マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 第八回百日連続共同祈願へのお招き

第八回百日連続共同祈願への招き

+主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんとともに籠

キリストにおける兄弟姉妹の皆様へ
まだ暑さの厳しい毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか? お祈りの内に皆様のことを思い起こしております。 
さて、第七回目の百日共同祈願は、8月1日に最終日を迎え、通算700日目となりました。皆様の祈りの支えに感謝申し上げます。この日、わたしは、第14回聖霊による刷新関西大会の参加者とともに100日目の感謝の祈りを捧げました。
この度100日間が終わってみると、祈りの輪に加わった人が新規に50名ほど増えていました。共同祈願の参加者数は740名ですが、発送名簿は900名を超え、ハガキでの意向のカードの枚数は、850枚を超えました。数名の方が、ご自分の意向の他にたくさんの方々のための意向を一枚のはがきに一つの意向を託して祈りの輪に参加されたからです。典礼の中では、個人の意向を人前で声を出して祈ることをしませんが、百日共同祈願の形で、人に知られたくない神への切なる叫びと願いとを、ミサの奉納時に、皆様から送っていただいた850枚に及ぶカードを入れた籠をささげることにより、沈黙のうちに意向を祈りました。多くの方々が、同じ時間に心を合わせて祈っておられることを思い起こしながらミサをささげ、皆様の願いをとりなすことができたと思います。そして、この100日間も無事一日も休むことなくミサをささげることができました。

100日間の祈りといえば、わたしの幼いころ、故郷の京都市内の神社仏閣で御百度詣の祈願をする人の姿をたびたび見てきました。平安時代から発展した神社参りの風習は、無病息災、家内安全、商売繁盛、先祖供養、回向、厄払いなど、病気平癒や念願成就の現世ご利益を願う日本人の宗教心に根ざしています。しかし、百日共同祈願は、御百度とは似ても似つかぬ祈りで、これは、御父のみ旨を果たすために十字架の死をうけいれられたキリストの奉献に心を合わせる祈りです。「その日には、あなたがたが、わたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」(ヨハネ16:23-24)、そして、父に願うならば、もっとも良いもの、すなわち「天の父は、求める者に聖霊を与えてくださる」(ルカ11:13)ことが約束されています。わたしたちの祈りは、現世御利益よりももっと深い根源的な救いの喜びと神との永遠の命の交わりに至る道を願っております。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(ヨハネ17:3)わたしたちの祈りは、永遠の命へと互いを結び合わせる大切な絆だと思います。
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 8月26日 神の御母 福者ドミニコ・バルベリ 記念

「神の御母のドミニコ」として知られるドミニコ・バルベリは1792年ヴィテルボ(イタリア中部)に生まれた。22歳の時、神から使徒職への召命を受けた。農場での仕事を辞め、御受難修道会に入り、精神と心における類まれな才能を発揮した。1818年司祭に叙階された後は、教職、司祭職、霊的指導を務め、哲学・神学・説教などの文筆に精を出した。十字架の聖パウロの精神に満ち、特に英国の人々を教会の一致へと導くことに力を注いだ。1840年にベルギーに御受難会を設立した後、1842年に英国に渡り、神が召し出された使徒職に疲れることなく生涯を捧げた。多くの英国国教会の人々がカトリック教会にやって来たことは彼にとって大きな慰めとなった。そうした人々の中に、高名な枢機卿ジョン・ヘンリー・ニューマンがいる。1849年8月27日、レディングにて帰天。
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