マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 青年の集い

青年の集い (定例会 - 第四日曜日 午後2時 池田教会)

 6月27日 池田教会 午後2時
 参加人数  5名
 スタッフ  5名 ( 司祭 1名 シスター 4名)


 聖書箇所 マルコ 10章17節~30節 

 5月の聖書箇所の分かち合いを継続する。
 「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか?」
 ペトロが イエスに
 「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。


Ⅰ 個別対話の時間

 (1)魅力を感じること、熱中していること
 (2)来週、来月と計画や目標がありますか?
 (3)欲しいものは何でしょうか?どのような夢がありますか?
(ミューレン Book Ⅱ 第一週生きることの意味 3日目の質問から)

 ペアになって 分かち合う。 (30分)

Ⅱ レクチオ・ディビナ 

 畠神父の体験から、夢中になったこと、熱心に追い求めていることとは、司祭に祈られたことから、心に熱を感じたことから始まる。イエスの探求ともいえる。ヨハネの福音5章39節「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが聖書はわたしについての証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようともしない。」

 「何もかも捨ててイエスに従う」一人の司祭の記憶ですが、イエスとのパーソナルな関係は、ほんの始まりだったけれども、学生の共同生活者としてみことばの家に移り住んだ時、朝晩の祈りは、「教会の祈り」という聖務日課を唱えることだった。それはわたしに大きな喜びをもたらしました。詩篇を唱えること、歌うことがとても楽しくてうれしかったことが思いだされる。どうしてそのように感じたのか、今思って振り返ると、詩篇のことばに自分の人生が映し出されているように感じたからではないか?イスラエルの歴史でありながら、わたしの人生の折々の歌をささげているように感じたからかな?これは少しカッコよくつくろったように書いているのかもしれませんが、詩篇95には、「今日 神の言葉を聞くなら・・・」 とあり、わたしは回心の呼びかけとして心に響き促されました。詩篇を唱える時、自分の心に合わせるよりも、キリストの声に合わせていくと、わたしの心もキリストの心へと変えられていくように思えたのです。
 
 話は、このような切り出しから、教会の祈りの構造、時課の典礼の意味(たえず祈りなさいとの主の命令の実現化)など、歴史と修道生活、司祭生活のなかでの祈りの体験を話した。、時課の典礼とレクチオ・ディビナの関連についても少し触れた。

 レクチオ・ディビナ(聖なる読書)の説明 ・・・

 1.読むこと、2.黙想すること、3.祈ること、4.観想すること、5.分かち合うこと 

 セブンステップ式に聖書箇所を分かち合う:

 イエスに従うこと 、神の国を宣べ伝えること 迫害を受ける
 どのような神の国をイメージしているかで異なるのでは?
 神の国とは何か  百倍の報いとは・・・ かかわりがある
 何を優先するか? 自分の望みか 主の望みか?

*どうして分かち合うのか? わたしが学んだことを人に説明すると、その言葉が自分に帰ってきてわたし自身のものとして生きる力となるのです。同じことは、みことばには、そのような力があり、声を出して読むと、その声が聖霊の現存のしるしとなり、神の現存を真実なものとして与えられるのです。
*ある青年は、イエスに従うかどうか?イエスの言葉を聞いても、自分の思いの方が強く、それを捨てられないので、イエスから遠のいてしまうと話してくれました。
*神の国はどこにあるのか? イエスの主なメッセージ。
神が神として統治する(治めるところ)。神の掟が支配する。イエスの「私の掟」は、「互いに愛し合うこと」 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしはあなたを友と呼ぶ。
*神の国は イエスの人格の神秘において実現している。
 
Ⅲ 教会の祈りと聖体賛美式
  聖堂で 1時間 一緒に祈りの時を過ごす。

Ⅳ 夕食 (おにぎりとサラダ) 
 

 聖霊セミナー黙想会 (6月19日~21日)

 6月の深緑の森に包まれた宝塚黙想の家において「聖霊による刷新セミナー黙想会」が行われました。これはヘリベルト・ミューレン神父の「クリスチャンの基本的体験への道」1.教えと講話、 2.祈りと期待 を基にして不肖 私が解説するという形で行った聖霊セミナーの缶詰キャンプです。日本でこのテキストを使って行った黙想会としては最初ではないかと思います。2泊三日間は、7回の講話と個人振り返り、グループ分かち合い、聖体賛美式、聖体の前での記憶の癒し、ミサ、朝の沈黙の個人黙想、ゆるしの秘跡、ロザリオの祈り、満たしの祈りなど スケジュール一杯内容満載の大変に充実した黙想会キャンプでした。この会には、高齢者も多く、最高年齢は女性91歳、男性85歳で、すべてのスケジュールを元気に参加し、参加者を感激させました。特に91歳の渡辺悦さんは、関東方面でカテキシタをされていた方で、聖霊に刷新には、一度だまされたと思って参加したら、その時心に熱いものが留まり、それから刷新に加わり、その火は今も消えないで元気に主への奉仕を続けているのですとその元気の秘訣をあかしして下さいました。85歳の梅原神父さんのお兄さんは、綾部で一人暮らしで自炊されていますが、カトリック信者として家の前に掲示板を立てて、みことばを毎日書いて道行く人の目に触れるようにしているとのこと。また、長生きの秘訣は、若い頃大病して死を前にしたときに、神学生だった弟神父の祈りや信者さんの祈りが大きな力となり命を救われたので、現在も毎日の朝夕感謝をささげ続けていることが大きいとわたしにあかしして下さりました。

沖縄からの遠方の参加者が二名あり、その他は、関西地区の祈りの集い、広島、和歌山、京都北部、奈良、三重、神戸、大阪など関西方面が主な参加者でした。
 参加者 33名 (男性4名)
 講師  1名 (畠 基幸神父)

セミナー売布1わたしの両横が梅原さんと渡辺さんです。

セミナー風景
 聖霊セミナー売布2 聖霊セミナー売布4 聖霊セミナー売布5聖霊セミナー売布6

 研修会 (祈り推進チーム)

研修会(キリスト者としての識別)
 指導者 アモロス神父、 Sr テレシータ
 大阪教区祈り推進チームは、せせらぎ霊性センター所長のアモロス神父を大阪に迎えて、「識別について」カルバス神父の方式を取り入れた霊操の4回目の研修会を行った。「深い望みとの踊り」(カルバス著、霊性センターせせらぎ編)をテキストにして、アモロス神父さんからの懇切な指導を受けました。

 今回は「キリスト者としての識別」で、神の国のイメージ、イエス・キリストのイメージに識別の土台を祝宴の食卓の4つの柱を教えられた。神の国はぼんやりしたものではなくはっきりした基準があるということを今回は学べたと思う。

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 司祭年 閉祭ミサ

 みこころの祝日(6月11日)金 

 玉造カテドラルで大阪管区の5つの教区が集まり司祭年の閉祭ミサが執り行われた。 これに先立ち、「わたしの司祭職のあゆみ」として
5教区からそれぞれパネラーが10分ほど分かち合い、その後溝部司教様がまとめ役をして、日本の教会を楽天的にみるか 悲観的に見るか、将来の司祭職の展望などを司祭の発言を拾い集めてまとめられた。

 もっとも印象的だったのは、来日7年目の韓国のキム神父の発言で、韓国の教会は恵まれていて数も多いと羨ましがられる。確かに、500人の小教区にいた時に比べれば 現在は50名、入門講座に50名来ていたものは5名とすべて10分の一の規模です。アル中の男性を1年間指導してようやく生活も健康も回復して洗礼を受ける段になって、奥さんが現れ、洗礼を授けられることは困るとクレームが入り、PL教団に長くお世話になってきたのにキリスト信者に改宗しては面目なく、洗礼を受けると離婚すると宣言したので男性も洗礼を断念した。

 せっかくの努力が無になったので落ち込み日本の宣教は無駄だと思い韓国に帰る決心をしたが、信者さんがあの男性はどうなったのかと聞かれたので、神父として宣教を断念した罪を信者に告白して帰国を決意した次第を皆に話したら、信者さんたちが自分たちは数は少ないけれども、韓国の教会の信者さんと同じように神父さんを慕う心は変わらない、愛していると言ってくださったので、やはり日本の教会のために働く決意をしたと述べたので司祭たちから拍手が起こった。

 日本は高齢化や少数の教会というマイナスがあっても 福音の精神そのものを変わらぬ心で生き抜くところに教会の将来があると見ました。

 聖体の主日 

池長大司教様の公式訪問があり、信者にとっては幾分緊張した時間ではあったが、司教様の優しい柔和な人柄に信者も、近寄りがたい雲の人ではなく身近で話のわかる司教様ということで評判が良かった。

 主な公式訪問のテーマは、教区時報の1月号に掲載された司教様の新生メッセージについての3点の展開を確認すること、その中でも、特に強調した「青少年の信仰教育」の課題の取り組み状況を見聞に来られたのです。

 

 司教様の本年度の新生メッセージ(教区時報)

 1 社会に向かって宣教する教会
 2 信徒としての奉仕職に取り組む教会
 3 青少年が集まる活気ある教会

 司牧担当者からは、青少年、日曜学校のリーダー、要理担当者が不足し、ボランティアで行っているので、方針が一貫せずリーダーにだけ負担がかかりすぎている点がある。また、お泊まり会が小学生の父兄の尽力で充実して毎月あるが、中高生の活動は、担当が不足し、またクラブ・塾などの学校行事が優先されるので、教会に来る子、来ない子のばらつきが多くなり、まとまった集まりの企画ができない。青年たちは、独自で集まって、自分たちの世界を作っているが、わたしが赴任してから、教会活動にするためには、計画書などを提出を求めたところ教会には来なくなった。(わたしがいなくならない限り状況は改善されないかもしれません。)わたしの力不足であります。

 近隣の子供たちへの取り組みは、マリア幼稚園の卒園児たちへのアフタケアで土曜学校があり、幼稚園の先生方が担当している。負担が多いので、教会の方が担当を変わってほしいという要望もあったが、学校法人と宗教法人の関わりの関係で、教会ではできないと断った経緯があります。

 障害者児のための取り組みは、音楽・ダンス療法などを含めた集まりが毎月第二土曜日にあり、毎回50名ほど、クリスマスなどには100名を超える子供たちがあつまり、教会の信徒のボランティアや市民のボランティアなどで多くの人が関わり、社会的にも池田市からも長年の奉仕の実績を認められ表彰され、また補助も受けるようになった。

 教会の基本である、主日の典礼を充実させることを目指しており、このなかで地区の典礼当番との連携を深め、学びと奉仕と交わりを作ることを今年の努力目標としており、その中で、奉仕職も、青年たち、子供たちの信仰教育へと波及していくのではないかと考えております。(畠談)

 司教様の話の後の信徒からの質問など
 
 (1)他宗教との交流の是非
 (2)アルファコースの福音宣教
 (3)マリア信心の聖地巡礼

 

 ふるさとへ旅立つ 二人のマリア・テレジア

今日は二人の方が天に召されました。
一人は日生中央教会のマリア・テレジア長谷川典子(みちこ)様。金曜日の午後3時、イエスさまと同じ十字架の贖いの時刻に御父のみ手にご自分の霊を渡されました。奇跡の人で、すい臓がんを克服し、体力回復のために忍耐の日々を過ごし、ご自身の体験から多くのがん患者を励まして、信仰の力をあかしされました。このたび聖霊降臨後の翌月曜日聖母訪問の祝日に突如意識を失い、2週間、多くの方の祈りも届かず、帰らぬ人となられました。ご長男の洗礼名を御受難会の創立者十字架の聖パウロと名付けるなど、御受難の霊性、御受難会の司祭に対して並々ならぬ支援と協力を惜しまない人でした。
 
 

 通夜 2010年6月6日(日) 午後6時   司式 畠 基幸
 葬儀 2010年6月7日(月) 午前11時  司式 ウォード・ビドル
 場所 日生中央教会 
 喪主 長谷川 正 (長男)


もう一人は、池田教会所属のマリア・テレジア喜多美佐子様。月曜日から入院し、しだいに衰弱し、木曜日夜は医者が今夜が峠ということで親族が集い、わたしも臨席して、喜多さんに臨終の秘跡を授けお祈りいたしました。主の祈りも天使祝詞も古い祈り文を思い出しながら祈りました。聖体拝領が酸素マスクでできないので、聖体賛美の祈り、タンテム・エルゴを歌いご聖体を顕示しました。和解の言葉とゆるしの言葉にわたしの手を強く握って応えられ、病者の塗油に再び生きる意欲のようなものが感じられたので、イエス様と共に苦しみを人々の救いのためにささげましょうと励ましました。翌朝午前中は、危機的な状況を脱して、話ができるほど回復され、小康状態でこれなら再び老健に戻れると期待でるほどでしたが、午後から体調が急変し、5時17分に帰天されました。96歳、天寿を全うされました。ご遺体は遺言で阪大病院へ献体されるため(2~3年後に遺骨で遺族に戻される)、通夜・葬儀・告別式行わず、後日親族だけで追悼ミサを営む予定。洋裁店を営み、多くの信者さんのお世話をし、バザーでも数々の手作り品を出品し、現在の侍者服も喜多さんの型紙のアイデアで制作されたものです。晩年自宅で療養され、この二年間は老健施設(巽病院)で過ごされました。わたしは忙しさにかまけてあまり訪問できなかったことが悔やまれますが、時に秘跡(ゆるしの秘跡とご聖体)をうけるために教会に来られ、司祭のことばをイエスのことばのごときに信頼して受け入れてくださったことが印象深く心に残ります。教会を愛し教会に奉仕した喜多さんは信仰の恵みをうけて天に昇られました。お祈りください。
            以 上

 プレコングレス (宗像)

ローマからの総長顧問クレメンテ神父を迎えて、プレコングレスが5月31日~6月2日まで行われた。公式訪問など会員との面談を終えてのプレコングレスで各会員の意見は総長にまで届けられる。4年に一度のコングレスは、6カ月後の11月29日~12月4日の6日間の予定で開催されます。

 サビエル聖堂の骨組みはほぼできあがり、屋根の瓦のペンキ塗りが始まりました。土田充義(鹿児島大学名誉教授)先生からこれまでの進捗状況を聞く会員たち。

 ザビエル1 サビエル2 土田1
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