マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 聖母の被昇天

(典礼の朗読箇所、公式祈願文は A、B、C年 共通)

 第一朗読:
 ヨハネの黙示 11章・19a、12章1-6節、10ab
 第二朗読:
 使徒パウロのコリントへの手紙 1コリント15章20-27a
 
 福音: ルカ1章39節~56節
 
 マリアの賛歌(マニフィカト)は、毎晩 マリア自身の歌を教会の祈りの歌として歌う。小教区ではこの歌を一緒に歌うことができないのが残念です。この歌には、福音の希望が語られる。まさに神の国は愛と正義が抱きあう恵みの日を神様が実現してくださるからです。

 主がはしために目を留めたから、このはしためは今、救い主である神をほめたたえ、将来は、いつの世の人もわたしを幸いなものと言う。50節まではマリアの個人的な体験が先どられ、51節以降は、神の国が実現する希望に満たされる。歌のテーマは、主なる神のあわれみは主を怖れるしもべやはしための上に、世々限りなくとこしえに続くことを述べるが、それはマリア様において聖霊が降り、みことばが肉となることにより、神の国が始まった。

 貧しい人のテーマが始まり、貧しい人の祈りが聞き遂げられる。イエスの十字架の贖いの死により、神の国が成就したからです。貧しい人が祈るのは難しい。飢えや病気、人間らしさを奪うあらゆる差別と不当な扱い。十字架のイエスは、その姿にご自身の姿を現され、呪いのしるしを祝福に変容することをなさったです。他者の救いのために命を与え、赦しを祈ることを教えてくださいました。ヨブが祈った時、すべての呪いが解けて、以前にもましてヨブが祝福されたように、あらゆる隔ての壁が打ち壊されます。神の国はこのように始まっているのです。加害者の罪のゆるしを願う祈りよりも、被害者が加害者をゆるしと救いのために祈ることの方が神はより多く聞かれる。これは和解と一致のための神のなさり方のようです。人間的にはとても苦しく、時間と熱意のいることですが平和のための道なのです。キリスト者には、すべてのことがらに、苦難すらを賛美と感謝をささげて神の栄光をたたえるのは大いなる救いです。

 
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