マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 識別 黙想会

10月8日~9日
 教区祈り推進チーム 主催
 「識別黙想会」が売布宝塚黙想の家で行われました。わたしも小教区のスケジュールの合間を行き来しながら参加しました。数年来の試行期間を経ながら
ようやく公開の識別黙想会が始まりました。地区から送り込まれた代表者たちが熱心に取り組みました。写真は参加者と最終日のミサ後の記念写真です。

識別記念1

 天からのものか?

 ながくブログからご無沙汰してしまいました。

 異変はあったのです。のどが調子が悪いなと思い、うがいやトローチをなめたりしていたのですが、うまく音がでてこないという感じがありました。耳鼻科に行って、そのことを伝えると、医者は加齢もあるでしょうと私の訴えを取り合ってくれない感じでしたが、でも違和感があるのでというと鼻から内視鏡を入れてみてくれました。ああわかりました。結節です。もう歌ったり話したりしたらいけませんね。画面でみると二個丸いのが声帯の入り口にできていて、閉まる時に邪魔になってまっすぐ閉まらないことが見えました。そのほかに、声帯上にいくつか小さいものが見えました。切るしかこの結節をとる方法はないのですが、まだ小さいので、これが大きくならないように声を使わないのが一番良いだろうという診断を受けました。

 いままで考えてもいなかったことが 始まったのです。修道院に入った時から、毎朝の祈りやミサで歌わない日はなく、声を限りに生涯神への賛美をささげることがわたしの喜びであり生きがいだったから、どんなときも賛美の歌をささげることで、修道生活の35年間も何も苦労を感じなかったけれども、それができなくなるとは・・・ これから歌えなくなることを皆さんに伝えましたが、やはり一番、残念なのは私自身です。祈りの声が消えていくということを考えるとその存在が無くなるような感じです。

 振り返ってみると、3月11日以来、十字架の道行をしてきました。真夜中に、木にぶら下がって津波の夜をすごした人の話が心にとまり、その真夜中の時間に祈りをはじめることにしました。楽な姿勢で環境の良い場所ではなく、体のつらい時間に祈ることを始めました。あれから6か月がすぎて喉に異変が始まったのです。


 睡眠不足が一番悪いらしいのです。それに喉の乾燥。ドライアイ、ドライスキン、そしてドライノド・・・私の加齢現象でもあるのです。皮膚にタコができるように声帯にもタコができるのです。わたしは声を使いすぎた感触はありませんが、声がでるのは当たり前のよう、声の健康はあまり気を使わなかったのです。これがわたしの瑕疵かな。声は天からのたまものであることを忘れていました。

 3月11日、被災した人々は、さまざまな別れを体験し、その喪失感の大きさと悲嘆の強さはわたしたちの想像を超えています。十字架の道行は苦しむ人に寄り添います。「ああ、聖母よ 十字架上の御子の苦しみをわたしたちの心に深く刻んでください。」と祈ります。

 その祈りに答えてくくださったかのように、大切なものを失う喪失感を味わいました。あまりに平和な生活を送っているものには、必要な体験だったのです。他者の苦しみは想像するしかわからなかったのですが、・・・。 でも、これは神からのものか信じがたいものです。

 わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。
 主のみ名はほめたたえられよ。(ヨブ1:21)

 葬儀の時には、この箇所はわたしは避けています。日本人の感覚では、宿命的な響きがすると思うからです。神の摂理を語るのが聖書ですから、苦しみには意味があると絶えず思い直し考えることなのです。


 今日のミサで感じたことは、いままで気づかなかったことですが、いつも歌っていたときは自分の声しか聞こえていなかったのです。でも、歌わないで、皆さんの歌を聴いていると、一人一人の声が聴き分けられたのです。オーケストラの指揮者がすべての楽器の音色がわかるように、あの人の声、この人の声と個別の声が聞こえてきたのです。いままで自分の声が大きいので自分の音ばかり聞こえたいたのです。なるほどこれでは、神の心知る由もなかったのだと・・・ きっとこれからはもっと信者の声を聴くことができるようになればいいなと 沈み込んだ主日のミサの最後に、わたしの感じたことを話しました。

 人の心の苦しみがわかる耳と
 それを識別できるカリスマがあたえられますように。

 また12時が過ぎてしまいました。
 これから十字架の道行をして寝ます。 アーメン。


 


 

 夏のアルバム

今年の夏に出会った外国からのお客様

 ケネス・オーマーリ 神父 ご受難会の米国西管区の司祭。CTU(カトリック合同神学院)の図書館長でした。論文を書くときには、この神父さんのアドバイスを受けるというのが定番で学生に信頼があります。博学でミシガン大学で図書学の博士号を取得してシカゴのCTUの創立のときから昨年まで勤めているベテランの図書士でした。わたしも留学中はたいへんお世話になりました。とても気さくでアイルランド系の人のいい世話好きのおじさんという感じですね・・・韓国での黙想会指導をしてヒューストンに帰国途中日本に立ち寄りました。広島の平和公園と記念館を見学したいというので、インドからの来客と一緒に広島まで旅をしました。CTUを昨年退職して、現在、ヒューストンで若い志願者の世話をしています。ご受難会にも久しぶりに召しだしを望む学生が増えたと喜んでいました。突然に7名ほどの学生から連絡が入ったのだそうです。ご受難会が消滅するかという存亡の危機のこの時に突然の志願者の増加、神の摂理を信じたそうです。


 シリル・ジョン氏 ジョン(John)というのがファミリーネーム(姓)ですので、ヨハネさんと呼ぶと個人の名前のようですが、家族名なのです。尼崎での聖霊による刷新関西大会の講師に招きました。インドのカリスマ刷新の発展の立役者で、カリスインディアという雑誌の責任者でもあり、ICCRSという国際カトリック・カリスマ刷新奉仕会の副会長やISAO(アジア太平洋地区)の会長を務めています。おもに「執り成しの祈り」で全国的に組織を広めました。職業は、日本での国会議事堂に相当する議会に務める職員です。議会の委員会の下準備や調査をしたりする仕事だそうです。文章を書くのが有能なので、いくつかのカリスマ刷新の本質を紹介した本があります。日本で読める本は、歴史と現代の刷新の動きをよく把握して書かれた文庫本(聖母の騎士社)「聖霊に駆り立てられて」は世界的にもよく読まれている本です。パウロ会の神学生だったこともあり、とても教会の典礼や霊性に精通しておられます。
 訪問者01

 第14回百日連続ミサ共同祈願への招き

第14回百日連続ミサ共同祈願への招き

兄弟姉妹の皆さまへ
✞主の平和
                  聖霊による刷新関西委員会 
                  委員長 畠 基幸 神父

 大型の台風12号が日本列島を直撃し、記録的な大雨で紀伊半島に大きな災害の傷跡を残し、多くの犠牲者を出しました。いまだ東日本大震災の傷が癒えぬままに、日本列島は新たな災害に見舞われました。今、この<時>のしるしに応え、私たちは、さらに心を合わせて共同祈願への取り組みを続けます。

 先ず、報告ですが、前回、東日本大震災の被災者のための意向で、百日間、十字架の道行とミサで毎日皆さまの意向を祈り続けた第13回百日連続ミサ共同祈願には、725名の参加者がありました。参加者の人数は減少しましたが、十字架の道行を同伴して下さった方々に感謝を申し上げます。十字架の道行は、時間のかかる祈りです。でも、苦しむ人を面前に思い起こしながら、祈るとき、苦しみに同伴されるイエスの力と命がその人々の苦しみに現存され、励ましておられることを感じます。皆さまも、同じように感じておられるのではないでしょうか?私は、この被災者のための十字架の道行の祈りをこれからも継続して祈り続けていく決意です。

 最終日となった8月28日は、聖霊による刷新関西大会の二日目にあたり、大会に参加した350名と共に感謝のミサを捧げ、皆さまからの100日祈願の意向を奉納しました。

 この日の主日のミサの朗読箇所(マタイ16章21節~27節)は、十字架の道行を毎日捧げてきた私たちにとって預言的な励ましとなりました。
 もう一度、その箇所を見てみましょう。すなわち、この箇所の直前では、ペトロは天の父から照らされて「あなたはメシア、生ける神の子」と告白し祝福されましたが、その直後、イエスがエルサレムで多くの苦しみを受け殺され三日目に復活すると弟子に打ち明けられると、ペトロは、「そんなことはあってはならない」といさめ始めたので、イエスから「サタン、引き下がれ」と叱責されます。「あなたはわたしの邪魔をする者、神のことを思わず、人間のことを思っている」とイエスは、ペトロが神の計画を知らず人間的なメシア像に陥っていることを指摘されました。そして、弟子たちに「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(マタイ16章24節)と告げ、弟子の本来の姿を、この簡潔な言葉で示されました。私なりに咀嚼すれば、自分にとらわれず自分を目的としないで、自分の十字架を口実にして自分に限界を設けてしまわないで、第一にイエスに従う。イエスが十字架の受難と死を受けることを覚悟してエルサレムへ赴かれたように、わたしたちもまた、他者の命のために主イエスに自らを委ね、主と一つになって現在の目の前にある他者の十字架に同伴することではないかと・・・。

 この「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」との言葉は、わたしたちが、本来の弟子の姿、キリスト者の本来の生き様に立ち返るように呼びかけています。そして、それは預言的な呼びかけ、つまり神からの呼びかけとして受けとめていかなければならないと思います。それは、わたしたちが一つの群れとしてキリストに結ばれ、全キリストとして執り成しの祈りをする預言的促しの呼びかけであると確信しました。
(続く)
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奉納用はがきPDF版はがきPDF14
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 母の故郷へ墓参り

 兄と一緒に墓参りに戸河内まで行ってきました。母が亡くなって15年、葬儀の時にお会いして以来ご無沙汰していた母の兄弟姉妹のところへ行きました。90歳を超える伯母や伯父、80歳を超える叔母たちや母がお世話になった親族の方々に挨拶とつかの間の時を過ごすことができました。皆、子供たちが都会に出てしまい、残された孤老の一人住まいなど、現代の世相を反映しているけれども、幸いなことに、誰一人弱って寝込んでいる人はいませんでした。親族の中でも被ばくした母など当時広島市内に出ていた身内の者は被ばくの後遺症で早死にしました。村では農業を営む人はほとんどおらず、自分の畑で自分たちの食べるものだけを作って後は年金暮らしという人がほとんどということだそうです。点在する村々も合併して戸河内村はなく、広範囲な地域に一つの町に再編されて安芸太田町ができました。三段峡入口が可部線の終点駅でしたが、今は平成15年に廃線となり、過疎が進んでいます。

 無縁社会といわれる現象は、わたしの家族にも言えることで、父の両親も母の父も子供たちが幼い時に病死したため、母も父も、兄弟姉妹とは、それぞれ別の親族や家族に引き取られて育ち、血縁があっても共有する家族の思い出がないため、葬儀の時ぐらいにしか親族は顔を合わせることがありません。わたしたち兄弟はいとことたちともほとんど交流もなく顔を合わせたこともないので、父が亡くなって、わたしたち兄弟どちらかが亡くなれば、残された者は、もう血縁による親族は無く無縁社会の中で生きる人たちと変わりません。わたしたちは、母方の親族が生きている間に、少しでも感謝の気持ちを伝えるために墓参りをしました。母の遺骨は、故郷の人たちがお寺に分骨して納め、この故郷の人たちと共に眠っているからです。母はカトリックだからと断ると、絶縁状態になり、故郷の人たちを悲しませるにちがいありません。わたしたちは誰一人自分のために死ぬのではありません。パウロが言うように、生きるにしても死ぬにしても主のために生きるのです。母は私たちにもふる里があることを最後に形見として残してくれたのです。

 もっとも、わたしのふる里は、教会の関係とか修道会の関係で、祈りの中での永遠の今を生きる神との交わりですので、家族のような身体性はなくても、これ以上の確かな関係性があると信じるほかは、幸せになれないのですが、同時に、地縁、血縁などの人間関係の学習が希薄だと神との関係もうまく築けなないことも事実あるように思います。

 最近の信仰者は教会を簡単に離れる人が多くなりましたが、信仰者の人間関係が希薄だからということが一番大きい原因なのでしょう。アブラハムを祖とするイスラエルの民が四〇〇〇年の歴史をあれほどの悲惨さを味わいながらも信仰の民として歩み続けることができたのは、血縁と信仰の伝統が結合していたからでした。浄土真宗は、民衆の生活の中に溶け込む形で教えが浸透したことが布教の大きな発展の基いであるとの、安芸門徒衆の熱心な信仰生活の理由を説明した文章を読みました。東日本大震災の悲惨な状況にあっても、地縁や血縁が希薄にならないように絆を確かめる伝統文化のお祭りをして励ましや慰めによる力づけが行われたとのニュースを見ました。地方の人脈と伝統文化を大切にするならば、人は立ち上がり再生できるように思います。家族や家や仕事や故郷など当然あるべきものが失われるという喪失の悲劇が現実に身に起こりましたが、もっとも大切なのは、やはり地縁や血縁を結びつける人の心、人の考え方、人の生き方の基本である神との正しい関係を養う信仰を伝えていかなければ共同体の復興はできないでしょう。
 
 過疎化した村も、安芸門徒は信心深く、お寺では親鸞没後の750年の大遠回忌を祝う行事をしており、叔母さんの家には、仏壇に700回忌のときの写真が置いてあり、その話題から母の父は仏壇を作ることを家業としていたことを知りました。母の記憶から、祖父は仏師だっと伝え聞いていたのですが、本家は「坊主屋敷」(お坊さんの旅籠)という屋号があり、「大谷家」(出所不明)の名を継ぐ信心深い心があったとのことでした。故郷のルーツをたどる小旅行となりました。

三段峡

 主の愛の記念(聖金曜日の礼拝) 主のイメージを使って


Youtube から転写:Paolo Tiseo 氏掲載
Sacred Music composed for Good Friday 2011, recorded live in one take at Guardian Angels Church in Clawson, Michigan, with various Passionist images 
2011年聖金曜日のために作曲された聖歌、主のご受難の絵や御受難会の聖人たちのイメージとともに、ミシガン州グローソン市守護の天使教会で録音録画された一場面です。ご受難修道会の創立者十字架の聖パウロの肖像やジェンマの写真など貴重な絵や写真が掲載され、御受難会の支援者には心温まるスライドショーとして見ることができます。

 第二回アジア・オセアニアCCR国際大会への招待

主にある兄弟姉妹の皆さまへ

"わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの
恵みと平和が、あなたがたにあるように!."(1 Cor 1:3).


 わたしは、イクルス(ICCRS=国際カトリック・カリスマ刷新奉仕会)の小委員会アジア・オセアニア(ISAO=イサオ)を代表して、皆さまが一つの家族として第二回アジア・オセアニア・カトリック・カリスマ刷新リーダー大会に集まるように心よりお招きいたします。
開催期間は、2011年11月24日から27日まで、会場は、コタ キナバル(サバ州、マレーシア)です。

 カトリック・カリスマ刷新が始まって43年になります。この機会に、聖霊による洗礼の恵みを通して、教会に注がれた特別な祝福のために全能の神に感謝をささげるために集まって時を過ごすことはふさわしいことです。

 この大会において、この地区の国々に活動する刷新の関係者が、一致、親睦、体験などの交流が促進されることが期待されますし、そのために、アジア・オセアニアの全地区の国々からカトリック・カリスマ刷新のさまざまな表現の形、或いは、全国委員会、祈り会、共同体、奉仕職などのさまざまなレベルのリーダーが一堂に会するために参加するということが期待されます。大会は、アジア・オセアニア地区で刷新に対する共通の展望を明確にすることになるでしょう。したがって、大会の霊的な成功のために、とりなしの祈りで応援してくださるようお願い申し上げます。
 
私は 皆さまを大会に参加するよう招いてとても心が弾んでいます。どうか皆さまが コタ・キナバルで大会の日々を共にすることができますように、すぐに計画してください。祈りで団結し続けましょう。

 皆さまの上に神の祝福がありますように。

ISAO 会長 シリル ジョン
ISAO大会PDFファイル 大会のチラシ、Cyril
大会案内のPDFファイルです。大会会費は 200ドルです。航空運賃プラスその他の経費は、9万円くらいです。全国の祈り会(38か所)に案内を送りました。
FAX用紙
申込FAX用紙をご利用ください。締切 9月24日(大会事務局) 
送付先はマレーシアですが、関西委員会 川瀬隆枝宛に早急に連絡くだされば(8月中旬までには)、ご一緒に行くこともできます。
 ℡ & FAX 078-791-4692
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 「心から主に語る」 

 夏休みは、毎年 何か宿題を承って、それをコツコツとやるようなライフ・スタイルです。3年前の夏は、ずいぶんとマカレア神父の聖体の前で祈る祈りの言葉に力をいれました。すでに山下さんが翻訳されていた原稿に手を入れはじめたのが、長い骨の折れる夏休みになったのです。2年前はルフス神父のイエスの本とミューレンの原稿を見直しました。昨年は、何をしたのか覚えていませんが・・・ずいぶん苦労していた思い出があります。だんだん記憶が薄くなるような気分です。どうなっていくのでしょう。

 この本が日の目を見たのは、その後もう一度見直すような機会があって、これが最終的な本の形になりました。聖体におけるイエス様との出会いが深まるとよいと思います。あとがきを<続き>に入れました。興味があれば、読んでください。
この本は、第15回聖霊による刷新関西大会でお買い求めできます。McAlear本

 わたしの今年の夏休みは、クーラーを止めての節電の年ですから何もできないので、これまでの資料を整理しようと思います。教区・小教区関連の書類、修道会関連の書類、CCR関連の大会・セミナー関連の書類、そして自分の作成した書類などなど未整理の書類がたまっています。わたしの人生は、そんな未整理の書類の堆積に似ているように思います。
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 生き生きとした典礼をめざして

北摂地区 信徒奉仕職養成委員会(宣教評議会)主催 参加費無料
 
 7月9日(土) 午後2時~5時45分 (45分講義、4回)
        講師 フランコ・ソットコルノラ神父
        日本カトリック典礼委員会委員
        諸宗教対話センター所長(熊本)
        ザベリオ会員

 「日曜日の生き生きとしたミサ典礼と福音宣教」
 表題のテーマで、講師としてフランコ神父さんをお招きしました。 講座受講対象者は、北摂八教会の信徒奉仕職養成講座受講者と典礼および福音宣教担当者のために池田教会で講座と講演が行われます。
 フランコ

 7月10日(日)
 9時 主日のミサ (司式、説教 フランコ神父 )
 「日曜日の生き生きとしたミサ典礼と福音宣教」
 ミサ後
 第一講演 10時30分 ~ 11時15分
 第二講演 11時30分 ~ 12時30分

 (対象者:典礼担当者及び福音宣教担当者、典礼に興味ある方はどなたでも・・・)

 七夕音楽会

 マリア幼稚園の七夕音楽会(7月7日)

  教会の聖堂で子供たちの歌声が響きました。子供の成長を見守る若いお母さんやお父さんで聖堂は一杯になりました。七夕の飾りもかわいい願い事で親たちを元気づける。そんな風景でした。たなばた

  幼稚園の先生には 脱帽です。歌の指導、楽器の指導などなど
  子供の学習能力にも驚きです。子供の成長は親の喜びです。

 ホームページも装いを新しくして 見やすくなりました。
 http://st-marys.jp/about.php
 学校法人カトリック聖マリア学園
 カトリック聖マリア幼稚園  園長 デニス・マックゴワン神父
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