マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 第32主日 B年

第一朗読 列王記上 17章10~16節
第二朗読 ヘブライ人への手紙 9 章24節~28節
福  音 マルコ       12章38節~44節

二人のやもめの話です。旧約では「主のことば」に信頼するやもめ、新約では、「主に信頼して生きる姿」が焦点になります。ヘブライ書では、罪の贖いのために一回限りのいけにえとなられた主は、再び現れるときは、罪の償いではなく、わたしたちに救いを与えるために、つまりご自身の霊、聖霊を与えるために来られます。死者の月、この終末的な展望のなかで私たちはすべてをささげても失うものは何もない、却って、自分の命を救うのです。

寡婦旧1 寡婦新2 日生中央<小倉さん>提供



十字架の聖パウロの手紙 (神秘家)

 内的にも外的にも自らを貧しくするならば、何と豊かになることでしょう。あなたの魂が真の自由と豊かさを獲得し、イエスの喜びの庭となるように、無味乾燥の味わいは、神があなたに与えたいと望まれる聖なる心の貧しさの土台なのです。
"…how rich you will be if you make yourself poor within and without. The dryness and insensibility is one foundation for a holy poverty of spirit that God wishes to give you so that your soul will acquire true liberty and riches, and become the garden of the delights of Jesus…" 2ペニー 「持っている物すべて、生活費の全部」

~Paul of the Cross' letter to Agnes Grazi 27th letter on June 29, 1736 in Volume #1 - Paul's Letter #106 (スーザン・ハーカ提供)
追記:訳は転々としましたが、a holy poeverty of spirit は聖書のマタイ5章3節に合わせました。その方が聖書の語句とも関連させてインスピレーションが次から次へと湧き黙想になると思うのです。聖書箇所は他の聖書箇所によって解釈するという手法です。
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