マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 マリア真田テレサさん逝去

 末期がんでガラシア病院ホスピス病棟に入院中のマリア真田テレサさんが今日9月26日(土)午後2時天に召されました。

 通夜   9月27日 日曜日 午後7時    日生中央教会聖堂
 葬儀   9月28日 月曜日 午前11時半   日生中央教会聖堂

 亡くなる前日、金曜日午後2時頃に訪問して、ゆるしの秘跡、全免償、そして聖体拝領(旅路の糧)を授けました。午後3時ごろ、他の患者を訪問していたわたしを呼ばれたので、ベッドのそばにいくと祈りを望まれたので、一緒に十字架の道行の祈りを始めました。イエス様は同じ苦しみを受けられたので、きっと助けてくださる信じました。痛みがなかなか止まらないので、痛みが止まるように祈ったのち、わたしは、主イエスにすべてをゆだねましょう、家族のしあわせのために祈りましょうと声をかけました。
 
 一留ごとの祈りに、肺に水がたまり苦しい息の中で、テレサさんは、「ハイ」とわたしの祈りの声に応えて最後までしっかりした意識で祈り、終わるとようやく安心して静かな時が続きました。わたしは、これで生涯の償いが終わりましたと宣言し、テレさん、家族のしあわせのためにたくさん祈りました。よかったねと手を握りました。それから、しばらくそばにいて、わたしが帰る4時半頃に、再び声をかけると、目をあけられて「ありがとう」と言われたので、手を握り返して「またお会いしましょう」といってテレサさんとお別れしました。 

 立派な最期で、誰もがまねのできない天国への旅立ちの準備のときでした。こんなに司祭に心を開いて最期まで祈りと秘跡の恵みの力を求めたテレサさんは、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(マルコ10:14)と今、イエス様の国に迎え入れられました。幸せな人 テレサさん、神の国はあなたのものでです。育ち盛りの子供たちを残して天に召されることは不本意でしたでしょうが、これまで以上にもっと、あなたは、子供たちとともに歩み、救いの恵みをとりなすことでしょう。今日もまた主の栄光が輝きました。 

 ななちゃん 誕生日 9月25日

日生中央教会
 金曜日の今朝のミサは、ななちゃんの一歳の誕生日、朝は、10時から 賛美の詩篇を歌い、共同祈願をして、ななちゃんの成長を願って祈りました。 ミサ後ささやかな誕生祝いのケーキをいただきました。

 ななちゃん おめでとう! 
 生まれる前からミサに毎日あずかり、
 生まれてからは一番熱心に見つめている、
 わたしの声と口と目を
 そして、一歳たったら 
 おおきなお声で賛美の賛歌に 
 ななちゃん ウー ハイ ハイと合わせて大喜び
 皆 うれしくなって 赤ちゃんに笑顔をプレゼント

 ケーキなな

 9月24日 聖ストランビ (御受難会固有記念日)

九月二四日
聖ヴィンセント・マリア・ストランビ 司教
                記念 牧者共通

聖ヴィンセント・マリア・ストランビは、1745年、チヴィタヴェッキアに生まれた。司祭に叙階されてしばらくの後、創設されて間もない御受難修道会に入会した。ヴィンセンシオはイタリア中を旅しながら主の御受難について説教をし、キリスト者の生き方を説くことに尽力した。また、聖人伝や信仰修養書を執筆し、主の尊い御血に関する著作は特に優れている。聖ガスパール・デル・ブファロ、福者アンナ・マリア・タイギと並び、すぐれた霊的指導者であった。マチェラータとトレンティーノの司教に任命されると真の牧者として、使徒的な熱意によって聖職者と人々の改革を促進した。政治的動乱の時代にあっても、恐れることなく教会の自由を主張し、ナポレオンへの忠誠という背徳の誓いを立てるよりむしろ追放の身となることを選んだ。国外追放の後、復帰してからも使徒的な働きにおいて洞察力を発揮し、貧しい人々への愛を大いに示した。教皇レオ七世から個人的な相談役になるように呼ばれ、ヴィンセント司教は重病であった教皇の代わりに自らを神に捧げ、1824年1月1日、クイリナリスで生涯を終えた。

みことば:
神のことば (1ペトロ5:1~4)
あなたがたのうちの長老に勧める。わたしは同じ長老のひとりとして、また、キリストの苦難の証人であり、やがて現われる栄光にあずかる者として勧める。あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧せよ。しいられてするのではなく、神のみこころに従って進んで行ない、恥ずべき利益のためではなく、献身的にせよ。ゆだねられた人々の上に権力をふるうことなく、群れの模範となれ。そうすれば、牧者のかしらが現われる時、朽ちることのない栄光の冠を受けるであろう。

共同祈願
 司 聖ヴィンセント・マリア・ストランビの祝日にあたって、聖人の取り次ぎを求め祈りましょう。③
先 御子イエスをわたしたちに与えられ、全ての人を救う使徒職を与えられた主よ、わたしたちが聖人に倣って、御子の御血の尊さと力を生き、世界に宣べ伝えることが出来ますように。
答 主よ、わたしたちの祈りを聞き入れてください。
先 主よ、わたしたちが日々愛する御子の御受難の神秘の中に霊の源泉をいただくことが出来ますように。
先 十字架の聖パウロに親しく生きた聖人の模範によって、わたしたちも成聖の道を歩むことが出来ますように。
答 主よ、・・・
先 自由が奪われている国々での宣教と信仰生活が、聖人の取り次ぎによって守られ進展することが出来ますように。
答 主よ、・・・
先 世界の御受難会員が聖人に倣い、真の牧者として教会に奉仕することが出来ますように。
答 主よ、・・・
先 執筆活動を使徒職にしている作家・神学者・司祭が率先して真理の道を深く極め、教会の徳を高めることが出来ますように。
答 主よ、・・・

主の祈り:
結びの祈願:
全能永遠の神よ、あなたは司教聖ヴィンセンシオ・マリアを羊の群れを導く献身的な牧者とし、教会の忠実なしもべとされました。聖人の模範に強められ、わたしたちも教会の一員として隣人を愛し、正義のために働くことができますように。
わたしたちの主イエズス・キリストによって、アーメン。
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 北摂地区大会― 八教会合同堅信式 ―

パウロ年を記念して企画された北摂地区大会、新型インフルエンザ流行で聖母被昇天学院閉校となり、5月24日(日)昇天の主日の午後の予定日を延期するというハプニングに見舞われました。昨日、9月23日(水)大型連休最終日に、満を期して大会を開催。曇り空ながら天気に恵まれ、参加予定者はインフルエンザの猛威を免れてほぼ全員とは言えないが139名が無事に堅信式を受けることができました。デオ・グラチアス、神に栄光、主に賛美。皆さまのお祈りありがとうございます。


堅信式
 参加人数   550名 
 堅信者   139名
 代親     101名
 欠席受堅者  16 名  

準備(典礼実行委員長 花木さんの挨拶と手順の説明)

堅信1

屋外パネル展示 (カンボジア支援とワールドユースデイ―WYD―)
展示1展示2

受付風景 池田ー日生中央の受付 
(林議長と高田夫妻)
受付1受付2

会場風景 池田教会の受堅者と代親会場1会場2       将来の受堅者ヘンリー君マイヤ

 十字架の聖パウロの手紙から学ぶ知恵

自分の喜びや感情に利己的になることから引き離された魂はなんと幸いなことでしょう。一つの深遠な教訓です。神でないあらゆるものに対して救い主の十字架上で死ぬことによって、イエス・キリストの十字架にあなたの宝を置くならば、神はその幸いを学べるように助けてくださるのです。
"...fortunate is the soul that is detached from her own rejoicing and feeling and self-seeking! This is a deep lesson. God will help you learn it, if you put your pleasure in the cross of Jesus Christ by dying on the cross of the Savior to everything that is not God..."

~Paul of the Cross' letter to Agnes Grazi 9th letter on March 17, 1734 in Volume #1 - Paul's Letter #70

 堅信の秘跡の準備 ― 堅信を受けるあなたへの手紙 (4)

9月19日最終回 堅信準備講座を開きました。
堅信を受ける受堅候補者には手紙でコンタクトしながら準備を進めてきました。 いよいよです。

9月23日(水)午後10時 北摂地区合同堅信式

 9時半 聖母被昇天学院 聖堂前集合
 10時 堅信式ミサ 開始 
 12時 式終了 予定
 12時 WYD参加青年によるメッセージ
 車は各教会5台の許可車のみが駐車できます。(北口から)


 皆さん、いかがお過ごしですか? あなたの学校では新型インフルエンザが流行していませんか? 堅信式の当日38度以上の熱があったりした場合や、家族に当日より一週間以内に新型インフルエンザに罹患して療養中であれば堅信式をうけることができません。どうか、来週の水曜日の堅信式当日までに新型インフルエンザにかからないように気をつけましょう。

 さて、皆さんにお送りしている手紙シリーズはまだ堅信の秘跡の話に入っていません。長い手紙なのでいやになって、もう分からないから受けたくないと考える人もいるでしょう。でも、「聖霊とともに」のテキストの「まとめ」39ページにあるように、「堅信の秘跡は、わたしたちの心と人生に聖霊を迎える機会です」。「そのよい機会」が9月23日の水曜日(午前10時)に行われるのです。皆さんに、聖霊を迎える準備のために、知ってほしいこと、考えてほしいことがいっぱいありましたが、その準備は知識を詰め込むことではなく、恵みとしていただいた信仰を確認し、その信仰をあなたの人生の中で生きるために最も必要な助けと力をくださいと聖霊に願うことなのです。まずは、当日にも歌う「聖霊の続唱」をなんどか口ずさみ祈りましょう。

 皆さん、聖霊に来てほしいという望みが起こりましたか?そうであれば、ずいぶんと準備ができました。さて、今日は、祈りをしたのちに、知識を整理し、最小限、堅信式までに心の準備をしましょう。そこで、皆さんにお渡ししたテキストブックの目次をご覧ください。前回までの私の手紙とは違い簡単によくまとめられています。(続きをクリック)

 これまでの堅信の講座では、たくさんのプリントを配りました。8回の講座のなかで配ったもので、欠席した人は持っていないかもしれません。(資料のリストを → 続きの欄に掲載 )

 
 材料やプリントはたくさんありました。講座は以下のような内容を目指しました。それは毎週の主日のミサとの関係を明らかにしようと考えたからです。そこで、最後の晩さんとその時の別れの説教の中で約束された聖霊を説明しようとしました。プリント(5)救いの歴史概観と典礼暦とプリント(9)言葉の祭儀の構造図です。これは主日のミサの典礼に積極的参加をして、福音朗読のキリストの行いに目を留めていただきたいと思いました。

 キリスト者の生活の土台は、入信の秘跡である、洗礼、堅信、聖体の三つの秘跡からなり、「秘跡による恵み」とは、キリストによって与えられる聖霊の恵みです。キリストをよく知ることによって、その与えられる恵みも明らかです。御ひとり子イエスのいのちに一致させ、神の本性に与ることなのです。神の生命に与り、愛の完成へと進んでいきます。「キリストのように考え、キリストのように話し、キリストのように行い、キリストのように愛そう」という典礼聖歌の理想を生活の中で実践することを目指します。これが秘跡の基礎的な理解になるでしょう。

 そして、教会にはそれぞれにキリストが制定した固有の秘跡があります。七つありますね・・・そして、それらの秘跡の中で働かれるのはキリストご自身なのです。キリストの名によって願われる祈り(エピクレーシス)において、聖霊がすべてを変容させ、神のいのち(神の恵み)をあたえられるのです。

 さて、堅信は洗礼と切り離すことができません。そのため、洗礼と堅信と聖体は、入信の秘跡として大人の洗礼では、同じ洗礼式のなかで授けられます。これによって新しい人としての生活が始まります。秘跡(しるしとことば)を通して神のいのちが私たちに授けられるからです。

 皆さんの場合は、洗礼と堅信と初聖体が異なる機会に与えられますが、幼いときには、ご両親の信仰のなかで、神のいのちが授けられました。洗礼・堅信は、それぞれ主の復活と聖霊降臨の祝いの内容を示唆する秘跡です。洗礼によって神の子とされ、教会に受け入れられたキリストの弟子である信者は、堅信によって、聖霊降臨によってキリストの使命を継続する教会の使命に参加し、日常生活の中で神の救いの業を実現する協力者となるように招かれます。そのために必要な力を授けるのが堅信の秘跡です。豊かに聖霊が贈られる教会の使命と奉仕のための賜物を授けます。

 ところで、洗礼では聖霊による洗礼を意味するものですが、その時に主に働く聖霊は、神の命を与えて神の子とすることと神との隔ての壁(原罪)を取り除く和解の恵みを受け罪が赦されるのです。こうして神の命が自然の命に接木され神の子の身分を受けるのです。しかし、洗礼によって、王職、預言職、祭司職を充分に果たすためには、キリストのように(油注がれた者)となるカリスマ(恵みの賜物)をうける必要があります。キリストの命である仕える者となられた主に従うためには、キリストの油、聖香油(しるし)を通して奉仕の恵み(カリスマ)を授かるのです。これが堅信の秘跡で信者の奉仕職の土台です。結婚の秘跡や叙階の秘跡でこの堅信の秘跡を受けていないと、うける準備をします。残念ながら最近は結婚の秘跡を受ける際に堅信の秘跡がまだだからといって受ける人がいなくなりました。堅信の秘跡が軽んじられているように思います。(脱線)これらの秘跡を受ける前に、ゆるしの秘跡を受ける必要を感じる人もいるでしょう。ヨハネの福音書には、復活されたイエスが弟子たちに最初にしたことは、「聖霊をうけなさい。あなた方が赦すなら罪は赦され、赦さないならば、そのまま残る」と告げられたからです。罪のゆるしは聖霊によるものです。しかも主の十字架のあがないの力から聖霊が息吹くのです。だから息を吹きかけるように聖霊を受けなさいとイエスは言われるのです。それは、創造の初めのアダムにいのちの息を吹き込まれた時と同じ創造の業、贖いの業である罪のゆるしは新しい創造なのです。

 現在、ほとんど教会生活をしていないとか、神の子の意識を失い、世俗的な生き方に翻弄されている人は、まったく教会生活と縁がないように神から離れていると思われます。でも、堅信は、洗礼と同じ主への告白です。わたしの人生の生き方として、また教会の使命に参加して奉仕する者となることを主に忠誠を誓うのです。再び神の子の使命を引き受けましょう。すばらしい人生が始まります。 
 
 信仰告白と祈り(嘆願)式次第では、それが強調されています。とくに悪霊の拒否を、現代の生活の欲望的な誘惑として退け、信仰生活を選ぶ決意の表明がいちばん聖霊を豊かにうけることになります。


 上に述べたことを聖霊準備講座で話したつもりです。講座の項目を下に並べてみました。○数字は、講座の順番です。

① 救いの歴史 概観 創造から黙示までの聖書のビジョン
② 救いの歴史 概観 イエス・キリストの誕生までの救いの道
③ キリストの秘義神学とミサの朗読箇所との関連
④ 最後の晩餐でのイエスの約束 告別のことば、聖霊の派遣・・・
⑤ 秘跡とは何か? 聖霊の派遣と新しい秘跡論
⑥ 復活されたキリストの秘跡である教会
⑦ キリストの現存のしるし、イエスの霊と聖霊の賜物
⑧ 聖霊の賜物(キリストの死に与るカリスマ)


 ところで、長い手紙では、第一の質問と第二の質問をして、偶然か計画かを問うてみました。自然界には法則があることはわかるが、人間にはハプニングが多いことも私たちの経験です。人間には予測のつかないことが起こることが多々あるということです。しかし、私たちは偶然でなく神の招きを信じます。人間には不確定な要素が多いので、災害や悪に遭遇して不幸な事件に巻き込まれることは避けられない時がありますが、それを超自然的な神の力や業と考え、不幸を神や悪魔の仕業と憤る人や自然の運命と諦める人もいます。

 しかし、わたしたちキリスト者は、啓示によって、イエス・キリストがあらわされた神と神の計画を知り、新しい天と地を準備するために人類共同体に奉仕するように召されているので、運命のいたずらに際しても、あきらめずに働きます。また神の創造と贖いの協力者として、神のみこころが地にも行われるように人類の福祉の進歩に力を尽くし、「恩恵と正義の国」人類と神との一致を目指して歩みます。「聖霊」は、そのために「私たちと共にいてくださる神」なのです。

 恵みの賜物を満ち溢れるほど受けてください。
 ✙ 聖霊、来てください。
 信じる者の心を愛の火で燃やしてください。
 
  畠 基幸 神父
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 十字架の聖パウロの手紙から

口頭(祷)の祈りを唱えている中で、深い平静をともなう念祷の祈りへの促しがあれば、口祷の祈りをひとまず脇に置き、念祷の祈りの促しに従う。その後、口祷の祈りを続ける。それぞれにあなたの祈りの時間をたっぷりとり、急がず、ゆっくりと、優しく、神の内にあなたの心に合わせて祈りを唱えなさい。
"...If, while saying these vocal prayers, you feel drawn toward mental prayer with a profound recollection, leave off the vocal prayer and follow the mental. Afterward, continue the vocal prayers. Give each their time. Recite your prayers without hurrying, gently with your spirit in God..."

~Paul of the Cross' letter to Agnes Grazi 7th letter on December 16, 1733 in Volume #1 - Paul's Letter #68

 希望の集い (9月16日水曜日)

日生中央と池田の合同の「希望の集い」が素晴らしい天気に恵まれ、大勢の参加者(47名)でよい集いになりました。名称で推察できるように高齢者の集いです。65歳から資格があるということですが、60代はわずかで、70代、80代そして最高齢(91歳)の小野とみゑさんが参加されました。ダムの中ほどに造られた公園には車いすも用意してあり、高齢者が訪問しても楽しめるところですが、交通のアクセスは悪く、車で行くしか方法がありません。


 場所:一庫ダム公園 ネイチャーセンター
    兵庫県立一庫ダム公園

 時間:11時から2時まで

 11時から野外ミサ
Mass参加者風景
 *畠神父司式、雲田助祭補佐で教会の功労者たちと共に素晴らしい景色を見ながら公園の広場でミサをささげました。ミサの内容よりも皆さんはすがすがしい秋の風と景色に見とれて時間はあっという間にたちました。共に家族の信仰の一致がみられるように祈りました。子供たちの時代、信仰を深く学ぶ機会も、また信仰の仲間を見つけることも難しい。同じ信仰をもつ希望を祈りました。

ミサ後、昼食はネイチャーセンターで:
Obento小野
小野さんのお元気な様子に、皆勇気づけられる。

挨拶踊り藤原
日生中央教会の馬戸評議会議長が挨拶、日生中央と池田の深いかかわりを25周年の行事で知ることができ、池田の諸先輩の労苦に感謝の言葉を述べられました。食後、踊りや歌で和やかな雰囲気をもち、DVDで日生中央の献堂式のコンサート、その後2001年デニス神父と共にローマ本部とヨハネ・パウロ大聖堂での十字架の聖パウロ記念ミサに参列、ローマ時代の地下の遺跡と殉教地の見学を収録したビデオを鑑賞して終了。

 百日連続共同祈願 9月15日 開始

悲しみの聖母の祝日は、百日連続共同祈願を始めるのにふさわしい祝日です。十字架の称賛の祝日の翌日に定められた祝日、十字架のイエスの傍らに母マリアが立つという姿をたえず思い起こすことによって、御子の苦しみを母の痛みと悲しみと嘆きをもって受け入れた聖母マリアの特別な位置と存在に思いを巡らし黙想しましょう。

 百日連続共同祈願には、たくさんの祈りの意向が届けられています。それらは簡単には解決しないものばかりです。

 あらゆる病院や宗教やカウンセリングに通ってもただたくさんのお金を要求され、登校拒否の子供が却って苦しみと悩みと病がひどくなったというお母さんからの電話がありました。「修復することのできない過去の闇を背負う家族や配偶者や子供たちの苦しみを、一緒に担ってくださり同伴してくださる方は聖母マリア様しかありません。」そう答えると、聖母にも祈りました。何の救いもありませんとの返事。
 
 イエス様も同じように問い詰められたことがありました。「この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。(マルコ9章18節)」そして、イエス様は、「この世はなんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。(19節)」それから、父親に「このようになったのはいつごろからか」とお聞きになりました。

 一つの問題には、さまざまな要因が絡んでいることがあり、そのすべての原因を探ることは不可能に近い。そして、その救いの鍵は当人のなかにあり、その問題に向き合わなければならない。だがそれはカウンセリングの可能な人の場合に限られる。統合失調症や発達障害、はじめから傷をもって生まれてきて、そして世の中の都合に翻弄されて誰からもまっとうに相手にしてもらえない。

イエス様は、こう言われました。「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」同じように、デカポリス地方でのいやしも、「耳が聞こえず、舌の回らない人」に両耳に手を入れ、舌につばをつけ、そして、深く息をつき、「エファタ(開け)」と言われました。一切の自分以外の外の世界を信じることができず閉ざされた中にその人は生きているのです。そして、自分をも信じることができない。このように閉ざされて口もきけず、耳も聞こえない状態になるまでに、どれほど多くの複雑な事情に翻弄されたことでしょう。彼の側に立つならば、その怒りがこみ上げてくるでしょう。この世界の身勝手さが・・・イエスもこの子の側に身を置いて嘆息されたのです。「息をつくのは」のは祈りの動作ですが・・・この子のために祈る人たちがなければ癒されない。わたしたちには直接なにもしたあげられないけれども、祈りのうちに、この子の生育の過程で受けた傷を、私たちが与えたものとして一つずつ数え上げながらこの子にゆるしを願い、あなたを愛すると呼びかける。これがいやしの始まりになることでしょう。

 人生の道では、イエスは道であり、聖霊は案内者です。そして同伴者は、聖母マリアです。聖母マリアは、一人ではなく、教会の母といわれるように教会の姿を現します。聖母が最後まで十字架の傍らにおられたように、教会もまた現代の十字架の苦しみに遭遇する人々、神を信じきることのできない人々の傍らで、最後まで父を信じで十字架の苦しみを受けた御子の母として、同伴して慰めと力づけをとりなしてくださいます。

 「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」
イエス様は、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われました。わたしたちの百日連続共同祈願は、イエスの祈り、御父へのささげの祈りに与るように毎日願います。確かに、わたしたちは不信仰で、祈りの力を持っていません。でもあわてずに忍耐して祈りましょう。わたしたちは、迷路にはいったり、迷子になった時、あわてるとますますパニックになって分からなくなることがあります。かならずなんとか出口はある。それを知っているので、今分からなくても何とかなると思っています。だから、神は追い切れないほどの荷を負わすことはないとわかるので、救いの道は必ずあると信じることができ、解決のヒントを思いつくことにつながります。詩篇には、救いの業、神の素晴らしさを一つずつ数え上げろということばがあります。一つずつ数えげるというところに力があります。賛美の心へと変えられることでしょう。


 母親の訴えに私たちはどう答えましょう。母の訴えは、お弟子さんたちも、できませんでした。病院や警察、祈祷師、占い師、心理療法士、精神科医も何もできませんでした。息子はいつ自殺するのかと恐ろしい毎日ですと・・・。わたしは、百日間そのことを覚えて、主イエス・キリストのみ名によって祈ります。ただただ、主イエスの祈りに信頼してゆだねましょう。祈りは愛ですと答えました。
 
 皆さまも お祈りください。皆さまも、また母マリア、主イエスの十字架に傍らに立つ悲しみの聖母として、救いの協力のためにたくさんの涙と祈りをおささげしてください。聖モニカのように、聖マグダラのマリアのように・・・愛の勝利を歌う聖人たちと共にあなたもイエスの傍らいてください。

 悲しみの聖母 (御受難会の特別保護者)

九月一五日 悲しみの聖母
御受難会特別保護者 (御受難会固有祝日)

伝統的なものを引き継ぎつつ、一九六四年の第三八回総会で満場一致の賛成によって、悲しみの聖母はわたしたちの修道会の第一級の保護聖人として定められました。これは一九七二年に第一回世界シノドスで、新しい御受難会固有のカレンダーが準備されるに当たり、関係者の問合せによって確認されました。総長顧問会はそのような決議やそこに出席しているすべての修道者の円満な同意を見て、教皇庁に公認を求める手続きをすることを決定しました。教皇パウロ六世は、一九七三年三月八日付の短い書簡の形による使徒書簡「Quam Ardens」によって「悲しみの聖母マリア」が御受難修道会の第一級の保護聖人であるとして公認し宣言しました。
悲しみの聖母の祝日を祝うことは、聖母とともにキリストの御受難の神秘の中に参加を深める機会をすべての御受難会員に提供するものです。彼女を崇敬することは、創立者の足跡に従うことでもあります。創立者は個人的な信心によっても、手紙や説教、すべての使徒職の働きの中でも、御受難の中で聖なる御子と一致している聖母を深く崇敬していました。

賛歌
   ①

十字架の下に御自分を置き、
母は嘆きつつ泣きながら、
最後までイエスの傍らに立たれた。

悲しみの母は、
その汚れなき御心を通して、
イエスの悲しみを分かちつつ、
すべての苦き苦しみを耐えておられる。
剣はその御心を刺し通した。

一人子を深く祝された母は、
どんなに悲しみ痛みを持って苦しまれたことか。
キリストは苦しみの十字架の上に、
母はその下で、
死に行く栄光の息子の心痛を看とられる。


その悲しみが深すぎるため、
涙することなき方が一人。
苦しむキリストを
見つめ続ける敬慕すべき母
言葉なく苦しむ母のその心を、
人間の心はどれだけ味わいつくし、
反復することが出来ようか。

打たれ、嗤笑され、呪われ、汚された心を…。
むち打たれ血塗られた、
いつくしみそのものの息子を見つめる母。

同胞の罪の故に、命が取られるまで、
絶望的な十字架につるされている御子を看取る母。
キリストよ、あなたがわたしを呼ばれるとき、
あなたの母がわたしの避難所でありますように。
あなたの十字架が私の勝利でありますように。
アーメン。




   ②
アダムの悲しい罪の後に、
彼の子供等は自らの運命を見た。
正義は為されなければならなかった。

失われた恩恵、悲しみ、反逆者の肉、
暗い死、祝福されながらも無効にされた希望。
これらすべては罪深い民の上に押し被せられた。

だれがこのアダムの子供を助けるのだろうか。
神お一人ががそうされなかったなら、
神以外の誰がそれを完全に贖うことが出来ただろうか。神以外の誰かを捜しても無駄だ。

神御自身こそが
重荷を負う肉なる者を保証されたのだから。
神は苦しみ、償う。
わたしたちに対する愛のあまりに、
ご自分で罪を贖われる。

これがすべてではない。
イエスの母は共に立つ、
わたしたちが贖われるために、
イエスの御受難に
母の悲しみを添えて参加されるのだ。

私たちの確かな母であることを証する
悲しむ母の姿を、
わたしたち皆はいつも思い起こす。

栄光は父と子と聖霊に。
初めのように 今も いつも 世々に。 アーメン。
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