2014.05.17 Saturday |
共同祈願
第22回百日連続ミサ共同祈願
(2014年5月18日~8月25)
✙ 聖霊、来てください!
賛美と感謝の賛美歌を歌いましょう。
皆様の意向:ミサの感謝の祈りにささげるご自身の感謝と賛美を自由にお書きください。
1 全国共通のとりなしの意向
2
祈願 キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、すべての誉と栄光は、世々に至るまで ▼アーメン
氏名(+霊名)
2014.05.17 Saturday |
共同祈願
第22回百日連続ミサ共同祈願への招き
✞ 復活節の恵みに満ちた日々の内に
「これをわたしの記念として行いなさい。」(ミサの聖体制定句を参照)
親愛なる兄弟姉妹の皆さま
聖ヨハネ二十三世教皇と聖ヨハネ・パウロ二世教皇の聖人誕生おめでとうございます。第21回共同祈願は、二人の教皇様の列聖式を準備して皆さまの祈りをミサの奉献に加えて奉げ、列聖式の当日、いつくしみの主日の四月二十七日に満願を迎えました。この度の共同祈願の参加者は、五百二十五名でした。また、フィリピンの災害への支援も合わせて呼びかけた皆さまの分かち合い献金の合計は、前回の献金額の残余を加えて、126万1千400円になり、内わけは、東北被災地献金30万8600円(20回の残余)、フィリピン・タクロバン市被災地献金(バート神父への送金は五千ドル=52万円)49万7千500円、そして事務局への献金45万5千300円という結果になりました。事務局献金は、刷新関係の本の出版準備金と百日共同祈願の事務経費に当てられます。皆さまの支持を得て、一日10円の事務経費をお願いし、その半額を使徒たちの時代から実践された貧しい人々への奉仕にささげる献金ができるようになったことをまことに感謝いたします。毎回参加人数は減っていますが、その分、なじみになったお名前を心にとめて祈ることも喜びになっています。毎日の奉献のミサの中に皆様の名前を覚えて祈ることで、私自身皆さまから支えられ祈られていることを実感しております。さらに22回の百日共同祈願への参加を通して、皆さまの上に聖霊の豊かな注ぎと働きを願って祈り続けます。
この度お知らせが遅くなりましたが、第22回百日連続ミサ共同祈願は、5月18日(主日)から始めて8月25日(月)までの百日間を祈ります。祈りの意向は、いつものごとく日本の教会に聖霊の力強い注ぎが現われますように執り成すことです。そして、日本の教会のリーダーのため、また日本の政治経済を司るリーダーのために祈り、またわたしたちの心にかかる人々のために祈ることです。
毎回、百日間共同で、ミサの共同祈願の意向として毎日ささげますが、どのように祈ったら祈りが聞かれるのか? それはわたしたちの一番の関心事です。どのような態度と心構えで祈るべきなのか。気になるところです。祈りは御父へのイエスの祈りが最高の模範であり、ミサはその祈りの頂点であるとわかっております。そして、百日共同祈願は、そのイエスの奉献に与ってささげる祈りですから、確かな実りが期待できるのですが、わたしたちは、まだその実りを見ていないと落胆するなら、イエスの祈りを十分にまだ理解していないと思われます。毎日ミサをささげているわたしも、落胆はしなくてもマンネリに陥ることはあります。そんなとき、ベネディクト名誉教皇16世の本で、目からうろこのミサの理解を新たにして、祈り始めると、すごく豊かな恵みを感じるようになりました。ですら、時々は、どのように祈るべきかご自身の祈りや祈り方を省みて、意識して祈りを学ぶ必要があるのです。
その本とは、教皇様の「ナザレのイエス」のことで、第二巻第5章、「最後の晩餐」についての論述は、地上で実際に起こった歴史に基礎づけられたエウカリスチア(聖体祭儀)の制定をテーマにして、信仰にとって本質的なことを詳述したベネディクト教皇様の信仰告白と言えるものです。わたしにとって光になった個所は、「わたしの記念として、これを行いなさい」というイエスの命令のことばです。 ベネディクト教皇様は、「主は、正確に何を繰り返すことを命じたのでしょうか。」と読者に問いかけます。「イエスの最後の晩餐が、過越しの食事であったとしても、過越の食事を繰り返すことが命じられたのではないことは確かです。」と旧約の過越の食事(ニサンの月の十四日)のことではなく、イエスご自身の過越、すなわち「イエスがあの晩に新たに行ったこと、すなわち、パンを裂くこと、祝福と感謝の祈り、そしてパンとぶどう酒の聖変化の言葉、これ以外ではないのです。」(前掲書p167)と明快に答えられています。ミサの典礼文では、直後に記念唱で歌い、「これ」を指し示す内容として過越の神秘を記念する言葉が続きます。「主イエスの死と復活の記念を行い(第二奉献文)」、「御子キリストの救いをもたらす受難、復活、昇天を記念し(第三奉献文)」です。その一回限りのイエスの過越の奉献とわたしたちのミサとの関係を、教皇様は明解に、パンを裂くこと、祝福と感謝の祈り、そして聖変化の言葉の三点を列挙して神学的に解釈し奉献文(感謝の祈り)の内容をより広く深い理解の高みへと導いてくださったのです。その中で、神の賜物に対する感謝と賛美について新たな光があったのです。
エウカリスチアの制定の記述には、ユダヤ教の重要な感謝と祝福の祈り(ベラカー)の背景があることは、典礼書に解説されていることですが、名誉教皇様は、テモテ第一の手紙4章4節を引用してイエスの最後の晩餐はこの伝統に従っていると指摘し、「エウカリスチアの制定の言葉は、この祈りの枠の中にはめ込まれ、この祈りの言葉において、感謝は祝福となり、聖変化となるのです。」(前掲書p154)と述べておられます。そのテモテの第一の手紙の部分を引用しますと「神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです(Ⅰテモテ4・4)」。教皇様は、続けて「聖変化の言葉は、イエスと共に祈る祈りの一部であり、感謝と賛美の中心部分です。それによって地上的な賜物は、イエスのからだと血として、すなわち、自らをわたしたちに委ねる子の愛による神の自己贈与として、神から与えられるのです」(前掲書p155)と指摘してくださいました。
つまり、わたしは、「聖霊による刷新」の特徴的な祈り、賛美と感謝の祈りは、このエウカリスチア(感謝の祈り、あるいは奉献文)の祈りと結ばれていると感動したのです。プロテスタントの兄弟たちに、ミサの奉献の祈りがないのに大きな実りを受けるのは、みことばにしたがって賛美と感謝の祈りをするからではないかと・・。そして、「これをわたしの記念として行いなさい」という命令は、まさにミサに限らず、すべての日常の出来事の中にあって、神に賛美と感謝をささげることによってすべてが聖なるものとされるという恵みが現実のものとなるとわかってうれしくなったのです。そして、わたしたちが単にアレルヤや賛美の歌を口にして霊に酔いしれている人々ではない、まさに新約の民、イエスの過越の神秘、主の十字架と死と復活に与る恵みを証しするために選ばれ呼ばれている者であると自覚できるのです。そして、教皇様は、イエスは何を感謝されたのでしょうかと聞き、祈りが聞き遂げられたこと(ヘブ5・7)、イエスは復活の恵みについて父に感謝されたのですとだめ押しされました。(前掲書p168)これこそ、まさにわたしたちが、「聖霊による洗礼」の恵みとして祈りの集いの中で「イエスは生きておられる復活された方、主」と告白してきたことでした。
まさに、かって日本のカトリック教会でも「賛美の力」(マーリン・キャローザース)の本が読まれ、聖霊刷新の集いの中で喜びにあふれた人々の祈りを思い出しました。油注がれた賛美の歌の大半は、キリストがなしてくださったことへの喜びと感謝の表現です。ミサもまた、旧約の祭儀のいけにえを捧げる奉献ではなく、イエスの成し遂げてくださったことへの感謝のいけにえの奉献なのです。「古い神殿祭儀を解消し、それに代わる新たな祭儀、それは言葉による神の賛美、イエスにおいて受肉した言葉による神の賛美です。それは、死のただ中を通りぬけて行ったイエスのからだによって人間全体、全人類を包み込む言葉による神の賛美です。それは新しい創造の始まりです。」(前掲書p169)
わたしにとって、ますますミサは喜びの感謝の歌となって、何度ささげても疲れどころか、いのち全体が復活するわたしの主への賛美の歌と感謝の祭儀になっているのです。ミサと賛美の集いは別物ではないのです。
長文で複雑な内容になったので、わたしの喜びの発見を皆さまに十分お伝えできたか心もとないのですが、たいへん百日共同祈願のお誘いが遅くなったので、丁寧に推敲することができませんのでお許しください。ちょうど、バート神父さんからタクロバン市でのその後を伝えるメールが届きました。
「建物の修理や建て替え、そして人々の生活を立て直すことに忙殺されています。パラクレート(聖霊の名=弁護者、助けぬし)刷新センター周辺の山側の斜面にココナツとカカオの木を栽培するために大規模な植林計画を立てて実行中です。また、長期的に貧しい村落の人々を支援するため、特に学校を離脱した青年たちを助けるために、新しいパラクレート農業経営学校を16歳から26歳までの青年を対象に開設し、2年間農業経営を指導する目的で建設中です。現在35名の青年たちがパラクレート刷新センターでわたしと一緒に生活しています。神の恵みによって、2年から4年の内に、彼らを園芸や家畜の生産農家や農園者に育て上げたい望みを持っています。 これは、非常に大がかりな計画に思えることでしょう。しかし、わたしは、このようにしてこそ、私たちの周りに生活する貧しい家族を助けることができると信じております。」
被災して瓦礫となった山林や田畑を再び復興させ、近隣の村人の生活を再生させるためにバート神父さんとその共同体は今立ち上がって活動しておられる様子です。バート神父さんから、百日共同祈願の皆さまに祝福を送ります。くれぐれもよろしくとのことです。
まだまだ復興には時間と資金が必要と思いますので、前回と同様に第22回も献金を集めてタクロバン市のバート神父様のプロジェクトへ支援する予定です。また、8月23日(土)から25日(月)まで関西大会が行われ、シリル・ジョン氏を迎えます。「預言的とりなしの祈り」についての更なる祈りと行動の呼びかけがあるものと期待しています。この大会の最終日に百日共同祈願の満願を迎えますので、どうか大会の準備と成功のためにお祈りください。また、関西委員会から川瀬さんと私が全国を代表してウガンダ(カンパラ)で行われる「カトリック・カリスマ刷新の家庭大集会」に参加します。イスラム過激派によるキリスト教徒弾圧のセクトが暗躍しておりますので、どうかアフリカ大陸のために主キリストの力ある業をお祈りください。 賛美と感謝の内に、アーメン アレルヤ!