マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 総会を終えて(共同識別への道)

大阪教区の五つの教会像の中の一つが(4番目に)聖霊の導きを識別しながらともに歩む教会像があります。
今年の総会では日生中央及び池田教会での司牧方針として、教区方針を中心に活動することを提案しました。

 「今年の池長大司教様の年頭の新生メッセージでは、やはり(4)の点を強調しておられます。15年間の新生計画を振り返り、足らない点として『あらゆる活動が祈りと一体化されること。私たちの内に宿った神の思いが、行動として現わされ、生き方として現わされる』霊性を挙げておられ、この基本的な生き方(霊性)の養成が急務との認識です。(4)のビジョンを実現するためには、個々人の「みことば、祈り、秘跡、黙想」などの霊的な学びを継続し実践することが大切です。この点は、共同体と司祭チームの助けや協力は大きな役割を果たします。機会あるごとに、グループごとに、また個人で「みことばと祈りと黙想」の時間を作るように意識して励ましていかねばならないと思います。したがって、霊的識別を小教区の今年の司牧チームの強調点としたい」述べました。

 大胆にもこれを司牧チーム方針として掲げましたが、これはなかなかできない困難なことです。しかし日本の教会全体が信仰の継承ができていないことの多くはこの点が欠けていたことによるしょう。
 
 溝部司教様が「現在の日本に生きる熟年の信徒の中には、自分たちの信仰を次世代に伝えられなかったと、胸を打つ人が多いと思います。それは結局、自分個人の信仰でしかなく、いわゆる常識的現代社会の価値観を踏襲したに過ぎない信仰だったことを意味しているのではないでしょうか。青年の教会離れは起こるべくして起こったのです。信仰を中心とした生き方が、わたしたち熟年にできなかった結果と言えましょう。」(『家庭の友』2006年5月掲載記事ーペトロ岐部と187殉教者)と喝破されています。常識的な世にあって信仰を生きるには、聖霊に導かれた生き方、霊的識別が大切です。神を歴史の主と信じる私たちには、具体的な状況に神の摂理が現れていると考え、その状況に働く神の思いを読み、それに応えていくことが求められているからです。

 共同体の霊的識別の資料としては、イエズス会の中井 充著「共同体の霊的識別」という小冊子があります。絶版で手に入りませんが、昔神学生の頃に買い求めて書棚に入れた覚えがありますが、いまそれがどこにあるのかわかりません。教区の祈り推進チームではこれを研究してプログラムに生かそうとしています。一部コピーを読ましてもらっています。神学生の時代に読んでもピンとこなかったことも、今読むとなるほどと納得できます。信仰生活が長くなれば分かってくるところが多いのが霊導弁別です。信仰経験の集大成のようなものだからです。その定義を載せておきましょう。(以下の続きへ)
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 高山右近の郷 高山 ( 大阪府豊能郡)

 高山右近列福祈願ミサ

 三位一体の祭日、高山右近列福祈願ミサを6月19日午後3時より4時まで予定通り行いました。午前中 わたしは池田教会の信徒総会に出席し、午後から高山の里の史跡巡礼めぐりに一部参加しました。地元観光案内の上山さん、古寺さんのボランティアガイドによる高山右近の故郷の歴史的背景や当時の山里の状況など充実した学習を行うことができ、また副住職の日下部真雄氏の法話など普段接することのできない交わりができ、日生中央教会の一行40名は大変感激しました。

 ミサのなかでは、キリシタンの時代、ラテン語の典礼が使われていたことを考え、17世紀に歌われていた<クレド>を、最新の研究成果である皆川達夫氏による筝曲「六段」とグレゴリオ聖歌との比較したCD曲を信仰宣言の時に聴きながら、ラテン語のニケアコンスタンチノープルのテキストを黙読して当時の人々のミサの祈りの深さをしのびました。高山右近の祖母中マリアは、「自庵」(持仏院)を聖ジュリアンにささげるオラトリヨ(小聖堂)として村人の祈りの場とし、たびたび京都のヴィエラ神父を招きミサに与っていたと伝えらています。今日は、この地で400年ぶりにミサをささげたことは深い感動が参列者にありました。

写真はミサ後の記念写真:
 参加者は、新聞記事で駆けつけた豊中、箕面、池田、今市の信者さんや牧師夫妻、地元の方々、お坊さんなど高山右近の縁で集った総勢60名近くの人数となりました。わたしは「倶会一処(くえいっしょ)」とはこのことかと仏教用語を拝借して挨拶をしました。

記念写真
高山右近列聖祈願ミサの式次第表紙:

ミサ式次第 

右近生誕記念碑      高山城址から見た棚田の景色

生誕碑  高山城址から見る景色

 考えよう! Your Way

6月26日予定の 「考えよう! Your Way」は、「あっちこっちミサ」に合流することになりました。青年主催の「あっちこっちミサ」は、6月26日(日)15時~ カトリック夙川教会で行われます。 188殉教者列福記念ミサの典礼で行われることになりました。 


 なお次回の ともにさがす会主催の「考えよう! Your Way」は、9月に予定されています。(いつも第四日曜日の午後2時から CASA FAMIGLIAにて、阪神線 姫島駅より徒歩10分 会費500円
 
召命(司祭、修道者、結婚、職業など、人生の道の選択など)を考えるために、祈りによる支え合いを大切にしています。

 多忙な毎日

 ブログに書き込む時間がほとんどなかったのは、昇天祭前の司祭黙想会、昇天祭後の共同体の日、大阪管区司祭研修会、そして聖霊降臨後の聖霊セミナーと黙想、研修と続いたために、時間的な余裕がなかったからでした。今後、信徒総会が二つ、そして高山右近列聖祈願ミサがあります。もう新聞はずっと読んでいません。

 司祭黙想会(5月29日~6月4日、宗像市)は、完全沈黙で観想の祈りを4時間と教会の祈り、ミサ、その他の信心業(わたしの場合 十字架の道行)で、確実に一日6時間半から7時間祈りました。これに講話が朝と昼と夜にあったので、外部との接触が完全に断たれました。恵み深い祈りのときでした。

 司祭研修会(大阪管区)ー召命がテーマだったのですが、若手司祭から、60歳代以上の司祭が活躍しすぎると思う。若手司祭の活躍の場がないから召命が増えないという意見も出て、60歳のわたしは、そんなふうに見られる年回りになったのかと改めて気づきました。悪循環なのかもしれませんが、若手が生まれるまでは、まだまだ多忙でいなければなりません。

 宝塚黙想の家での聖霊セミナーは、昨年の2泊3日のカンズメ黙想会に次ぐ2回目です。他に秋田と札幌でもやりましたが、今回強烈にインパクトがあったように感じるのは、司祭黙想会で十分に充電してきたからかもしれません。教えの賜物に大きな力がありました。また、参加者の中に、友人の心臓手術の心配で胸が苦しいと訴える人、長年心臓の圧迫感で苦しみ薬を処方してもらっていた人、耳が不愉快な雑音で苦しんでいる人のために、講話を中断して皆でいやしのために祈りました。するとすぐに軽くなり後には全くいやされたので皆が驚きました。わたしたちにはいやしの賜物はないが、いやしのために祈る賜物があるとのロバート・ファリシー神父のことばを紹介して、いやしのために祈ったことが大きな恵みとなりました。癒し主は、主イエスただ一人であることを深く確認できたのは大きな収穫でした。


 

 右近列福推進の草の根の運動

6月19日 午後3時に西方寺本堂にて高山右近列福祈願のミサを行うことになりました。朝日新聞の大阪北摂版にのみ記事が掲載されました。日生中央教会の巡礼の一行40名と共にミサをささげる予定です。参列者、見学者も歓迎ですが、場所は、本堂の信徒席で、40名程度の信者で満席になるのではないかと思われるような狭い空間です。記事を掲載します。朝日新聞6月16日木曜日 大阪北摂版です。右近記事
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