マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 訃報

フランチェスカ 浦賀 久子さん 帰天

 11月3日午前0時51分 巽病院にて死去
 11月3日夜 7時    カトリック日生中央教会にて 通夜
 11月4日朝 11時   葬儀 (司式 畠神父 共同 ウォード神父)

 かねてより人工透析をうけておられた浦賀久子さんは、眠るように息を引き取られた。洗礼は、2001年4月14日 ウォード神父から復活徹夜祭に洗礼を授かった。洗礼のきっかけは、故中村公子さんとべりタス病院で同室となったことから。最近聞き及んだ「先死」というあるお坊さん医師の言葉があるが、それは「先生」のように先に生まれることと同じで、ひとり一人は個人の死を通して何らかの教えを残していくという。2000年8月5日に亡くなった中村公子さんは、癌との壮絶な戦いの中で幼い子供たちに自分の意思を伝達したくて手書きの童話を書いた。その姿に浦賀さんは、同じ癌の病の中で、決して人生において負けることのない力強い公子さんに感銘を受けた。キリスト者は、キリストが死んで生かす霊となられたように、私たちも死を通してキリストのあがないに与り残された者にキリストの命を与える者となることができるのです。

uragatuya012010.11.03.

 夏風邪も去って

今年の猛暑で、体調を崩した方も多かったと思いますが、ようやくさわやかな秋風の気配で毎日が過ごしやすくなりました。皆様にはいかがお過ごしでしょうか? わたし自身は夏の最後の終末を東京で過ごし、夜行バスで大阪に戻ってきたあとの、暑さと疲れに体力の限界を経験して、夏風邪のようにせき込み、熱が出てこの数週間過ごしてきました。おそらく夏風邪ウィルスにやられたようで、薬が効かず、体力の回復を待ちました。この間、病人訪問などができなかったことが 悔やまれます。9月15日から始めた百日共同祈願も、お知らせを書くのが遅れ、発送したのがようやく13日になりました。1000日共同祈願成就のあとに病気をするのはなんとも皮肉なことですが、これが現状です。こころは燃えても、肉体は弱い。誘惑にあわないように祈りなさいとは主のお言葉でした。
 
 悪いことだけではないのですね。こんな風に内的に弱っていると、すぐに主からの力づけもいただけました。1000日間共同祈願に参加していた人から、一昨日手紙と献金が送られてきて、「友人が白内障の手術で失敗し目が見えなくなり困っていたのが、1000日間の共同祈願の後、突然見えるようになり驚きました。共同祈願の皆さんの祈りに感謝します。」と感謝のミサの依頼でした。詳しい事情はわかりませんが、友人のために祈っておられたかたの喜びの手紙でした。見えない目が見えるようになった。それはご本人にはどんなにうれしいことか想像を超えます。友のために密かに根気よく祈った祈りが聞き入れられたとのことです。早速翌日感謝のミサをささげました。また、風邪の中休まずに考え続けて書いた百日の共同祈願の招きの手紙が皆さまの所に届いて、ある方は急に力がわき、祈れるようになった喜びと感謝のお便りをくださいました。ぶどうや梨も届きました。やはり、また始めてよかったです。こころからの感謝です。アレルヤ 主に感謝!

 畠 基幸

 訃報

 クララ 阪口 幸子 さんは 2010年9月10日 帰天 夜11時28分

 池田教会ににて、
 通夜  9月12日(日) 夕方  6時
 葬儀  9月13日(月) 朝  10時半 

 長崎五島の貝津教会出身、生まれながらのクリスチャン、幼児洗礼で信仰深い母に育てられ、名前も復活の主日に生まれたので「幸子」と名付けられたことを励みにしていました。10年前から癌と闘病し、ドレミの会のボランティアやアルファコース、祈りの作業場など、信仰を深める会に熱心に参加して、信仰によって苦しみも悲しみ祈りのうちに忍耐して、家族の救いのために自分の苦しみをもって主の受難の欠けたところを進んで担いました。今永遠の命に誕生し、生まれ日と同じ復活の朝を迎えていることでしょう。主と共に苦しむ人は、主と共に復活の喜びを味わう。親族、職場の友人、教会の友など死を悼み、惜しむ多くの参列者がありました。、 

 第11回 百日共同祈願への招き

 原稿が出来上がりましたので 早速 このページに掲載します。

 PDFファイルにしました。

 2010百日9月

 ハガキ祈願文
 
 
 はがき9月

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 ヘンリー・ニューマンの列福(9月19日)にちなんで(You-Tube配信)



 英国の宗教番組のWebサイト(YouTube配信)からニューマン枢機卿(John Henry Newman )についての番組を掲載しました。1845年にカトリックに回心したニューマンは、英国教会で、すでに有名な神学者であり、教会の牧師を務め説教家であり、オックスフォード大学の教授でした。カトリック教会に改宗し、ローマで司祭となりフィリポネリが創立したオラトリオ会入って、英国でバーミンガムで最初のオラトリオ会を設立しました。アイルランドの教会からの要請でダブリンに大学を創立したこともあり、英国の教会に大きな霊的影響を与えたことなど、その傑出した信仰からレオ13世教皇により司祭ニューマンが枢機卿に選ばれたのです。大学は、「科学の中の科学 -哲学」を教えるべきだという古典的な教養課程の基本を教えました。その業績は、インターネット上でも簡単に知ることができます。

 今年の秋(9月19日予定)教皇ベネディクト16世が英国に訪問して福者に列福される運びとなりました。番組では、ニューマン枢機卿を英国聖公会からカトリック教会への転向を受け入れた福者ドミニック・ベルバリをインタービューする形式で、その時の時代背景、ドミニックの召命と神の摂理てきな導き、ご受難会の創立者十字架の聖パウロの英国の回心のビジョンとその使命、祈りの生活の恵み、そしてヘンリー・ニューマンとの出会いと回心への道などを福者ドミニック役のケビン・オブライエンの言葉を通して語らせています。大変わかりやすく聞きやすい英語と内容なので、ぜひご覧ください。そのほかにもヘンリーニューマンの物語や修道会関連のインタビューも数多くあり、さすが英国のご受難会の活動の一端がうかがえます。ヘンリー・ニューマンのオックスホード運動とカトリック教会への回心は、多くの知識人・大学人をカトリック教会へ導き、そしてダイアナ妃の大伯父さんにあたる有名なイグナチオ・スペンサー神父もニューマンの親しい友人で「英国の回心のための祈りの十字軍」を指導していました。
 ニューマンは、当時4世紀の教会の教父たちの思想と霊性を研究していて、自分が属する教会が4世紀の異端の教えに近いことに動揺していたこととイタリアに友人と旅行した際に、病気で苦しんでいたときに英国の回心を神が望んでいることを深く感じ、英国に帰国してすぐにオックスフォード運動を始めたのでした。そのため、十字架の聖パウロがどうして英国の回心を祈ったのか、またドミニックがどうして英国の回心のためにビジョンを見たのか、それらの摂理的な神の導きとともに御受難会の素朴な司祭の姿に見て、ついにカトリックへと回心することになりました。
 
 この番組の中の福者の証言では、神の摂理であり、同じ祭壇の場所でドミニックも、そうとは知らずにそのビジョンを見たとのことです。当時の英国のことを考えると、大英帝国の時代で、帝国の中心を回心させることにより世界全体を変えることができるようなことでしょうか?福者ドミニックには特定の名前は教えられなかったが、確かに教会全体に影響を与える人物を回心させることが、そのビジョンの中に含まれていたのでしたが、そのビジョンから実際に現実となるのは、27年後で、しかもそのビジョンを見たときは、8人兄弟で、3歳のときに父が死に、8歳のときに母が亡くなり、叔父に育てられた無学な農民の子供で、学校には一度も通ったことがなかったためブラザー候補として修練院に受け入れられたばかりのときでした。ブラザー候補として入った者は、決して司祭候補の修道者として誓願をうけることができなかった時代、そのようなことを望むことすら家に送り帰らせられたあ時代、ドミニックは司祭として英国で改宗者を受け入れるビジョンを見たのでした。彼は一度聞いたラテン語の聖句を一度で覚え、簡単にイタリア語に直すことができたため、長上からそのすぐれた記憶力と知的能力を見出され、総会を開いてブラザー志願から司祭志願へと変更することに、彼の望みではなく会の望みとして変更されたのでした。もっとも無学な者が、知恵あるものの知恵をむなしくするという神の言葉がここでも生きているような気がします。

 愛犬エミリーちゃん 老衰と熱中症で絶命

司祭館の中庭に家主のようにデニス神父に飼われていたエミリーちゃん、乳がんで7月ごろにはかなり弱っていました。デニス神父によれば、動物病院に連れて行って治療の可能性をうかがったところ、老犬(13歳、25匹の母親)なので、手術に耐えられず、なにもしない方が犬にとっては幸せということで、デニス神父さんはなにも処置をしないでそのまま帰国、その間、Fさんが代わりに、食べやすい餌を与え、水かえを頻繁にして様子を見てきました。しかし、この夏の暑さのため、急激に体力を失い、元気を失って食べるのも難しい様子でした。ときどきわたしも声かけて水をあげると少し元気になるようでしたが、エミリーちゃんは、デニス神父の帰国を待たず、8月21日に絶命しました。エミリーちゃん絶命3日前の在りし日の姿

 第18回カトリック聖霊による刷新全国大会(8月21日~23日)

第18回カトリック聖霊による刷新全国大会の開催のため、講師として韓国のコットンネ共同体からブラザージェームス・シン(コットンネ・イエスの兄弟姉妹会 1979年創立)とシスター3名、信徒4名をお招きしました。8人は、8月20日来日し、21日から23日まで 「新しい福音宣教」のテーマのもとに、尼崎のホテルニューアルカイックで全国の兄弟姉妹、沖縄から北海道まで、そして、韓国の姉妹を含めて参加者360名とともに聖霊に導きを祈り求め、信仰の喜びと恵みを分かち合いました。23日の大会最終日は、百日共同祈願第10回目の最終日でもあり、天の元后マリアの祝日の祈願文を使って1000日目の満願を感謝しました。また前日の8月22日は、日韓併合の百周年の節目に当たり、韓国の兄弟姉妹の和解のイニシアチブにより歴史の新しい一歩を踏み出すことができました。24日、25日の夜は生野教会でブラザー・シンの講話とコットンネ共同体との交わりのひと時が行われる予定です。生野教会の評議会議長 イグナチオ李(イ)さんと 信徒会長エマニュエル崔(チェ)さんがご自分の時間を割いて韓国語から日本語へ懇切丁寧な通訳をして下さいました。この場を借りて御礼感謝を申し上げます。


 第一日 オリエンテーション
     開会の儀(会場の清めと大会のための祈り)
     コットンネ共同体の紹介 ビデオ(DVD)
     8名の紹介

     ミサ  聖霊を求める祈り (司式 赤波江神父 パウロ会)

     夜: 第一講話 神に近づく方法 (聖霊による洗礼)
        Br シン  あかし 

 第二日 朝の祈り  聖体への賛美とみこころの信心 
     
     朝: 第二講話 回心
        
        Br シン    あかし 
        悔い改めの祈り
        個別の赦しの秘跡

     昼: 第三講話 清貧の霊性

        Br シン    あかし


     ミサ 聖霊に満たしを願う祈り 司式 マッケイ神父ーコロンバン会
        第21主日のミサ     


     夜: 特別プログラム      Br シン
        いやしの奉仕
        喜びの祝祭

 第三日 朝の祈り  主への賛美と感謝の心

     朝: 第四講話 宣教の霊性

     昼: 
        
     
        ミサ 宣教の賜物を求める祈り 司式  はた神父
     
     講師への感謝のあいさつ   中村 友太郎(全国委員)
     閉会のあいさつ       畠  基幸 (実行委員会委員長)
        

 「主日の典礼」奉仕者準備会 趣旨説明

この夏の宿題の一つがだんだんと形になってきました。秋はこれにじっくり取り組むことになります。

 わたしが「主日の典礼」奉仕者準備会でしようとしていることは、信仰共同体、奉仕者共同体、家庭共同体の中に学びと養成の場と分かち合いの場のひな型となるようなものを考えているのです。これは、「キリスト者小共同体」-21世紀への希望の展望ー(菊池功訳、新世社)で紹介された「小教区内のさまざまな小共同体」の概念に近いものです。ただ端緒は、主日の典礼の積極的参加と共同体としての奉仕を学びながら、中心にみことばを祈り、みことばを黙想し、みことばから力を受けるようなキリスト的生き方を伝達する場にしたいのです。

 趣旨説明を書いてみました。これまでの小教区のやり方では現在の問題を解決できないので、やはりこのようなみことばを中心にしたビジョンを推し進めたいと考えていることを書きました。これはシノドスでも強調されたことですので、いい方向だと思います。
趣旨説明

 共同祈願 カトリック新聞に掲載される

7月25日発行の第4061号の二面に、今年叙階を受けた司祭・助祭の紹介記事の横に、写真入りで「共同祈願」の記事が掲載されました。カトリック新聞編集部の大元麻美さんが、浦和のMEの行事に参加して、共同祈願のうわさを耳にして、早速私を訪問取材されたのでした。「苦悩する人々の立場に立つ」祈りの輪が新鮮な印象を受けられて好意的にまとめてくださいました。それを切り抜き、イメージを掲載します。
カト共同

 この祈りは 世間一般にある射幸心をあおるようなものではなく、父と子と聖霊の交わりに招く、御子ご自身のいけにえに与る司祭職に結ばれて、わたしたちも日々の労働と祈りを他者のためにささげるのです。このような祈りが聞かれないという理由は考えられません。

 事実、記事が掲載されて、病気が突然癒されたので戸惑っているという方から、ひょっとしたら私のいやしはその祈りのおかげだったかもしれませんと手紙をいただきました。わたしにもわかりません。誰かの祈りが聞かれかどうかもわかりません。主のいつくしみがわたしたちに与えられる理由があるとすれば、ただ神のみ心を動かすほど、あなたは貧しい者、弱い者、小さな者、傷つき死に瀕している存在だったからではないでしょうか。「しかし言っておく。その人は友達だからということでは起きて何かを与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きてきて必要なものはなんでも与えるであろう。まして御父は~」(共同訳 ルカ11章8節)

 長い休養をいただきます。

 なかなかブログが書き込まれないので 心配された方もいるかもしれません。もちらん誰からも問い合わせはありませんでしたから、影響力は全くありませんね・・・

 7月は、サレジアンシスターズの黙想会指導のために山中湖で8日間をすごし、東京周りで大阪へ、その後、また売布、宝塚黙想の家で 司祭黙想会のヘルパーを務めていたのです。かなりハードな7月初夏の毎日でした。

 2週間の黙想会・・・ 大したことではないようですが、
 これが普段のリズムと内容が違うので苦戦の連続です。

 シスターの黙想会は3年前にも引き受けて今回は同じ内容ではできないので、最後まで何を話すかで苦労していました。テーマが決まったのは、黙想会を始める前日の真夜中、それから資料を整えて、翌日の日曜日のミサを終えてからの出発、ほとんど寝ないままに最初の日が始まり、それから、一週間、一日二回の講話(各45分)とミサの説教を毎日深夜までに考えるという生活、散歩も一週間で30分、テレビはゲゲの女房の15分と夜のNHKニュース30分だけで あとは祈りと読書と講話の準備の生活です。睡眠5時間、充実した生活で全く疲れなかったように感じたのですが、小教区の司牧とはちがう疲れで、かなり後遺症がつづいています。たとえば、体力的には、3年かけて一週間に一回か二回のペースで水泳を続けてきたので、このごろでは35分で1200メートルが泳げるようになったと喜んでいたのですが、黙想会後は三年前と同じ600メートルしか泳げなくなりました。息が続かないのです。貯金を使い果たしたのかも。60歳の誕生日には1500メートルを息が切れないで泳ぐのが目標なのですが、達成できるか危なくなりました。

 司祭黙想会では、パウロ・グリン神父さんの講話を聴くだけで休みになるかと思ったけれども、そうでもなくかなり疲れました。90歳のダニエル神父さんから、あまりに寝ないと短命になるよ、わたしの知っているほとんどの体力のある神父は、あまりに寝なかったので50代後半から60代くらいで死んだから、あなたも危ないですねと脅かされました。見たところ、かなり疲れているようだねと言われて、ご自分の薬を処方してくださり、飲むとかなり改善されました。90歳の神父さんは若い時は体力がなかったけれども、健康に注意し、睡眠をよくとるように心がけたので長命になったと思うと言われるので、非常に説得力がありました。実際、いままで飲んだこともない睡眠剤は、翌日は効きすぎて、・・・寝ぼけて整髪料を頭にかけたつもりが、眼に入り、痛くて痛くて・・・目が覚めた日もありました。

 集中力が ずっと落ちています。 まだまだブログはお休みです。
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