天からのものか?
ながくブログからご無沙汰してしまいました。
異変はあったのです。のどが調子が悪いなと思い、うがいやトローチをなめたりしていたのですが、うまく音がでてこないという感じがありました。耳鼻科に行って、そのことを伝えると、医者は加齢もあるでしょうと私の訴えを取り合ってくれない感じでしたが、でも違和感があるのでというと鼻から内視鏡を入れてみてくれました。ああわかりました。結節です。もう歌ったり話したりしたらいけませんね。画面でみると二個丸いのが声帯の入り口にできていて、閉まる時に邪魔になってまっすぐ閉まらないことが見えました。そのほかに、声帯上にいくつか小さいものが見えました。切るしかこの結節をとる方法はないのですが、まだ小さいので、これが大きくならないように声を使わないのが一番良いだろうという診断を受けました。
いままで考えてもいなかったことが 始まったのです。修道院に入った時から、毎朝の祈りやミサで歌わない日はなく、声を限りに生涯神への賛美をささげることがわたしの喜びであり生きがいだったから、どんなときも賛美の歌をささげることで、修道生活の35年間も何も苦労を感じなかったけれども、それができなくなるとは・・・ これから歌えなくなることを皆さんに伝えましたが、やはり一番、残念なのは私自身です。祈りの声が消えていくということを考えるとその存在が無くなるような感じです。
振り返ってみると、3月11日以来、十字架の道行をしてきました。真夜中に、木にぶら下がって津波の夜をすごした人の話が心にとまり、その真夜中の時間に祈りをはじめることにしました。楽な姿勢で環境の良い場所ではなく、体のつらい時間に祈ることを始めました。あれから6か月がすぎて喉に異変が始まったのです。
睡眠不足が一番悪いらしいのです。それに喉の乾燥。ドライアイ、ドライスキン、そしてドライノド・・・私の加齢現象でもあるのです。皮膚にタコができるように声帯にもタコができるのです。わたしは声を使いすぎた感触はありませんが、声がでるのは当たり前のよう、声の健康はあまり気を使わなかったのです。これがわたしの瑕疵かな。声は天からのたまものであることを忘れていました。
3月11日、被災した人々は、さまざまな別れを体験し、その喪失感の大きさと悲嘆の強さはわたしたちの想像を超えています。十字架の道行は苦しむ人に寄り添います。「ああ、聖母よ 十字架上の御子の苦しみをわたしたちの心に深く刻んでください。」と祈ります。
その祈りに答えてくくださったかのように、大切なものを失う喪失感を味わいました。あまりに平和な生活を送っているものには、必要な体験だったのです。他者の苦しみは想像するしかわからなかったのですが、・・・。 でも、これは神からのものか信じがたいものです。
わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。
主のみ名はほめたたえられよ。(ヨブ1:21)
葬儀の時には、この箇所はわたしは避けています。日本人の感覚では、宿命的な響きがすると思うからです。神の摂理を語るのが聖書ですから、苦しみには意味があると絶えず思い直し考えることなのです。
今日のミサで感じたことは、いままで気づかなかったことですが、いつも歌っていたときは自分の声しか聞こえていなかったのです。でも、歌わないで、皆さんの歌を聴いていると、一人一人の声が聴き分けられたのです。オーケストラの指揮者がすべての楽器の音色がわかるように、あの人の声、この人の声と個別の声が聞こえてきたのです。いままで自分の声が大きいので自分の音ばかり聞こえたいたのです。なるほどこれでは、神の心知る由もなかったのだと・・・ きっとこれからはもっと信者の声を聴くことができるようになればいいなと 沈み込んだ主日のミサの最後に、わたしの感じたことを話しました。
人の心の苦しみがわかる耳と
それを識別できるカリスマがあたえられますように。
また12時が過ぎてしまいました。
これから十字架の道行をして寝ます。 アーメン。
異変はあったのです。のどが調子が悪いなと思い、うがいやトローチをなめたりしていたのですが、うまく音がでてこないという感じがありました。耳鼻科に行って、そのことを伝えると、医者は加齢もあるでしょうと私の訴えを取り合ってくれない感じでしたが、でも違和感があるのでというと鼻から内視鏡を入れてみてくれました。ああわかりました。結節です。もう歌ったり話したりしたらいけませんね。画面でみると二個丸いのが声帯の入り口にできていて、閉まる時に邪魔になってまっすぐ閉まらないことが見えました。そのほかに、声帯上にいくつか小さいものが見えました。切るしかこの結節をとる方法はないのですが、まだ小さいので、これが大きくならないように声を使わないのが一番良いだろうという診断を受けました。
いままで考えてもいなかったことが 始まったのです。修道院に入った時から、毎朝の祈りやミサで歌わない日はなく、声を限りに生涯神への賛美をささげることがわたしの喜びであり生きがいだったから、どんなときも賛美の歌をささげることで、修道生活の35年間も何も苦労を感じなかったけれども、それができなくなるとは・・・ これから歌えなくなることを皆さんに伝えましたが、やはり一番、残念なのは私自身です。祈りの声が消えていくということを考えるとその存在が無くなるような感じです。
振り返ってみると、3月11日以来、十字架の道行をしてきました。真夜中に、木にぶら下がって津波の夜をすごした人の話が心にとまり、その真夜中の時間に祈りをはじめることにしました。楽な姿勢で環境の良い場所ではなく、体のつらい時間に祈ることを始めました。あれから6か月がすぎて喉に異変が始まったのです。
睡眠不足が一番悪いらしいのです。それに喉の乾燥。ドライアイ、ドライスキン、そしてドライノド・・・私の加齢現象でもあるのです。皮膚にタコができるように声帯にもタコができるのです。わたしは声を使いすぎた感触はありませんが、声がでるのは当たり前のよう、声の健康はあまり気を使わなかったのです。これがわたしの瑕疵かな。声は天からのたまものであることを忘れていました。
3月11日、被災した人々は、さまざまな別れを体験し、その喪失感の大きさと悲嘆の強さはわたしたちの想像を超えています。十字架の道行は苦しむ人に寄り添います。「ああ、聖母よ 十字架上の御子の苦しみをわたしたちの心に深く刻んでください。」と祈ります。
その祈りに答えてくくださったかのように、大切なものを失う喪失感を味わいました。あまりに平和な生活を送っているものには、必要な体験だったのです。他者の苦しみは想像するしかわからなかったのですが、・・・。 でも、これは神からのものか信じがたいものです。
わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。
主のみ名はほめたたえられよ。(ヨブ1:21)
葬儀の時には、この箇所はわたしは避けています。日本人の感覚では、宿命的な響きがすると思うからです。神の摂理を語るのが聖書ですから、苦しみには意味があると絶えず思い直し考えることなのです。
今日のミサで感じたことは、いままで気づかなかったことですが、いつも歌っていたときは自分の声しか聞こえていなかったのです。でも、歌わないで、皆さんの歌を聴いていると、一人一人の声が聴き分けられたのです。オーケストラの指揮者がすべての楽器の音色がわかるように、あの人の声、この人の声と個別の声が聞こえてきたのです。いままで自分の声が大きいので自分の音ばかり聞こえたいたのです。なるほどこれでは、神の心知る由もなかったのだと・・・ きっとこれからはもっと信者の声を聴くことができるようになればいいなと 沈み込んだ主日のミサの最後に、わたしの感じたことを話しました。
人の心の苦しみがわかる耳と
それを識別できるカリスマがあたえられますように。
また12時が過ぎてしまいました。
これから十字架の道行をして寝ます。 アーメン。
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