マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 お見舞いの手紙など

祈りのサポートが海外から次々とE-mail で届いています。

CCRのISAO(アジア太平洋地区担当者会議)の議長より次のメッセージです。今年の夏の大会にお招きしています。

「At this juncture of the great tragedy leading to loss of life and property in Japan, we like to reassure you our prayers and support. I was travelling and could not send you mail earlier. I saw even some video clippings of the Tsunami and have realised the gravity of the situation in Japan. I want to reassure you that we will continue to pray for Japan at our gatherings and prayer meetings.

I am endorsing copy of this mail to the ISAO so that members of ISAO will organise intercession for relief and rehabilitation of the affected people of Tsunami.

We are with you, brothers and sisters, at this time of testing of faith. May the Good Lord comfort, strengthen and guide you to tide over this temporary phase of crisis in your life. We love Japan and its people!

With loving regards and prayers,
Yours in Christ,

Cyril John」

この呼びかけに応えてシンガポールのメンバーは、

「The CCR in Singapore is praying much for the people of Japan. Gerard and I were on our way to Kuching for ministry when the disasters happened and learnt about them when we landed. On the same night, we were preaching on 'Stand Up And Walk In Jesus' Name'. In times like these, children of God with great faith are called to encourage those who are down to stand up and walk in Jesus' name. God Bless Jessica」

 訃報記事 訂正

昨日、アンドレ・ラシャペール神父様の訃報をお知らせしましたが、亡くなったのは、津波に巻き込まれたのではなく、地震と津波のショックによる心臓麻痺が原因ということです。これは仙台教区教区本部事務局の小松史朗神父様からの第一報が各教区に送付されたファックスにより知りました。仙台での会議後の帰宅途中の車中で亡くなられたとのことです。
 
明日(15日)仙台司教座で通夜が行われます。
聖霊による刷新関西委員会では今日14日売布の黙想の家で追悼のミサをささげ、神父様の永遠の安息と被災者のために祈る牧者として記憶されるように祈りました。

なお、仙台教区の教会では、仙台市の小教区のほとんどは無傷か最低限の被害です。白石、大河原、角田、亘理もなんとか無事、宮城県内の内陸部、青森県も大丈夫、岩手県も内陸部は大丈夫、また岩手、宮城の沿岸部も大船渡、釜石、気仙沼、石巻の各教会とも高台にあるので無事、ただし宮古は海岸線に近く低地にあるので津波の被害を受けた模様。福島県の内陸部、会津地方は大丈夫ですが、沿岸部、いわき(小名浜、湯元)、原町の消息は不明とのことです。(仙台司教区のだ一報 14日夜 入手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日の情報も元寺小路教会の神父さんからのものでしたが、実際、現地の被災者からの情報は、貴重で、生の声が聞こえ、客観的な報道よりも身近に被災の側に寄り添えます。ただし、こちらのテレビ情報よりも断片的なものなのでご了承ください。

 東京 中村克徳神父からの被害情報

東京みことばの家の状況が中村神父から一報が入りました。
 
 みことばの家は耐震構造になっているため、一部書棚が倒れただけで被害は皆無の状態です。中村神父は、浅草教会で岡田大司教様と一緒にミサをささげたとのことで、次のようなメール情報がありました。

 「大司教様も仙台と連絡が取れず、詳しい状況が分からなくて困っているとのことでした。」

 また中村神父が受けた情報として、

 「先ほど、元寺小路教会の船山神父様から生きているので安心して下さい、という短いメールが届きました。彼によれば、ケベック宣教会のラシャペル神父様が津波に巻き込まれて亡くなりました。他にも、連絡が取れず所在が不明の司祭が数名いるそうです。食料品の不足に悩んでいるとのことでした。

一日も早く援助の手が差し伸べられるよう、お祈りをお願い致します。」(中村神父発)

 

 Lent 四旬節 (灰の水曜日)

四旬節の意味について
 フランシスコ会のYou Tube media 宣教番組と思います。
 WWW.American Catholic.org をごらんください。
マレーシアのカリスマ全国委員会がアップロードしています。 
 www.pmst-ccr.org



 グレグ神父の講話から理解できることは、第二バチカン公会議以前のカトリックの四旬節は、カトリック教会独特の償いの業の期間という捉え方が中心でしたが、公会議後の典礼刷新によって、四旬節のオリジナルな意味が明確になって、キリスト信者にとって、また新しく共同体に加わる洗礼志願者にとって”回心(悔い改め)”と”洗礼”意味を深める期間として人生を信仰の光によって見直し、祈りや断食、愛徳の業はキリストの生き方に従うキリスト者のしるしとあかしの機会となるということです。

教会の掟 その4 
 教会が定めた日(灰の水曜日、聖金曜日)に肉食を控え(小斎)、断食(大斎)を守ること。
注:人によって断食の程度は異なり、14歳以下の子供と60歳以上の高齢者は断食を免除され、体の健康を損なわない程度の断食ということなので、教会法には断食の内容までは規定されていないので、常識的に一日のうち 一回は通常の食事をしてもよいという指導があります。また過酷な勤務を遂行する場合もこの規定に当てはまりませんが、例外規定ばかりを追求していると、その悔い改めの精神が消える恐れがあるので、今日では、小斎(肉食をしない)のかわりに愛徳を強調することが望ましいと考えられ、教区によっては、愛徳の業や信心業を奨励するようになっています。(教会法1249~1253)

カテキズム要約版(Compendio)
301 悔い改めはキリスト者の生活の中でどのような形で表されますか?
 悔い改めは、多種多様な形で、特に断食、祈り、施しをもって表されます。悔い改めのこれらの形や他のものは、キリスト者の日常生活の中で、特に四旬節と悔い改めの日である金曜日に実践することができます。
 わたしの実践では、
 大斎  主な食事を節制(普通食一回、好物を控える、水のみ)
 小斎  肉を控える、愛徳の業をする。施し、信心業
 ミサの聖別のことば、
  「みな、これを取って食べなさい。
   これは、あなたがたのために渡される
   わたしのからだである」 
 強調した点は、<あなたのために> 行われた主の救いの業に応えることが、悔い改めの業であり、主の愛に応えることになります。テレビを見るのを控えたり(食事や娯楽の節制)、自分の自由時間を祈りにささげたり(信心業)、種々の償いを果たすこと(施しや犠牲)を行うことが四旬節の過ごし方ですし、司教団からだされたカリタスの小冊子も利用して、愛の献金を行いことなどです。

431 教会のおきてにはどのような目的がありますか?
 
 
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 レオナルド・コサカ神父

コサカ神父は日本での宣教活動に終止符を打ち、今月26日(3月26日)米国に帰国することになりました。教誨師として国際的にも、国内的にも大きな足跡を残されました。2000年の大聖年にはローマの刑務所を訪問して赦しのメッセージを述べる教皇ヨハネ・パウロ二世の先導役を引き受けました。3月7日日本準管区共同体の日(女子御受難会悲しみの聖母修道院)にて、男子と女子の合同ミサの中で51年間の宣教生活を振り返り、御受難会の召命の出会いとその苦難と栄誉の十字架の主に従う恵みを説教で分かち合われました。準管区長が感謝とねぎらいのことばと教皇ベネディクト16世からの使徒的祝福の証書を手渡しました。「花束よりもこれを記念に残します」とコサカ神父は会員の拍手に応えて軽く冗談も出て笑顔がとても美しい神父様のお顔は80歳とは思えないほどに輝いていました。帰国後は高齢者の共同体に属し、小教区ミサや赦しの秘跡などルイビルの教区での使徒職があると紹介されました。総長からの感謝の手紙、ルイビル大司教区大司教の歓迎の手紙など今後の神父様の働きを祝福されますように 会員一同祈りました。
 夕食は、女子修道院でのごちそうパーティ・・・ 

 ウォード神父叙階60周年と88歳誕生祝い

3月6日(日) ウォード神父様叙階60周年 ミサとお祝い会

日生中央教会では 年間第9主日にウォード神父の叙階60周年のお祝いを行うことになりました。
(写真は石戸さんの提供です。わたしはデジカメを携帯するのを忘れました。ちなみに 再びメガネをどこかに置き忘れています。どなたか見つけたら 保管して下さい。)


 ミサ 主司式:ウォード神父 
    補佐:松本神父(準管区長)  
  
司祭団 デニス神父・国井神父・来住神父・鈴木神父・中村神父・山内神父・コサカ神父・神言会の神父1名・雲田助祭・
ブラザー後中さん・ウォード神父友人 稲葉さん
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先唱:松風 光
朗読:雲田助祭 ルカ4章16~21節に変更
説教:デニス神父
共同祈願:清水千草
奉納:子ども達
拝領祈願 
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『ウォード神父様に感謝の歌』を歌う(子ども・青年中心でリード)
 花束贈呈:茅野遥香さん・平田実幸さん
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お祝い会 持ち寄りパーティー 司会:杉浦一郎さん
豊能地区の方を中心に配膳など準備が整い、一品持ちよりのパーティが始まりました。タレントぞろいの日生中央教会では、音楽、絵画、料理に一工夫がいつもみられます。

 76歳で日生中央教会の主任になったウォード神父様は、老人のわたしをこころよく受け入れて、本当によく遊ばしてくれましたと日生教会の皆さんに感謝を述べ、30年前に亡くなったご両親に対しての感謝の言葉は涙なしでは言えませんと照れながらもシェークスピアの言葉を引用しながら、「感謝、感謝、感謝」と締め切りました。乾杯の音頭は、1957年に船で一緒に日本に宣教師として派遣されたデニス神父様の言葉でした。出航直後にウォード神父が言った、「Here goes nothing!」が印象的だったと。これからどこへ連れて行かれるのわからない前途の一抹の不安だったのか、絶対的な信頼だったのか。あれから54年経って、振り返れば、あれはすばらしい人生の旅の始まりだったと思える。

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☆デニス神父様は駒田さんの車椅子特別仕様セレナにて登場、無事60周年のミサの説教とパーティに出席でき大変喜んで病院に戻りました。感染症予防にマスク着用を病院から指示され着用。無事に事なく終了しました。


以 上

 「生き甲斐の心理学」講座終了 

CULL カリタス カウンセリングの関西支部の活動は、2007年に第一回植村高雄先生と越先生を迎えての講座開講し2年目からは村上美津子さんとボランティのグループで学びを毎月一度開いて3年間続きました。この会は惜しみつつも昨日3月4日(金)もって終了となりました。
 関西では、三重県や岡山県、奈良県とかなり広範囲から受講生を集めて「生き甲斐の心理学」の勉強を重ねてきました。

 わたし自身は第一回をかなり欠席し、それ以降も3年間空白となりました。しかしながら、受講生となられた方は、その後ボランティア活動に生き甲斐を見出し、多くの人との交わりに活躍し、出会う人たちの喜びと支えになっておられます。現役を退いたのちの活動として、信者でない数名の方がアルファコース、ドレミの会、祈りの作業場、生き甲斐の心理学などに足場を設け、それらの活動から力を得ておられます。そして、日曜日以外にも教会に来て、庭木の剪定やお菓子作り、建物の営繕修理など信徒の方々がしない活動を進んでやってくださるので、本当に助かっています。現役を退いた信徒の方々は彼らから学んでほしいです。大変真剣なカウンセリングの勉強会で、数名の方々が継続して学ばれました。教区では、シルバーコースで奉仕者となる生き甲斐講座を開設しています。60歳、65歳、まだまだ、現役に劣らない気力と体力があります。これからもう一つ他者のための奉仕に力を入れる人生を考えてみませんか?

ちなみに池田教会では 90歳の聖歌隊員は答唱詩篇を独唱します。典礼委員の現役は、80歳です。85歳まではまだまだ現役でいてください。60歳のわたしはまだ子供の年齢です。どしどしシルバーで活躍する場がありますから教会奉仕にお願いします。あなたの人生経験を生かしましょう。

主宰された村上美津子様には感謝申し上げます。また機会を設けて池田教会をお使いください。

 御受難の荘厳記念日(金) 

灰の水曜日の前の金曜日は、御受難会固有典礼では、創立者の記念日と荘厳記念日が<祭日>で、この日、主イエス・キリストの御受難の荘厳記念を祝います。祭日には固有の前晩の祈りが行われます。

前晩の祈り
賛歌
座って嘆き、心から悲しみ、
神がよこしまな人々から受けた
恥と苦痛を深く考えよ。

見よ。群衆が剣や棒を手に近づいて来る。
見よ。尊き王の神聖な頭を荒々しく殴り打ちのめす。

残忍なひもで縛られ、キリストは鞭打たれる。
暴漢たちは、王の王、天の主である方に平然と手を上げる。

聞け。人々よ、聞け。
善である方、慈悲深い私たちの神は、
はげしい鞭打ちの下で沈黙しておられる。
聖なる肩を血に濡らしながら。

涙があふれるこのありさま。
しかし、罪深い民は今新たな苦痛を考え出し、
彼の眉に力いっぱいとげを打ち込む。

死へと乱暴に引きずられ、
キリストは十字架上で殺される。
死に際に、最後の息によって
父の御手にご自分の魂を返された。

罪人たちへ恵みを得るために、
これほど耐え忍ばれた方に
世界の民からの賛美と栄光を永遠に。
アーメン。

第一唱和 詩篇113 神はおんひとり子を与えるほど世を愛された
   
第二唱和 詩篇146 神は自分のみ子を惜しまずにわたしたちのために渡された。
第三唱和 フッィリピ 2章6~11節 
人の子が来たのは仕えられるためではなく 仕えるためであり、多くの人の贖いとして 自分の命を与えるためである。
神のことば
 使徒言行録 13章26節 ~ 30節 

先 : 生ける神の おん子キリスト
答 : わたしたちをあわれんでください。
先 : わたしたちの罪のゆえに打たれたキリスト
答 : わたしたちをあわれんでください。
先 : 栄光は父と子と聖霊に
答 : 生ける神の おん子キリスト
    わたしたちをあわれんでください。
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