マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 第六日 メシアとその霊の期待

第六日  メシヤとその霊の期待

1.初めの賛歌 スピリットソング(「主に賛美」p99)

2.導入 旧約において、人々は約束されたメシヤを期待して待っていましたが、神の言葉を無視していました。これは人びとを挫折、失望、捕囚へと導きました。シメオンやアンナのようなわずかの人びとだけが、イスラエルの慰め(ルカ2:25)、エルサレムの救い(ルカ2:38)を待ち望んでいました。イエスの公生活の間、弟子たちでさえ、自分たちの望みを実現し、自由をもたらしてくれる政治的指導者を待ち望んでいました。    

 このテクノロジーと物質的進歩の時代に、私たちは何を待望しているでしょうか。何に私たちは希望をおいているでしょうか。私たちの経験によれば、暴力と不正は依然として盛んです。これらの問題を除くために、私たちは誰に信頼すればよいのでしょうか。彼らはその実現に導いてくれません。私たちと信じない人々の間にどんな違いがあるというのか、問うて見なくてよいでしょうか。私たちは神と御言葉に対する信仰と信頼の欠如に対して、今日、赦しを願うことから始めましょう。

3.悔い改め (第一日と同じ)
4.謙遜の祈り(第一日と同じ)
5.聖霊への祈り(第一日と同じ)

6.ことばの祭儀 
  聖書箇所 イザヤ11:1~2(朗読)

7.説話のポイント
-これらの預言の言葉や他の預言によって、神は約束の言葉によって人びとの心に語りかけられました。聖ペトロは五旬祭の日の朝、その成就を宣言しました。(使徒2:17~21)

 -これらの約束は何を意味するのでしょうか。それは世の終わりに、主の霊が民の心に新しい掟を書き記して、民の心を新たにすると宣言することです。神は散り散りに分裂していた人びとを集め、和解させられます。神は最初の創造を変えて、平安の内に御自分の民とそこに住まわれます。

 -二種の人びとがイエスのことばを聞きに来ました。富と権力があり、影響ある地位にあって安泰な人々は、イエスのことばを聞いてもほとんど期待もせず、みことばを受け入れもしない人々です。貧しく、学問もなく、権力もなく、不安定な人々は大勢来てイエスのことばを聞き、信じました。弟子たちは後者に属していました。  

 -私たちはどちらのグループに属するでしょうか。私たちは今の地位に満足し、救い主を必要とすることが分からないほど社会的地位と教育に守られて、満足しているのでしょうか。それとも自分個人の問題を解決することも出来ないことを自覚し、周りの社会の不正に心を痛め、イエスのもとに行き、その助けを求める必要を分かっているでしょうか。私たちの祈りの生活がこれを示します。
 -私たちは、聖霊を私たちの上に、周りの世界の上に送ってくださるように、救い主に祈っているでしょうか。それともずい分と祈りを怠っているでしょうか。
 イエスは貧しい人々、苦しむ人々、無力な人々に対する心遣いから、ご自分の上に来られた聖霊の効果をお示しになりました。その同じ聖霊が洗礼の時に私たちにも臨んでくださったのです。私たちはイエスと同じように聖霊に導いていただいていますか。今日の世の中で、不正に苦しんでいる大勢の人々のことを、心にかけているでしょうか。それに対して私たちは何をしているでしょうか。家族の中に私たちの助けを必要とする人がいますか。その人々を助けるために、イエスのように、私たちも聖霊の促しに従い、助けの手を差し伸べるでしょうか。

 これが私たちの使命です。私たちに対する神の愛に与かりながら、他の人々と愛と思いやりを分かち合うことによって、この証人となるよう、呼ばれているのです。

8.賛歌 告げよ 地の果てまで(「主に賛美」p29)
9.祈りましょう(第一日と同じ)
10.終わりの賛歌 子羊イエスよ (「主に賛美」p162)

 第五日 聖霊の臨在

第五日  聖霊の臨在

1.初めの賛歌 主イエスを喜ぶことは(「主に賛美」p123)

2.導入 私たちは旧約聖書の内に、神からの救い主の約束は、預言者によって繰り返されましたが、民は繰り返し堕落しつづけました。民の指導者たちは、神によって与えられた掟を拠りどころとせずに、外国の勢力と同盟を結び、民は偽りの神々を拝むことによって、周辺の異教の民の慣習に倣いました。神はご自分の名によって語る預言者たちを送られました。神がこれらの預言者たちにしばしば現れられたのは,ご自分の現存を、民に対する愛を、思い起こさせるためでした。モーセは申命記7:7~8においてこのことを民に思い起こさせ続けています。今日、私たちは信仰によって、神がすでに、約束された救い主を遣わされたことを知っています。しかし私たちは相変わらず同じように誘惑を受けています。私たちはややもすると、現代社会の物質主義と個人主義を追い求め、富、放縦、権力欲に希望を置いています。利己主義は家庭に、隣人との間に、絶えず緊張の原因となり、国々、共同体間の流血の原因となっています。救済策は神に立ち返ることです。私たちは信仰の欠如の赦しを願い求め、今こそ立ち返りましょう。

3.悔い改め(第一日に同じ)
4.謙遜の祈り(第一日に同じ)
5.聖霊への祈り(第一日に同じ)
6.ことばの祭儀 
  聖書箇所 ガラテヤ3:24~28(朗読)
  賛歌   われらは一つ(「主に賛美」p10)
  福音   マタイ17:1~9(朗読)

7.説話のポイント
 -聖霊の現存はその臨在に示されます。
 -出エジプト13~21 雲の柱と火の柱
 -同じ聖霊はキリストの生涯の内に働いておられます。聖霊がマリアに臨み、その上に力が臨みます。
 -山上の主の変容で、聖霊が、雲の中から降りて来て、イエス、モーセ、エリア、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを包み、主の昇天の日に雲がイエスを取られて弟子たちの目から見えなくし、再臨の日に神の子としてのイエスを現されます。
 -第一朗読で聖パウロは、信じて洗礼を受ける者の上に、これらすべてのことの結果を告げています。彼らは神の子とされ、私たちはキリストにあって一つです。
 -私たちの使命は、私たちの模範の光によって、私たちの人生の内におられる聖霊の現存を表すことです。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。

8.賛歌 威光、尊厳、栄誉(「主に賛美」p169
9.祈りましょう(第一日と同じ)
10.終わりの賛歌 Walk in the Light(「主に賛美」p103)

 第四日 神の救いの計画における聖霊の役割

第四日  神の救いの計画における聖霊の役割

1.初めの賛歌 威光、尊厳、栄誉(「主に賛美」p169)

2.導入 人類の物語は神の憐れみと愛の物語です。人類が恵みを拒絶した後、救い主が来られて新しい命の約束がありました。神は恵みを与え、私たちがそれを拒むというのが、今日でも繰り返されています。神の愛は永遠です。もし私たちが心の奥深くの望みを実現したいなら、神の愛に心を開くことから始めなければなりません。そのためには、自分の過ちを認め、失敗の赦しを願わなければなりません。

3.悔い改め(第一日と同じ)
4.謙遜の祈り(第一日と同じ)
5.聖霊に対する祈り(第一日と同じ)
6.ことばの祭儀 
  
  聖書箇所 創世記1:26~27、2:7 (朗読)

7.説話のポイント
 -イエスは良い知らせ、新しいアダムです。
 -お告げは世界の救いの神のご計画を示します。
 -聖霊がマリアに降り、力が包む、は比喩的に理解しなければなりません。
 -それは神の神秘的な介入、約束の実現、イエスがメシヤ、神の御独り子であることを意味します。信仰をもって、私たちは完全な人であり、真の神であるイエスを信じなければなりません。
 -イエスは神の独り子、まことに歴史における神の現存です。
 -イエスの弟子である私たちは、神の意志であり、遂行であるみことばを心から聴くことが求められます。
 -私たちの使命は、イエスのように私たちも献身、奉仕、愛に生きることによって、神の愛を知らしめることです。

8.賛歌 驚くばかりの(「主に賛美」p18)
9.祈りましょう(第一日と同じ)
10.終わりの賛歌 栄光イエスにあれ(「主に賛美」p117)

 第三日 聖霊のみ名、称号、シンボル

第三日目  聖霊の御名、称号、シンボル  

1.初めの賛歌 今、聖い御霊よ(「主に賛美グリーン本」p39)

2.導入 教会は聖霊の御名を「ルア」(神の息)から受け、洗礼において「父と子と聖霊の御名によって彼らを洗う」と宣言します。聖霊という名は息、空気、風を意味します。これが、イエスがニコデモに語られたときのイメージです。「はっきり言っておく。人は、水と霊によって生まれなければ、神の国を見ることはできない。」私たちは皆洗礼を受け、「神の本性にあずからせていただきました」(IIペトロ1:4)。それでも私たちは、この神の本性を私たちの内に成長させていただくのに失敗します。聖パウロのガラテヤ5:19~21(読むこと)に書かれている肉の業にしばしば負けるのです。「神の息吹」聖霊に逆らう私たちを自覚して、赦しを願いましょう。

3.悔い改め(第一日と同じ)
4.謙遜を求める祈り(第一日と同じ) 
5.聖霊に対する祈り(第一日と同じ)

6.ことばの祭儀 

  聖書箇所 ローマ8:6~11(朗読)
  賛歌   暗闇に光(「主に賛美」p63)
  福音   ヨハネ14:16~17、26~27(朗読)

7.説話のポイント
 -イエスを信じる者として私たちは悪に直面して無力感、落胆に導かれてはなりません。
 -私たちは戦いの中にあって一人ではありません。「私は御父に祈ります。御父はもう一人の弁護者を遣わし、その方はあなたと共に永遠におられます・・・」
 -イエスが第一の弁護者です。私たちのイエスの言葉に対する信仰と信頼は、深く絶対のものでなければなりません。
 -イエスはまた聖霊を真理の霊と呼ばれます。聖霊は私たちに真理を教え、真理に生きるのを助けてくださいます。
 -水は、洗礼において私たちの内に働かれる聖霊のしるしであり、その中で聖霊は「湧き上がる永遠に生ける水」(ヨハネ4:10~14)を与えられます。
 -塗油:キリストは「油注がれた者」、「メシヤ」、聖霊に満たされた者です。この聖霊の満たしを私たちは堅信の秘跡を通して受け、キリストの塗油に与かるのです。

8.賛歌 聖なる地(「主に賛美」p152)
9.祈りましょう(第一日と同じ)
10.終わりの賛歌 愛するわが主(「主に賛美」p153)

 第二日

第二日  御子と聖霊の共同の使命
1. 初めの賛歌 聖霊来てください(福者ヨハネ・パウロ二世の詞、蓮沼裕子作曲)

2. 導入 「神は,その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)私たちはこの御言葉をよく知っています。御子と共に、神は聖霊をもお遣わしになりました。聖霊は愛の霊だからです。御父と御子と御一体である聖霊は、お二方から決してお離れになることがありません。御子と聖霊はそれぞれ異なる位格でありながら、決してお離れになりません。聖霊を忘れることは、私たちの側の多くの過ちの元です。「神は愛です」(Iヨハネ4:16)と知る私たちはどれほど幸せでしょう。その一方で、私たちキリスト者は、どれほどこの愛の心に欠けていることでしょう! 私たちの愛の足りなさのゆえに、私たちの家族はしばしば不幸であり、私たちの生きる世界は不正と暴力の場となっています。聖霊への祈りを始めるに当たり、私たちは愛なる聖霊を欠いていることを自覚し、その赦しを願います。

3. 悔い改めの行為(第一日と同じ)
4. 謙遜を求める祈り(第一日と同じ)
5. 聖霊への祈り(第一日と同じ)
6. ことばの祭儀 

聖書箇所 ガラテヤ(4:4~9)(朗読)

説話のポイント
 -神の子イエスは、私たちの世界-分裂した世界
 -あらゆる種類の緊張の下にある世界に来られました。
 -あまりにも多くの人びとが、助けの希望もなく暴力を恐れて生きています。
 -イエスさえも、周りの人びとと同じように、反対、排斥、暴力を体験されました。
 -ただ一つイエスの生涯で違っていたことは、それを変える力を持ってこの世に来られたことです。
 -その力というのは、御子と共に御父から遣わされた聖霊でした。
 -イエスによって約束された聖霊は教会に遣わされ、信徒たちを愛で満たし、証人としてこの世に遣わされました。
 -イエスが聖霊によって油を注がれたように、信じる者たちも油を注がれます。
 -信じる者たちは聖霊の力により、洗礼を通して一つの民とされます。
 -私たちの、神の民としての一致は、私たちだけの特権ではなく、分かち合われるべきものです。
 -神の一致は、私たちが神の愛に心を開くなら、私の一致の源、泉です。
 -このために私たちは家庭で、国で、世界で、働かねばなりません。

8.賛歌 わたしが神と知れ(「主に賛美」p79)
9.祈りましょう (第一日と同じ)
10.終わりの賛歌 われらは一つ(「主に賛美」p10)

 第一日 ノベナの祈りー私は聖霊を信じます。

第一日 「私は聖霊を信じます」

1. 初めの賛歌 生ける神の霊(「主に賛美」P2)

2. 導入-聖霊への九日間の祈りを始めるに当たって、私たちは教会であることを自覚しましょう。それは、聖霊が御自分を知らせておられる神の民の集いの中にあります。これは、イエスを頭とする神の民の集いです。私たちが神の民であることを自覚するに従って、私たちは同時にその招きに応えて生きるには多くの失敗があることを、自己中心なところ、家族、隣人、友人といった人々への愛と思いやりに欠けていることなどを、自覚するようになります。ですから、まことに神の民であるためには、私たちの多くの欠点を、神に赦しを求めることから始めましょう。

3. 悔い改めの行為-「ああ、神よ、罪びとである私を憐れんでください。私の最大の恩人、いと高い神であるあなたに背いた私の人生のすべての過ちと背きを心から悔みます。  
聖霊の恵みによって、再び罪を犯すことのないよう堅く決心いたします。」

4. 謙遜を求める祈り-ああ、高ぶる者に逆らい、謙遜な者に恵みを与え、ご自身の内に模範を信者にお示しくださった御独り子のまことの謙遜の徳を私たちにお与えください。私たちが高ぶりによって決してあなたを悲しませることなく、むしろ謙遜によってあなたの恵みの賜物をお受けすることができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン(ローマ・ミサ典礼書)

5. 聖霊に対する祈り-神である助け主、貧しい者の父、悩める者の慰め主、心の光、魂の清め主である聖霊よ、私は御前にひれ伏します。深い尊敬をもってあなたを崇めます。何千回も、私はあなたを賛美します。そして御座の前に立つ天使たちと共に、私も「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と申し上げます。

  私は、あなたが永遠であり、御父、御子と御一体であることを固く信じます。あなたが私の魂を救い、聖としてくださると、あなたの愛に希望を置いています。あなたを愛します。ああ、愛なる神よ、この世の何ものにもまさって、心からあなたを愛します。あなたは限りなく善、あなただけが私の愛のすべてにふさわしい御方だからです。
  
そして、あなたの聖なる霊感に対しても、感謝を忘れまた目の見えない私は、罪を犯してはしばしばあなたを悲しませて来ました。目に涙して、他のどのような悪よりも、最高の善であるあなたに罪を犯しましたことをどうかお赦しください。
 
私はこのきわめて冷たい私の心を差し出します。そしてこの私の罪の固い氷を、あなたの光線で、火花で貫いてくださるように、お祈りいたします。
  あなたはいと聖なるマリアの魂を、大いなる恵みで満たし、使徒たちの心を聖なる熱意で火をつけられました。私の心もあなたの愛で燃え上がらせてくださるように願い求めます。
  神なる聖霊よ、私にすべての悪霊に対して勇気をお与えください。
  あなたは火です。あなたの愛に対する熱い望みを燃えたたせてください。
  あなたは光です。永遠のものについての知識で私の心を照らしてください。
  あなたは鳩です。汚れない命を私にお与えください。
  あなたはそよ吹く風です。私の
感情の嵐を吹き払ってください。
  あなたは舌です。あなたをいつも賛美することをお教えください。
  あなたは雲です。私をあなたの御保護の陰の下にかくまってください。
  最後にあなたはすべての天の賜物の与え主です。どうかあなたの恵みで私を活かし、あなたの愛で私を聖め、あなたの英知で私を照らし、あなたの愛で私を養子とし、あなたの限りない憐れみで私をお救いください。いつもあなたを礼拝し、賛美し、御父と御子と共にあなたを愛することができますように、この地上で生きる間、そして永遠に天において、アーメン。

6. ことばの祭儀
  聖書箇所: Iコリント2・9~12(朗読)
  賛歌 (朗読した箇所にふさわしい曲を選ぶ)
  福音 ヨハネ16・12~15(朗読)

7. 説話のポイント
  教会は使徒たちの信仰を生きる人々の共同体です。キリストの命令によって、教会はこの信仰を受け継いで来ました。ですから教会は聖霊を知るための場所です。私たちが聖霊を知ることができるのは

 -聖霊が霊感を与えた聖書の中で
 -キリストによって教会にゆだねられた教えである伝承の中で(ヨハネ16・15)
 -秘跡の内に、典礼のしるしと象徴を通して聖霊は私たちをキリストに一致させます
-祈りにおいて、聖霊は私たちのために執り成しをしてくださいます(ローマ8・26)
-教会を立ち上げているカリズムと使命の内に(Iコリント12・2) 
-使徒的、宣教的命のしるしの内に
-聖霊の聖性を示し、救いの御業を継続する聖人たちの生涯の内に

8. 賛歌 主に賛美(「主に賛美」p30)
9.祈りましょう(全会衆による共唱)  
  御父、御子、聖霊よ、私は自分の体があなたの神殿であることを存じております。
あなたは命の源、全能の神、私たちの造り主であることを信じます。私の体全体はあなたの命と愛に満たされています。
  主イエスよ、あなたの尊い御血で私に触れ、私のすべての罪を洗い去ってください。私の一つ一つの罪をお赦しください。私の奥深くに残るすべての傷、怒り、罪悪感、すべてのつらい記憶をいやしてください。主よ、私はあなたに対して、隣人に対して、罪を犯しました。
  イエス様、あなたはご聖体の内に現存されます。主よ、私の心の内においでください。あなたが心の内にいてくだされば、何一つ恐れるものはありません。あなたが神の御子、あなたが私の心の内に、近くにおられますから。主イエスよ、あなたの内に命があり、あなたの命の内に、私は命を見出します。あなたは長血の女に触れ、いやされました。
主よ、私を憐れんでください。あなたの力で私を導き、あなたの御前に私を義としてくださるのは、あなたです。
  主よ、神よ、あなたは全能なる御方です。憐れみ深い御方です。あなたは私に触れ、魂、心、体のすべての病をいやしてくださいました。感謝いたします。とりわけ私をより近くあなたに引き寄せてくださったことを。心の底からの信仰をもって,御父と聖霊と共におられるイエスを崇めます。世々とこしえに、アーメン。

10. 終わりの賛歌 われらは一つ(「主に賛美」p10)

 ノベナの祈り(九日間の祈り)

ノベナの祈りを始めましょう。

主の昇天から聖霊降臨祭までの10日間 伝統的にノベナの祈りがささげられてきました。

 典礼暦年と典礼暦に関する一般原則からこの箇所を参照すると、
25 復活後40日目には、主の昇天を祝う。それが守るべき祭日でないため、復活節第7主日に移された場合は別である。

 40日目は 5月17日(木)の今日にあたりますが、上記のように日本の教会では、次の主日が主の昇天の主日です。引き続き次の記述があります。

26 主の昇天後から聖霊降臨の前日の土曜日までの週日は、聖霊を迎える準備にあてられる。

 これがノベナ(九日間)の祈りです。さまざまなスタイルがありますが、昨年聖霊による刷新関西大会(尼崎)の講師としてお迎えしたシリル・ジョン氏からインドで大変好評な「ノベナの祈り」のテキストを入手しました。マリスト会のブラザー吉田さんが丁寧に翻訳して下さったのでここに掲載します。

 「聖霊降臨を祝う」(小冊子、聖霊による刷新関西委員会事務局 翻訳、発刊 200円)の中シリル・ジョンさんは執り成しの祈りの一つとしてノベナの祈りが注目に値することを以下のように説明されています。

「聖霊降臨の主日のための九日間の祈り」

 

 聖霊降臨の主日のためのノベナは、典礼規程に準拠するノベナです。それは教皇法令によって制定され1897年5月9日、教皇レオ13世の教皇の回勅「ディヴィヌム・イルド・ムヌス(Divinum illud munus 神のこの賜物)」に挿入されています。聖霊降臨の祝日に当たり、教皇レオ13世は、この特別な祈りをカトリック信者に勧めながら、次のように書いています。「私たちは次のことを布告し、命じます。カトリック全教会を通じて、今年とそれに続く毎年、すべての小教区で、そしてまた、もし地方の典礼書が適応するなら、他の教会や小聖堂 においても、聖霊降臨の祝日の前にノベナが執り行われるべきです。」


  20世紀における聖霊の力強い注ぎは、教会に導入された聖霊への崇敬の刷新から生まれたものです。近年、再びヨーロッパの多くの国々で、いくつもの全国奉仕委員会が聖霊に対する九日間の祈り(ペンテコステ・ノベナ)を促進し始めました。キム・キャサリン・マリー・コリンズ女史によって促進された、礼拝と執り成しの祈りの中での、神の民を高間へ復帰させる助けとなる第一歩「燃える柴」の祈り、聖霊降臨のためのノベナは、世界のいろいろな所で大変人気が出て来ています。第40回カトリック・カリスマ刷新(CCR)記念の準備として、ブラジルの全国奉仕委員会は、聖霊へのノベナを含む「聖霊降臨を祝って」と呼ばれる聖霊降臨(ペンテコステ)の霊性の復活への計画を起こしています。私は、新しい聖霊降臨への祈りと期待の内に、聖霊が高間へ新たに戻るよう、全教会に呼びかけておられるという大きな責任を感じています! 

  教会は聖霊の花嫁です。フランシス・マーティン神父は書いています。「教会は花嫁であり、その配偶者は聖霊の力によって生き、聖霊から命を受けることによって生きていることを、世界に示しています。今の時代には、教会がむしろ未亡人、ただ一人で、人間的組織によって保たれているだけの力のないもののように見える危険があります。」 花嫁は当然ながら花婿を期待して待つ権利があります。教皇パウロ6世がスーネンス枢機卿の著書、「新しいペンテコステ」について公式の場で語ったとき、教皇は用意していた原稿を離れて、次のような言葉をつけ加えました。「もし主が、教会を実り多い、美しい、すばらしいものにし、冒涜的、世俗的な世界の注意と驚きをかち取ることができるように、賜物をさらに豊かに再び注いで下さるなら、何とすばらしいことでしょう。」


ICCRS計画、高間(チェナクルム)運動
  この目的を視野に入れて、国際カトリック・カリスマ刷新奉仕会(ICCRS)は高間計画を、世界の聖霊降臨祭、聖霊降臨の新しい文化のために、最優先計画として、発進させました。それは全国奉仕委員会への訴えです。すなわち、世界中の全国奉仕委員会は、神の民を「エルサレムの高間」に心を一つにして、耐えざる祈りに戻るように招く聖霊降臨の準備として、聖霊降臨の主日の10日前を守ることです(使徒1・12~14)。この訴えに答えて、インドの全国奉仕委員会は次の二部からなる「聖霊降臨を祝う」ための計画を作成しました。

 ・・・・・・・・・・・・・・・
 インドの方法に学んで 日本の聖霊による刷新祈りのグループは、この同じテキストを使い同じ九日間、心を合わせて祈ります。売布はた

 執り成しの祈り セミナー (宝塚黙想の家)

執り成しの祈りの研修のために5月14日~15日に関西中心に集まりを持ち、有意義な時間を過ごすことができました。以下はそのスケジュールと講座のハイライトをお伝えします。

関西執り成しの祈り研修会スケジュール

「どのような時にも、霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」 
                    (エフェソ6・18)

5月14日(月)

10:00 ~受付  テキスト販売   チェックイン
10:30 ~   神父様の挨拶 (Fr.畠)href="http://www.hatashinpu.com/img/img581_file.jpg">shashin01

        オリエンテーション  
※食事について(場所、後片付け当番など)
※お風呂使用について
※グループ分け、その他 
導入:いつくしみのチャプレット (吉中)
賛美 (川瀬)
講話① <祈りの形> 「カトリック教会のカテキズム」
12:10~13:10 昼食
13:20~14:10 講話②「執り成しの祈り」(テキストを用いて)
14:15~15:15 分かち合い(グループ)   
15:15~15:45 休憩(ティータイム) 
15:45~16:30 講話③「執り成しの祈り」(テキストを用いて)
16:40~17:30 ミサ(司式 畠)
17:40~18:50 夕食   

19:00~20:30 聖霊降臨 小冊子(ノヴェナについ)Fr.畠
        賛美と満たし
20:30 ~ 個人黙想 (自由)

5月15日(火)
7:00~    朝の祈り (聖体賛美を中心に)
7:45~8:45  朝食 
9:00~10:00 講話④「執り成しの祈り」(テキストを用いて)
10:30~12:00 執り成しの賜物を祈り求める(Fr.畠)
        分かち合い(グループでの祈り)
        赦しの秘跡(個別面談 など)
12:10 ~13:10 昼食
13:10 ~14:40 全体の分かち合い(あかしなど)

 講話⑤
15:00 ~16:00 ミサ
16:00 ~16:30 片付け    
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 第16回百日間 連続共同祈願ミサへの招き 

第16回百日間連続共同祈願ミサへの招き(5月13日~8月20日)

主の復活の喜びのうちにごあいさつ申し上げます。
 
「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。(ヨハネ15・5)」

 皆様 お変わりありませんか。私は、これまで一度も休むことなく病気することもなく事故もなく日々皆様と祈りの内に結ばれて 百日間の共同祈願を15回、1500日間を元気に過ごすことができました。ご心配をかけた喉は回復し、毎日の祈りや説教において支障なく、日々喜びと賛美の声を主にささげています。アーメン、アレルヤ。

 第16回目の共同祈願は5月13日(日)~8月20日(月)までの百日間です。<以下の続き>は趣旨を手紙文にして印刷しましたが、このネット上にも公開します。ご賛同の方は、はがきで祈りの意向を池田教会宛にお送りください。
続きを読む>>

 ルフス神父帰天

ISAOの会長 シリル・ジョン氏から今朝ルフス神父が亡くなったとの訃報が入りました。日本にも2度来られたことがあり、わたしたちの聖霊による刷新の偉大な指導者を失いました。休むことなく働かれた神父様の生涯は、イエスの似姿のように人々の心に刻まれて残ることでしょう。

訃報第一報
Dear ISAO Members,
It is with grief that I learned a little while ago that Rev. Fr Rufus Pereira, who was earlier an ICCRS Councillor and a pioneer in the Renewa,l passed away at Indian Standard Time 7.30 am in his sleep while in London.

More details are not known. The body will be flown to Mumbai, India where the funeral is likely to be held either on Saturday or Sunday. I shall try to attend the funeral on behalf of ICCRS and ISAO.

May his soul rest in peace. Kindly pray for the departed soul.

With regards and prayers.

シリル・ジョン

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
マレーシアのブログから
BREAKING NEWS- Fr Rufus returns to the Lord.

Fr Rufus Pereira has passed away in London Thursday 3rd May morning at about 4 or 5am, following a heart failure. He had undertaken an evangelisation trip.
To watch interviews with Fr Rufus, please go to
www.pmst-ccr.org.(ルフス神父の在りし日のインタービュー 唯一の敵 教会の心臓部を攻撃する悪魔の働き)
続きを読む>>
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