マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 ケアハウス 父の家訪問

今年の仕事納めは、二年ぶりに父の家を訪ねて「神の園」に来ました。

 夕方到着して、しばらく近況を話してから、父が仕込んでくれた焼酎割で晩酌し、弁当を食べて、ニュースをみて、風呂に入る。祈りもしないで布団に潜り込む。こんな生活だったなと昔を思い出す。
 酔いが回ったのか祈らずにいつのまにか寝てしまい、翌日 8時前に父に起こされて目が覚める。父の家に戻った気分・・・。
 朝食を一緒にゆっくり食べたのち、
 1時間ほど祈り、ミサの準備をしたのち、
 神の園の信者の方々と一緒にミサをして、それから1時間半
 皆さんとお菓子を食べたり、お茶を飲み、
 和やかに団欒の時を持ちました。
 皆さんから、月に一回は 来てほしいと注文が入りました。
神の園



父の歌声響く グロォ~ォ~リア インネクシェルスィス デェ~ェオ
 
 父
年の瀬の休みのひと時、一年の疲れが取れました。
また明日から忙しい毎日です。 皆さん よい年をお迎えください。

 第9回百日共同祈願への招き

「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(ルカ 2章20節)
Merry Christmas and A Happy new Year
クリスマス

皆さま、主の降誕と新年のお喜びを申し上げます。

 12月23日、第8回目の百日連続共同祈願ミサを無事に終えることができました。今年一年、わたしは健康に恵まれ、充実した司牧活動を行うことができました。皆さまの祈りのおかげです。百日連続共同祈願に参加された皆さまも、また恵みに満ちた日々を過ごされたと察します。十数名の方が百日のミサの祈りに大きな力を感じて感謝のお手紙をくださいました。

「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。」(フィリピ1章3節)聖パウロは、生まれたばかりのフィリピの教会の信徒を励まし、手紙を書きました。引用した手紙の挨拶の一節を読むと、わたしも同じように、祈りたくなります。皆さま、皆さまの祈りは尊い祈りです。私はその祈りに支えられています。日々、祈る中で、皆さまの祈りを思い起こしイエスの奉献の祈りに加えています。また、イエス様が最後の晩餐で弟子たちにぶどうの木のたとえを話されたことを思い起こしています。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15章5節)

 私たちが、共同で連帯してきた百日間共同祈願の第一の祈りの意向は、参加者の上に「新しい聖霊降臨」を願い、共に聖霊で満たされることです。まさに、それは、イエスはまことのぶどうの木で、その枝であるわたしたちは、聖霊の樹液でつながり、わたしたちの祈りは三位の愛の交わりに結ばれ、その実は、聖霊の賜物として、世に命をもたらすと信じることのあかしになりました。わたしたちの中で現存される聖霊を意識すればするほど、三位一体の神の交わり、父と子と聖霊の交わりのなかに招かれます。その中でささげるわたしたちのミサは、主の愛の秘跡であり、大きな喜びが聖霊の実りとして参加者に満ち溢れるほど注がれます。

 主の降誕を祝うこの季節、わたしたちは、声高らかに、聖マリアと共に「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」。世に救い主が来られたのです。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(ルカ2章35節)何とすばらしい訪れでしょう。イエスが王として治められる約束の時が到来したのです。洗礼者ヨハネは、イエスが死者をよみがえらせたと聞いて、二人の弟子を送りました。「来るべき方は、あなたでしょうか?」 イエスはお答えになりました。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。」(ルカ7章22節)この喜びの便り、福音は、同じ聖霊の力により教会の中に継続されています。
 
 さて、同じ喜びの便り、2009年は、インドからシスター・マルガリタ(6月)、ルフス・ペレイラ神父(8月)を迎え、みことばを生きる宣教師の姿とその福音の力強いあかしを目の当たりにしました。お二人の著書、「イエスは今日も生きておられる」(Sr.マルガリタ、ゲスマン和歌子訳、聖母文庫)と「主は今生きておられる」(FR.ルフス・ペレイラ、小熊晴代訳、聖霊による関西地区委員会)は、深い学問的な研究に基づきながらも、その題名どおり「主が生きておられる」ことの喜びをあかしする単純明快な福音でした。現教皇ベネディクト16世は、このような生きた信仰をとても評価されるのですが、それは、教皇の「合理主義と新しい啓蒙の時代の大波がカトリック教会の土台を揺り動かし、冬の霜のように信仰生活の上に降りてきて信仰生活を冷やしました」という現状認識があるからだと思います。わたしたちは、実在とは、物質の質量からなる時空間という近代以降の世界観の中に生きており、目に見えない実在の可能性に疑問を持つ現代社会で信仰者自身も同じ合理主義と啓蒙主義的思考によって内面の葛藤に直面せざるを得なかったのです。そのような信仰の確信のない教会生活の中で、聖霊の新たな注ぎによって復活した主の現存との出会いに導かれ、荒れ野の乾ききった砂のような信仰が命の水に浸されて生き返ったのです。先の教皇ヨハネ・パウロ二世が、1996年の聖霊降臨の前晩に、「わたしたちの時代に与えられた聖霊の数ある賜物の中の一つに、確かに、私が教皇職就任の初期から、教会と人類にとって希望の根拠の一つとして認め続けていた教会の諸運動の開花があります」と聖霊による刷新のリーダーと諸運動のリーダーを前にして語られたことにもこのような背景があるでしょう。

 関西地区委員会では、ヘリベルト・ミューレン著「キリスト者の基本的体験の道」を復刻して聖霊セミナーで使うように推薦しています。三位一体論と聖霊論的キリスト論で名を馳せたミューレンの本は、聖霊による満たしの意味を深く解き明かしてくれます。この本によりわたしが理解できたことは、聖霊に満たされるとは、三位のペルソナが持つ関係性における存在(聖アウグスチヌス)の交わりに与り、それに応える存在として目覚めるということです。ドイツの哲学者マルチン・ブーバーが、「我と汝」という関係について分析した本がありますが、ペルソナの関係は、「我と汝」であって、決して「我とそれ」ではないと理解できました。それで、祈りの中では、聖霊に満たされて、「アッバ、父よ」(ローマ8章15節)呼ぶことができるのは、わたしたちが聖霊によって御子の霊をいただくからであり、それゆえにイエスと御父が持っておられるあの永遠の「我と汝」の交わりに与ることができるということなのです。この素晴らしい三位一体的な祈りは、まさに異言でしか表すことのできないようなものだと思います。(ローマ8章26~27節)

 上記のことは、現在のわたしの祈りに大きな変化を与え、祈りの生活に喜びをもたらしました。そこで、2010年の百日共同祈願は、教皇ヨハネ・パウロ二世の回勅「聖霊 -生命の与え主」の結びに書かれた文章の一部からヒントを得て、皆さまと共にこの世界のために、教会のために、そして私たちと私たちのかかわる方々に新しい聖霊降臨の恵みを願いましょう。

 「教会は自分の信仰をたえず告白します。すなわち、この創造された世界に、造られたものでないたまものである霊があります。この方は実に、御父と御子の霊です。すなわち、この同じ方が、御父と御子のように、造られず無限であり、永遠で全能であるかた、神、主なのです。神のこの霊が、『全世界に満ちる』のです。そして創造されたものはみな、自分の本来の姿の源泉をこの霊の内に見いだし、超越した表現を発見し、この方に身をささげ、この方を待ち、自分の全存在をあげてこの方に語りかけるのです。人間はこの方に対して、弁護者であり真理と愛の霊にたいするようにかかわります。この霊に、人類の心である教会はより頼みます。それは、霊にすべての人のための賜物を願い求め、また霊をとおして『私たちの心に注がれている』愛のたまものをすべての人に分配するためです。教会は、地上における人間の現世の旅路の入り組んだ道を通って聖霊へと方向転換します。そして、人間の行為の誠実さを霊自身のわざとして、しかも少しも中断することなく渇望し続けます。・・・中略・・・実に、平和への道は、つまるところ愛を貫いて続いており、愛の文明が造られることを目指しているので、教会は、御父と御子の愛である方に自らの鋭いまなざしをしっかりと向けます。さらにたとえ危険が増しても、教会は信頼することをやめず、人間の平和を祈り求め、この世界で平和のために奉仕することをやめません。教会の信頼は愛の霊であるがゆえに平和の霊でもある方、また『全世界』を愛情と平和で『満たす』ために、この人間世界において、良心と心の地平に現存することを決してやめることのない方に、しっかりと据えられているのです。」(1986年5月18日聖霊降臨の祭日、教皇在位第八年 回勅「聖霊」P149 ~151引用、中央協議会出版)

それでは、皆さま、2010年の幕開けに向かって、百日共同祈願の開始を宣言します。

 2010年元旦から4月10日まで9回目の百日間を共に祈りましょう。
(はがき本文)

✞ 聖霊、来てください。生命と喜びとの霊よ
来て、あなたと、御父と御子との完全な交わりを一人ひとりにお与えください。
永遠の生命と喜びとにおけるあの交わりを
人はそのためにこそ造られ、
そのことにこそ向かっているからです。
(教皇ヨハネ・パウロ二世の祈り)
 
  皆さまの意向:



栄光は父と子と聖霊に。 初めのように今もいつも世々に。 アーメン。

2009年12月25日  
聖霊による刷新 関西地区委員長 畠 基幸
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 Merry Christmas !

Merry Christmas and A Happy new Year
クリスマス 幼子の誕生は、新しい希望の誕生の時でもあります。大きな変革を迎えた今年、さまざまな思いを胸に新しい希望の年を迎えようとしています。また、百日の共同の祈りを始めます。皆さまのもとに手紙を書きました。住所をお知らせくださった方には来週29日ごろ直接お送りします。

降誕祭のミサ
カトリック日生中央教会にて、7時半からのミサには昨年よりも多く近隣の参加者が多かったように思われます。

降誕祭のミサ説教(実録)
小倉摂子さんによるテープの書き起こしです。(※クリック)
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 クリスマス行事 あれこれ アラカルト(一品料理)

子供たちのあこがれ永遠のサンタさん(12月20日日曜学校クリスマス)
 サンタ Santa1 gita

クリスマス飾り飾り 飾り付けミサ後のクリスマス飾り付け作業
幼稚園は新型インフルエンザでクリスマス会は延期(12月18日午後)幼稚園0112月21日朝

日生中央教会 恒例のクリスマスコンサート 12月19日午後
ボランティア出演者の家族らとともに
Xmascon コンサートの終りにようやく到着、会場の聖堂に入ると熱心に聞き入る聴衆たちのしあわせな表情が印象的でした。
    
池田教会 おしゃべりコーナ
神本君 神本君の送別会 しんみりと別れを惜しむ。

 12月23日 第八回百日連続共同祈願成就ミサ

新型インフルエンザの猛威にもかかわらず、聖霊の息吹に守られて、支障なく倦むことなく毎日の共同祈願を積み重ねて100日間のミサ完成しました。熱心な方々と共に100日目の感謝のミサをささげました。次回は、2010年元旦から4月10日(土)までです。 アーメン・アレルヤ
百日2009

 CCR Conference オーストラリア

オーストラリアの聖霊による刷新委員会から黙想会への申込用紙が送られてきました。PDFファイルをお届けします。
Rise up Army of God conference 2010
 オーストラリアCCR
3月19日から21日まで

 サムライの如く - トニ・グリン物語 -

サムライ 故トニ・グリン神父様の実弟パウロ・グリン神父により著された本です。オーストラリアと日本との和解と平和の橋渡しをされた偉大な宣教師の魂の物語を生い立ちから、先祖、家族、交友関係など詳細に、実弟であるパウロ神父だからこそ書き上げることのできた偉大な宣教師の生涯のエピソードをつづった人物伝です。トニ神父様の人柄と司祭職の在りし日の姿がよく分かります。本の原題「Like a Samurai」は、最終章の書かれている最期のお姿からとられたものです。神父様は、末期癌のお体で入院中にもかかわらず日曜日には教会に戻り、神父様は信者のためにミサをささげておられました。その日は、いつものようにミサを始められましたが、途中で香部屋に戻り倒れられ、翌日天理病院へ運ばれましたが、ヘモグロビンが通常の三分の一しかなく、癌が進行して体内出血が始まり肺に血がたまり呼吸困難となりました。血を抜くために管が差し込まねばならないとトニ神父に告げられた時、もうこれ以上命がないと分かり、6人の医療スタッフ一人ひとりに名前を言って「ありがとう」と感謝と別れの挨拶をして絶命されました。パウロ神父様はすぐに遺体を引き取って教会に運び、トニ神父様の祭服を着せ、そのまま教会の畳に安置されましたが、血が祭服からにじみ出ていたお姿が、十字架のイエスと同じ姿で、ある信者さんは「侍のように主君イエスとその民のために最後まで闘い、討死したかのように」感じたそうです。「そのために本の表題を決めました。兄の生涯そのものを言い表しているのです。」パウロ神父様に面会した折に伺いました。

 トニ・グリン神父様とは、1983年奈良に叙階後最初に赴任したときに会いました。聖性にたいする熱い思いを持っておられ、当時CCR(カトリック・カリスマ刷新)司祭黙想会の幹事役で、諸外国から指導司祭を呼び、また国内の司祭を黙想会に勧誘することをしておられました。わたしが初めて参加した司祭黙想会、わたしはマリスト会のご厚意で無料で参加できましたが、1983年叙階を受けた年の秋のことでよく覚えています。そのカリスマ司祭黙想会は、毎年三田にある関西大学セミナーハウスで行われ、その年は、シスターブリッジとサリバン神父指導の黙想会だったので120名の司祭が集まりました。その後、司祭黙想会は、トニ神父様の死後、次第に参加者が減少し、2006年には中止を余儀なくされました。司祭黙想会の担当は、ライル神父帰国、ウィックス神父死去、ケビン神父帰国などもはや誰も担当する人がいなくなりました。カリスマ刷新の日本での普及は、偉大な宣教師たちに依存してきたため、誰を呼べばよいのか手探りの状況ですが、先人の志を受け継ぐべくわたしが担当することになりました。今年の司祭黙想会は、往年の盛況ぶりとは比較にならないほどのさびしい参加者で、シスターや一般の参加も含めて、わずか18名でした。来年に司祭黙想会を企画することもできない状況です。

トニ神父様 どうかわたしたち司祭のためにもとりなしてください。

本は、こどもの里・グリンファミリー発行 で収益金のすべては子供の里に贈られます。
発行所 こどもの里
〒557-0004
大阪市西成区荻野茶屋 2-3-24
TEL/FAX 06-6645-7778

著者 パウロ・グリン神父
1928年生まれ、1955年来日、22年間奈良を中心に宣教活動を行う。
山田無文研究など仏教を通して日本文学・日本文化の造詣を深かめる。オーストラリア帰国後は著述活動に従事し、本から得る収益はアジアの恵まれない子供たちのために贈り続けている。

おもな著書
長崎の歌 (A Song for Nagasaki ) 1989年12月
蟻の街の微笑み (The Smile of a Ragpicker ) 1995年6月
癒された人々 ( Healing Fire from Frozen Earth) 2001年11月
和解 (The Wayside Stream Reconciliaton) 2004年11月
 

 聖霊セミナー 復活

 聖霊による刷新関西地区では、神戸と奈良で十数年ぶりに聖霊セミナーを開始。どちらも数十名の参加があり、新しい人も加わり、12月10日登美ヶ丘ではパウロ・グリーン神父・畠神父の導きにより聖霊の満たしを祈った。

登美ヶ丘教会
 奈良01 奈良02
 
パウロ・グリーン神父とともに奈良03 

住吉教会では 2週間に一回聖霊セミナーが続けられており、ミューレンのテキスト「クリスチャンの基本的体験の道」(ⅠとⅡ)をもとに、ウルバン・サルビエ神父の豊富な体験を交えて講話が行われています。聖霊の満たしを受ける前に、悔い改めの心の必要性など、明け渡しの決意を準備するためにゆるしの秘跡が12月12日に行われました。ウルバン1

 師走 疾走

池田教会 Ⅰ・Ⅱ地区合同忘年会
 御馳走オンパレード・・・ 料理は得意という実力派ぞろい。

  chiku01 chiku02 chiku03


待降節黙想会(北摂地区西ブロック) 恒例の黙想会・・・

 池田教会     和田幹男神父
 日生中央教会   後藤神父
 箕面教会黙想会  畠 神父
 高槻教会     松本神父
 豊中教会     松本神父
 ME 黙想会    デニス神父

松本一宏神父は地区長として引っ張り凧・・・ 新宮教会にも出張。
 池田教会では、12月6日の主日ミサ当日、松本神父、デニス神父、畠神父全員が他教会へ出張して不在という異常事態に・・・箕面から和田神父が駆けつけて事なきを得ました。 

チャリティ寄席

 新しい試み、聖堂の中に笑いの心を吹き込む・・・ 
受付 bokin4 bokin3
 クリスマスと教会のイメージと合わないという声もあり、チケットの売れ行きが不調で心配されましたが、当日は満席となり、主催者にも満面の笑みがあふれていました。

 香部屋係りのハンドブック

齊藤加壽子さん (福岡黙想の家の創立当初香部屋として勤務)
この日たまたま個人黙想のために訪問した齊藤さんに出会いました。12月3日聖フランシスコ・ザビエルの祝日に82歳誕生日を祝って写真撮影しました。遺影にしてくださいと頼まれました。まだ冗談が言えるほど余裕があり矍鑠としておられます。

<齊藤さんのこと>
齊藤さん1齊藤加壽子さんは、御受難会きょうだい会(私的奉献)として長年御受難会福岡黙想の家の移転新築後の宗像での活動に協力して引退されました。彼女の奉献を形にしたものとして、数年前「香部屋係りのハンドブック」が白浜神父さんとともに出版されました。
 
 そもそものその本の成り立ちは、黙想の家での典礼担当として、オルガン伴奏や典礼準備、祭服類、ストラやアルバの整理など細かい典礼の下準備と言ったものを香部屋の経験が深い彼女に依頼し、また式の典礼の段取りも任せていたので、事前準備から齊藤さんのお世話になったのですが、あるとき、彼女の丁寧で大変詳しい式次第の説明があり、式の直前になってもまた事細かにされて、わたしは爆発。もうこれからはノートに短く書いてから必要事項を渡してほしいと頼みました。そのときは私がいじわるかのように思われたかもしれませんが、後に続く人のためにというわたしの願いに応えるべくこつこつと齊藤さんはそれ以来書き続け、結果的に、そのノートは、福岡黙想の家の典礼で大活躍し、齊藤さんの覚書は後継者にとって大変重宝なものになりました。四季折々の典礼の準備の一切をノートに書き下ろしたもので、長年東京カテドラルマリア大聖堂の香部屋に勤務した経験や修道会での香部屋担当などこの道にカリスマ的な才能を発揮し、彼女が集積したこの種の実践的な知識が整理されて文章になって伝えられるものとなりました。これらの知識は、各修道会の修道院内で直接伝授され門外不出とも言えるものです。齊藤さんの書いたノートは、それらの修道院の中の香部屋係りの長年の知恵が凝縮されており、そのノートが典礼学者の白浜神父さんの目にとまり、出版の運びとなりました。全国の小教区、修道院での必備品となりました。わたしは影の立役者です。。。わたしの弱さを神はご覧になり益となさったのです。
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