マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 新年のあいさつを申し上げます。

新年 あけましておめでとうございます。
 昨年 父が天に召されましたので 喪中で新年の挨拶を控えるのが普通ですが、わたしにとっては、天の門に入る凱旋の喜びの内に父を見送ったので喪中ではありません。父が通った精華教会で年の瀬、聖家族の祝日の翌日に特に親しかったケアハウス神の園の方々と精華教会の祈りの集いの方々へ父からの感謝と父がお世話になった人々へのお礼の機会を設けて、ご一緒にミサを精華教会でささげました。

これを新年の挨拶といたします。新年

 クリスマス おめでとうございます。

クリスマス おめでとうございます。

nonoi


このクリスマスカードは、昨年から日本に派遣されたフィリピン人宣教師ノノイ神父さんの傑作です。部屋の窓からモミジの木が見えて、冬になっても三枚のモミジの葉がぶら下がっていたので、それをカメラに撮って、PHOTOSHOPで加工処理をして作成しました。上手ですね。センスがあります。過去1年間を振り返ると、故郷のボホール市、レーテの地震による災害、そして巨大な台風、貧しい地域に襲いかかった自然の脅威。1万8千人の死者と7千人を超える行方不明者、そして400万人いるといわれる被災者。多くの被災者が家を失い、屋外で夜を過ごす。仮設住宅もまだまだ届かない。まだまだ混乱の状況の中にある。ただ一つ大きな光は、ミサをささげ、祈りを失わず、聖歌を歌って家族の愛を温めていることです。ノノイ神父さんは、小さな三つのモミジの葉に象徴的なイメージを託してこのカードを作りました。「小さなクリスマス」という流行歌です。その歌詞には、

  小さなクリスマスを祝いなさい。心の中に光となるように!
  来年は、すべての悩みや困難は消えてしまうでしょう。
  小さなクリスマス それは陽気なクリスマス
  来年は、すべての煩いは、遠くへ消えていく

  昔のように クリスマスの楽しい黄金の思い出の日が やってくる
  
  義理堅い昔懐かしい仲間たちが 再び やってくる
  これからは ずっと一緒にいよう
  運命がゆるすなら 
  もっとも高い枝の上に 光り輝く星をつるそう
  さあ 小さな 小さなクリスマスを今日 祝おう

  のように書かれている。(英語の疎訳ですが)
続きを読む>>

 第38回 クリスマス チャリティ コンサート (池田教会)

ピースフル クリスマス ~ ヴァイオリンとピアノのしらべ~

 鷲山 かおり (ヴァイオリン)
 増本 あつ子 (ピアノ)

 2013年12月8日(日)開演 2時 カトリック池田教会聖堂 

 大勢の入場者を迎え、すばらしいクリスマスコンサートを催すことができ、
 主催者 チャリティコンサート実行委員会の労苦が報われたように思います。

 手持ちの小型のLUMIXで撮影した動画と共に感謝の挨拶をユーチューブにアップロードしました。
 

 二つの奇跡

暑さの中 病人・高齢者の方々に大きな慰めと力づけが与えられますように祈ります。被昇天(8月15日)まえの9日間の祈りが8月6日から始まりました。ちょうど平和旬間とも日程が重なります。
 この期間 祈りが豊かな実りをもたらす時期でもあります。
 昨日 フィリピン人のビッキーさんにご聖体を持っていきました。脳腫瘍で今年1月に手術されましたが、腫瘍がとりきれず、細かい腫瘍が残り放射線治療をされていましたが、効果はなく再び 大きな腫瘍に増大し手術しなければ余命一か月、しても六カ月の余命と診断されました。手術をするかどうか難しい決断でしたが、手術をすることになり、7月29日に手術したところ、大きな腫瘍は消えており、小さな腫瘍を取り去るだけで手術が終わりました。奇跡が起こらなければ助からないと医者に言われたので、友人・知人、私や私が知るカリスマ刷新のフィリピンの全国会長バート神父に手術当日ミサを同時にささげることをお願いしました。そして開頭したところ前述のようになかったのです。数日前に家族に説明されたCTスキャンにあった腫瘍が消えている。家族は奇跡を信じました。アレルヤ 神に感謝!

 それだけでなく、ICUにいる間に ビッキーさんは神秘的な体験をして、イエスと共に十字架の道を歩き、十字架上でビッキーさんはイエスになったようにイエスと同じ苦しみと渇きを感じ、渇くと叫び、そして光が彼女を貫き、激しい痛みを感じた。そして、痛みが消えるとともにICUの中で目覚めて歩けるようになったというのです。すごいですね・・・ 池田教会にも奇跡が続きます。

 同じころ Kさんの娘さんが自宅前で自動車にはねられ車の前輪と後輪にひかれ、救急車に運ばれました。骨が折れ内臓破裂のケースでしたが、胸の骨もおれず内臓にも何のダメージもありませんでした。お母さんは感謝のためにミサにこられました。奇跡としかいいようがないと。ご主人の天でのとりなしがあったのでしょうとお伝えしました。というのも、私の母が亡くなった後、父も兄も交通事故に会いましたが、不思議と大きな怪我にならないで助かったので、その時、二人とも母のことを思い浮かべました。

 わたしの父は今弱ってきています。昔、わたしが神学生のころ、父が狭心症になって、このまま放置すると心筋梗塞になるので入院するようにとのことでしたが入院を断った父のことを哀れに思った母が泣いているところに私が電話をちょうどタイミングよく、ほとんど電話しないのにしたのでその時何らかの理由で母に電話したのでした。母に電話したのはこの一回だけかも知れません
。それほどわたしは親不孝者でさびしい思いを母や父にさせましたが、修道会に入会して有頂天になっていたのでしょう。奉献したという理由で両親の思いはあまり考えたこともありませんでした。そのためでしょうか、わたしは心が騒ぎ、その夜寝れなくなり、ロザリオの祈りを夜中ずっとささげて明け方頃、うとうとしたときにマリアさまが夢に現れ、父のそばに立ったのを見ました。その瞬間、不安が消えたのです。ちょうど台風が関西に来ていましたが、その風雨の中、京都に帰り、父に入院を薦めました。父はわたしの言葉を受け入れ、それから3か月入院し、その後狭心症も起こらず、それから35年、91歳の今日までいくつもの癌と闘いながら生きてきました。


 天でのとりなしは 母マリアの祈りがあります。

 祈りは聞かれるのです。 私たちが神の言葉を聴くものとなるように信仰の賜物が与えられるのです。わたしの母は広島で被爆し、その後原爆症で様々な疾患と闘いながら73歳で帰天しましたが、何度もいのちの危機を救われた体験を持っています。母が60歳でわたしは助祭だったときは、子宮がんで入院し進行性の癌と肉腫で末期の手遅れと判断され余命3か月と言われました。わたしは知り合いのあらゆる神父さんや信者さんに祈りをお願いしました。わたしの叙階の前の年も、その前の年も司祭候補者の母が天に召されるということが起こっていました。
 それで、わたしは主にこんなことが許されていいのかと訴えて、神学部の教授や霊性の高い評判の信者、修道者、司祭に頭をさげてお願いしました。お願いするというのは、自分をへりくだらさせなければなりません。人間のちからではどうにもならないことに対して、愛のある神、主イエスにお願いするしかないのです。9時間に及ぶ手術は成功し、抗がん剤治療で6カ月入院し回復しました。

 その時も、ロザリオの祈りをささげ続けて、手術室から天使たちの歌声が聞こえるように感じました。母が手術室から出てきたときには、医者も看護婦も勝利の凱旋門を通る誇らしい戦士のように感じたので、わたしは手術が成功したことを確信しました。
 
 何事であれ 願いと祈りをあきらめないことですね・・・
 最近では、何人かの信者さんがイエスは立派な人間として尊敬するが、神として信じないと仰り、公然と教会から離れていく人がいますが、イエスは神(主)であるのは信仰告白のかなめです。せっかく信仰しても祈りが単なる儀式と道徳の形としか受けとめないのであれば、生きている復活されたイエスの愛と真実を体験できないとは当然なのかもしれません。謙遜に祈ることこそ 主が聴いてくださる祈りでしょう。何よりも主イエスの御父にたいする懇願の祈りに参加することになるのですから・・・
 
 アーメン アレルヤ 主に賛美します。主よ、あなたの栄光をたたえます!

 カテキズム 第一課

すこし不十分ですが、アップしてみました。これに音声の解説を載せなければなりませんが、信仰年の間にカテキズムのテキストの解説をする予定です。これがいろいろな条件が重なって、ミサの中ではゆっくりと話すことができません。ゆっくりした時に話を録音してから載せるというのが良いように思います。試みに載せてみました。完成品ではなく、またこのような講座につかうテキストの引用の許可ももらっていませんが、与えられた小教区の中での研究には問題ないと思います。

" target="_blank">

 新成人 おめでとうございます!

公現の日(1月8日) 
 星の光に導かれて 三博士が幼子イエスを礼拝した話は 降誕節を締めくくる大切な典礼暦です。すべての人が 神を求める旅をする。 星に導かれて・・・ 一人一人は自分の星があるというおとぎの国に登場するイメージですが、闇の中に光り輝く真理の光、 聖書では「一つの星がヤコブから進み出る」(民数記24:7)ダビデ王のことですが、メシアは、みことばが人となった御子の受肉の福音を表現している。御子の降誕の神秘が世に現れて、すべての人の救いの真理となった。三博士は世界を表現して、全世界がメシア、全世界の王、神の御子を礼拝するようにエルサレムにやってくる。この王は力で支配するのではなく、黄金、乳香、没薬の贈り物をささげた。この贈り物は王に対してふさわしいものでしょう。どのような意味が含まれているのでしょう?
 
 今年の新年の平和のメッセージでは、ベネディクト16世教皇様は、若者に向けて語りかけ、ケルンのワールドユースデェイの晩の祈りの説教を一部呼び掛け文として引用しています。

「世界を救うのはイデオロギーではありません。生ける神に戻ることが、世界を救うのです。神は、わたしたちを造り、わたしたちの自由を守り、本当の意味で善にして真実であることを守る方だからです。・・・・ただ、神に向かうことです。神は、何が正しいかを計る秤(はかり)であり、同時にまた、絶えることのない愛だからです。また、愛から離れて、何がわたしたちを救うことができるでしょうか」(9)。(ケルン・ワールドユースデェイ)
 愛は真実を喜びます。愛はわたしたちが真理と正義と平和のために働くことを可能にする力です。なぜなら、愛はすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐えるからです(一コリント13・1-13参照)。
 

 土曜日の夜の7時のミサには一人の新成人が来てくれました。日曜日は働かなくてはならないので 「明日はこれません」と教えてくれました。 日曜日には、この教会の新成人は名簿では8名ほどいるのですが、何名が来るでしょう? 誘い合わせてくれば そんなに照れなくてもいいでしょう。年々 教会へ帰ってくる人が少ないように思います。実際、「絆」は 神との深い絆、イエスはブドウの木だと自己規定され、私たちはその枝であり、つながっている限りは豊かな実を結ぶと約束されたのです。 あなたの星に導かれて イエスに近づききましょう。きっと人生の正しい目標をはっきりとあなたに教えてくださるに違いありません。彼は主キリスト、あなたの神なのです。

 総会を終えて(共同識別への道)

大阪教区の五つの教会像の中の一つが(4番目に)聖霊の導きを識別しながらともに歩む教会像があります。
今年の総会では日生中央及び池田教会での司牧方針として、教区方針を中心に活動することを提案しました。

 「今年の池長大司教様の年頭の新生メッセージでは、やはり(4)の点を強調しておられます。15年間の新生計画を振り返り、足らない点として『あらゆる活動が祈りと一体化されること。私たちの内に宿った神の思いが、行動として現わされ、生き方として現わされる』霊性を挙げておられ、この基本的な生き方(霊性)の養成が急務との認識です。(4)のビジョンを実現するためには、個々人の「みことば、祈り、秘跡、黙想」などの霊的な学びを継続し実践することが大切です。この点は、共同体と司祭チームの助けや協力は大きな役割を果たします。機会あるごとに、グループごとに、また個人で「みことばと祈りと黙想」の時間を作るように意識して励ましていかねばならないと思います。したがって、霊的識別を小教区の今年の司牧チームの強調点としたい」述べました。

 大胆にもこれを司牧チーム方針として掲げましたが、これはなかなかできない困難なことです。しかし日本の教会全体が信仰の継承ができていないことの多くはこの点が欠けていたことによるしょう。
 
 溝部司教様が「現在の日本に生きる熟年の信徒の中には、自分たちの信仰を次世代に伝えられなかったと、胸を打つ人が多いと思います。それは結局、自分個人の信仰でしかなく、いわゆる常識的現代社会の価値観を踏襲したに過ぎない信仰だったことを意味しているのではないでしょうか。青年の教会離れは起こるべくして起こったのです。信仰を中心とした生き方が、わたしたち熟年にできなかった結果と言えましょう。」(『家庭の友』2006年5月掲載記事ーペトロ岐部と187殉教者)と喝破されています。常識的な世にあって信仰を生きるには、聖霊に導かれた生き方、霊的識別が大切です。神を歴史の主と信じる私たちには、具体的な状況に神の摂理が現れていると考え、その状況に働く神の思いを読み、それに応えていくことが求められているからです。

 共同体の霊的識別の資料としては、イエズス会の中井 充著「共同体の霊的識別」という小冊子があります。絶版で手に入りませんが、昔神学生の頃に買い求めて書棚に入れた覚えがありますが、いまそれがどこにあるのかわかりません。教区の祈り推進チームではこれを研究してプログラムに生かそうとしています。一部コピーを読ましてもらっています。神学生の時代に読んでもピンとこなかったことも、今読むとなるほどと納得できます。信仰生活が長くなれば分かってくるところが多いのが霊導弁別です。信仰経験の集大成のようなものだからです。その定義を載せておきましょう。(以下の続きへ)
続きを読む>>

 高山右近の郷 高山 ( 大阪府豊能郡)

 高山右近列福祈願ミサ

 三位一体の祭日、高山右近列福祈願ミサを6月19日午後3時より4時まで予定通り行いました。午前中 わたしは池田教会の信徒総会に出席し、午後から高山の里の史跡巡礼めぐりに一部参加しました。地元観光案内の上山さん、古寺さんのボランティアガイドによる高山右近の故郷の歴史的背景や当時の山里の状況など充実した学習を行うことができ、また副住職の日下部真雄氏の法話など普段接することのできない交わりができ、日生中央教会の一行40名は大変感激しました。

 ミサのなかでは、キリシタンの時代、ラテン語の典礼が使われていたことを考え、17世紀に歌われていた<クレド>を、最新の研究成果である皆川達夫氏による筝曲「六段」とグレゴリオ聖歌との比較したCD曲を信仰宣言の時に聴きながら、ラテン語のニケアコンスタンチノープルのテキストを黙読して当時の人々のミサの祈りの深さをしのびました。高山右近の祖母中マリアは、「自庵」(持仏院)を聖ジュリアンにささげるオラトリヨ(小聖堂)として村人の祈りの場とし、たびたび京都のヴィエラ神父を招きミサに与っていたと伝えらています。今日は、この地で400年ぶりにミサをささげたことは深い感動が参列者にありました。

写真はミサ後の記念写真:
 参加者は、新聞記事で駆けつけた豊中、箕面、池田、今市の信者さんや牧師夫妻、地元の方々、お坊さんなど高山右近の縁で集った総勢60名近くの人数となりました。わたしは「倶会一処(くえいっしょ)」とはこのことかと仏教用語を拝借して挨拶をしました。

記念写真
高山右近列聖祈願ミサの式次第表紙:

ミサ式次第 

右近生誕記念碑      高山城址から見た棚田の景色

生誕碑  高山城址から見る景色

 多忙な毎日

 ブログに書き込む時間がほとんどなかったのは、昇天祭前の司祭黙想会、昇天祭後の共同体の日、大阪管区司祭研修会、そして聖霊降臨後の聖霊セミナーと黙想、研修と続いたために、時間的な余裕がなかったからでした。今後、信徒総会が二つ、そして高山右近列聖祈願ミサがあります。もう新聞はずっと読んでいません。

 司祭黙想会(5月29日~6月4日、宗像市)は、完全沈黙で観想の祈りを4時間と教会の祈り、ミサ、その他の信心業(わたしの場合 十字架の道行)で、確実に一日6時間半から7時間祈りました。これに講話が朝と昼と夜にあったので、外部との接触が完全に断たれました。恵み深い祈りのときでした。

 司祭研修会(大阪管区)ー召命がテーマだったのですが、若手司祭から、60歳代以上の司祭が活躍しすぎると思う。若手司祭の活躍の場がないから召命が増えないという意見も出て、60歳のわたしは、そんなふうに見られる年回りになったのかと改めて気づきました。悪循環なのかもしれませんが、若手が生まれるまでは、まだまだ多忙でいなければなりません。

 宝塚黙想の家での聖霊セミナーは、昨年の2泊3日のカンズメ黙想会に次ぐ2回目です。他に秋田と札幌でもやりましたが、今回強烈にインパクトがあったように感じるのは、司祭黙想会で十分に充電してきたからかもしれません。教えの賜物に大きな力がありました。また、参加者の中に、友人の心臓手術の心配で胸が苦しいと訴える人、長年心臓の圧迫感で苦しみ薬を処方してもらっていた人、耳が不愉快な雑音で苦しんでいる人のために、講話を中断して皆でいやしのために祈りました。するとすぐに軽くなり後には全くいやされたので皆が驚きました。わたしたちにはいやしの賜物はないが、いやしのために祈る賜物があるとのロバート・ファリシー神父のことばを紹介して、いやしのために祈ったことが大きな恵みとなりました。癒し主は、主イエスただ一人であることを深く確認できたのは大きな収穫でした。


 

 染野神父着任 歓迎パーティ

5月1日 いつくしみの主日に 染野神父さんが着任しました。とてもなごやかな歓迎会で、同時に松本神父の送別会も行われ、また新入りの侍者会入門式もあり、侍者の集いもありました。わたしは日生中央教会のミサの担当でしたのでパーティに出られませんでした。石戸氏のアルバム写真を閲覧して様子がわかりました。その中の四枚を拝借。

  somenomatumoto染野神父、松本神父似顔絵
上手に書く人がいるのですね・・・ よく特徴が描けています。
新任の染野神父さんは、長崎の城山教会で助任、福岡黙想の家で黙想指導者として活躍されました。有能で誠実な人柄が魅力です。よろしくお願いします。

侍者入会式 (初聖体した子供たちは翌週から侍者を務めます。)

nyumon1 nyumon02

挨拶:松本挨拶 松本神父は売布の修道院長として就任します。たくさんのポストの長となり、重責を若さと笑顔で軽々と担います。天国のお母さんの祈りがいつも支えになって、池田教会では着実に大きく霊的に、人間的に成長されました。お元気で、これからは修道会の船頭さんとして 末永くよろしくお願いします。
1/1

このページのトップへ