マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 七面鳥パーティ (英会話クラス)

恒例のターキーパーティが12月29日(月)夕方6時から始まりました。 主催は 英会話教室、コック長はデニス神父 生徒とボランティアが料理を準備しました。 土曜日から中学生キャンプを山内・松本両神父が企画して東京から志村教会の中学生2名と池田教会の中学生1名が参加し石戸リーダーが加わって、レーベンス・シューレ(フランシスコ会『山の家』奈良)で一泊二日、三日目は京都市内巡礼、たいへんお腹がすいたところに運よく夕食に招待されました。その他会話教室の知人や家族も参加して賑やかに・・・でも最近は英会話教室はとても人数が少なく3名しか集まらないので、なんとかかつてのにぎわいを戻したいと話が盛り上がりました。

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毎年、どうしてターキー(トルコ)が七面鳥なのか? そんななぞなぞの解き明かしをしてからデニス神父の乾杯の音頭で始まります。
珍しい七面鳥料理に舌鼓を打ちながら和やかに歓談のひと時でした。中学生たちの自己紹介、そして最後に、朝から料理を手伝ってくれた小学生3年生の桃花ちゃんの伴奏で英語でグロリアとアメージンググレースを歌って終わりました。

 来年の希望は、もっと生徒があつまるように工夫することです。
宣伝・・・ちょっとハイレベルなのかな。自由会話が主なので、英会話に自信がない方は、ちょっと入れないと感じて遠慮される方が多いのです。無料教室なのにもったいないですね・・・

 会話教室の毎回やっていることを聞きました。: 一週間の出来事を参加者一人ひとい話すこと だいたい一人5分くらい、それに対する質問や応答のやりとり、それからデニス神父の小話 (新聞からの話題や面白い記事の紹介などなど)それに対して参加者が自由に話題を交換して話を深めたり考えを述べたりするうちに2時間が終わります。その間お茶やケーキがでてゆっくりお茶の間の時間があります。

 初心者だと英語表現や発音を学びに来るので これは自分の場でないと感じることでしょう。しかし上級英語ではありません。日常の話題を会話するというイメージが強いのです。従ってこれから英語を学ぼうとする人のためにテキストがあったり、せっかく来た人のためにフォローアップがあったりした方がいいでしょう。わたしのサジェスチョンんはアルファコースの英語版を勉強するというのはいいかもしれません。信仰の教材よりも英語の教材として最初はアプローチするというものです。あるいは、一般の人を対象としているので、オバマ次期大統領の選挙演説などの生の声を研究するというのもいい方法です。

 
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 百日連続ミサ共同祈願

12月23日 3時 池田教会聖堂にて 100日目の共同祈願の最終日、熱心な信徒の一群(10名)と共にミサをおささげしました。 
聖書箇所も、洗礼者ヨハネの誕生とマラキ書の父の心を、子の心を父に向けさせる内容で、聖霊による刷新の使命そのもののように感じました。

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 日曜学校クリスマス会

サンタクロースが今年も教会にやってきた・・・

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クリスマス会のお話のポイント:

どうしてサンタクロースがクリスマスにやってくるのですか?
と子供たちに質問してみました? サンタクロースとクリスマスにはなにか似ている点があるのかな・・・
さっそく、 あのね イエス様は誰に似ているかと聞いてみました? みなさんは 誰に似ているのかな?
パパ、ママに似ている。 ひとりの子が イエス様はヨセフさまに似ていると叫びました。 そうだね・・・ 養父ヨセフさまは、イエス様を養い育てたから、生まれより育ちということで 話し方や食べ方や動作は似ているでしょうね・・・子供は親の背中を見て育つといいますから・・・ 

 サンタクロース誰だっけ? 知っている? 聖ニコラスという人が貧しい三人の娘の家に金貨を煙突から投げ入れたらそれが暖炉で干していた靴下の中にはいったの・・・ ふーん 物知りだね。ミサで神父さんが話していたから・・・ うん うん 良く覚えているね!
 サンタクロースって アメリカでそう発音して有名になったので、
オランダ人の発音が 聖ニコラスのことをシンクロースと発音していたのだそうだ・・・ 神父さんはちゃんと発音できないけれど・・
 でもどうしてこの話がクリスマスに登場するのか わかりますか?
この前、町のお医者様のところへ行ったら、サンタクロースはクリスマスに関係ありませんよね・・・と聞かれました。 それで聖ニコラスの話をしたんだ。そうするとお医者様はやはり関係がないんですねと・・・ でも君たちはそうは考えないでしょう。

 だって、イエス様のお父様は神様だったよね・・・ 神様は目に見えないけれど、イエス様は神様に似ているよね。だって神さまの子どもなんですよ! 最も大切な子供を人間に預けたんだよ! 赤子の姿で、みんなから大切にされないとすぐに死んでしまうような弱い赤ちゃんですよ。お父様のもっとも大切な自分の身を切る思いで私たちにお与えになったのです。なぜなら神様は愛だから。皆のご両親も皆さんを育てるのにとっても大切にして自分のことよりも皆さんのしあわせのために一生懸命働きます。だってあなたを愛しているから。神様は私たちを愛してご自分の子を与えてくださった。 ヨハネの福音には、「神はひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」(3章16a)とあります。御両親はみなさんによいものを与えようととても苦労して働きますが、それは皆さんをとっても愛しているから、どんなつらいこともつらいと考えないでみなさんの喜ぶ顔を一目見たいからです。神様がご自分の子を与えられたのは、見えない神の姿を世に示して、皆さんが迷子にならないように、さまざまな贈り物、道、真理、いのち、愛、希望、平和となってくださったのです。サンタクロースは、このお父さんの心をよく表していますね・・・ 皆さんの喜ぶ顔を楽しみにして毎年皆さんの枕元にプレゼントをおいてくれうのです。な~んだこんなプレゼントなんて 不満な声は サンタさんをがっかりさせるよ! みんなのためにわざわざ来てくれたのですから・・・喜ぼうよ!
 神様にはどんな喜びの声を クリスマスは、キリストのミサというのですよ・・・ お父さんの心に応えて最初にささげられたミサ、御父の心を子に、子の心を御父に向けさせる愛の宴、キリストのミサがクリスマスの贈り物なのです。サンタクロースとクリスマスは、どこか似ているところがあるでしょう。 そう思いませんか?
皆さんも キリストの誕生を祝って準備した歌や踊りをプレゼントしてください。 楽しい時間になりますように!!!

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幼稚園児と小学校1年生のクラスの演技・・・

 信徒奉仕職講座「教会法」

第6回講座 「教会法」
講師 傘木 澄男神父 (豊中教会主任司祭)
時間 14時 ~ 16時30分まで 
場所 豊中教会 信徒会館

講義内容
 Ⅰ 教会法とは何か
  (1)教会法の定義
  (2)教会法の特質
  (3)教会法の必要性
  (4)教会法と信者(特に一般信徒)
  (5)教会法典の内容 (現行教会法典の目録)図1
  (6)教会法の歴史 図2

 Ⅱ 各論
  (1)一般信徒の権利・義務 (208条~231条)
  (2)秘跡の法:
    (a) 洗礼の秘跡 (849~878条)
    (b) 聖体の秘跡 (897~958条)
    (c)婚姻の秘跡 (1055~1165条)


 教会法の基礎的な概念(1)(2)(3)(4)と教会法成立史の略史、各論の(1)を前半で総論として説明していただき、休憩後、各論(秘跡ー洗礼・聖体・堅信・婚姻)を時間の許すかぎり丁寧に説明してくださった。参加者からの質問では、配布された資料について、信者と信徒の表現の違いは何か概念上定義上の区別があるのか問われた。
 質問から:
 「キリスト信者」と表現されるものは、洗礼を受けたすべての信者を意味(第204条1項)するが、「信徒」は、聖職者以外のものを意味するので、修道者も修道誓願による修道者の身分があるとはいえ、「信徒」のカテゴリーに入る。このような説明うけて、教会法典をさらに調べると、
第二集 神の民
第一巻キリスト信者(第204条~第207条)
第一部すべてのキリスト信者の義務及び権利(第208条~第223条)
第二部信徒の義務及び権利(第224条~第231条)
第三部聖務者すなわち聖職者

 このようになっていて、信徒に関連する資料として配布された条文は、第一部と第二部の両方から選ばれたものとわかります。教区の標準コースの資料には、第一部を信者の権利・義務としてこの部分が配布されているので、これが信徒の権利義務のすべてであるとの印象うけるので注意が必要かと思われる・・・ (畠コメント)

 さて今回は傘木神父様の用意されたプリントに従って講義された教会法の基礎概念と基礎知識を拝聴した。教会法は、信徒にはほとんど馴染みがなく読んだこともない文章だったと思われますが、公会議の文章を基にして読みやすく司牧的な配慮で書かれていることがまず驚くに値することでしょう。以下は私なりに重要と思われたポイントを列挙したいと思います。 

 特に傘木神父さんが、神学と教会法の関係、法の目的、教会法の必要性に関しての話は有意義なものでした。

 2008年 百日間連続ミサ共同祈願クリスマス挨拶

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「今日 ダビデの町で、あなたがたのめに救い主がお生まれになったこの方こそ主キリストである」(ルカ 2章11節)

主における兄弟姉妹の皆様へ
主の降誕と新しい年の幕開けにごあいさつ申し上げます。

昨年始めた百日連続ミサ共同祈願は、大きな祈りの輪となり広がっています。これまで通算500日を数えました。 参加者の数は、四回目は730名、五回目は、756名と徐々にですが、確実に増えております。このように「『主イエス・キリストのすばらしさを知る』(フィリピ3・7-8)個人的な主との出会いと聖霊の愛の賜物を願う」祈りのネットワークが形をあらわし、教皇ベネディクト16世の勧める「信者が『主のもの』(ローマ14・8)であることを自覚する助けとなるという特別な任務を促進するネットワーク」(「愛の秘跡」p112)を日本の教会の片隅で始めることができたことに私は大きな喜びを感じています。 そして、今年、私にとって叙階25周年を皆様と共に祝ったことは大きな恵みの川の流れとなっています。 皆様からの喜びの報告も励みになりました。 ありがとうございます。
今、新しい年の幕開けに向かって、さまざまな計画が湧きあがっています。それらを一つ一つ準備しながら、「御心のままにすべてのことを行われる方の御計画」(エフェソ1・11)を実現しようと、また皆様に呼びかけます。
日本の教会にさらなる聖霊降臨の恵みを願って、2009年元旦から4月10日まで六回目の百日間を共に祈りましょう。4月10日は、聖金曜日です。なお、聖なる三日間は一つの過越秘義であるため、4月12日の復活主日が満願の感謝の日となります。来年の「聖霊による刷新関西委員会」の計画は、ヘリベルト・ミューレン神父の「クリスチャンの基本的体験への道」を学び、「カトリック聖霊による刷新の基本的な理解」を確立すること、もう一つは、「聖霊による刷新の司祭黙想会」を復活させることです。このために、以下の冊子と本を出版する予定です。
1. ヘリベルト・ミューレン著「クリスチャンの基本的体験への道」Ⅱ祈りと期待 (プリント版、ドイツ語圏での聖霊のセミナーの参加者用のテキストです。 これに指導者用のテキストを準備中です。刷新40年の体験を踏まえた解説を加えたいと考えています。また関西の聖霊セミナーを再開することも準備中です。)
2. Sr.マルガリタ・ヴァラピア著「イエスは今日も生きておられます」(訳ゲスマン・和歌子、聖母文庫 )
(この著者はドイツ在住の聖ヨセフ会のインド人シスターで、『福音宣教2000年 リジューの聖テレジア会』において内的いやしと体のいやしの奉仕をされています。6月来日の予定 )
百日間連続ミサ共同祈願
わたしたちの主イエス・キリストに信頼して共に新しい聖霊降臨を祈り求めましょう。
1.全世界ために、 2.教会のために、 3.皆様の個人の意向のために・・・
(上記の意向を葉書で例文を参考にして池田教会まで郵送してください。)

イエスのみ名の前に 天にあるものも、地にあるものも 地の下にあるものも、みな膝をかがめ、 すべての舌が父なる神の光栄をあがめ、「イエス・キリストは主」であると言いあらわしますように。アーメン。 
(フィリピの信徒への手紙 2章10節~11節バルバロ訳参照 )
困難が予想される新年に善き働きができますよう皆様の上に主の祝福を祈ります。
聖霊による刷新関西委員会委員長 畠 基幸 神父


2009年度 計画
6月1日~9日 韓国 コットーネ(花畑)  ICCRS主催聖霊刷新世界大会
6月12日~14日 関東大会 Sr. マルガリタ・ヴァラピア (在ドイツ)
6月15日~19日 (宝塚売布 女子御受難会修道院) 司祭黙想会
6月19日~20日 (宝塚売布 男子御受難会黙想の家) 一般黙想会
8月1日~3日  第14回聖霊による刷新関西大会  (Fr. ルフス 在ムンバイ)  
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 聖書一般について 

第5回 信徒奉仕職講座 (12月6日)
  「聖書一般」
   講師 和田 幹男 神父 (箕面教会) 
   場所 : 豊中教会

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  序 教会で聖書を読むということは・・・
       みことばの奉仕者としての自覚と責任
 
政府見解と幕僚長との意見が異なるようなことは、教会の奉仕者にあってはならないと考える。従って、教会の公文書をある程度読んで通じておく必要がある。また聖書は信仰の源泉なので、その解釈は、カトリック教会の聖書解釈の原則を学ぶ必要がある。(畠神父による要約)
    
 (1)教会文書の諸関係と優先順位

 第2ヴァティカン公会議文書の総数(16)種類、文書間の関連

憲章(Constitutio) 4つ 教会憲章、現代世界憲章、
                  啓示憲章、典礼憲章

教令(Decretum)   9つ

宣言(Declaratio)  3つ

注:時間が限られているので、以下の点はウェブサイトの神父さんの文書を引用しました。前後を見てください。:http://mikio.wada.catholic.ne.jp/DEI_VRBM_1.html
「・・・同公会議は、そのためにまず教会とは何なのか、その本質をその源泉に戻って問うた。その源泉とは教会の創始者イエス・キリストであり、その心にあったものを証しする聖書である。このように教会が自己を見直して、まとめたのが教会憲章である。この教会の内省を前提として、教会がその外に向かって、現代の世界に何を、いかに行動すべきかをまとめたのが現代世界憲章である。ここに示された教会の行動原理は世界各地で実行に移されたが、目標としたものからはほど遠い。それに当時予測できなかった新しい諸問題が世界のいたるところで起こり、これとの取り組みが新たな課題となっている。遺伝子操作、臓器移植、人口の移動と諸民族、諸宗教の共存、兵器と通信手段の革新、いわゆるグローバル化に伴う経済的、社会的悪弊、それに環境破壊と問題は多様化し、深刻化している。同公会議は、教会の自己反省と行動のすべてが聖書に基づいているので、あらためてその聖書とは何なのかを問うた。その聖書は広く神の啓示の中に位置づけられるので、この啓示とは何なのかをあらためて問い直し、こうしてまとめられたのが啓示憲章である。教会がその本質を最も明らかに表し、その命の源泉になっているのが典礼であるから、その典礼をいかに現代人に適応し、効果的にその恵に与らせようとして検討し、まとめられたのが典礼憲章憲章である。この4つの憲章は相互に深く関連しあっている。
 特に教会憲章を基礎として、司教、司祭、神学生、修道者、信徒の役務と生活についてそれぞれに教令がまとめられた。それが司教の役務教令、司祭の役務教令、司祭養成教令、修道生活教令、信徒使徒職教令である。教会に属するすべての者がかかわらなければならない宣教活動についても教令がまとめられた(宣教活動教令)。これらはすべてラテン典礼のカトリック教会に関わるものである。他方、ローマの教皇と交わりを守りながら、ラテン典礼以外の東方の諸典礼を保持しているカトリック諸教会についても、別に教令がまとめられた(東方教会教令)。さらにローマの教皇との交わりが断たれたままになっているキリスト教の諸教会との関係について(エキュメニズム教令)、またキリスト教以外の諸宗教とカトリック教会との関係について(諸宗教宣言)も討議され、まとめられた。それに信教の自由についても宣言が公表された。(信教の自由宣言)現代その重要性が増す主題として、広報機関と教育機関に宛てた教令ないし宣言が作成された(広報機関教令、キリスト教教育宣言)。・・・・

 (2)啓示憲章
「聖書は広く神の啓示の中に位置づけられるので」、聖書はどういう意味で啓示といえるのかを考える上で第二バチカン公会議の文書の中では一番重要な文書と言える。(畠神父による要約)
啓示憲章 第一章 啓示そのものについて
啓示憲章 第二章 神の啓示の伝達について 
*神様が真理を最終的にあらわした。第二バチカン公会議において、この啓示は、神様自身が自分自身を人間全体に教えかかわりあう対話として、神の善を通じて、また歴史を通じて、歴史の頂点として(一回限りの出来事)キリストにおいて完成する。啓示は、信仰の全体として受け止める。キリストにおいて完成された啓示を伝えられるのか?(啓示は、書かれたもの、後の時代に書かれたものが仲介するか?新約聖書は、直接のイエスと使徒たちの教えに触れるものとしてゆるがぬものとして教えられる。信仰共同体として生きながら伝える=伝承=未来に伝えられるのだ。
*啓示の源泉は何ですか? 聖書の啓示の源泉は、イエスそのもの 生きた生命です。書き留められたものが一緒に伝えられたもの・・・*上記のことが啓示憲章の1章と2章にまとめられている。
 
啓示憲章 第三章 聖書霊感と聖書解釈について
*聖書はすべて霊感の書、聖書の正典(=神から啓示されて、聖書の中の文字によって含まれ、かつ示されることは、聖霊の息吹によって書かれたものである。・・・旧約、新約の全書を使徒的信仰に基づき、正典書であるとしている。それは、これらの書が聖霊の霊感によって書かれ、神を著者としてもち、そのようなものとして教会にゆだねた。神は聖書の作成にあたって、固有の能力と素質を用いる人間を選んで、これを使用した。・・・)(2テモテ3:16-17)

*神は人間のことばで話す。人間に対する愛、そのことだけでその事実は、驚くべきこと。聖書の基本的な解釈についての記述が3章、4章に示されている。第4章は、旧約聖書についてです。第5章は、新約聖書について 第6章は、教会の命における聖書

*カトリック教会の聖書の教えは大変恵まれたものです。聖書には、不完全な教えも一杯ある。たとえば、復讐や仕返しを是認しているような教えが旧約聖書のなかにあります。それも啓示なのか?

これに関して、1964年4月21日に教皇庁聖書委員会が出した指針、「福音書の歴史的真理性に関する指針」は大変助けになる。イエスの死と復活のあと記者が書いた。信仰において書かれた。カトリック教会は、ファンダメンタリズムではない。ある歴史的な事実が起源にあるが、そのままのレポートではない。「イエスの教えと生涯がただ記憶されるようにと単に報告されたものではなく、教会にとって信仰と道徳の基礎となるようにと「宣教された」ものであるから、聖書注解者は福音記者たちの証しをたゆまず探求しながら、福音書がもつ不朽の神学的価値をいっそう深く示すとともに、教会の解釈がどれほど必要であり、重要であるかを、このうえもなく明らかにすることができる。」(前掲書 指針 652番)

6章 教会の命における聖書では、実践上一番大切なことが教えられている。みことばのパンとご聖体のパンについてです。「まず聖なる典礼において、神の言葉とキリストの御体の食卓から生命のパンを絶えず受け取り、信徒たちに差し出してきた。教会は、その聖書を聖なる伝承とともに自らの信仰の最高の基準として常に掲げてきたし、また掲げる。」(第21項)
「聖なる神学は、いつまでも変わらない基礎として、聖なる伝承とともに神の書かれた言葉に基づく。・・・」(第24項)
「聖書の読書には、神と人間の会話が成り立つように祈りが伴わなければならないことも忘れてはならない。『わたしたちは祈るときには神に語りかけ、神の宣託を読むときには神に耳を傾ける』からである」(第25項)

*啓示憲章と教会憲章の二つは、エフェソ書とコロサイ書を基にして書かれたものです。公会議はすでに歴史の中にあるが・・・(講座のなかでご自身の公会議直前にローマに留学し、公会議の間は神学生として勉強しておられたことをあれこれ歴史の証人のようにその場の雰囲気を語ってくださった。)

 (3)聖書の解釈についてのカトリック教会の教え
 資料:1254番13項「・・・カトリック聖書学は、独自の排他的な解釈法をもつものではなく、哲学的前提またはわたしたちの信仰の真理に反するほかの前提を抜きにして歴史批判学を基礎として始め、そのそれぞれの中に『みことばの種』を追い求めて、現在用いられているすべての研究法を有効に活用するからです。1255番14項「この総合のもう一つの特徴的な性格は、その平衡性とその節度にあります。カトリック聖書学は聖書の解釈において通時性と共時性を調和させることを知っており、この両者が補い合うものであること、この両者が聖書本文からすべての真理を浮き彫りにし、現代の読者の正当な要望に満足を与えるために不可欠のものであることを認めています。なおいっそう重要なのは、カトリック聖書学者が注意を向けるのは、これはときどき歴史批判的研究法の誤りなのですが、聖書の啓示のただの人間的側面にだけでなく、またファンダメンタリズムが望んでいるようにただその神的側面にだけでもありません。それはその両者を、すべての聖書の基礎にある神の「へりくだり」のなかで結び合わさったものとして明らかにしようと努めます。(啓示憲章第13項)」

     
 (4)奉仕者の聖書の学びと信仰の書

(3)と(4)に関しては、和田神父さんが翻訳しておられる、教皇ヨハネ・パウロ二世の演説「回勅『プロヴィデンティッシムス』発布100周年と『ディヴィノ・アフランテ・スピリトゥ』発布50周年記念 1993年4月23日 のプリントを研究した。

a.カトリック聖書解釈と受肉の秘義との調和
   1249番、1250番、1251番を一緒に読む・・・
  b.おとめマリアに関して 
    1258番 後半 結びの言葉の中から・・・
   「心に納めて、思い巡らしていた(ルカ2・19)」マリアは御自身、み言葉を受けとめることによって、弟子たちの模範であり、母なのです(ヨハネ19章27節参照)。

*「教会における聖書の解釈」(教皇庁聖書委員会、1993年)第4部C 聖書の活用、1.典礼における聖書
 1528番、1530番、1531番、1532番、1533番、1534番
 「みことばの祭儀は、教会の秘跡それぞれの祭儀執行において決定的重要な要素である。」(1533番)
 「もし、聖書が朗読されるとき、『神がご自分の民に言葉をかけられる」(ローマミサ典礼書33項)のならみことばの祭儀は、朗読の告知にしてもその箇所の解釈にしても、当然大きな心遣いをもってなさなければならない。・・・」

*ここ10年くらいなってようやく、聖書解釈は正典論に従わなければならないことが意識されてきました。

 質問に答えて・・・(続き参照)
  
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 初台教会 黙想会

テーマ  「パウロの回心」の恵み
                     
指導司祭  畠 基幸神父(御受難修道会) 
プ ロ グ ラ ム
10:00~10:30   賛  美
10:30~11:30   第一講話
11:30~12:00   個人黙想(聖堂)
12:00~13:00   昼  食
13:00~13:30   賛  美
13:30~14:30   第二講話
14:30~15:00   個人黙想(聖堂)
15:00~16:00   ミ  サ(聖堂)
16:00~  分ち合い(お茶)・ 閉会

   日 時  2008年12月4日(木)10時より
   会 場  カトリック初台教会
         渋谷区代々木5-16-3
   持 物   聖書  昼食

*ほぼ時間通りに終了。参加者は30名くらいでしょう。聖霊セミナーを終了したばかりの人たちもあったようです。内容は、パウロの回心から学べるストーリを、フィリピ書の3章を切り口に、キリストに出会う前のサウロと復活したイエスに出合った後のパウロ自身の自己認識のパウロを、自分の義を立てる生活からキリストの義を立てる生活への転換(メタノイア=回心ー軸の方向が変わる)をわたしたちの生活において見る。識別の基本的な概念ー神に向かう方向(善霊の誘い)、神から離れる方向(悪霊の誘い)を使って、自分自身の中の動き、感情面、心理面の動きを注目してどちらへと向かうのかその行き先を見てみること。知っていることと感じていることの区別を理解することなど・・・
 アウグスティヌスの場合
 アシジの聖フランシスコの場合
 イグナチオ・ロヨラの場合
 そして自分自身の場合を振り返る・・・


   
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