マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 新年 明けましておめでとうございます。

神の母 聖マリア (主の降誕八日目)
元旦

第一 朗読  民数記 6章 22節~27節
 主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
 主がみ顔を向けてあなたを照らし あなたに恵みを与えられるように
 主がみ顔を向けてあなたに平安を賜るように。
 彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。

第二 朗読  使徒パウロのガラテヤの教会への手紙
       (ガラテヤ4章4節~7節)
 「あなたがたが子であることは、神が、『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。6節)」

福 音    ルカによる福音 ルカ2章16節~21節

 「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。(21節)」
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 ケアハウス 父の家訪問

今年の仕事納めは、二年ぶりに父の家を訪ねて「神の園」に来ました。

 夕方到着して、しばらく近況を話してから、父が仕込んでくれた焼酎割で晩酌し、弁当を食べて、ニュースをみて、風呂に入る。祈りもしないで布団に潜り込む。こんな生活だったなと昔を思い出す。
 酔いが回ったのか祈らずにいつのまにか寝てしまい、翌日 8時前に父に起こされて目が覚める。父の家に戻った気分・・・。
 朝食を一緒にゆっくり食べたのち、
 1時間ほど祈り、ミサの準備をしたのち、
 神の園の信者の方々と一緒にミサをして、それから1時間半
 皆さんとお菓子を食べたり、お茶を飲み、
 和やかに団欒の時を持ちました。
 皆さんから、月に一回は 来てほしいと注文が入りました。
神の園



父の歌声響く グロォ~ォ~リア インネクシェルスィス デェ~ェオ
 
 父
年の瀬の休みのひと時、一年の疲れが取れました。
また明日から忙しい毎日です。 皆さん よい年をお迎えください。

 ブラジルの青年たちの「主の祈り」

青年のための「主の祈り」


<天におられるわたしたちの父よ。>

若い人たちの心にいる わたしたちの父よ。
わたしたちの歩みを導いてくださる父よ。
見捨てられている若い人たちの父よ。
この世界をより良いものへと導いてくださる わたしたちの父よ。

<御名が聖とされますように。>

わたしたちの毎日の行動の中で 御名が聖とされますように。
わたしたちが語る言葉によって 御名が聖とされますように。
わたしたちが善を行うことによって 御名が聖とされますように。
あなたに賛美と感謝を捧げることによって 御名が聖とされますように。

<御国が来ますように。>

希望を失った若い人たちと 堕落の道に陥ってゆく若い人たちに 
希望の御国が来ますように。
家族から遠く離れている若い人たちに 良き友を得る御国が来ますように。
愛を失って、憎しみに陥っている若い人たちに 赦しの御国が来ますように。
あなたの子供であるわたしたちに 信仰と誠実さを保つ御国が来ますように。


<御心が天に行われるとおり 地にも行われますように。>

わたしたちの毎日の行いの中で 御心が行われますように。
わたしたちがあなたの御言葉を語る時に 御心が行われますように。
わたしたちが善を行う時に 御心が行われますように。
わたしたちが神の愛を証しする時に 御心が行われますように。


<わたしたちの日毎のかてを 今日もお与えください。>

あなたの子供であるわたしたちに 日毎のかてをお与えください。
御聖体と御言葉によって 日毎のかてをお与えください。
友愛と正義によって 日毎のかてをお与えください。
仕事と文化、信仰と愛によって 日毎のかてをお与えください。


<わたしたちの罪をお赦しください。わたしたちも人を赦します。>

主よ わたしたちの罪をいつも赦してください。
わたしたちを侮辱した人たちを 主よ 赦してください。
わたしたちが仲間はずれをしてしまったことや、友情関係を壊してしまったことに対して
主よ 赦してください。
わたしたちがあなたをもっとまじめに愛することができなくて 主よ 赦してください。


<わたしたちを誘惑におちいらせず 悪からお救いください。>

福音に対して無責任となる 悪からお救いください。
わたしたちがあなたの御心を無視する 悪からお救いください。
わたしたちを間違った道におちいらせず 悪からお救いください。
わたしたちを誘惑におちいらせず 永遠の命を得ることができますように。
アーメン

 死者の日

日記:
死者の日、この日は、多忙です。三田のヨセフ寮での亡くなった園生及び家族の追悼ミサ(午前)、御受難会男女の合同慰霊祭(午後)、高齢者の家訪問、命日のご家族への慰問、そして夜は、日生中央教会の死者のためのミサ(納骨されたご家族 36家族の合同慰霊ミサ)、そして夜の祈りと相談、池田教会へは夜の10時に帰宅、伝言を読み、パソコンに向かう。メールの返事を書き、ブログに書き込む。朝6時から真夜中1時までずっと起きている。睡眠時間は毎日5時間弱。超過勤務だな・・・司祭の仕事は能率よくはできない。つまり生産性と無縁の世界。長時間働いたとしても疲労しない。労働基準局の監督の下にはない。マイペース、マイペース。あせらずに前に進む。自己管理。勤務時間はあってないようなものなの。勤務評価は、天に召されてからしかわからない。雇われ人でも雇い主は目に見えぬお方なのだ。もっとも本人は分かるのだが・・・これではだめだということが。とにかくなんとかなるという希望的観測のうちに前に進む。

黙想:
 聖ビアンネは司祭、主任司祭の模範として保護の聖人になっているが、それは司祭の労働の規範となっている。彼は住まいを教会堂に定め、粗末な食事をし、16時間告解室にへばりついて信者の罪を聞いた。これは労働者の労働よりも苛酷である。この牢獄から3度聖ビアンネは逃亡した。しかし、厭で逃げ出したのではなく、この聖務にふさわしくない無価値な自分を取り除くためでした。そしてこの聖務が彼の体力を弱め命を奪いました。この英雄的行為のために彼は聖人になったのではなく、預言者のように神への熱い愛をあかしした結果のためでした。彼は単純に教会の教えを述べた。「この世では、神の望みにかなったしるしなしには、神について経験することはありません」確かに、しるしなしでは決して神を体験することはできない。ただ、人はしるしの中でのみ神を見いだせると誤解しそれを獲得することに熱心になる。しるしを目的化してしまうのだ。これが危険な道になる。聖ビアンネは、しるしが手段にすぎないことを教えた。その背後の神秘に目を向けることを教えた。「聖体拝領 神の三つのペルソナはこの魂の内に住みます。それは小さな天国です。」福者に列福されたとき彼の心臓は取り出して飾られました。その熱い心は、ビアンネを聖人にした。だから、その心臓はみ心の目に見える熱い心のしるしであって、目的ではないとわかる。(写真は現地に行くことができれば・・・)今の時代は、ゆるしの秘跡を受ける人は激減し、魂の病を吟味し処方箋を書く司祭の役割がなくなって、霊的な病が蔓延することになる。つまり、神のあわれみといつくしみを知らない信仰者が増えた。

御受難会男子女子合同慰霊祭 (11月2日午後2時、売布 カルワリオ墓地)

毎週墓地に花を飾ってくださる磯村美代子さんと一緒に、
 「いずれ私もこの墓地でお世話になります。」と私。磯村 
これは軽い冗談でなく本当のことだが、墓地では口にしやすかった。

Br.笹田さんのお父さん(熊本からこの日の墓参のために)笹田父

ミサ(司式 山内十束、説教 ウォード、 挨拶 雲田院長 )
この日は観想修道院の女子会員も一緒に祈りをささげました。
女子1 女子2 女子3

ウォード神父 そして雲田助祭、鹿山ブラザー
Ward1 kumo 準備

 十字架の聖パウロの手紙 

あなたが深い神の現存の思いに圧倒されるなら、他のどんな祈りも行おうとしないで、その神の現存の感覚を味わいなさい。神に自分を委ね、神に憩い、すべての思い煩いを神の御手にゆだねるのです。明日のことは思い悩まず、今の時を生きればよい。今においてこそ神はいつも善き喜びに満たしてくださるからです。"...When a deep recollection comes over you from the Presence of God, accept it without attempting any other prayer. Abandon yourself to God, rest in God, and turn over to him the care of everything. Do not worry about tomorrow; live for the moment, fulfilling the Good Pleasure of God always..."

~Paul of the Cross' letter to Agnes Grazi 10th letter on April 17, 1734 in Volume #1 - Paul's Letter #72
スザン・M・ハーカー(Suzanne M. Harker)さんの霊的サークルから

nissei01コルベの森だより表紙絵から 

 悲しみの聖母 (御受難会の特別保護者)

九月一五日 悲しみの聖母
御受難会特別保護者 (御受難会固有祝日)

伝統的なものを引き継ぎつつ、一九六四年の第三八回総会で満場一致の賛成によって、悲しみの聖母はわたしたちの修道会の第一級の保護聖人として定められました。これは一九七二年に第一回世界シノドスで、新しい御受難会固有のカレンダーが準備されるに当たり、関係者の問合せによって確認されました。総長顧問会はそのような決議やそこに出席しているすべての修道者の円満な同意を見て、教皇庁に公認を求める手続きをすることを決定しました。教皇パウロ六世は、一九七三年三月八日付の短い書簡の形による使徒書簡「Quam Ardens」によって「悲しみの聖母マリア」が御受難修道会の第一級の保護聖人であるとして公認し宣言しました。
悲しみの聖母の祝日を祝うことは、聖母とともにキリストの御受難の神秘の中に参加を深める機会をすべての御受難会員に提供するものです。彼女を崇敬することは、創立者の足跡に従うことでもあります。創立者は個人的な信心によっても、手紙や説教、すべての使徒職の働きの中でも、御受難の中で聖なる御子と一致している聖母を深く崇敬していました。

賛歌
   ①

十字架の下に御自分を置き、
母は嘆きつつ泣きながら、
最後までイエスの傍らに立たれた。

悲しみの母は、
その汚れなき御心を通して、
イエスの悲しみを分かちつつ、
すべての苦き苦しみを耐えておられる。
剣はその御心を刺し通した。

一人子を深く祝された母は、
どんなに悲しみ痛みを持って苦しまれたことか。
キリストは苦しみの十字架の上に、
母はその下で、
死に行く栄光の息子の心痛を看とられる。


その悲しみが深すぎるため、
涙することなき方が一人。
苦しむキリストを
見つめ続ける敬慕すべき母
言葉なく苦しむ母のその心を、
人間の心はどれだけ味わいつくし、
反復することが出来ようか。

打たれ、嗤笑され、呪われ、汚された心を…。
むち打たれ血塗られた、
いつくしみそのものの息子を見つめる母。

同胞の罪の故に、命が取られるまで、
絶望的な十字架につるされている御子を看取る母。
キリストよ、あなたがわたしを呼ばれるとき、
あなたの母がわたしの避難所でありますように。
あなたの十字架が私の勝利でありますように。
アーメン。




   ②
アダムの悲しい罪の後に、
彼の子供等は自らの運命を見た。
正義は為されなければならなかった。

失われた恩恵、悲しみ、反逆者の肉、
暗い死、祝福されながらも無効にされた希望。
これらすべては罪深い民の上に押し被せられた。

だれがこのアダムの子供を助けるのだろうか。
神お一人ががそうされなかったなら、
神以外の誰がそれを完全に贖うことが出来ただろうか。神以外の誰かを捜しても無駄だ。

神御自身こそが
重荷を負う肉なる者を保証されたのだから。
神は苦しみ、償う。
わたしたちに対する愛のあまりに、
ご自分で罪を贖われる。

これがすべてではない。
イエスの母は共に立つ、
わたしたちが贖われるために、
イエスの御受難に
母の悲しみを添えて参加されるのだ。

私たちの確かな母であることを証する
悲しむ母の姿を、
わたしたち皆はいつも思い起こす。

栄光は父と子と聖霊に。
初めのように 今も いつも 世々に。 アーメン。
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 十字架の称賛の祝日

十字架の称賛の祝日は御受難修道会にとっても会の固有の祝日です。

 この日の時課の典礼の読書課では十字架の聖パウロの手紙が会員にとっては決められた朗読箇所になります。

 読書課
第二朗読 
十字架の聖パウロの書簡集より
(Lettere II,825; 1, 184, 275,277)
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 悲しみの聖母のノベナの祈り (続)

「悲しみ苦悩する全ての人のため悲しみの聖母修道院(宝塚市売布山手町1-2)では、女子御受難会員が十字架のもとに立たれる聖母マリアの取り次ぎを求めてお祈りしています。」との伝言を院長様から預かりました。
 
 11年間連続年間自殺者数3万人を超える日本、今年は4万人を超えるかもしれません。これはイラン・イラクのテロ被害者や戦死者よりも多いのです。
 明日からうつ病の対策週間が始まると聞きました。長期間、うつで、いつ治るともわからない抑圧された気分の晴れない生気のない毎日を送っておられる方々のために 祈りましょう。

聖母の悲しみのノヴェナ (Benedictine Booklets)

  ああ 聖なるおとめ、苦しみに貫かれたおとめ、殉教者の元后よ、
あなたは 十字架のもとに立ち、死に逝く御子の苦悶を目の当たりにされました。
あなたの一生涯の絶え間ない苦しみ、そして今は過ぎ去った試みに報いて余りある至福を通して母の優しさと憐れみをもって、私を観て下さい。
あなたの悲しみを崇めるため御前にひざまずき、子供の信頼をもって、傷ついたみ心の至聖所でお願いします。
イエズス・キリストのいとも聖なる御受難と、あなたの十字架のもとでの苦しみの功徳によって、私自身のためにもお願いいたします。
どうかお二人の一致によってお聞き入れ下さい。
おお、憐れみの御母よ、あなたは御子の杯を底まで飲み干されましたから、
私の今の必要と惨めさをあなた以外の誰に持って行けるでしょうか?
あなたこそは島流しの世で未だに嘆息する者の嘆きに同情することがおできになります。
                                   アーメン

わたしの祈り:わたしたちはこの世では島流し、「捕囚の民」との理解です。シスターマリア・ドローレス長谷川(韓国御受難女子修道会所属)の訳です。荒野での試みの時、イエスのことばは力強い。「人はパンだけでは生きるものではない。神の口から出る一つ一つのことばによって生きる。」現代の荒野のなかで、パンのためにだけ働くことに病みつかれている。「神のことばによって生きる。」神を信じることのできない現代の状況の中で、このことばは虚ろに響くのだろうか?信じたいが信じられない。自分を明け渡し、ゆだねることができない。これはなぜだろう。御子と聖母の二人の愛と信頼は死をもいとわず、御父のみ旨として最悪の悪を受諾した。御父への信頼を貫くことによって、不信の壁を打ち砕き、和解の恵みをわたしたちにもたらすために罪のあがないとなった。愛は悪の企てを無にする。このことに力づけられて、原罪のように自分にのしかかる十字架を神の意志として受けとめる恵みと力を願い求めましょう。
 わたしとわたしのかかわりのある方のすべての罪のゆるしと恵みを願って

*  悲しみの聖母への祈り
おお、愛と悲しみの御母よ、
あなたは世がイエズスを捨て去ったとき、忠実に留まり、
主を慰める者が誰もいなかったとき、主とともに悲しまれました。
どうか私たちに、あなたがイエズスを愛されるように愛させて下さい。
そうしてこのような愛をほしければ、常に苦しまねばならないなら、そうさせて下さい。
どうぞ私たちのために取り次ぎ、神様の御手から来るものを全て好み、
苦しみ、悲しみ、死さえも主からのものとして愛させて下さい。  アーメン

おお マリアよ、御悲しみの功徳によって常にあなたの忠実な子とならせて下さい!
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 十字架の聖パウロの手紙から

アグネスへの手紙の中で 信心をするためにできるだけよく寝て、頭をすっきりさせておくようにとの指示です。 今は毎日が寝不足で、病人訪問をするのを控えています。これがメールで飛んできたのは私への警告のためかもしれません。タイムリーです。

"... keep yourself recollected; keep your spirit raised...; take what nourishment you need out of love for God; sleep as much as you need so that your head may be clear and prepared for your exercises of piety."~Paul of the Cross' letter to Agnes Grazi 4th letter on August 10, 1733 in Volume #1 - Paul's Letter #62

 悲しみの聖母のノベナの祈り

9月15日は悲しみの聖母の祝日です。 それに先立って9日間の祈りがささげられます。百日共同祈願はこの日から始めますが、今続々とハガキが到着してます。

 悲しみの聖母のノヴェナは 九日間の祈りで 9/4日から 12日まで(13日は十字架称讃の前晩なのでその前に終わります)。
わたしはどのように祈るのかよく分からないので御受難会の悲しみの聖母修道院院長に聞きました。
女子修道院では次のようにしているそうです。
 「私たちはずっと 伝統的に守っています。
ひばりヶ丘ではずっとバイブルヴィジルの祈りをしていました。
第一日目はノヴェナの初めでモノローグといったところ
第二日目から悲しみの聖母の7つの御悲しみの一つずつを第8日目まで黙想します。第9日目は結びの日でエピローグといったところ。
個人的に、悲しみの聖母の道行きをしたり、悲しみの聖母のロザリオを唱えたりもします。」

悲しみの聖母の伝統的なラテン語の祈りを掲載します。
八百年間教会の中で祈り継がれてきた祈りです。
生命山のフランコ神父さんが訳しました。
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