患者との対話を1時間ほど聞かせてもらいました。司祭は、あまり対話せず、すぐに祈りをして出て行ってしまうので余計に患者にはつらいそうだということ聞きました。反省する点、多々ありました。「生と死を考える会全国協議会」会長、日本スピリチュアルケア学会副理事長、日本グリーフケア研究所長などの肩書と「喪失体験と悲嘆」などの著書などあり、またグリーフケアの専門家養成コースを聖トマス大学で発足させ軌道にのせる多忙な日々にもかかわらず、池田教会にきてお話をしてくださったこと、また凡庸な神父を伴ってホスピス患者への対応も手を取ってお教えくださったことに感謝の一日でした。
黙想会後の懇談会・・・30名近い信徒がもう少しお話を聞きたいと、シスター囲んで1時間を超える交流を持つことができました。(写真はカール記念会での懇談会の模様)
池田教会では、シスター高木慶子(よしこ)さんを迎えて四旬節の黙想会を行いました。
テーマ 和解・ゆるしあい
―自分と他者と神との和解ー
講 話 10:40 ~ 11:30
十字架の道行 11:30 ~ 12:00
ゆるしの秘跡 (3月29日に共同回心式があります。)
シスターを囲んで (カール記念館にて)
シスター高木は、朝日新聞その他の大新聞でもおなじみの顔です。明治の浦上四番崩れの殉教者の血筋で、母方、父方双方の家族に司祭、修道者が大勢いる生粋のカトリック家庭で育ったシスター高木は、それでも小学生のころ、カトリック故にいじめられた経験があり、その悔しさと、先生への反発から、誰からも、特に先生から指さされることのないように、常にトップを目指して生きてきたとのこと。その心の怒りの心情を吐露しながら、それを話の切り口にして、ゆるすことの難しさと大切さを自身の経験から面白おかしくお話ししてくださったので、ミサの聖体拝領後の短いお話と1時間10分のお話で信者の心をつかみ、午後12時からカール記念館でのシスターとの懇談会には大勢が詰めかけました。シスターは、1936年生まれ、72歳、聖トマス大学客員教授で、現在、愛する人の死に直面した人たちを支える「グリーフ(悲嘆)ケア」の第一人者です。阪神大震災やJR宝塚線脱線の遺族らに寄り添い、ホスピスや緩和ケアで、これまで109名をみとったとのことです。「聴く側に必要なのは、言葉でも行為でもない。時間と空間を共にすることです。」黙想会の後、シスターと共にガラシア病院のホスピス病棟を訪問してシスターの患者との対話を1時間ほど聞かせてもらいました。司祭は、あまり対話せず、すぐに祈りをして出て行ってしまうので余計に患者にはつらいそうだということ聞きました。反省する点、多々ありました。「生と死を考える会全国協議会」会長、日本スピリチュアルケア学会副理事長、日本グリーフケア研究所長などの肩書と「喪失体験と悲嘆」などの著書などあり、またグリーフケアの専門家養成コースを聖トマス大学で発足させ軌道にのせる多忙な日々にもかかわらず、池田教会にきてお話をしてくださったこと、また凡庸な神父を伴ってホスピス患者への対応も手を取ってお教えくださったことに感謝の一日でした。
黙想会後の懇談会・・・30名近い信徒がもう少しお話を聞きたいと、シスター囲んで1時間を超える交流を持つことができました。(写真はカール記念会での懇談会の模様)
堅信の秘跡への招き (からしだね巻頭言)
堅信の秘跡への招き
池田・日生中央教会
共同宣教司牧チーム
畠 基幸
北摂地区八教会合同堅信式が五月二四日(日)昇天祭の午後二時から池長潤大司教司式によりおこなわれることになりました。そこで教会全体でも堅信の秘跡を機会にして、秘跡の意味と信者の生活における秘跡の役割、信仰生活のなかで重要な位置を占める典礼と秘跡的生き方(霊性)の意味を考え深める機会としたいと思います。このために、評議会の賛同も得て、わたしの説教の一部は、この趣旨で話を展開したいと考えております。
わたしたちの小教区には、堅信の秘跡を受けていない青年信者が多く見うけられます。堅信の秘跡を受ける機会が少ないため一度チャンスをのがすと次の機会というものがあまり巡ってこないことや、この秘跡そのものの大切さがあまり認識されていない点もあろうかと思います。大人の入信の場合、洗礼、堅信、聖体の三秘跡(入信の秘跡)を同じ洗礼式のなかで受けることが教会法上も明記されるようになりました。しかし、幼児に洗礼を授ける場合、親の信仰、共同体の信仰により授けるので、子供たちが物事の判断がつくようになる年齢にあわせて信仰教育を施すことが必要です。信仰は自然に自動的に成長するのではなく、子供たち自身がいただいた信仰の賜物を自分のものとするキリストとの出会いと教えが必要なのです。子供たちが、初聖体、ゆるしの秘跡、そして堅信の秘跡などの機会あるごとに段階を追って秘跡にあずかり、イエス・キリストの深い友情を結び、イエスを「主」として礼拝し、日々の生活の中で、キリスト者としての生き方を選びとり、成長していくことが望まれます。
ところで、「堅信」の秘跡は、単に「信仰を固める」だけではない、もっと素晴らしいものだという理解を皆さまに持ってもらいたいとわたしは考えております。確かに、私たちは洗礼によってイエスの死と復活に結ばれ、聖霊によって神の愛が注がれ、イエスと同じように御父を「アッバ、父よ」と呼ぶ御子の霊に満たされ、御子の祈りに参加するものとなりました。こうして、毎日曜日、主日のミサの祈りに心を合わせ、いのちのパンである聖体にあずかり、日々の生活の労苦と感謝をキリストの心と一致して御父にささげるものとなります。洗礼の秘跡でこれだけの恵みが与えられるのなら、「堅信の秘跡」はなにか付け足しのような印象を受けることでしょう。
そこで、典礼学者が注目する3世紀のヒッポリトウスの「使徒伝承」の記録を見てみましょう。洗礼の秘跡には、堅信の秘跡の恵みが含まれていました。すなわち、「①洗礼式と聖餐式の場所と司式者が異なる。洗礼は司祭によって、聖餐は司教によって行われる。②洗礼堂において受洗者は洗礼式の前後に二回にわたって塗油を受ける。③教会堂において受洗者は司教によって按手と塗油としるしの刻印と平和の挨拶を受ける。按手と共に聖霊が降るようにと祈られる。」このように式としては、洗礼式と聖餐式だけで、堅信式という儀式はなかったものの、現在の堅信式に相当する油の塗油と平和の挨拶があり、司祭と司教の役割分担があり、入信を完結させる者として司教の按手が行われていたことがわかります。ここから後の時代に「堅信」の言葉が出てきたことも、また司教が聖霊を授ける式をする通常の執行者であることも理解できます。「堅信式」が別の独立したものとして確立されたのは、5世紀頃、ローマ教会で幼児洗礼が一般化された時代からです。現代の「大人の洗礼式」は古代の伝承に立ち戻ったとも言えましょう。
しかし、現代の「大人の洗礼式」を受けた信者が、堅信の秘跡を受けた記憶がないとおっしゃることも事実で、洗礼式の強烈な印象のなかでは、それはいたしかたのないことなのかもしれない。堅信の秘跡が、幼児洗礼の一般化とともに確立してきたという理由だけでは、堅信の秘跡の固有の存在価値は疑われますが、使徒言行録によれば、洗礼による聖化の秘跡だけでない、使徒伝承との関連も見逃すことができないでしょう。つまり、堅信の秘跡は、聖霊降臨の体験の継続とそのしるしとしての使徒たちの按手と結ばれて理解されてきました。それは、主に聖書、使徒言行録に記されている聖霊降臨の出来事です。聖霊降臨には、教会の誕生日といわれるエルサレムの高間での出来事のほかに、サマリアでも(使徒8章14~17節)、カイサリアのローマの百人隊長、コルネリウスの家の人たちにも(使徒19章1~6節)、エフェソの教会にも(使徒19章1~6節)と聖霊が降りました。最後に年足らずのパウロにもダマスコの道の途上でイエスのことばと光に照らされて目が見えなくなりましたが、アナニアが手を置いて祈ったときパウロは目が見えるようになりました(使徒9章17~18節)。これも聖霊が降ったと考えられます。このことをパウロは、「聖霊によらなければ誰も『イエスを主』とは言えない」(1コリント12章3節、ローマ10章9~10節)と信仰宣言の内容と合わせて理解しています。
幼児洗礼の子供たちにとって、堅信式は、新たな聖霊降臨であり、油注がれてキリスト者としての自覚に生きる恵みをいただきます。これほどの大切な信仰の核心に触れる秘跡の機会ですから十分に準備が必要なのです。つまり家庭生活こそ最初の教会体験です。目に見えない神様を信じることですから、目に見えない神に向かって祈る親の姿やことばが何よりも模範となります。十字架のしるし、朝晩の祈り、食前・食後の祈り、自然の素晴らしさ、いのちの尊さ、素晴らしい人と出会いや生き方などの感動を心から表明し神に感謝することを、また悪と罪がそのような美しい自然を破壊し人との関係や愛に亀裂を招き、苦しみをもたらす悪の神秘が介在しますが、そのような悪に打ち勝つキリストの救いの力を信じることによって、神のゆるしと和解の恵みの次元があることを教えるのはもっと大切です。教会において、人類の交わりと一致のしるし、和解のパンだねとなりキリストの使命を継続していく必要を子供たちに段階をへて教えていかなければならないのです。
以上述べたことは、大変な課題のように感じますが、教会は、聖霊降臨の日に聖霊を注がれて誕生しました。それ以来、聖霊は、教会を指導し、導いています。一度受けた秘跡の恵みは消えることがありません。むしろ信仰生活のなかで、人とのかかわりのように長い付き合いを通して聖霊との関係が深まっていくものなのです。この「堅信式」の機会に、秘跡の意味と役割を理解して信仰生活に生かしていただきたいと思います。どうか、ミサの説教の中で語る「教え」を聞いてくださるようにお願い申し上げます。
池田・日生中央教会
共同宣教司牧チーム
畠 基幸
北摂地区八教会合同堅信式が五月二四日(日)昇天祭の午後二時から池長潤大司教司式によりおこなわれることになりました。そこで教会全体でも堅信の秘跡を機会にして、秘跡の意味と信者の生活における秘跡の役割、信仰生活のなかで重要な位置を占める典礼と秘跡的生き方(霊性)の意味を考え深める機会としたいと思います。このために、評議会の賛同も得て、わたしの説教の一部は、この趣旨で話を展開したいと考えております。
わたしたちの小教区には、堅信の秘跡を受けていない青年信者が多く見うけられます。堅信の秘跡を受ける機会が少ないため一度チャンスをのがすと次の機会というものがあまり巡ってこないことや、この秘跡そのものの大切さがあまり認識されていない点もあろうかと思います。大人の入信の場合、洗礼、堅信、聖体の三秘跡(入信の秘跡)を同じ洗礼式のなかで受けることが教会法上も明記されるようになりました。しかし、幼児に洗礼を授ける場合、親の信仰、共同体の信仰により授けるので、子供たちが物事の判断がつくようになる年齢にあわせて信仰教育を施すことが必要です。信仰は自然に自動的に成長するのではなく、子供たち自身がいただいた信仰の賜物を自分のものとするキリストとの出会いと教えが必要なのです。子供たちが、初聖体、ゆるしの秘跡、そして堅信の秘跡などの機会あるごとに段階を追って秘跡にあずかり、イエス・キリストの深い友情を結び、イエスを「主」として礼拝し、日々の生活の中で、キリスト者としての生き方を選びとり、成長していくことが望まれます。
ところで、「堅信」の秘跡は、単に「信仰を固める」だけではない、もっと素晴らしいものだという理解を皆さまに持ってもらいたいとわたしは考えております。確かに、私たちは洗礼によってイエスの死と復活に結ばれ、聖霊によって神の愛が注がれ、イエスと同じように御父を「アッバ、父よ」と呼ぶ御子の霊に満たされ、御子の祈りに参加するものとなりました。こうして、毎日曜日、主日のミサの祈りに心を合わせ、いのちのパンである聖体にあずかり、日々の生活の労苦と感謝をキリストの心と一致して御父にささげるものとなります。洗礼の秘跡でこれだけの恵みが与えられるのなら、「堅信の秘跡」はなにか付け足しのような印象を受けることでしょう。
そこで、典礼学者が注目する3世紀のヒッポリトウスの「使徒伝承」の記録を見てみましょう。洗礼の秘跡には、堅信の秘跡の恵みが含まれていました。すなわち、「①洗礼式と聖餐式の場所と司式者が異なる。洗礼は司祭によって、聖餐は司教によって行われる。②洗礼堂において受洗者は洗礼式の前後に二回にわたって塗油を受ける。③教会堂において受洗者は司教によって按手と塗油としるしの刻印と平和の挨拶を受ける。按手と共に聖霊が降るようにと祈られる。」このように式としては、洗礼式と聖餐式だけで、堅信式という儀式はなかったものの、現在の堅信式に相当する油の塗油と平和の挨拶があり、司祭と司教の役割分担があり、入信を完結させる者として司教の按手が行われていたことがわかります。ここから後の時代に「堅信」の言葉が出てきたことも、また司教が聖霊を授ける式をする通常の執行者であることも理解できます。「堅信式」が別の独立したものとして確立されたのは、5世紀頃、ローマ教会で幼児洗礼が一般化された時代からです。現代の「大人の洗礼式」は古代の伝承に立ち戻ったとも言えましょう。
しかし、現代の「大人の洗礼式」を受けた信者が、堅信の秘跡を受けた記憶がないとおっしゃることも事実で、洗礼式の強烈な印象のなかでは、それはいたしかたのないことなのかもしれない。堅信の秘跡が、幼児洗礼の一般化とともに確立してきたという理由だけでは、堅信の秘跡の固有の存在価値は疑われますが、使徒言行録によれば、洗礼による聖化の秘跡だけでない、使徒伝承との関連も見逃すことができないでしょう。つまり、堅信の秘跡は、聖霊降臨の体験の継続とそのしるしとしての使徒たちの按手と結ばれて理解されてきました。それは、主に聖書、使徒言行録に記されている聖霊降臨の出来事です。聖霊降臨には、教会の誕生日といわれるエルサレムの高間での出来事のほかに、サマリアでも(使徒8章14~17節)、カイサリアのローマの百人隊長、コルネリウスの家の人たちにも(使徒19章1~6節)、エフェソの教会にも(使徒19章1~6節)と聖霊が降りました。最後に年足らずのパウロにもダマスコの道の途上でイエスのことばと光に照らされて目が見えなくなりましたが、アナニアが手を置いて祈ったときパウロは目が見えるようになりました(使徒9章17~18節)。これも聖霊が降ったと考えられます。このことをパウロは、「聖霊によらなければ誰も『イエスを主』とは言えない」(1コリント12章3節、ローマ10章9~10節)と信仰宣言の内容と合わせて理解しています。
幼児洗礼の子供たちにとって、堅信式は、新たな聖霊降臨であり、油注がれてキリスト者としての自覚に生きる恵みをいただきます。これほどの大切な信仰の核心に触れる秘跡の機会ですから十分に準備が必要なのです。つまり家庭生活こそ最初の教会体験です。目に見えない神様を信じることですから、目に見えない神に向かって祈る親の姿やことばが何よりも模範となります。十字架のしるし、朝晩の祈り、食前・食後の祈り、自然の素晴らしさ、いのちの尊さ、素晴らしい人と出会いや生き方などの感動を心から表明し神に感謝することを、また悪と罪がそのような美しい自然を破壊し人との関係や愛に亀裂を招き、苦しみをもたらす悪の神秘が介在しますが、そのような悪に打ち勝つキリストの救いの力を信じることによって、神のゆるしと和解の恵みの次元があることを教えるのはもっと大切です。教会において、人類の交わりと一致のしるし、和解のパンだねとなりキリストの使命を継続していく必要を子供たちに段階をへて教えていかなければならないのです。
以上述べたことは、大変な課題のように感じますが、教会は、聖霊降臨の日に聖霊を注がれて誕生しました。それ以来、聖霊は、教会を指導し、導いています。一度受けた秘跡の恵みは消えることがありません。むしろ信仰生活のなかで、人とのかかわりのように長い付き合いを通して聖霊との関係が深まっていくものなのです。この「堅信式」の機会に、秘跡の意味と役割を理解して信仰生活に生かしていただきたいと思います。どうか、ミサの説教の中で語る「教え」を聞いてくださるようにお願い申し上げます。
堅信式 説明会案内 2月28日(土)
堅信の秘跡 受堅への勧め
すでに教会ニュースレター「からしだね」でお知らせしましたが、
5月24日午後2時、被昇天学院聖堂にて池長潤大司教様の司式により北摂八教会合同で堅信式を行うことになりました。
あなたは、この堅信の秘跡を受けるのにふさわしい年齢になりましたのでお知らせいたします。この機会にぜひとも堅信式を受けるようにお勧めいたします。堅信の秘跡によって、あなたも喜びをもってイエスの弟子、イエスとの親しい友となる素晴らしい恵みをいただきます。今、洗礼の恵みを深め、新たな力をいただく機会です。この秘跡を受けるためには.準備が必要です。そのための説明会を次の日程で行います。 お集まりください。
2月28日 (土) 5時~5時半 カール記念館
畠 基幸 神父
すでに教会ニュースレター「からしだね」でお知らせしましたが、
5月24日午後2時、被昇天学院聖堂にて池長潤大司教様の司式により北摂八教会合同で堅信式を行うことになりました。
あなたは、この堅信の秘跡を受けるのにふさわしい年齢になりましたのでお知らせいたします。この機会にぜひとも堅信式を受けるようにお勧めいたします。堅信の秘跡によって、あなたも喜びをもってイエスの弟子、イエスとの親しい友となる素晴らしい恵みをいただきます。今、洗礼の恵みを深め、新たな力をいただく機会です。この秘跡を受けるためには.準備が必要です。そのための説明会を次の日程で行います。 お集まりください。
2月28日 (土) 5時~5時半 カール記念館
畠 基幸 神父
2月11日 通夜
マルガリータ マリア 平野 ヤナ (2月11日 回生病院にて逝去)
86歳のご生涯でした。通夜には10 数名が集まり、式の途中でお姉さんの峰シズエさんが駆けつけました。峰さんは、97歳、大正元年生まれです。峰さんは十数年前に現役引退するまで、池田教会の賄いをして歴代の主任神父にお仕えしました。平野さんも教会の庭樹に水を毎日してお花の世話をしておられました。朝晩の祈りも、高齢になり読みにくくなって、自分の声を録音してそれに合わせて熱心に祈りをささげておられました。出身は長崎五島市の三井楽教会です。美しい安らかなお顔で眠るように御父のもとへ旅立たれました。五島列島の深い信仰心を思います。喪主は姪御さんのマリア渕上豊子さんです。
葬儀 2月13日 午前 11時30分~
86歳のご生涯でした。通夜には10 数名が集まり、式の途中でお姉さんの峰シズエさんが駆けつけました。峰さんは、97歳、大正元年生まれです。峰さんは十数年前に現役引退するまで、池田教会の賄いをして歴代の主任神父にお仕えしました。平野さんも教会の庭樹に水を毎日してお花の世話をしておられました。朝晩の祈りも、高齢になり読みにくくなって、自分の声を録音してそれに合わせて熱心に祈りをささげておられました。出身は長崎五島市の三井楽教会です。美しい安らかなお顔で眠るように御父のもとへ旅立たれました。五島列島の深い信仰心を思います。喪主は姪御さんのマリア渕上豊子さんです。
葬儀 2月13日 午前 11時30分~
葬儀 (日生中央教会) 2月5日11時30分~
故 マリア・インマクラータ 礒部静子 様 (84歳)
主は豊かな あがないに満ち
主よ わたしの正しい訴えと叫びに 心を留め
いつわりのない祈りに耳を傾けてください。
正しいさばきをわたしに現し
わけ隔てのない目を注いでください。
司式 ウォード・ビドル神父
畠 基 幸 神父
主は豊かな あがないに満ち
主よ わたしの正しい訴えと叫びに 心を留め
いつわりのない祈りに耳を傾けてください。
正しいさばきをわたしに現し
わけ隔てのない目を注いでください。
司式 ウォード・ビドル神父
畠 基 幸 神父
結婚準備講座 (豊中教会)
第一期 北摂地区結婚準備講座が始まりました。
参加者 1組のみ
講師 傘木澄男神父 (豊中教会主任)
結婚講座スタッフ 石井夫妻、三木夫妻、平尾夫妻
講座責任者 畠 基幸神父 (池田教会)
宣伝広報が悪かったためか参加者は一組だけになりました。
第一講座は、主にキリスト教的結婚観についてでしたが、一回ですべての必要な事柄を網羅した体系的なものです。次回からは講座スタッフ夫婦が、それらの内容を噛み砕いて消化できるようにお助けすることになります。
<聖書と結婚>
1 はじめに
2 聖書について
3 旧約聖書・創世記における結婚
4 結婚の目的と本質的特性
5 結婚は「秘跡」である。
6 結婚意志(結婚の合意)の重要性
7 人間の性について
8 結婚の社会性
9 生命の倫理 (生命の尊厳と尊重)
10 結婚式の準備
(1)法的準備
(2)挙式の方式
(3)非キリスト信者の心得
(4)カトリック信者の心得
・・・・・参照 聖書箇所 ・・・・
創世記 1章26~28
創世記 2章18~24
マルコ福音書 10章6~12
エフェソの教会への手紙 5章21~33
参加者 1組のみ
講師 傘木澄男神父 (豊中教会主任)
結婚講座スタッフ 石井夫妻、三木夫妻、平尾夫妻
講座責任者 畠 基幸神父 (池田教会)
宣伝広報が悪かったためか参加者は一組だけになりました。
第一講座は、主にキリスト教的結婚観についてでしたが、一回ですべての必要な事柄を網羅した体系的なものです。次回からは講座スタッフ夫婦が、それらの内容を噛み砕いて消化できるようにお助けすることになります。
<聖書と結婚>
1 はじめに
2 聖書について
3 旧約聖書・創世記における結婚
4 結婚の目的と本質的特性
5 結婚は「秘跡」である。
6 結婚意志(結婚の合意)の重要性
7 人間の性について
8 結婚の社会性
9 生命の倫理 (生命の尊厳と尊重)
10 結婚式の準備
(1)法的準備
(2)挙式の方式
(3)非キリスト信者の心得
(4)カトリック信者の心得
・・・・・参照 聖書箇所 ・・・・
創世記 1章26~28
創世記 2章18~24
マルコ福音書 10章6~12
エフェソの教会への手紙 5章21~33
四旬節黙想会 お知らせ
「四旬節前の黙想会」
2月22日(日)
・黙想指導 シスター高木 慶子( たかき よしこ)
援助修道会のシスター
・テーマ 和解 ゆるしあい
――自分と他者と神との和解――
・ミサと講話 9:00~10:30
・第二の講話 10:40~11:30
* 十字架の道行きと沈黙の黙想(Fr.畠司式)
11:30~12:00
* 赦しの秘跡(希望者)と
シスターとの懇談会 (カール記念館にて)
12:00~12:30
尚 赦しの秘跡は 3月29日 に予定されています。
2月22日(日)
・黙想指導 シスター高木 慶子( たかき よしこ)
援助修道会のシスター
・テーマ 和解 ゆるしあい
――自分と他者と神との和解――
・ミサと講話 9:00~10:30
・第二の講話 10:40~11:30
* 十字架の道行きと沈黙の黙想(Fr.畠司式)
11:30~12:00
* 赦しの秘跡(希望者)と
シスターとの懇談会 (カール記念館にて)
12:00~12:30
尚 赦しの秘跡は 3月29日 に予定されています。