マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 あじさいチャリティコンサート

2009年5月30日 (土) カトリック池田教会聖堂

 第1部 アカペラ
 1 アルカデルト 「アヴェ・マリア」
 2 バッハ    「メヌエット」
 3 クリーガー  「メヌエット」
 4 ベートーヴェン「メヌエット」
 5 ネッケ    「クシコスの郵便馬車」

 日本の歌 メドレー
 「花」 「荒城の月」 「浜辺の歌」

 第2部
 コーラスとピアノ連弾による懐かしミュージカル・ナンバー
 1「すみれの花咲くころ」(パリゼットより)
 2「虹のかなたに」(オズの魔法使いより)
 3「サンライズ・サンセット」(屋根の上のバイオリン弾き)
 4「シャル・ウィ・ダンス」(王さまとわたし」)
 5「チム・チム・チェリー」(メリー・ポピンズ)
 6「エーデルワイス」(サウンド・オブ・ミュージック)
 7「雨に唄えば」(雨に唄えば)
 8「アイ・フィール・プリィティ」(ウエストサイド・ストーリー)
 9「君住む街で」(マイ・フェア・レディ)
10「踊り明かそう」(マイ・フェア・レディ)
 
会衆コーラス解説
収益はジャマイカ サンクロア地区の子供たちにおくられます。
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 北摂地区大会 9月23日に!

新型インフルエンザの影響で自粛して延期になった北摂大会は、9月23日(水)大型連休の最終日に開催することが決定されました。これで堅信式は無事に執り行われることになりますが、日程が変更になったために出席できない人がある場合、別の機会を設けることも必要なので、出席できない方は早急に申し出してください。 

 聖霊の 七重の色に 五月雨  (詠み人知らず)

 聖霊降臨の日を待つ受堅予定者たちが聖霊に満たされますように!
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 北摂地区大会 5月24日開催予定 延期

長い準備がありましたが、新型インフルエンザが関西地区で発生したことを受けて、教区長池長潤大司教より延期の宣言がくだされました。合同堅信式として9月23日、玉造カテドラル大聖堂で行うことが提案されました。24日にも決定される予定です。
2時に臨時宣教評議会が吹田で開かれ、北摂地区大会は、合同堅信式を行う予定を9月23日10時、場所は被昇天という線で協議することが決定しました。

 大会ポスター
 ポスター1

 プログラム:
  WYD シドニー参加者 報告会
  合同堅信式 (8教会 150名 )
  信徒奉仕職養成講座 終了証書授与
 

 うぐいす祭り ミニコンサート

 「ガリラヤの風薫る丘で」
 「あめきさき」      合唱 コルベラーズ

  ベートーベン
   バイオリンソナタ「春」第一楽章  演奏 茅野瑞希

  赤い花 白い花
  猫のデュエット(ロッシーニ)  歌 錦織久美子&小倉摂津子 

  シューマン 
   ウィーンの謝肉祭の道化より  Ⅳ-Ⅴ ピアノ 茅野遥香

  ハバネラ  オペラ「カルメン」より  
  サマータイム 『ボギーとベス』より 歌 石川雅両子
                      ピアノ坂井智子  

  みんなで歌おう 「君とぼくの間に」  ピアノ上杉深鈴
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 マリスト会 黙想会指導

18日~23日 (月~金)宝塚黙想の家 指導 畠 基幸

テーマ:復活のイエスとの出会い 
(1) エマオへの道  ルカの福音 24章から
(2) イエスの神秘  「ナザレのイエス」モーセのような預言者 
(3) ヨハネの福音のイエス 
     (イエスの御子として自己意識 -御父への祈り)
(4) パウロの体験 (キリストの現存)
(5) アレオパゴスのパウロの弟子、その後


 「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(ルカ24章32節)

イグナチオの霊操の枠組みを使う

 (1)根源と礎   創造されつつある
 (2)第一黙想   友と友とが語り合うように(モーセ)
 (3)キリストの国 イエスの呼びかけ (識別の根底)
 (4)受難の黙想  キリストと共に十字架に・・・
 (5)復活の黙想  愛を得る観想


 材料と資料
 聖書       共同訳
 ホーカシング  「Clear a space!」
 霊操       門脇佳吉 訳・解説  岩波書店
「ナザレのイエス」 教皇ベネディクト16世著、里野泰昭訳
「ドイツ神秘霊性」 鈴木宣明著
「現象学からスコラ学へ」 エディト・シュタイン 中山善樹編訳
「不可知の雲」   斎田靖子訳 
「愛する」     ウィリアム・ジョンストン著
「教父」      教皇ベネディクト16世
「観想の道」    ボナヴェントゥラ著 小高毅訳
「キリスト教神秘思想の源流」 A・ラウス、 水落健治訳
「霊の賛歌」    十字架の聖ヨハネ
「愛の生ける炎」  ペトロ・アルペ、井上郁二共訳
 神学ダイジェスト 2008年冬号 105番
「中世における理性と霊性」 K・リーゼンフーバ著

 復活節第六主日 (鶯まつり)

日生中央教会 5月17日(日)

今日は、鶯祭りです。地域の方々をお招きする準備を入念にしてきました。そして、お祈りもしました。お天気をくださるようにと・・・雨予報のとおり雨雲が空一面に重くのしかかっていましたが、雨は夜中に降っただけで、朝方は雨もやみ、お店も賑やかに準備が整いました。9時から子供たちの奉仕によるミサもきっちりできて時間通り、10時に鶯祭りを開会できました。午前中は何とか雨にぬれず、11時半からの手作りコンサートも家族的に和やかでしかも一流の出演者が演奏し盛り上げました。すばらしい教会の交わりが実現したと思います。コンサートが終わるころには、雨が本格的に降り出し、皆様は後片付けに苦労されました。わたしは、何もせずにいたわけですが、新型インフルエンザの患者が茨木の関西大倉高校で数名出たというニュースが伝わり、地区長の谷口神父さんより、該当地区の吹田教会、茨木教会では、日曜日のミサを中止したと聞き及んで、電話で翌週に行われる北摂大会の予定をどうするか各教会と連絡し合い、情報を集めと協議で時間をすごしました。被昇天学園より大会を自粛してほしいとの要望があり、一時半に急きょ池長司教の延期の宣言をファックスで流すことになりました。

堅信式の準備も整っていただけに残念でしたが、しかし無駄なことは何一つなく、新たな取り組みを始める神の計画があるのでしょう。
  
「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなた方のうちにあり、あなた方が喜びに満たされるためである。」(ヨハネ15章11節)
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 聖ジェンマ・ガルガーニ

聖ジェンマのスライドショーを以前作ったことがありました。

 http://www.passionist.jp/cp/genma/

まだそのままになっています。わたしの悪い癖で、途中で投げ出してしまいました。他の聖人たちもスライドショーができるようにしたいのですが、なにしろ時間がありません。今日も午前様です。アレルヤ!

 みことばの七つのイメージ

A みことばの七つのイメージ
B みことばの七つの効果
C みことばの七つの色と効果
 
 聖アンドレ福音宣教学校の中で学んだ聖書のイメージ

 1 灯火   詩篇119・105、エレミヤ 20章
   (効果は、創造的 創世記1章1-3節、コロ3章16節) 
       
 2 剣    エフェソ6章17b、ヘブライ 4章12節
   (効果は、分ける、切り離す)

 3 金槌   エレミヤ23章29節 ルカ18章31-43節
   (効果は、救いといやし)

 4 水・雨  イザヤ55章10~11節 ヨハネ7章37~39節
   (効果は、回心と信仰)

 5 蜜    詩篇119:103、 申命記10:12-13
   (効果は、聖霊降臨)

 6 種    ルカ8章11節 マルコ4章26節~27節
   (効果は、共同体をつくる)

 7 食物   マタイ4章4節
   (効果は、永遠の生命)

 シスターマルガリタの著書「イエスは今日も生きておられる」(第二章みことば)には、「祈りはみことばという支えがなければならない p75」と断言しておられますが、この章全体は、この聖書のイメージに重なるイメージを使っておられますので興味深いです。

 確かに、みことばに対する信仰、これがカトリックの信徒には弱いのです。司祭である私にとっても勉強しても勉強しても何かまだつかめていないというのは本当ですね・・・特に祈りのことばにまで深めることは理想であり目標なのです。みことばは天からの生きたパン、みことばが人となられた方の肉を食べるのですから・・・ふさわしい実りが期待できるのです。このイメージとしては、米国の御受難会の黙想の家の聖堂でみことばの祭壇を主の食卓の祭壇に並行して置かれた聖堂を見たことがあります。主日にささげられる「感謝の祭儀は、神のことばの食卓とキリストの体の食卓」とからなる一つの食卓とみなされるべきです。祭壇が一つだけだとそのことが忘れられるからでしょう。プラド・フロレス師もこのことを指摘されていました。公会議後のみことばに重点を置くことはますます信仰生活に影響を与えることになると思います。特に秘跡とみことばは切り離せないからです。

 昨年のシノドスでは、教皇様自身が、歴史研究と神学的研究のバランスを実験的例示するために「ナザレとのイエス」を著わしたことを報告しておられます。啓示憲章12項を基本に聖書解釈の二つのレベルの方法論について言及されているのですが、聖書学際的研究する必要性、ーつまり歴史的批判的研究、同時に信仰の書として神学的な意味を読む方法には、聖書全体の内容の統一性、教会全体の生きた伝統、信仰の類比に注意することの三点が指摘されていました。教皇様はこれらを踏まえて初めて神学的釈義ができるが、これが聖書解釈にふさわしいといわれました。


 「信仰の類比」ということばで何を意味されているのか、わかりにくいですが、寓意や予型論的解釈、神秘神学、象徴神学、秘跡神学に関連があるのかなとわたしは漠然と連想するのですが、これは一体何かを何れいつかすこし勉強してから皆様にお伝えできればいいのですが・・・ シノドス文書に書かれていると期待していますが、今言えることは、聖アンドレ福音聖書学校では、上記の七つのイメージから類推して、この「信仰の類比」の聖書的理解を重視しているのではないかとわたしは講座を受けてみて感じました。
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 友、遠方より来る また楽しからずや

マレーシア、ボルネオ島北西部の州都クチン(Kuching、SARAWAK州)から サイモン・ポー神父が日本にやってきました。中国系のマレーシア人は、差別されており、何かとハンディがあると言っていましたが、とても明るい性格で、一緒にいるだけで楽しくなり、あれこれ冗談をいいながら半日をゆっくり大丸のスカイビューでコーヒーを飲み、ここは少し高いけれども、何杯でもお変わりできるのがうれしいところで、わたしの唯一の喫茶店、ここで二時間くらいだべってそれから大阪城公園を散策して池田教会に・・・ 楽しい時間で何もしていないのに久しぶりに楽しかった。9年前に台北で知り合った神父さんです。イタリア語、中国語、マレーシア語にいくつかの部族方言をマスターしたと話す。クチン教区の事務局長、教会法が専門で、ローマ留学で、今回も留学中に知り合った神父さんたちを訪ねての同窓会旅行。それであなたに会いたいというのでわたしもつきあいすることになりました。さて、新型インフルエンザが発生する前だったので良かった。マレーシアのカトリックの現状はと聞くと、ダイアン部族はすべてクリスチャンと言っていました。みな豚肉を食べるのでイスラム教に改宗することは考えられないと・・・ボルネオ島はカトリック地区だが、それでも召命はほとんどなく将来はどうなるかと心配する様子はないが、心配な話をしていました。
カフェサイモン

 造られたもので無駄になるものはない。

ひびの入った壺と完全な壺 (作者不詳 シスター Mary )
(日本語訳はこちらをご覧ください。小熊晴代さんのブログです。祈りの輪が広がるのはうれしいことです。ありがたい協力です。)
  http://stjohn0105.exblog.jp/11059971/
An elderly Chinese woman had two large pots, each hung on the ends of a pole which she carried across her neck.

One of the pots had a crack in it while the other pot was perfect and always delivered a full portion of water.

At the end of the long walks from the stream to the house, the cracked pot arrived only half full.

For a full two years this went on daily, with the woman bringing home only one and a half pots of water.

Of course, the perfect pot was proud of its accomplishments.

But the poor cracked pot was ashamed of its own imperfection, and miserable that it could only do half of what it had been made to do.

After two years of what it perceived to be bitter failure, it spoke to the woman one day by the stream.

''I am ashamed of myself, because this crack in my side causes water to leak out all the way back to your house.''

The old woman smiled, ''Did you notice that there are flowers on your side of the path, but not on the other pot's side?''

''That's because I have always known about your flaw, so I planted flower seeds on your side of the path, and every day while we walk back, you water them.''

''For two years I have been able to pick these beautiful flowers to decorate the table.''

''Without you being just the way you are, there would not be this beauty to grace the house.''


Each of us has our own unique flaw. But it's the cracks and flaws we each have that make our lives together so very interesting and rewarding. You've just got to take each person for what they are and look for the good in them.

わたしたちも一生懸命にやっていて時に立ちどまって周りを見ると自分は何の役に立っているのかわからないことがあります。このお話の結論は他者をありのままにその善さを探して見るよにということですが、イエス様はそうしてくださっている方だと思います。イエスのまなざしによってわたしは力づけられ、わたしは一歩踏み出すことができるのです。無駄にはならないから・・・そう思えば、自分では気づかないけれども・・・あれこれして失敗しても、きっとうまく使ってくださっているのです。それに気づくと無様な自分でも何とかしてくださるのだと・・・それがわかると喜びが湧きあがります。

 「わたしの掟を自分のものとし、それを守る人、
  その人は、わたしを愛する者である。
  わたしを愛する者は、わたしの父に愛される。
  わたしもその人を愛し、私自身をその人に見せる。」
            (ヨハネ14章21節)
 
 わたしの使い道を上手に教えてください!
  聖霊、来て、イエスの霊で満たしてください。
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