マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 家族葬

 池田教会

 7月14日 朝 8時16分 マリア・アグネス 鼈甲屋ハナ様 生駒病院にて帰天。
 大正6年生まれ、 平戸の紐差教会出身 93歳

 通夜   14日 午後7時
 葬儀   15日 午後2時 ~ 3時

 家族だけの通夜・葬儀を執り行いました。
 2年前に池田教会に大和高田教会から転入、池田市民病院に入院し病状重く
 臨終前に葬儀の相談に息子さんが池田教会に来られたので、さっそく病院へ
 出かけて、病者の塗油の秘跡をお授けしたところ、奇跡的に意識を回復、
 その後2年間入退院を繰り返された。
 「十分に親孝行ができて思い残すことはありません。
  遺言は、静かに教会で葬儀してほしい。」(息子さんのことば)
 生前信仰深く、90歳までは自分で教会に足を運び、熱心に祈りをささげていました。
 最後は、静かな安心したお顔で御父のもとへとマリア様に抱かれて旅立たれました。 

 アレルヤ アレルヤ 
  天と地の主である神は 
          たたえられますように。
    あなたは神の国を
          小さい人々に現してくださった。
                アレルヤ アレルヤ
         
 通夜1
暁の鐘からゆべの鐘まで
 1898 (フランシス・ジャム 1968~1938)
続きを読む>>

 心配しました。

先週から デジカメが見当たらず、どこをさがしも見つかりません。一週間 ずーと 何か落ち着かない感じでした。そして、乙女殉教者マリア・ゴレッチの祝日、今朝は、携帯まで紛失。。。 あれー どうなっているのか? 探し物の大騒動。 ゥーン、寝る時までは 手に持って部屋に入ったのを覚えているが・・・

ない ない ない  そして 一時間半 大きな収穫が…カメラも見つかり 携帯も見つかったのでした。ばんざい ばんざい。 何か手品に遭遇しているような気持です。何しろ鞄を数回手にして探したのに、その同じ鞄からカメラが出てきました。そして携帯はベッドの下から現れました。誰かに隠されたような・・・悪い天使がいるものですね。今朝は、仕上げの文章があり、時間に迫られていたのに・・・、
なにか大切な文章を書いたり、なにかしようとすると 何かが消えて、時間がかぎりなく失われる。  

いろいろご心配をおかけします。 何しろ 若年性痴呆のはじまりのような気がして、ちょっとひやりとしました。

アーメン

 司祭の年 始まる

教皇ベネディクト16世は、2009年6月19日から来年の6月19日までの一年を「司祭の年」として、みこころの祭日のこの日を選んで宣言されました。

 みこころと深く結ばれた司祭職を新たにできますように!
 みなさまの祈りをお願いします。とくに石の心ではなく
 肉の心となるように皆様の祈りをお願いします。
 
 司祭の年を迎える準備の黙想をしました。
 6月15日から19日まで 
 御受難会女子黙想の家 (売布)
続きを読む>>

 聖ジェンマ・ガルガーニ

聖ジェンマのスライドショーを以前作ったことがありました。

 http://www.passionist.jp/cp/genma/

まだそのままになっています。わたしの悪い癖で、途中で投げ出してしまいました。他の聖人たちもスライドショーができるようにしたいのですが、なにしろ時間がありません。今日も午前様です。アレルヤ!

 みことばの七つのイメージ

A みことばの七つのイメージ
B みことばの七つの効果
C みことばの七つの色と効果
 
 聖アンドレ福音宣教学校の中で学んだ聖書のイメージ

 1 灯火   詩篇119・105、エレミヤ 20章
   (効果は、創造的 創世記1章1-3節、コロ3章16節) 
       
 2 剣    エフェソ6章17b、ヘブライ 4章12節
   (効果は、分ける、切り離す)

 3 金槌   エレミヤ23章29節 ルカ18章31-43節
   (効果は、救いといやし)

 4 水・雨  イザヤ55章10~11節 ヨハネ7章37~39節
   (効果は、回心と信仰)

 5 蜜    詩篇119:103、 申命記10:12-13
   (効果は、聖霊降臨)

 6 種    ルカ8章11節 マルコ4章26節~27節
   (効果は、共同体をつくる)

 7 食物   マタイ4章4節
   (効果は、永遠の生命)

 シスターマルガリタの著書「イエスは今日も生きておられる」(第二章みことば)には、「祈りはみことばという支えがなければならない p75」と断言しておられますが、この章全体は、この聖書のイメージに重なるイメージを使っておられますので興味深いです。

 確かに、みことばに対する信仰、これがカトリックの信徒には弱いのです。司祭である私にとっても勉強しても勉強しても何かまだつかめていないというのは本当ですね・・・特に祈りのことばにまで深めることは理想であり目標なのです。みことばは天からの生きたパン、みことばが人となられた方の肉を食べるのですから・・・ふさわしい実りが期待できるのです。このイメージとしては、米国の御受難会の黙想の家の聖堂でみことばの祭壇を主の食卓の祭壇に並行して置かれた聖堂を見たことがあります。主日にささげられる「感謝の祭儀は、神のことばの食卓とキリストの体の食卓」とからなる一つの食卓とみなされるべきです。祭壇が一つだけだとそのことが忘れられるからでしょう。プラド・フロレス師もこのことを指摘されていました。公会議後のみことばに重点を置くことはますます信仰生活に影響を与えることになると思います。特に秘跡とみことばは切り離せないからです。

 昨年のシノドスでは、教皇様自身が、歴史研究と神学的研究のバランスを実験的例示するために「ナザレとのイエス」を著わしたことを報告しておられます。啓示憲章12項を基本に聖書解釈の二つのレベルの方法論について言及されているのですが、聖書学際的研究する必要性、ーつまり歴史的批判的研究、同時に信仰の書として神学的な意味を読む方法には、聖書全体の内容の統一性、教会全体の生きた伝統、信仰の類比に注意することの三点が指摘されていました。教皇様はこれらを踏まえて初めて神学的釈義ができるが、これが聖書解釈にふさわしいといわれました。


 「信仰の類比」ということばで何を意味されているのか、わかりにくいですが、寓意や予型論的解釈、神秘神学、象徴神学、秘跡神学に関連があるのかなとわたしは漠然と連想するのですが、これは一体何かを何れいつかすこし勉強してから皆様にお伝えできればいいのですが・・・ シノドス文書に書かれていると期待していますが、今言えることは、聖アンドレ福音聖書学校では、上記の七つのイメージから類推して、この「信仰の類比」の聖書的理解を重視しているのではないかとわたしは講座を受けてみて感じました。
続きを読む>>

 友、遠方より来る また楽しからずや

マレーシア、ボルネオ島北西部の州都クチン(Kuching、SARAWAK州)から サイモン・ポー神父が日本にやってきました。中国系のマレーシア人は、差別されており、何かとハンディがあると言っていましたが、とても明るい性格で、一緒にいるだけで楽しくなり、あれこれ冗談をいいながら半日をゆっくり大丸のスカイビューでコーヒーを飲み、ここは少し高いけれども、何杯でもお変わりできるのがうれしいところで、わたしの唯一の喫茶店、ここで二時間くらいだべってそれから大阪城公園を散策して池田教会に・・・ 楽しい時間で何もしていないのに久しぶりに楽しかった。9年前に台北で知り合った神父さんです。イタリア語、中国語、マレーシア語にいくつかの部族方言をマスターしたと話す。クチン教区の事務局長、教会法が専門で、ローマ留学で、今回も留学中に知り合った神父さんたちを訪ねての同窓会旅行。それであなたに会いたいというのでわたしもつきあいすることになりました。さて、新型インフルエンザが発生する前だったので良かった。マレーシアのカトリックの現状はと聞くと、ダイアン部族はすべてクリスチャンと言っていました。みな豚肉を食べるのでイスラム教に改宗することは考えられないと・・・ボルネオ島はカトリック地区だが、それでも召命はほとんどなく将来はどうなるかと心配する様子はないが、心配な話をしていました。
カフェサイモン

 造られたもので無駄になるものはない。

ひびの入った壺と完全な壺 (作者不詳 シスター Mary )
(日本語訳はこちらをご覧ください。小熊晴代さんのブログです。祈りの輪が広がるのはうれしいことです。ありがたい協力です。)
  http://stjohn0105.exblog.jp/11059971/
An elderly Chinese woman had two large pots, each hung on the ends of a pole which she carried across her neck.

One of the pots had a crack in it while the other pot was perfect and always delivered a full portion of water.

At the end of the long walks from the stream to the house, the cracked pot arrived only half full.

For a full two years this went on daily, with the woman bringing home only one and a half pots of water.

Of course, the perfect pot was proud of its accomplishments.

But the poor cracked pot was ashamed of its own imperfection, and miserable that it could only do half of what it had been made to do.

After two years of what it perceived to be bitter failure, it spoke to the woman one day by the stream.

''I am ashamed of myself, because this crack in my side causes water to leak out all the way back to your house.''

The old woman smiled, ''Did you notice that there are flowers on your side of the path, but not on the other pot's side?''

''That's because I have always known about your flaw, so I planted flower seeds on your side of the path, and every day while we walk back, you water them.''

''For two years I have been able to pick these beautiful flowers to decorate the table.''

''Without you being just the way you are, there would not be this beauty to grace the house.''


Each of us has our own unique flaw. But it's the cracks and flaws we each have that make our lives together so very interesting and rewarding. You've just got to take each person for what they are and look for the good in them.

わたしたちも一生懸命にやっていて時に立ちどまって周りを見ると自分は何の役に立っているのかわからないことがあります。このお話の結論は他者をありのままにその善さを探して見るよにということですが、イエス様はそうしてくださっている方だと思います。イエスのまなざしによってわたしは力づけられ、わたしは一歩踏み出すことができるのです。無駄にはならないから・・・そう思えば、自分では気づかないけれども・・・あれこれして失敗しても、きっとうまく使ってくださっているのです。それに気づくと無様な自分でも何とかしてくださるのだと・・・それがわかると喜びが湧きあがります。

 「わたしの掟を自分のものとし、それを守る人、
  その人は、わたしを愛する者である。
  わたしを愛する者は、わたしの父に愛される。
  わたしもその人を愛し、私自身をその人に見せる。」
            (ヨハネ14章21節)
 
 わたしの使い道を上手に教えてください!
  聖霊、来て、イエスの霊で満たしてください。

 五つの御傷の記念

集会祈願
 救いの源である父よ
 復活された主イエスのからだに 主の御傷が残されました。
 その傷によって癒されたわたしたちがいつも感謝をもって
 御子の受難にあずかり、新しい復活の命に立ち上がることができますように
 聖霊の交わりの中で あなたとともに
 世々に生き、支配しておられる御子、
 わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。


奉納祈願
 聖なる父よ、
 十字架につけられたイエスとともに
 この供えものをささげて 祈ります。
 わたしたちも み心にかなう供えものとしてください。
 わたしたちの主・イエス・キリストによって。 アーメン


拝領祈願
 全能の神よ、
 いのちの糧で養われる私たちが 御子の傷を心に刻み
 愛に満たされて信仰の道を歩むことができますように
 わたしたちの主・イエス・キリストによって。 ア~メン

 栄光の御傷の祝日(御受難会固有の典礼暦)

復活第二金曜日
主イエズス・キリストの光栄ある御傷 (祝日)


読書
賛歌

槍よ、おまえをどのように褒めようか。
おまえがキリストの脇腹を開き、
教会は生まれたのだから。

キリストの体が眠っている間に
その脇腹から現れた新しいエバよ。
新しいアダムは自らの心臓から流れ出る
血と水の中でエバを生んだ。

釘よ、おまえをどのように褒めようか。
キリストの聖なる手足に打ち込まれたのだから。
おまえが十字架に打ち込まれ、
キリストの御血によって、
私たちの死刑の判決は廃止された。

イエズスよ、聖なる人々と天使たちは
あなたをたたえる。
天の国においても
あなたの手足には釘の跡が残り、
あなたの脇腹には槍の傷跡がある。
そしてあなたは父と聖霊とともに
すべてを治めておられる。





朝の祈りの賛歌

キリストの体には
その激しい死のしるしが付けられた。
それは死の戦利品、
世界に対する勝利の戦利品。

限りない愛の証し
キリストの御傷に栄光あれ。
あなたから途切れることのない紅い川が流れ出る。

あなたは輝きにおいては星にまさり、
薔薇や鳳仙花よりも、かぐわしい。
インドの宝石よりも価値があり、
甘さにおいてはミツバチの巣にまさる。

来なさい。あなたの罪の汚れ、
あなたの病など問題ではない。
この救いの洗礼を受ける者は
再び清くされる。

古い命に死に、新しい命に生まれ、
十字架を通してキリストに従う私たちに、
主の栄光を礼拝させてください。

釘と槍で刺し抜かれたイエスよ。
あらゆる栄光と誉れは永遠に
あなたと御父と憐れみ深い聖霊に。
アーメン。
続きを読む>>

 聖金曜日

Lk 23:46
「父よ わたしの霊を御手にゆだねます。」
Father, into your hands I commend my spirit.

イザヤ 52章13節~53章12節 (第四しもべの歌)

 苦しむしもべの歌のもっとも重要な箇所、

詩篇 31、 2節、6節、12~13節、15~16節、17節、25節
 信頼をもって、神のみ顔を求めて、御父の御手に自らをゆだねる。
 「父よ、ゆだねます。 わたしの すべて
    父よ、ゆだねます。 あなたのみ手に」 (テゼ)


ヘブライ書 4章14節~16節、5章7節~9節
 イエスだけが、人と神との和解のいけにえとなることができる。罪の完全な贖いの汚れないいけにえとして大祭司キリストは至聖所に入られた。

ヨハネの福音 18章1節~19節、42節
 契約のいけにえとして完全に自らを渡された。
続きを読む>>
<< 5/6 >>

このページのトップへ