マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 日生中央教会 25周年記念式典 11月30日

待降節 第一主日 
カトリック日生中央教会は、1983年12月11日献堂式を祝ってから今年は節目の25年目を迎えます。この節目の年に次の50周年に向けて、信徒の並々ならぬ決意と意欲によって生まれ、この25年間活動してきた日生中央教会の創立の歴史を振り返り、信徒の高齢化と青少年減少、教会の現状は厳しい環境に置かれているとの認識のもとに、世に求められている福音的教会像ー大阪教区の5つの教会像(①谷間に置かれている人々の心を生きる教会、②「交わり」の教会、③「共同責任」を担い協働する教会、④聖霊の導きを識別しながら共に歩む教会、⑤司祭、修道者との協力を重視しながら信徒の役割と責任(使命)を全面に出す教会へ)-の実現に信徒一同、「痛みと喜び」を共に分かち合う伝統を継続しながら信仰の旅をつづけたいとの評議会の趣旨表明がありました。
25周年01

式典は、午後2時半から日生中央教会で行われました。
 共同司式 
ジョン・パトリック神父(初代主任司祭 米国ST.Louis ) 
来住 英 俊   神父(御受難会準管区長
畠  基 幸   神父
 御受難会歴代主任神父 
内山  恵 介   神父
デニス・マックゴワン神父、
鈴木  忠 一   神父
ウォード・ビドル  神父
 大阪教区当時財務担当司祭 
梅原   彰   神父 (夙川教会主任)
 司牧チーム
松本  一 宏  神父 (池田)
 宝塚修道院院長 
雲田  孝 一  助祭 (宝塚)
 御受難会司祭
山内  十 束  神父 (宝塚)
中村  克 徳  神父 (東京)
修道士 後 中  高典 (東京) 
 
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 雨のもみじ祭り 11月24日

売布の杜、宝塚黙想の家で「第8回もみじまつり」が雨にもかかわらず大勢の入場者でにぎわいました。当初薄日の晴天かと思われましたが、開園10時ごろから小雨となり、黙想の家の庭一面に広がる赤、オレンジ、黄色などの多彩な色彩の紅葉が雨に洗われて新しい彩の美しさを演出し、入園者を楽しませました。恵みの雨に感謝! 講演・出店・出展・出演されたかたがたの温かい心に感謝と乾杯!

デニス神父の手品、子供たちの人気の出し物です。
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池田教会の豪快ブラジル名物 シラスコ(肉の塩串焼き)
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関西学院大 ゴスペルソングサークルゴスペル

インターネット中継で長崎の列福式を閲覧列福式

ジョンパトリック神父を迎えての終了ミサ前
ミサ
実行委員会後援会メンバー
実行委員会本部

畠神父もうすぐ58歳、顔にしわが目立つようになりました。はたもみじ
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 池田教会 待降節準備黙想会 11月16日

待降節を迎える心の準備のために大阪教区の松本神父様をお招きしました。

黙想指導 松本武三神父 (甲子園教会主任)

テーマ  待降節のための黙想会
 takezou
スケジュール
ミサ  9:00 ~ 10:30

ミサの始まり:聖堂のしずけさの必要について

こどもに質問して、体が病気になったらどこへ行くのか? 病院へ? 心が悪くなったらどこへ行くのか? 神様のところ? イエス様のところ? 教会の聖堂はイエスさまのおられるところ、皆さんのこころを見せに来るところです。みんな一人一人神様の声を聞くように静かに自分の心を開くのです。そのために沈黙と時間が必要です。


説教の大筋:最近は、人を裁くことが多くなり、「憐れみのこころ」が少なくなっている。教会は「あわれみのこころ」「福音の心があらわになるところ」と心得て共同体を形作る。

講話  11時 ~ 12時

講話の大筋:

 ゆるしの秘跡

 よく聞いていたはずですが、あまり覚えていないのでいくつかのポイントだけを書きます。 もう少しお待ちください。
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 信徒奉仕職 第四回

第四回 秘跡
講師  ブルカルト神父 (千里ニュータウン)
場所  豊中教会 
  
 講座要旨(60分):
  秘跡と典礼 (カトリック教会の教え 第二部 p170~)
  ・典礼(過越秘義)という中で「秘跡」は定義されている。
 
  秘跡の定義 (教会法 840条)
  7つの秘跡
  三つの分け方
    入信の秘跡  ⇒ いやしの秘跡(ゆるし、病者の塗油)
   (洗礼、堅信、聖体) 
           ⇒ 奉仕の秘跡 (結婚、叙階)

  有効な秘跡(授与、受領)
  ex opere operato(事効的)直訳(行為された業自体から)
ex opere operantis    直訳(行為者の業から) 
秘跡の前提となる信仰について
   個人の信仰 VS 教会の信仰
   受領者の信仰(器) 幼児洗礼、猫のたとえ(トマス神学)

 質疑応答
 (1)秘跡を受けるために信仰が必要ということですが、
    信仰があるかないかその判断に線引きがあるのですか?
 (2)結婚の秘跡
    民法上の有効な結婚後洗礼を受けたので、秘跡の結婚を望む 
 (3)堅信の秘跡 何歳になったら? 
    洗礼と一つの入信の秘跡の中で理解する。
    しかし固有の秘跡であることを司牧的にどう理解するか?

 (4)幼児洗礼  祖母の願いだけでは、 両親の信仰は?

 (5)御血をこぼした人がハンカチで拭ったが・・・
     猫のたとえが役立つか? 受ける側の信仰(器) 
     形が変化する 目的が変化する
 (6)緊急洗礼 教会の信仰が補う?
 
 (7)病人訪問での聖体授与
    派遣される人、 人徳や霊性も必要 (霊的人間的な要素)

 分かち合い
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 霊操 (1)

霊操は、その漢字の意味にも出ているように、霊の体操ともいえます。それも、レクチオ・ディヴィナ(霊的読書)という方法を集大成したものです。"Lectio Divina"(聖なる読書) は、最近のシノドスでも取り上げられ、信徒の黙想にも利用されていますが、もともとは、観想修道会での典礼と深く結ばれてその日の聖書朗読された箇所の一語一句を修道者が記憶して労働の合間に口に上らせて祈った祈り方と理解しても間違いではなく、3世紀ごろのオリゲネスによってはじめられ、聖アウグスチヌスや多くの聖人たちによって発展させられ、聖ベネディクトに受け継がれてきたものです。聖イグナチオは、そのような伝統を「霊操」の中の第2週の「福音の観想」に取り入れて完成させました。それは、聖書的な「救いの歴史」の方法を自分自身に当てはめて福音書を黙想し、祈り、観想する方法として考案し、聖イグナチオ自身の神秘体験、父のみ旨を識別して知る神秘体験を伝えることを目的としました。30日間の集中的な「霊操」は、500年前にロヨラの聖イグナチオはを生涯をかけて練り上げたもので、今日でも修道会の年の黙想会にはこの方法が古典中の古典として使われています。

レクチオ・ディヴィナには、ある定番の定義がありますが、来住神父は、うろこシリーズの「聖書の読み方ーレクチオ・ディヴィナ入門」で、「聖書を非常にゆっくり読むこと」と述べています。確かにこれは、筋肉トレーニングに似ていて、ゆっくり筋肉を動かして筋肉にある程度の負荷をかけると、筋肉がつくという科学データをイメージするといいかもしれません。つまりみ言葉が肉となる方法です。
 ミラノの枢機卿、イエズス会士のカルロ・マルティーニ枢機卿の黙想会のテキストが日本語にいくつも訳されていますが、その多くは、このレクチオ・ディヴィナの方法使っています。「自分を知り、神を知る」(松本紘一訳、女子パウロ会)あるいは、マルコの福音書の霊的解説書「思い起し、物語れ」(シルヴァノ・ファウスティ著、佐久間勤訳、女子パウロ会)も、すばらしいレクチオ・ディヴィナの案内書です。この本は、かなり聖書学の研究成果も入り込んで、十分に黙想の糧になります。わたしも、この本を読んで、黙想会に利用したことが何度もあります。聖書をこのように読めたらなという一つの道しるべです。具体的な方法はまたの機会に掲載します。

 レクチオ ディヴィナ(聖なる読書)

Lectio Divina (聖なる読書)
(1)レクチオ (lectio) = 読む
(2)メディタチオ(Meditatio) = 口ずさむ⇒思い巡らす
(3)オラチオ (oratio) = 神に語りかける
(4)コンテンプラチオ(contemplatio) = 神の前にとどまる
(以上の説明は、来住神父の入門書、目からうろこシリーズ「聖書の読み方 レクチオ・ディヴィナ入門」を参照のこと。)

 祈りの仕方の手ほどき (シルヴァノ・ファウスティ「思い起し、物語れ」p11-13参照 続きに収録)
 神学ダイジェストにカルロ・M・マルティーニ、(枢機卿で2002年ミラノ大司教引退後、現在エルサレム在住、聖書研究に従事、イエズス会)「聖書による祈りーLectio Divina の伝統的方法」East Asian Pastoral Review 28 (1991) 67-75p 香田潤志全訳)が掲載されています。これはたいへん理論的な説明で、イグナチオの霊操の第2週の祈りの方法、「福音の観想」で結実したLectio Divina を説明したものです。キリスト教の祈りの特徴は、キリストに中心を置き、方法は、イエス・キリストの出来事に向けられる。キリスト教の祈りは、内的平和を得ることにのみ目的としているのではなく、キリストともに自己を与える行動にまで結びつかなければならない。神のことばは福音的行動へとつながる。祈りと行動は一つになり、別々のことではない。ここに使徒的修道会の祈りの法則が生まれた。

  
 
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