マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 受難の主日(枝の主日)

聖週間の始まりです。
 串本教会で受難の主日を祝いました。小教区のメンバー8名、
谷口夫妻、柏谷夫妻、堤さん、西澤さん、本田さん、小川さんと私で9名の主のエルサレム入場の行列と主の受難のミサでした。グレグ神父がこの地で亡くなり司祭が常駐しない教会です。
 
 前晩、昼の2時に池田を発って、6時15分に串本駅に到着、そこで連絡先の信者さんに電話すると、駅から下りて、大通りを右へまっすぐ進んで10分ほどで串本高校に突き当たり、その近くにありますと教えていただいた。住所も地図もなく薄暗くなった夜道をとぼとぼ15分ほど歩いても高校に出くわさないので、なんとなくこっちの方向でいいのかな不安になって信者さんの携帯や連絡先の電話に電話しても誰も出てくださらないので、さらに歩き続ける。主の天使の導きを信じて、教えてと願うと、そこに大きな裁判所の看板が目に入る。このあたりの奥にあるかなと思い、入り組んだ細い道に入ると大きな建物が遠目に目に入ってきて、あれが高校かなと見当をつけて歩くと、案の定高校だったが、そこからどこに教会があるのかわからないので、ちょうど駐車場で立ち話をしている人がいたので、声をかけて教会はどこですかと聞くと、カトリック教会はまだずっと先の突き当たりを右に回ってと教えていただき、真っ暗な道を通りぬけて右に回ると教会らしき門の前にたち、十字架の屋根とマリアのご像があってようやく無事到着、安心しました。もう6時45分、地図がないとこうも時間がかかるのかな。・・・あらかじめ教えていただいた鍵の隠し場所を見つけて教会の中に入りました。

 静かで、暗く、誰もいない聖堂、いいえ、イエスのおられるところです。これはわたしの隠れ場に最適な場所かもしれない。テレビもインターネットもない。祈るには最適な所だとの印象。台所に冷蔵庫とガスレンジがあったので、早速、夕食の材料を買いに出かけて、超モダンなスーパーマーケットを見つけました。まぐろの本場と値段を見て買うかどうか財布と相談しながら行ったり来たりしながら、やはり四旬節、10個98円のたまごと38円のもやしとトーストパン(3枚)110円と具入りのインスタントちゃんぽん麺で済ますことにしました。ここなら数日間自炊しながら快適に過ごせそうだなとか独りごと言いながら、食事をして風呂に入り、いつもよりも早めに寝ました。主イエスと私だけの結構楽しい夜でした。

 

 ともにさがす会 3月活動記録

青年の集い

3月21日 2時~8時 池田教会 カール記念館
参加者 青年 6名  (男性 4名、女性2名)
    スタッフ 6名(司祭2名 ブラザー1名 シスター3名)

 2時 受付
 2時 15分 自己紹介 (総当たりインタビュー)

 3時 セブンステップ法による聖書の分かち合い
    聖書箇所 ヨハネ 15章1節~18節
      (ぶどうの木と友のために死ぬほどの愛)
 5時 15分 
    聖堂で 教会の祈りと聖体顕示 
        聖体賛美で終わる。
 6時 夕食
 7時 振り返りと分かち合い
 8時 解散


3月22日 午前10時~12時
 教区召命の日の行事として「召命のために祈る集い」
 午後2時より春名昌哉助祭の司祭叙階式の機会に召命について考え祈るために集まりました。参加者は教区神学生、希望者、その他 30名ほど

 プログラム 司会 畠師

10時    十字架の道行の祈り
       (永井隆博士の十字架道行の絵のスライド)

10時30分 高畠師の召命の道のり
11時    聖体顕示
       聖書朗読 ヨハネ10章 (わたしは善い羊飼い)
            大久保神学生の朗読
       講話   松浦悟郎司教 
       聖体賛美式
11時45分 終了 

  

 豊中 朝祷会

3月20日 午前10時~11時半
 日本キリスト教団 豊中教会

 プログラム
 賛歌
 聖書箇所の輪読
 畠 師   講話  20分
 列席者全員による祈り
 主の祈り
 食卓を囲んでの昼食会 
 (おにぎりとアンパンとお茶)
 
聖書箇所は、カトリックの聖書朗読箇所に従い、翌日の第五主日の福音朗読をレクチオ・ディビナの読み方を紹介しながらその霊的な生活の糧を分かち合った。

 四旬節第三主日(奈良登美ヶ丘教会)

四旬節は黙想会シーズンです。各司祭はあちらこちらの教会へ共同回心式や黙想会の依頼を受けて奉仕に出かけます。ほとんど多忙な毎日に司祭もまた黙想のために立ち止まり自分の説教に耳を傾けます。自分が話していることを生きているのかどうかを?

 四旬節第三主日 2010年3月7日(日)
 
 『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされた。(出エジプト3.14)

 ルカによる福音(13.1-9)
 
 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」

 
畠神父の講話(要約)登美ヶ丘教会のホームページ掲載され今はバックナンバーの中におさめられています。たまには人がどう聞いたのか考えてみなければなりません。これはまったく原稿もなく何を話すかも話の筋が見えていなかったものを上手にまとめてくださったのです。感謝です。皆様ありがとうございます。

  登美ヶ丘01
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 あたらしいぶどう酒 (奈良・登美が丘教会)

四旬節第三主日 
奈良・登美が丘教会で土日黙想会を指導しました。テーマは、「あたらしいぶどう酒」です。

 今回も原稿もなくアウトラインもなく話したので、途中どこへいくのか不安になりました。が、運よく聖霊の導きで話がまとまりました。皆様のお祈りありがとうございます。

 あたらしいぶどう酒
 土曜日 -午後7時から8時半-

 聖書箇所 ヨハネ福音 15章1節~17節 

 「わたしはまことのぶどうの木」(1節)
 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(5節)「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。」(9節) 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(12節)「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(13節)「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」(15節C)「わたしがあなたがたを選んだ」(16節B)共同訳
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