マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 夏のアルバム

今年の夏に出会った外国からのお客様

 ケネス・オーマーリ 神父 ご受難会の米国西管区の司祭。CTU(カトリック合同神学院)の図書館長でした。論文を書くときには、この神父さんのアドバイスを受けるというのが定番で学生に信頼があります。博学でミシガン大学で図書学の博士号を取得してシカゴのCTUの創立のときから昨年まで勤めているベテランの図書士でした。わたしも留学中はたいへんお世話になりました。とても気さくでアイルランド系の人のいい世話好きのおじさんという感じですね・・・韓国での黙想会指導をしてヒューストンに帰国途中日本に立ち寄りました。広島の平和公園と記念館を見学したいというので、インドからの来客と一緒に広島まで旅をしました。CTUを昨年退職して、現在、ヒューストンで若い志願者の世話をしています。ご受難会にも久しぶりに召しだしを望む学生が増えたと喜んでいました。突然に7名ほどの学生から連絡が入ったのだそうです。ご受難会が消滅するかという存亡の危機のこの時に突然の志願者の増加、神の摂理を信じたそうです。


 シリル・ジョン氏 ジョン(John)というのがファミリーネーム(姓)ですので、ヨハネさんと呼ぶと個人の名前のようですが、家族名なのです。尼崎での聖霊による刷新関西大会の講師に招きました。インドのカリスマ刷新の発展の立役者で、カリスインディアという雑誌の責任者でもあり、ICCRSという国際カトリック・カリスマ刷新奉仕会の副会長やISAO(アジア太平洋地区)の会長を務めています。おもに「執り成しの祈り」で全国的に組織を広めました。職業は、日本での国会議事堂に相当する議会に務める職員です。議会の委員会の下準備や調査をしたりする仕事だそうです。文章を書くのが有能なので、いくつかのカリスマ刷新の本質を紹介した本があります。日本で読める本は、歴史と現代の刷新の動きをよく把握して書かれた文庫本(聖母の騎士社)「聖霊に駆り立てられて」は世界的にもよく読まれている本です。パウロ会の神学生だったこともあり、とても教会の典礼や霊性に精通しておられます。
 訪問者01

 第14回百日連続ミサ共同祈願への招き

第14回百日連続ミサ共同祈願への招き

兄弟姉妹の皆さまへ
✞主の平和
                  聖霊による刷新関西委員会 
                  委員長 畠 基幸 神父

 大型の台風12号が日本列島を直撃し、記録的な大雨で紀伊半島に大きな災害の傷跡を残し、多くの犠牲者を出しました。いまだ東日本大震災の傷が癒えぬままに、日本列島は新たな災害に見舞われました。今、この<時>のしるしに応え、私たちは、さらに心を合わせて共同祈願への取り組みを続けます。

 先ず、報告ですが、前回、東日本大震災の被災者のための意向で、百日間、十字架の道行とミサで毎日皆さまの意向を祈り続けた第13回百日連続ミサ共同祈願には、725名の参加者がありました。参加者の人数は減少しましたが、十字架の道行を同伴して下さった方々に感謝を申し上げます。十字架の道行は、時間のかかる祈りです。でも、苦しむ人を面前に思い起こしながら、祈るとき、苦しみに同伴されるイエスの力と命がその人々の苦しみに現存され、励ましておられることを感じます。皆さまも、同じように感じておられるのではないでしょうか?私は、この被災者のための十字架の道行の祈りをこれからも継続して祈り続けていく決意です。

 最終日となった8月28日は、聖霊による刷新関西大会の二日目にあたり、大会に参加した350名と共に感謝のミサを捧げ、皆さまからの100日祈願の意向を奉納しました。

 この日の主日のミサの朗読箇所(マタイ16章21節~27節)は、十字架の道行を毎日捧げてきた私たちにとって預言的な励ましとなりました。
 もう一度、その箇所を見てみましょう。すなわち、この箇所の直前では、ペトロは天の父から照らされて「あなたはメシア、生ける神の子」と告白し祝福されましたが、その直後、イエスがエルサレムで多くの苦しみを受け殺され三日目に復活すると弟子に打ち明けられると、ペトロは、「そんなことはあってはならない」といさめ始めたので、イエスから「サタン、引き下がれ」と叱責されます。「あなたはわたしの邪魔をする者、神のことを思わず、人間のことを思っている」とイエスは、ペトロが神の計画を知らず人間的なメシア像に陥っていることを指摘されました。そして、弟子たちに「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタイ16章24節)と告げ、弟子の本来の姿を、この簡潔な言葉で示されました。私なりに咀嚼すれば、自分にとらわれず自分を目的としないで、自分の十字架を口実にして自分に限界を設けてしまわないで、第一にイエスに従う。イエスが十字架の受難と死を受けることを覚悟してエルサレムへ赴かれたように、わたしたちもまた、他者の命のために主イエスに自らを委ね、主と一つになって現在の目の前にある他者の十字架に同伴することではないかと・・・。

 この「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」との言葉は、わたしたちが、本来の弟子の姿、キリスト者の本来の生き様に立ち返るように呼びかけています。そして、それは預言的な呼びかけ、つまり神からの呼びかけとして受けとめていかなければならないと思います。それは、わたしたちが一つの群れとしてキリストに結ばれ、全キリストとして執り成しの祈りをする預言的促しの呼びかけであると確信しました。
(続く)
第14回百日連続ミサ共同祈願PDF版第14回PDFファイル

奉納用はがきPDF版はがきPDF14
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