マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 司祭・助祭 叙階式 (レデンプトール会 ) 吹田教会 

4月29日、フランシスコ・ザビエル萩原義幸神父誕生及び野田助祭誕生
 叙階記念カード
 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15章5節)

 大型連休初日の4月29日、快晴ですがすがしい一日がはじまりました。
 吹田教会が叙階式の会場となり、レデンプトール会の鹿児島管区と東京管区の関係者や信徒、京都北部の教会や地元北摂八教会の信徒など、入りきれない人で埋まり、松浦司教の司式のもとに50名近い司祭団とともに助祭叙階式と司祭叙階式が同時に執り行われました。ほぼ2時間、その後写真撮影などでパーティがはじまったのは2時近くでした。ほぼ4時ごろまで私は会場にいました。これで今日も北海道での講話の準備がまたできなかったけれども、鹿児島のレデンプトール会の管区長は、このような叙階式の機会ごとに司祭は、反省することがたびたびで若い新司祭にはこのような反省することがないようにお願いしたいと話しておられたのが、わたしには恵みになりました。

 確かに、司祭叙階式には、参列すると司祭の叙階の秘跡を更新する効果があり、式の間には、初心に戻り司祭職の召命を生きる決意をする時間が何度も訪れます。わたし自身、司祭として十分に尽くせず、キリストの愛にもとることもあったことなどが反省され、主に赦しを願いつつ、新司祭には聖霊の喜びが日々与えられ先輩の過ちを繰り返さないように聖母の保護を祈ったからです。

 パーティの終わりには、新司祭の家族の家族の紹介があり、年老いた御両親、そしてそのご両親から4人の娘のうち、新司祭のお姉さん3名は修道女で、親族にもコンベンツアールの萩原神父さんやシスターなど多数おられ、カトリック家族に与えられる祝福の豊かさが手に取るように分かり、新司祭はこの祈りの保護のもとに成長したことが分かりました。

 叙階式には、60代前後、懐かしい同時代の司祭たちとも顔を合わせたら、顔が変わってわからなかったとか言われ、運動不足と寝不足で老けたからと答えると、60代になって司祭はようやく一人前、これからですよとカルメル会の中川神父が励ましの声をかけたので、体力がなくなる時期に、仕事が増えるのでつらいですねと私が答えると、確かに以前ほどは勉強も運動もできないですと中川神父。皆同じ、同感ですよとはもう一人の福島神父が助け船だして、会話を変えてくれた。こんな会話をしていたら、もう普通のおじさんなのだから・・・

 明日は被昇天修道院の創立記念日のミサ、そのためにも今日は心の清めと叙階の恵みを新たにする大切な日だった恵みの時間だったのだと思いました。明日もミサの説教と聖霊セミナーの7週目の講話があり、すでに11時、これから説教の準備です。まだ眠ることができません。神に感謝!
 

 新しいぶどう酒

ブログの更新がなかなかできません。ゴールデンウィークには、北海道札幌へ大会講師として出張いたします。なかなか全体の構想が生まれませんので皆さまのお祈りお願いします。

 大会のテーマは、「味わい、見よ、主の恵み深さを」(詩篇34:9)です。マテオ神父のトレードマークだったみことばです。

 この味わいのテーマは、今年の四旬節で、長崎西町教会、奈良登美が丘教会と黙想会の講話の中で、「あたらしいぶどう酒」という象徴を使って話を展開しました。

以下の講話は、奈良登美ヶ丘教会で3月5日夜に話した第一講話です。講話は三回あり、話した分量はもっと多いのですが、教会広報部で「丘の星」発行100号を記念特別号に収録するため、編集縮小されました。その分よくまとまり、わたしはアウトラインもなく、ただひたすらに「新しいぶどう酒」というテーマだけを考えて、突っ走って出てきた内容です。終わってみて聞いた人がタイトルまでつけて、ここまでまとめてくださったのに脱帽しました。そして、わたし自身、こんな話をしているのかと勉強不足の自分の生の姿を見て、卑下することなく聖霊に感謝いたします。絶妙にわたしの足らない部分が補われているからです。同じ話はもう一度できません。原稿はありません。私が話した表現で誤りの事実と発言の内容の違う点は少し訂正しました。
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 主イエス・キリストの栄光の御傷 (御受難会固有)

復活節の第二週、金曜日は、御受難会では「主イエズス・キリストの光栄ある五つの御傷 (祝日)」を祝います。小教区で、時間的に余裕がなかったので、前日まで覚えていたのに当日になると通常の典礼を行ってしまい、気がついたときはすでに時遅しでした。だんだん物忘れや間違いが増えています。主のために働く日々を楽しく懐かしく思える日が忍び寄っているのですね! ところでぶどうの花は、5つの緑の花びらと聞きました。伝統的には五つの傷はバラの色で表わしているようです。

読書
賛歌

槍よ、おまえをどのように褒めようか。
おまえがキリストの脇腹を開き、
教会は生まれたのだから。

キリストの体が眠っている間に
その脇腹から現れた新しいエバよ。
新しいアダムは自らの心臓から流れ出る
血と水の中でエバを生んだ。

釘よ、おまえをどのように褒めようか。
キリストの聖なる手足に打ち込まれたのだから。
おまえが十字架に打ち込まれ、
キリストの御血によって、
私たちの死刑の判決は廃止された。

イエズスよ、聖なる人々と天使たちは
あなたを称える。
天の国においても
あなたの手足には釘の跡が残り、
あなたの脇腹には槍の傷跡がある。
そしてあなたは父と聖霊とともに
すべてを治めておられる。


 
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 共同祈願 900日 終了

 4月10日 午前11時から第9回目の100日目の連続共同祈願ミサをささげました。今回は、800人の参加に到達しませんでしたが、ハガキの依頼数は、753通 これに私の意向のハガキ30枚、それからファックスなど紙切れによる参加者、10枚、これにミサ依頼の意向を願ったものが幾つかあります。元旦からの参加者は、ちょうど年賀の季節と重なり、案内が遅れたこともあり、最初の日からの参加者は20数名でした。最後の数日だけの参加者もありますが、ぶどう畠の労働者のように、参加者一人一人は同じ霊的な豊かな恵み、聖霊の注ぎをいただき<もう一人のキリスト>として実りを味わわれたことでしょう。

 こんな一通が届いています。

 北海道のKさん
 百日間のお祈り有難うございました。老化に苦しんでいた私(85歳)も確かに神父様の祈りに助けられて日々聖霊を豊かに注がれ、心身ともに生き生きと感謝のうちに生きることができました。神父様と父なる神さまに深く感謝申し上げます。

 池田のKさん(96歳)
 何が起こったのでしょう。元気に歩けるようになりました。

 (2月の初めころは、死を覚悟しておられました。臨終の三秘跡をうけるため私を呼ばれました。もう長く生きたくないと食事も拒否され、起きるのがやっとの生活で、もう生きるのはつらいと訴えられたのです。秘跡をお授けして、最後まで生きるのがイエスの命令ですと食べることを命じました。イエス様のことばだから頑張ると泣いておられました。4月12日にお見舞いに行くと、上記のことばでした。)

 毎日の祈りは何も目に見えて効果がないようですが、ひと月、ふた月と日を重ね、百日をこえる頃には恵みが目に見えるようになりますね。アレルヤ 主イエスに感謝です。
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