マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 夏風邪も去って

今年の猛暑で、体調を崩した方も多かったと思いますが、ようやくさわやかな秋風の気配で毎日が過ごしやすくなりました。皆様にはいかがお過ごしでしょうか? わたし自身は夏の最後の終末を東京で過ごし、夜行バスで大阪に戻ってきたあとの、暑さと疲れに体力の限界を経験して、夏風邪のようにせき込み、熱が出てこの数週間過ごしてきました。おそらく夏風邪ウィルスにやられたようで、薬が効かず、体力の回復を待ちました。この間、病人訪問などができなかったことが 悔やまれます。9月15日から始めた百日共同祈願も、お知らせを書くのが遅れ、発送したのがようやく13日になりました。1000日共同祈願成就のあとに病気をするのはなんとも皮肉なことですが、これが現状です。こころは燃えても、肉体は弱い。誘惑にあわないように祈りなさいとは主のお言葉でした。
 
 悪いことだけではないのですね。こんな風に内的に弱っていると、すぐに主からの力づけもいただけました。1000日間共同祈願に参加していた人から、一昨日手紙と献金が送られてきて、「友人が白内障の手術で失敗し目が見えなくなり困っていたのが、1000日間の共同祈願の後、突然見えるようになり驚きました。共同祈願の皆さんの祈りに感謝します。」と感謝のミサの依頼でした。詳しい事情はわかりませんが、友人のために祈っておられたかたの喜びの手紙でした。見えない目が見えるようになった。それはご本人にはどんなにうれしいことか想像を超えます。友のために密かに根気よく祈った祈りが聞き入れられたとのことです。早速翌日感謝のミサをささげました。また、風邪の中休まずに考え続けて書いた百日の共同祈願の招きの手紙が皆さまの所に届いて、ある方は急に力がわき、祈れるようになった喜びと感謝のお便りをくださいました。ぶどうや梨も届きました。やはり、また始めてよかったです。こころからの感謝です。アレルヤ 主に感謝!

 畠 基幸

 訃報

 クララ 阪口 幸子 さんは 2010年9月10日 帰天 夜11時28分

 池田教会ににて、
 通夜  9月12日(日) 夕方  6時
 葬儀  9月13日(月) 朝  10時半 

 長崎五島の貝津教会出身、生まれながらのクリスチャン、幼児洗礼で信仰深い母に育てられ、名前も復活の主日に生まれたので「幸子」と名付けられたことを励みにしていました。10年前から癌と闘病し、ドレミの会のボランティアやアルファコース、祈りの作業場など、信仰を深める会に熱心に参加して、信仰によって苦しみも悲しみ祈りのうちに忍耐して、家族の救いのために自分の苦しみをもって主の受難の欠けたところを進んで担いました。今永遠の命に誕生し、生まれ日と同じ復活の朝を迎えていることでしょう。主と共に苦しむ人は、主と共に復活の喜びを味わう。親族、職場の友人、教会の友など死を悼み、惜しむ多くの参列者がありました。、 

 第11回 百日共同祈願への招き

 原稿が出来上がりましたので 早速 このページに掲載します。

 PDFファイルにしました。

 2010百日9月

 ハガキ祈願文
 
 
 はがき9月

PDF ファイルを開くことのできない方は <続きを読む>をクリックして下さい。全文とハガキ文を掲載しました。
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 ヘンリー・ニューマンの列福(9月19日)にちなんで(You-Tube配信)



 英国の宗教番組のWebサイト(YouTube配信)からニューマン枢機卿(John Henry Newman )についての番組を掲載しました。1845年にカトリックに回心したニューマンは、英国教会で、すでに有名な神学者であり、教会の牧師を務め説教家であり、オックスフォード大学の教授でした。カトリック教会に改宗し、ローマで司祭となりフィリポネリが創立したオラトリオ会入って、英国でバーミンガムで最初のオラトリオ会を設立しました。アイルランドの教会からの要請でダブリンに大学を創立したこともあり、英国の教会に大きな霊的影響を与えたことなど、その傑出した信仰からレオ13世教皇により司祭ニューマンが枢機卿に選ばれたのです。大学は、「科学の中の科学 -哲学」を教えるべきだという古典的な教養課程の基本を教えました。その業績は、インターネット上でも簡単に知ることができます。

 今年の秋(9月19日予定)教皇ベネディクト16世が英国に訪問して福者に列福される運びとなりました。番組では、ニューマン枢機卿を英国聖公会からカトリック教会への転向を受け入れた福者ドミニック・ベルバリをインタービューする形式で、その時の時代背景、ドミニックの召命と神の摂理てきな導き、ご受難会の創立者十字架の聖パウロの英国の回心のビジョンとその使命、祈りの生活の恵み、そしてヘンリー・ニューマンとの出会いと回心への道などを福者ドミニック役のケビン・オブライエンの言葉を通して語らせています。大変わかりやすく聞きやすい英語と内容なので、ぜひご覧ください。そのほかにもヘンリーニューマンの物語や修道会関連のインタビューも数多くあり、さすが英国のご受難会の活動の一端がうかがえます。ヘンリー・ニューマンのオックスホード運動とカトリック教会への回心は、多くの知識人・大学人をカトリック教会へ導き、そしてダイアナ妃の大伯父さんにあたる有名なイグナチオ・スペンサー神父もニューマンの親しい友人で「英国の回心のための祈りの十字軍」を指導していました。
 ニューマンは、当時4世紀の教会の教父たちの思想と霊性を研究していて、自分が属する教会が4世紀の異端の教えに近いことに動揺していたこととイタリアに友人と旅行した際に、病気で苦しんでいたときに英国の回心を神が望んでいることを深く感じ、英国に帰国してすぐにオックスフォード運動を始めたのでした。そのため、十字架の聖パウロがどうして英国の回心を祈ったのか、またドミニックがどうして英国の回心のためにビジョンを見たのか、それらの摂理的な神の導きとともに御受難会の素朴な司祭の姿に見て、ついにカトリックへと回心することになりました。
 
 この番組の中の福者の証言では、神の摂理であり、同じ祭壇の場所でドミニックも、そうとは知らずにそのビジョンを見たとのことです。当時の英国のことを考えると、大英帝国の時代で、帝国の中心を回心させることにより世界全体を変えることができるようなことでしょうか?福者ドミニックには特定の名前は教えられなかったが、確かに教会全体に影響を与える人物を回心させることが、そのビジョンの中に含まれていたのでしたが、そのビジョンから実際に現実となるのは、27年後で、しかもそのビジョンを見たときは、8人兄弟で、3歳のときに父が死に、8歳のときに母が亡くなり、叔父に育てられた無学な農民の子供で、学校には一度も通ったことがなかったためブラザー候補として修練院に受け入れられたばかりのときでした。ブラザー候補として入った者は、決して司祭候補の修道者として誓願をうけることができなかった時代、そのようなことを望むことすら家に送り帰らせられたあ時代、ドミニックは司祭として英国で改宗者を受け入れるビジョンを見たのでした。彼は一度聞いたラテン語の聖句を一度で覚え、簡単にイタリア語に直すことができたため、長上からそのすぐれた記憶力と知的能力を見出され、総会を開いてブラザー志願から司祭志願へと変更することに、彼の望みではなく会の望みとして変更されたのでした。もっとも無学な者が、知恵あるものの知恵をむなしくするという神の言葉がここでも生きているような気がします。

 愛犬エミリーちゃん 老衰と熱中症で絶命

司祭館の中庭に家主のようにデニス神父に飼われていたエミリーちゃん、乳がんで7月ごろにはかなり弱っていました。デニス神父によれば、動物病院に連れて行って治療の可能性をうかがったところ、老犬(13歳、25匹の母親)なので、手術に耐えられず、なにもしない方が犬にとっては幸せということで、デニス神父さんはなにも処置をしないでそのまま帰国、その間、Fさんが代わりに、食べやすい餌を与え、水かえを頻繁にして様子を見てきました。しかし、この夏の暑さのため、急激に体力を失い、元気を失って食べるのも難しい様子でした。ときどきわたしも声かけて水をあげると少し元気になるようでしたが、エミリーちゃんは、デニス神父の帰国を待たず、8月21日に絶命しました。エミリーちゃん絶命3日前の在りし日の姿
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